2020/05/17 うつせみ

もし、話し相手が誰も居なかったらどうしたらいいのでしょうか?
単独で、計画を実行する必要に迫られたら、、、

ここでは、そのような絶望的状況の中で、使用している情報処理の手法について述べます。

2.7 はじめに

もし、周りに話し相手が誰も居なかったらどうするか。

議論を互いに戦わせて、刺激し合うことができません。
議論を通して、自らの思考の誤りも検出できません。
新しいアイデアも、刺激がないので、なかなか生まれ辛くなります。
多くの不都合な弊害に直面します。もっと、深刻な問題として、孤独感の闇に苛まれてしまいます。

しかし、だからといって、自らの置かれた不幸を嘆いても、どうにもなりません。誰も助けてくれません。『できません。』の言い訳では済みません。

絶望の中で、どうやって生き残っていくか。克服なって、大層なことを言える余力は残っていません。一歩でも、いや、半歩でもいいから、前に向かって進むことに精一杯です。
このような状況に対応する為に、急遽、代替えの情報処理を準備する必要がありました。単独で実行する場合の様々な弊害を回避する必要がありました。

そこで、ここでは、これらの不利な状況に対応する為に、新しい手法を導入して使っています。それについて述べます。

役立てて頂ければ、幸いです。

情報処理の3階層

情報の分析は、次の3階層から構成されています。

  • 欲望のコントロール
  • 概念構築(イメージ処理)
  • 記号処理(数値解析)
情報処理の3階層

情報処理の3階層
情報の処理は3階層に分類されます。
1.記号処理は、言葉や数字などの記号を使って行われます。
2.概念処理は、頭の中に、新しいイメージを構築する作業です。
3.欲望のコントロールは、極めて、戦略的な情報処理です。
 まず、情報を、そのまま、心の中に流し込みます。
 そして、じっと、観察します。心の中のどの欲望と共鳴を起こすかを。
 共鳴を起こした欲望こそが、その情報の正体です。
 その為には、心の中の欲望の荒波を鎮める必要があります。心の中を覗いたら、荒波しか見えなかったでは困ります。

一分以内に、代案を3つ見つけて、実行に移せ。

あてにしていた手段が使えなかった場合、自分の不幸を嘆いてみても、しかたありません。急遽、代案を見つけて、目的を達成しなければいけません。

一分以内は極端ですが、常に代案を早急に探さざるえませんでした。常に、時間との競争でした。ラフティングで、激流を下るようなものでした。いつも、運動神経が試される連続でした。

そのような状況でいつも心掛けていたのは

手段に拘るのではなくて、目的に拘れ。

「その目的を達成する為には、どの手段が最も合理的か?」。自分の置かれている現実から、それを見つけることでした。

『(1)敵を知り、(2)己を知り、(3)敵と己の距離をしれば、。。。』孫氏の拡張版です。この教えに忠実なら、代案は見つかります。

目的と現実に目を向けることです。
目的を紙の上に、1行で書けるようになるまで、何度もトライします。2行ではダメです。あくまでも、1行です。分かったつもりにならないで、紙に書いてみることです。目的を1行で紙に書こうとした瞬間に、自分のいい加減さに気付かされます。
目的が1行で書けるようになったら、自分の置かれている現実から、目的に至る手段を考えます。
目的はひとつですが、残念ながら、現実は複数です。千差万別です。自分の置かれている現実は、刻々と変化します。従って、現実から目的に至る手段も刻々と変化します。複数存在します。

孫氏の兵法の発想

孫氏の兵法の発想
まず、孫氏は『国が生き残ること。』という目的を設定しています。
そして、その為にどうすべきか、それを、自らの置かれている現実を観察しながら説いています。

戦争は、国が生き残る為のいち手段に過ぎません。
必ずしも、ベストな手段ではありません。戦争は、勝っても負けても、人員と物資と金を消耗します。国力が著しく毀損されます。そのような時に、別の隣国から攻められたら終わりです。
国力を消耗しないで、『国が生き残ること。』という目的を達成する為には、「戦わずして勝つ。」ことが最もよい方法です。

目的はひとつですが、現実は刻々と変化します。この為、現実から目的に至る手段も刻々と変化します。『殴り合いの戦争』という手段にだけ固守しないことが大切です。

なお、余談ですが、孫氏の時代は、まだ、騎馬兵が実用がされていなかったので、ドイツ軍が第二次世界大戦で実践した電撃戦の考え方は抜けています。
騎馬兵が実用化されたのは、2,300年後です。従って、敵と己の距離、即ち、移動速度の問題は考慮されていません。全て歩兵で、敵も味方も移動速度は一定だったからです。
現代では、ミサイルなどの飛び道具や車両が発達しているので、敵と己の距離は無視できない重要な意味を持っています。距離は、即ち、時間です。速度は、距離と時間の両方に影響を与えるからです。
孔子やマルクスの発想

孔子やマルクスの発想
参考までに、孔子やマルクスの発想も上げておきます。
この図を見れば、なぜ、孔子やマルクスが失敗したのか、一目瞭然ですね。

第一の原因は、目標の設定が甘くて曖昧なことです。彼らは、理想という抽象的な事柄を目標に設定しています。

第二の原因は、現実に目を向けていないことです。
彼らは、絶対的価値観や徳に基づいて、現実を規定しています。仮想現実を現実だと錯覚して、仮想現実から理想に至る道を説いています。
仮想現実は、刻々と変化することが無く、理解し易いので、「ついに、複雑怪奇な現実を理解できた。」という錯覚に陥って有頂天になりますが、現実を無視したら、うまくいく筈ないですよね。

2.7.1 記号処理(数値解析)

最下層の簡単な処理から順番に述べていきます。

情報を、言葉や数値などの記号に置換して、処理する手法です。

哲学者は、言葉(符号)を使って、哲学的思索に耽っています。情報を、言葉で表現して、その言葉を弄繰り回すことによって、様々な処理を行っています。
哲学者は、言葉を使って思索することが、思考作業の全てだと思い込んでいます。それ故、言葉が作り出している先入観の壁を乗り越えられないでいます。その前で、いつも、右往左往しています。言葉しか知らない。現実を知らない。ハイデッカーが、そうでした。

デジタルコンピュータは、情報を、数値に置換して処理しています。数値に置換された情報を、計算したり、集計したり、比較したりして情報を処理しています。

現代において、情報処理と言ったら、ほとんど、このレベルの情報処理を意味しています。
このレベルでは、何か新しいものが生み出されることはありません。既に、あるものを、分類や加工しているだけだからです。

現代は、情報化社会だと、騒がれていますが、実は、コンピュータが処理可能な情報は、最下層の『記号処理、数値解析』のみです。それよりも上位に位置する『イメージ処理』や、『欲望のコントロール』は、まだ、機械化のメドさえ立っていません。

これが、現代の情報化社会の正体です。

2.7.2 概念構築(イメージ処理)

断片的な情報から、ひとつの概念を構築する作業です。

解り易く言えば、ジグソーパズルです。
一見、無関係なバラバラの情報を、寄せ集めて、ひとつの統一した概念を構築する作業です。

もの事は、見る方向、見る立場によって、全く、異なったものに見えます。

例えば、象は、近くて見るのと、遠くでみるのでは、全く、異なった姿に見えます。近寄って、長い鼻の先を見るのと、尻尾の先を見るのでは、当然、形が違っています。同じ象でも、見る方向、見る場所、見る距離によって違って見えます。

同じ、象を見ているにも関わらず、そこから得られる情報はバラバラです。形式的な関連性や、統一性を見出すことは困難です。
この種の情報は、たくさん集めて、統計等の記号処理を行っても、何も有効な結果を得ることはできません。

象について知りたければ、寧ろ、バラバラな、互いに見かけが異なった、多方面から情報を集めて、ジグソーパズルを組み立てるように、象のイメージを頭の中に組み立てる作業が必要です。

集める情報は、科学的データに限定されません。全く馬鹿げた素人の感覚も重要です。専門バカに陥らない為に。
そして、ある程度イメージが固まったら、今後の作業が行い易いように、そのイメージに、『象』という新しいラベル(言葉)を付けます。

言葉を割り当てなかったら、連想が働き辛いので、頭の中に、そのイメージを固定し、維持するのに、高い集中力を必要とします。結構、しんどい作業になります。他人との会話にも、支障が出ます。

しかし、同時に、言葉を割り当てたら、弊害も生じます。人間は、言葉ばかりを見つめ始めて、現実を見なくなります。言葉の先入観に囚われてしまします。

そこで、しんどいですが、言葉を割り当てる作業は、出来るだけ、後の方がいい結果が生まれます。
言葉によって生み出される先入観の弊害を、避ける為にも。

実際の作業手順は、下記の通りです。

1) 科学的常識に囚われないて、できるだけ多方面の情報を集めます。

専門バカに陥らない為に、馬鹿げた信頼度の低い情報も丹念に集めます。一見、無関係な情報も、先入観を捨て集めます。

信頼度の低い情報も、丹念に拾い集めます。もちろん、信じる必要はありませんが、異なった方向からの多様な情報は、全体像を、薄ぼんやりと把握するのに役立ちます。全体像が掴めたら、「不足している情報は何か?」「情報収集のポイントを何処に集中すればいいか?」の判断にも役立ちます。最初から、信頼度の高い情報などありません。

常識の壁を乗り越えたかったら、集める情報も、常識に囚われてはいけません。
全く当たり前のことですが、壁を乗り越えれないのは、学問的常識の範囲内にしか、目を向けていないからです。ヒントは、科学的常識の範囲外にあります。

自分の能力は、他人と比べて、劣っています。その劣っている自分が、他人と異なった成果を出す為には、他人と異なった視点、他人と異なった手法を使うことです。

そのような自分が、他人と同じ事をしていたら、自分の無能さを思い知らされるだけです。

2) 神経を集中して、頭の中に叩き込みます。

それらのバラバラな情報を頭の中に叩き込み、ひとつの概念(イメージ)を組み立てる努力をします。

ちょうど、ジグソーパズルを組み立てるように、一生懸命、試行錯誤を繰り返します。
しかし、多分、失敗すると思います。

失敗したら。。。。。

3) 一旦、今までの作業を、全て忘れます。

全てを、忘れることです。

忘れて、別の作業に熱中します。

例えば、生物学の問題を処理していた場合は、全く、関係のない物理学の問題に集中します。綺麗さっぱり忘れて、思い出さない為に、別の作業に熱中します。

「折角、覚えたことを、忘れてはいけない。」という欲望に振り舞わさて、不安になると思いますが、そのような不安を無視して、全て、綺麗さっぱり、忘れてしまうことです。その為にも、別のことに熱中すべきです。

その忘れている期間は、経験的に、約3カ月です。

4) 3カ月経って、心に衝動が起こったら、もう一度、心を振り絞ります。

心を、もう一度集中させ、イメージを組み立てる作業を行います。

もう一度、同じ本を読んで、心の奥底から、絞り出すようにして、叩き込んだ情報を取り出します。

もちろん、取り出された情報は、叩き込んだ時とは、微妙に、異なっています。重要だと思い込んでいた情報が、実は、重要ではなくて、抜け落ちていることもあります。
全く、無関係だと思っていた別の情報と、結びついて、新しい姿になって、取り出されることもあります。全て、忘れて、別の作業に熱中した、その別の情報が結びついてきます。

忘れている3カ月の間に、意識の拘束から解放されて、情報の消化、吸収が始まり、互いに、想像もしなかったような場所で結び付いて、新しい概念が生み出されるようです。

我々の脳は、このようなタイプの情報処理も可能なようです。皮肉なことに、この作業は、忘れている時に行われます。新しい概念(イメージ)は、忘れている時期に形成されています。その情報の消化吸収と、結合に、経験的に、約3カ月掛かります。

意識知覚していると、即ち、忘れまいと努力していると、そこで情報が固定されて、消化吸収できない見たいです。常識の呪縛から、逃れられないようです。

なお、この工程に失敗したら、前の工程に戻って、また、全てを忘れます。
これを、諦めずに、執拗に繰り返します。

5) 一連の作業中には、絶対に、言葉は使わない。

不安感から、ついつい言葉を付けたがりますが、言葉を割り当てた瞬間に、言葉の先入観に囚われてしまします。

そこで、情報が、固定されてしまいます。

しんどいですが、言葉を使わないで、心を集中して、頭の中に、そのイメージを保持して、直接、それを動かします。

言葉を使わないと、この作業は、高い集中を要求されて、結構、しんどいですが、我慢して行います。何回も、何回も、トライしていると、そのうち、出来るようになります。

言葉に、しがみ付きたい。』という欲望を克服します。

6) 最後に、その概念を固定する為に、言葉を割り当てます。

言葉が割り当てられると、頭の中にイメージを思い浮かべ、維持、固定するのが比較的簡単になります。他人と会話することも、可能となります。

しかし、同時に、言葉の先入観の虜になってしまいます。自由を失います。

言葉を割り当てた瞬間に、メリットと、デメリットが交差します。

イメージ処理のポイント

この情報処理では、「できるだけ異なった、多方面からの情報を集めること」と、「忘れること」、「言葉を使わない」が、ポイントです。忘れている時に、その期間に、始めて、新しい概念が形成されます。

どの方法も、常識とは逆なので、抵抗はあると思います。

  1. 出来るだけ多方面の情報を集める。
  2. 忘れること。(経験的には、3カ月です。)
  3. 言葉を使わない。

このレベルの情報処理は、残念ながら、人間の心の中でしか、処理できません。

2.7.3 欲望のコントロール

極めて戦略的な情報処理です。

そもそも、情報を処理する必要があるのは、人間という動物が生きる為です。

全ての哲学的問いは、最終的には、外部から流入した信号と、自己の生きることとの接点を求めています。「それは、生きることと、どのように係わっているのだろうか?」「生きる上で、どのように役立つのだろうか。」「それは、食べれるの?」「美味しいの?」etc。。。。様々な方向から、問いが発せられます。自分の生きる事との関わりについて。
その接点が見つかった時に、始めて、「理解出来た。」と実感しています。

全ての哲学的問いは、最終的には、自己の生きることとの接点を探し求めています。

始めて出会った事象に関しては、まず、事象の仕組みを理解しようとします。理解できたら、次に、その事象が、自己の生存と、どのように係わっているか、その接点を明らかにしようとします。

自己の存在と関わりのない信号は、次回からは、雑音として無視されます。心に留まることなく、そのまま、流れ去ってしまいます。
自己の存在と関わりのある信号のみが、心に留まって、情報に変身します。信号が、情報に変身する瞬間です。つまり、『情報』とは、自己の存在と結びついた信号のことです。

人間の心の奥底には、様々な欲望が蠢いています。人間の行動は、その蠢いている欲望によって、ドライブされています。

例えば、人間の心の奥底には、食欲がありますが、この欲望は、肉体的空腹感と、外部からの信号(食べ物の匂いや、映像)が出会って、始めて活性化されます。活性化された食欲は、肉体の具体的行動を生じさせ、捕食行動へと駆り立てます。キツネなら、ウサギを追いかけます。人間なら、レストランへ入っていきます。
肉体的空腹感がなければ、ウサギを見ても、追いかけません。肉体的要求と、外部からの信号が出会ったときにのみ、捕食行動が発生します。

このレベルでの情報処理では、これを利用します。
外部から流入した信号が、心の奥底で蠢いているどの欲望と、共鳴を起こすか、それをじっくり観察します。

共鳴を起こした欲望こそが、その情報の真の正体です。

感覚器官から流入した信号は、欲望と共鳴を起こさない場合は、雑音として、そのまま素通りします。何の結果も生じません。
欲望と共鳴を起こすと、欲望が活性化されて、肉体的行動を生じさせます。行動は、様々な結果を生みます。結果は、様々な波及効果を生みます。
その結果と波及効果こそが、我々が最も知りたいことだからです。

情報の意味と価値

情報の意味と価値
感覚器官から流入した信号は、心の中の欲望と共鳴します。
共鳴しなかった信号は、雑音として無視されます。

信号は、欲望と共鳴して、始めて、情報に変身します。
共鳴した欲望は、肉体上の行動を生じさせます。
肉体上の行動は、結果を生みます。
物事は、この行動結果によって判断されます。

音楽を楽しむ

こう説明すると、難しく聞こえるので、音楽鑑賞を例にとってみます。

みなさんも、音楽を聞くことは好きだと思います。難しい、音楽理論など無視して、楽しんでおられると思います。

世の中には、色々なジャンルの音楽があります。ジャズや、クラシック、ラテンにシャンソン。ポップスにロック。ジャンルに関係なく、感性が合えば、楽しんでいると思います。

それを注意深く観察していると、ジャンル毎に、それを楽しんでいる感性の場所が、其々違っていることに気が付きます。その時の気分によって、聞く音楽が異なっています。

例えは、自分の場合、アフリカの民族音楽は、頭ではなくて、左腕の血管が楽しんでいます。あの強力なリズムを聞くと、血管がピクピクします。

インドの民族音楽は、頭の上、10cm辺りで、シャンシャンと音が鳴り響いています。楽しむ感性の位置が、頭がい骨の外側にあります。其々の音楽には、それを楽しむ感性の場所が異なっています。その日の気分に合わせて、様々な音楽を楽しんでいます。

興味深いのは、ジャズとバッハです。この2つは、同じ感性を使って楽しんでいます。両方の音楽とも、メロディーによって構成されていなくて、音の塊によって構成されています。音の塊が、気分の高揚と連想によって、次の音の塊を連れてやってきています。

丁度、夢の構成形式と同じです。夢も、前後の脈絡がなく、連想によって、次のイメージの塊を連れてやってきます。夢の構成形式と、ジャズ、バッハが同じなのは、興味深いことです。多分、左脳の音楽(メロディー)ではなくて、右脳の音楽(イメージの連想)になっているのですね。

実際の具体的な処理手順は、下記のようになります。

1) 外部からの信号を、そのまま、心に流し込みます。

絶対に批判をしてはいけません。

評価もしてはいけません。
ありとあらゆる心の動きを止めます。
出来るだけ変更を加えないで、そのまま流し込むのがポイントです。

まかり間違っても、批判的摂取など、行ってはいけません。
批判的摂取は、アライグマの習性と同じで、自己満足に浸る為の儀式に過ぎません。

2) 心の中を、注意深く観察します。

流し込んだら、注意深く、心の中を観察します。その信号が、どの欲望と共鳴を起こすかを。

性欲を擽るのか、虚栄心を擽るのか、宗教的欲望や、哲学的欲望、あるいは、自己を正当化できる言葉を探し求めているのか、それらを注意深く観察します。

共鳴を起こした欲望こそが、その情報の真の正体です。

できたら、その共鳴を起こした欲望が、行動を生みだす現場を観察できればベストです。欲望と行動と結果の因果関係を観察できれば申し分ありません。

感覚器官からの信号によって、欲望が活性化され、その活性かされた欲望は、何らかの行動を生じさせます。
そして、その行動は、何らかの結果を生み出します。我々にとって大切なのは、その結果です。これだけが、我々に影響を与えるからです。
だから、物事は、行いと、その結果によって判断されます。

ところが、人間は、その行いの基となった欲望を、言葉で正当化する事ばかりに夢中になっています。この為の、言葉が総動員されています。宗教や、イデオロギーが総動員されています。
行いの結果に目を向けることもせずに、ただ、ひたすら、欲望を言葉で正当化することに夢中になっています。それを、何とか相手に押し付けようと、頭を巡らしています。

正当化できる言葉が見つかったら、もう、それで安心しています。行いの結果なんて、無関心です。忘れ去られています。

人間という動物の生き様の因果関係

生き様の因果関係
1. 感覚器官(六根)からの刺激によって、『欲望』が活性化されます。
2. 『欲望』から、『行い』が生じています。
3. そして、その『行い』から、『結果』が生まれています。

それ故、物事は、『行い』と、そこから生じる『結果』の因果関係によって判断されます。

ところが、
人々は、言葉を振り回して、欲望を正当化することばかりに夢中になっています。
言葉ばかりに、心を奪われています。

この手法の最大の問題点

我々人間は、心の奥底で蠢いている欲望と、向き合うことが苦手です。この為、心の中を、観察できません。

欲望が視界に入った瞬間に、脊髄反射的に、それから目を逸らし、言葉を使って正当化し、飾り立て、その飾り立てられた言葉ばかりを、見つめ始めます。

欲望の正当化作業は、しつこく繰り返されて、終わることがありません。
この為、肝心の作業が出来なくて、訳が判らなくなってしまいます。

まず、「正当化したい。」「飾り立てたい。」という欲望を抑えて、心の底で蠢いている欲望と、そのまま、向き合えるように、訓練する必要があります。
欲望をコントロールする必要があります。

特に、性欲などのように、反社会的で、恥ずかし欲望とは、なかなか向き合えません。
生命としての宿命や、動物の性(さが)に根差した根源的欲望は、それが欲望だと自覚出来ない場合もあります。その場合は、自分の行動を観察して、そこから、欲望に辿りつく作業が必要になるかもしれません。自分の手足の動きを観察して、そこから、推測します。行動の原因や、出発点になっているものが、欲望なので。

欲望とそのまま向き合えるようになって、始めて、外からの信号が、欲望と共鳴を起こす瞬間を、観察可能になります。

その活性化された欲望が、行動の原因となって、結果を生み出す現場を観察できます。その結果こそが、その情報の真の意味です。

大切なこと

1. 心の奥底で蠢いている欲望と、そのまま、向き合うこと。
2. 情報は、批判をしないで、そのまま流し込みます。
3. 心の中を観察します。どの欲望と共鳴を起こすかを。
4. 共鳴を起こした欲望こそが、その情報の正体です。