2024/01/02 うつせみ

日本語は、マークアップ言語の一種です。
文の中に、文法属性が埋め込まれています。
この為、文法的な曖昧さなしに、「主語の省略」や「語順の入れ替え」が可能になっています。
文法構造が英語などと根本的に異なっていました。
言語学者の常識を覆す遥かに論理的言語でした。

(漠然と感じていた)日本語の不思議は、マークアップ言語の知識を使って始めて理解できます。

注意事項)以下で使用する「文法識別詞」という用語は、「助詞」のことです。
言葉の使い方:助詞文法識別詞文法属性(= 文法詞) (= 文法演算子)
この三つの言葉は、同じ対象を指します。つまり、同じ意味です。
複数の専門分野に跨っているので、用語が混乱しています。同じ対象を指し示すのに、複数の専門用語を使っています。

1. はじめに

日本語を使って文章を書く時に、困った問題に直面しました。曖昧さを回避する為に、文法通りに主語を明記すると、非常に読み辛い文章になってしまうのです。耐え難い駄文になりました。反対に省略すると、軽やかで滑らかな文章になりました。

これが謎でした。そこで、日本語について考察してみました。
分かったことは、現代の言語学が間違っているらしいことでした。
日本語は、コンピュータプログラムの世界で、マークアップ言語と呼ばれているものと同じ構造でした。言語学の常識を覆す遥かに論理的な言語でした。

漠然と感じていた日本語の異質さが、やっと理解できました。(欧米諸語を基にした)現代の言語学が間違っていたのです。
この言語には、言語学の常識と異なって、次の三つの特徴がありました。

  1. 日本語はマークアップ言語です。(事実)
    文法構造が、英語などと根本的に異なっています。
  2. 文法上、形容詞と動詞の区別がない。(事実)
  3. 人類が言葉を使い始めた頃の痕跡が残っている。(仮説)

日本語はマークアップ言語です。

「文法構造が、英語などと根本的に異なっている」に関しては、誰でも検証可能な事実です。

マークアップ言語(Markup Language)として、文法属性が、文の中に埋め込まれていました。英語のように語順によって、文法が決まっている訳ではありませんでした。英語などと比べると、遥かに論理的言語でした。

例えば、「私はペンを持つ」の文の場合、次の三つのトークンに分解できます。

トークンに分解:「私+は」、「ペン+を」、「持+つ」

各トークンは、「語幹 + 文法識別詞(助詞)」or「語幹 + 文法属性」の組になっており、各トークンの文法的役割は、語尾の文法識別詞(助詞)で判断できます。トークンの末尾に、文法属性が埋め込まれています。各トークンの文法的役割は、この(埋め込まれている)文法属性によって判断できます。

「は」は主語を指定する文法識別詞(文法属性)、従って、「私は」は主語のトークン。
「を」は目的語、、、
「つ」は動詞、、、
日本語は、文法をトークン末尾に付着した文法識別詞(文法属性)で判断していました。

注)このように文の中に、各種属性を埋め込んだデータ構造を、コンピュータの世界ではマークアップ言語と呼んでいます。このホームページも、HTML (HyperText Markup Language)で記述されています。なお、日本語の場合は、文法属性が埋め込まれています。
このような文法構造の言語を、言語学では膠着語と呼んでいました。

日本語は、このようなトークンの羅列で文を構成していました。

英語のように、構文解析を行って、語順から各トークンの文法的役割を推測する必要がありませんでした。最初から、トークンの末尾には文法識別詞(文法属性)が付着しているので、文法的役割が明確でした。この文法構造が、主語の省略や語順の入れ替えなどを可能にしていました。
言語学の常識とは、発想が根本的に異なっていました。

注)トークン = (文法的に)意味を持った情報の最小単位

日本語の場合、「 語幹 + 文法識別詞」が、文法的に意味を持った最小単位になっています。このトークンを羅列することで、日本語の文は構成されています。「私+は」「ペン+を」「持+つ」のように。

なお、英語の場合、単語が意味を持った最小単位です。この単語を、空白で区切りながら、「SVO」の順で羅列しています。「I have a pen.」のように。
英語の場合は、語順から文法的役割を推測しています。最初の単語は主語で、次は動詞と、、、。だから、主語の省略や、語順の入れ替えは不可能です。語順が乱れたり欠落すると、文法構造が崩壊して、主語や目的語を判別できなくなるからです。意味不明の文になります。
注)参考に、英語をマークアップ言語に魔改造するサンプルも載せています。これだと、日本語同様に、主語の省略や語順の入れ替えが可能になります。

日本人は、日本語を次の手順で理解しています。

日本人が日本語を理解している手順

日本人が日本語を理解している手順
日本語はマークアップ言語です。文の中に、「文法属性(文法識別詞)」が埋め込まれています。
日本人は、日本語を次の手順で理解しています。

0. 【暗黙の前提】まず、状況を思い浮かべます。
言葉の意味は、その思い浮かべている状況の中で理解しています。省略された主語も、ここから推測し補完しています。

1. トークンを抽出します。
2. 各トークンを、語幹と文法識別詞(文法属性)に分解します。
3. トークン末尾の文法識別詞から、語幹の文法的役割を決定します。

日本語を効率的に理解するポイントは、「1. トークンの抽出」作業です。この作業が円滑に行えると、後は簡単です。

注)英語では、単語の並び順から、文法的役割を推測しています。いわゆる、「SVO」の語順のことです。だから、語順の入れ替えは不可能です。文法が崩壊してしまう為です。同様の理由で、主語の省略も不可能です。

注)「文法識別詞」のことを、日本の言語学者は「助詞」と呼んでいます。マークアップ言語では、「属性」と呼んでいます。ここでは、文法の属性を指定しているので「文法属性」になります。

このような文法構造の為に、主語の省略や語順の入れ替えが可能になっています。(主語や目的語、動詞の)トークンを省略しても、或いは、トークンの羅列順番を入れ替えても、文法構造が破綻しない為です。各トークンの文法的役割は、末尾の文法識別詞で判断できる為です。省略されたトークンは、文脈から推測して補完しています。

言葉の使い方:文法識別詞 = 文法属性 = 助詞 (= 文法詞) (= 文法演算子)

三つの言葉は、同じ対象を指します。意味は同じです。
助詞は、言語学者が考えているような補助的な言語要素ではありません。日本語の文法構造を決定している主要な構成要素です。つまり、骨格です。この骨格の中に、単語を埋め込んで、実際の文を作成しています。数学的には、項目と項目を結びつける「演算子」の一種です。単項演算子や二項演算子があります。項目の依存関係を定義しています。

だから、この機能を、そのまま言語化した「文法識別詞」、略して「文法詞」という名称が適切です。適切な言葉を使うと、思考作業の効率と品質が大幅に改善されます。複雑な論理的思考にも耐えることが可能になります。逆に、「助詞」という暗号を使うと、言葉と機能の関係が曖昧になって、意味不明な文章になります。言葉が意味を持っていないので、論理的思考が困難になります。言語学は、(言葉の学問の筈なのに、)肝心の言葉が適切に使われていない場合が、結構、散見されます。紺屋の白袴です。

ここでは、まだ常識でないので、「文法識別詞」という冗長な表現を使っています。将来的には、もっと簡略化された「文法詞」が適切かもしれません。
なお、「属性」は、マークアップ言語の用語です。日本語では、「文法属性」が埋め込まれています。日本語のデータ構造を解析する場合は、「文法属性」や「文法演算子」という用語が使った方が、論理的思考がスムーズになります。
ここでは、複数の専門分野を統合しているので、用語の重複と混乱が起こっています。


注)マークアップ言語は、コンピュータプログラム言語の一種です

マークアップ言語(Markup Language)は、通常のテキストファイルに、様々な属性を埋め込んだテキストデータのことです。

代表的な例に、通常の文章を、ホームページに表示するHTML(HyperText Markup Language)があります。今、参照頂いているこのホームページも、HTMLで記述されています。通常の文章に、(文字の色や大きさなどの)フォント属性を埋め込んでいます。それをコンピュータが解析して、人間が理解できる形式に変換して表示しています。文字に色が付いたり、大きな文字で表示されるのは、フォント属性を埋め込んでいる為です。

ちなみに、日本語の場合、フォント属性ではなくて、文法属性を埋め込んでいます。それを日本人の頭が解析して、各トークンの文法的意味や役割を理解しています。流儀に従って命名するなら、日本語は、JML(Japanese Markup Language)です。

HTMLの説明やマークアップ言語の詳細は、「マークアップ言語と日本語」「英語をマークアップ言語に改造」を参照ください。


注)三種類の文字「漢字、カタカナ、ひらがな」を使い分けている理由

現代日本語の文字体系は、「トークンの抽出作業」が、最も効率的に行えるように最適化されています。この目的の為に、三種類の文字を使い分けています。

上記の手順を見て分かるように、日本語を効率よく理解するポイントは、「トークンの抽出作業」です。この作業さえ完了すれば、後は簡単です。
この為に、語幹と文法識別詞で、使用する文字種を使い分けています。

現代日本語の一般的原則は、
文法識別詞(助詞)には、「ひらがな」を使います。
語幹には、「漢字 or カタカナ」を使います。古来からの漢語には「漢字」を、外国語を直接音写する場合には(表音文字の)「カタカナ」を使っています。
トークンの構成は、次のようになっています。

トークン =「語幹文法識別詞」=「漢字ひらがな」 or 「カタカナひらがな

(現代日本語における)三種類の文字の使い分け
文法要素使用文字種備考
文法識別詞ひらがな文法識別詞(助詞)には「ひらがな」を使用。
語幹漢字

カタカナ
(ひらがな)
(alphabet)
古来からの漢語には「漢字」を使用
和語は訓読で対応。
外国語を音写する場合は「カタカナ」を使用。
間違いではないが、非常に読み辛くなります。
直接、外国語を埋め込むケースも増えています。
現代日本語では、三種類の文字を使い分けています。
理由は、「トークンの抽出作業」を容易にする為です。
文法識別詞(助詞)には、「ひらがな」を使います。語幹には、漢字かカタカナを使います。
語幹に「ひらがな」を使っても、間違いではありませんが、非常に読み辛くなります。

注)明治の頃は、この使い分けが異なっていたみたいです。大日本帝国憲法では、文法識別詞にカタカナを使っていました。この為、欧米の国名は、(カタカナが使えないので)無理やり漢字で音写していました。例えば、イギリスは、漢字で「英吉利」や「英国」と表記していました。

注)漢字は、パタン認識で、見た瞬間に意味を理解しています。
漢字は、一般に高度な概念を表現する為に使っています。日本人は、それを見た瞬間に、(パタン認識で)一瞬で理解しています。文字を読んでいません。極めて効率の高い文字体系です。(ちなみに、カタカナはパタン認識が不可能なので、一字一字読んでいます。だから、時間が掛かります。速読性が劣ります。それに、間延びするので、表示効率も落ちます。)

初めての漢字言葉の場合、「へん」や「つくり」、漢字の組み合わせから、おおよその意味を推測しています。極めて造語能力の高い文字体系です。実際、明治維新の時は、全く異質な西洋文明を、意味を漢字語に翻訳して、短時間で日本全国津々浦々に普及させてしまいました。元々識字率が高かったせいもありますが、驚くべきことです。

でも、唯一の欠点は、この高機能な道具を習得するのに、膨大な努力が必要なことです。日本の初等教育は、ほとんど、これに費やされていると言っても過言ではありません。実際、「ひらがな」だけなら、もう既に保育園のときに読めるようになっています。小学校入学前に、既に文字教育は終わっています。(でも、費用対効果が高いので問題はありません。それだけの努力をする価値はあります。)

このように語幹と文法識別詞(助詞)で文字種を使い分けると、トークンの抽出作業が容易になって、日本語を効率的に理解可能となります。

特に、現代のようなグローバル化時代には、大量の外国語が流入しています。人名や地名などの固有名詞も大量に含まれています。これらは、表音文字である「カタカナ」を使って表記し、語幹と文法識別詞の区分を容易にしています。千数百年前に生まれた二種類の表音文字、「カタカナ、ひらがな」が、現代にまで生き残っていたことに、ただただ感謝です。少なくとも、百年前までは、一種類だけでも十分でした。千年間眠っていたものが、やっと、やっと、日の目を見ました。奇跡です。

ちなみに、会話の場合、無意識にアクセントやイントネーション、呼吸や間を利用して、トークンを区切っているみたいです。
トークン末尾の文法識別詞の発声に何らかの特徴があるのかもしれません。ここを正しく確実に聞き取れないと、文法的意味が理解できないからです。例えば、動詞の末尾の文法識別詞は、幾つも連ねて複雑な意味を表現可能です。「食べ+たく+ない」のように。この時の活用は、「たく」のように(口を噤んで)区切りを強調しているように見えます。発声のし易さではなくて、意味を正確に伝える為に、つまり、文法的意味を聞き取り易いように活用させているように見えます。優先順位が常識と異なっているように見えます。

でも、詳細は、よく分かりません。スムーズに何の抵抗もなく聞き取れているので、何らかの信号を、「トークン区切り情報」として認識しているはずなのですが、謎です。

詳細は、「漢字、カタカナ、ひらがな」を参照下さい。

参考)もし、漢字を廃止した場合

日本語を、全て「ひらがな」で表記する場合、幼児の絵本のように、各トークンを空白で区切ると読み易くなります。

日本語はトークンの羅列によって文章を構成しています。だから、そのトークンを空白で区切ると、 トークンの抽出作業が容易になり、読み易くなります。空白で区切らないと、実質、読めない文になります。

悪い例: わたしはぺんをもつ。    (読めない。語幹と文法識別詞の区別が付かない。)
良い例: わたしは ぺんを もつ。  (読み易い。空白で区切ると、トークンの抽出が容易。)
標準文: 私はペンを持つ。      (読み易い。語幹が漢字だと、トークンの抽出が容易。)

ただし、「うんこ、しっこ、まんま」などの日常会話限定の話です。専門用語には、同音異義語がたくさんありますから、漢字を廃止したら、隣国のように、(専門書が的確に読めなくて)文明の崩壊を招きます。(読めるけど、意味が理解できない)機能性文盲に陥ります。

最近は、外国人が増えたので、「ひらがな」だけで文章を作成する機会も増えたと思います。特に災害時に。その時に役立ちます。


主語の省略、語順の入れ替え

日本語は、マークアップ言語として、文法属性が、文の中に埋め込まれていました。この文法構造の為に、「主語の省略」や「語順の入れ替え」が可能になっていました。

各トークンの末尾に付着している文法識別詞は、そのトークンの文法的役割を指定しています。この文法識別詞を、日本の言語学者は「助詞」と呼んでいました。助詞は、(言語学者が考えているような)意味不明の補助的な言語要素ではなくて、日本語の文法構造を決めている主要な構成要素でした。この文法識別詞(助詞)によって組み立てられている文法構造の枠組みの中に、単語を埋め込んで、実際の日本語を作っていました。
つまり、こちらがメイン。補助的な言語要素ではなくて、日本語の文法構造を決定している骨格構造でした。、、、、現代の言語学の常識に従うなら、意味不明の「金魚のうんこ」に見えますが。

この文法構造の為に、「主語の省略」や「語順の入れ替え」が可能になっていました。主語を省略しても、語順を入れ替えても、文法識別詞で各トークンの文法的役割が理解できるので、文法的曖昧さが発生しない為です

主語の省略:「ペン+を」、「持+つ」      (主語は文脈から推測)
語順の入替:「私+は」、「持+つ」、「ペン+を」(英語式SVO語順)
語順の入替:「ペン+を」、「持+つ」、「私+は」(強調したいトークンを先頭に持ってくる。)
語順の入替:「持+つ」、「私+は」、「ペン+を」(同上、何処となく文学作品の香りが)

トークン単位で、羅列順番を入れ替えても、日本人なら、誰でも正しく理解できます。(多少、戸惑いますが。)各トークンの文法的意味を、末尾の文法識別詞で判断しているからです。必要なら、普段使い慣れている語順に戻すこともできます。

文学者は、よくこのテクニックを使います。強調したいトークンを先頭に持ってきます。文の先頭が、強く印象に残るからです。逆に、これが主語の省略される原因でもあります。この余分なもの(主語)が先頭にあると、いちいち、そこで躓いて、文章の流れが悪くなるからです。この特性を最大限に活用したのが、源氏物語です。この作品では、主語を省略して、滑らかさを演出していました。

参考)ヒッタイト語も、語順の入れ替えが可能

興味深いことに、(古代の)ヒッタイト語の文法は、日本語と同じように、「語幹 + 文法識別詞」の組で記述されていました。マークアップ言語のルールに従っていました。
この為、語順の入れ替えが可能でした。しかも、基本となる語順は「SOV」で、日本語と同じでした。

でも、不思議ですね。定説では、ヒッタイト語は最初期のインド・ヨーロッパ語族の筈なのですが。英語のご先祖様の筈なのですが、何で日本語と文法構造が似ているのでしょうか ?。何を見てヨーロッパ語族だと思い込んだのか?。いつ文法構造が変わってしまったのか?。文法構造が変化しても、単語の類似性から同族と言い張れるのか?。ただ単に、文化的影響を受けて、単語の借用が起こっただけなのでは?。深い闇を感じます。(もう少し、解析が必要。)

注)マークアップ言語かどうかの探索指針

下記の三つの特徴を持っていると、日本語と同じマークアップ言語である可能性があります。初歩的な探索指針です。篩です。

1. 語順の入れ替えが可能。
2. 膠着語である。(前方からの膠着語である抱合語も含む)
3. 動詞や形容詞の語尾が活用する。現在形、過去形、仮定形、命令形、否定形等、、、
(参考程度の特徴。)
4. 語順が、SOV 。
5. 主語が省略可能 。

このような特徴は、古代のヒッタイト語や、現代のトルコ語系統の中近東諸語で広く散見されるみたいです。
ただし、主語には文法識別詞が付着しない傾向があるかもしれません。動詞の前方から付着している膠着部の中に主語の人称に関する情報が含まれていたり、後方から付着する膠着部が人称によって異なった活用をしています。

膠着語の動詞の構成 = 前方膠着部 + 動詞 + 後方膠着部

一般に、膠着部には、「文法情報」や「主語の人称情報」、「集合情報(単数、複数)」が含まれています。人称情報を含む場合、主語は省略される傾向にあるのかもしれません。膠着部の一人称や二人称の人称情報で判断できるので。固有名詞の時のみ、明示的に表示しているのかも。

膠着部が含む情報 = 文法情報、主語の人称情報、集合情報、、、
  文法情報:現在形、過去形、仮定形、否定形、命令形、、、、
  人称情報:一人称、二人称、、、、
  集合情報:単数、複数、、、

日本語の場合は、「日本語 = 動詞 + 文法識別詞(助詞)」。前方膠着部はありません。後方膠着部は、文法情報のみで、人称情報を含みません。ヒッタイト語のように、人称によって活用が変わることはありません。単純です。でも、そのくせ、主語を省略したがります。主語を、文脈から推測させています。

アイヌ語の場合は、「アイヌ語 = 前方膠着部 + 動詞」、つまり、抱合語です。人称によって変化します。後方膠着部については、詳しくないので分かりません。シュメール語も、アイヌ語と同じ抱合語に見えます。前方膠着部が発達しています。



暗黙の前提条件を省略) 僕はウナギだ

会話を行う場合、暗黙の前提条件として、その状況を思い浮かべています。
この原則は、日本語も英語も共通です。幼児語にも見られる特性です。

その(思い浮かべている)状況のなかで、言葉の意味を理解しています。「誰と誰が誰について話しているか」、或いは、「何について話しているか」が、暗黙の前提として分かったうえで会話しています。
この為、主語を省略しても、簡単に補完できます。他の言語要素も、状況から推測可能なら、省略した方が、言葉数が少なくなって理解し易くなります。

基本は、暗黙の前提条件と異なった差分だけを、言葉で表現することです
つまり、暗黙の前提条件は省略することです。

その典型が「僕はウナギだ」文です。会話の前提条件を無視した文法的形式論としては、無茶苦茶な表現です。「僕 = ウナギ」、即ち、「僕は、ウナギという魚です。」という意味になります。「吾輩は猫である」と同じような意味に解釈されます。人間はウナギではありません。無茶苦茶な文章です。

でも、暗黙の前提条件を考慮した場合、

  • 会話の前提:「何を食べたいですか?」
    様々な返答が可能です。
  • 返答1:ウナギ。  (文法を無視して、自分の食べたい物、つまり、願望だけを言語化。)
  • 返答2:ウナギだ。 (「だ」を付加しているので、自分の強い願望が相手に伝わります。)
  • 返答3:僕はウナギ。(自分をアピールしたいので「僕」も言語化。)
  • 返答4:僕はウナギだ。 
  • 返答4:僕はウナギ(を食べたいの)だ。 
    「何を食べたいですか?」が話題になっているので、「食べたい」は省略可能です。
    「食べたい」を省略すると、浅ましさや下品さが少しだけ緩和されます。ここが重要です。相手に浅ましいという印象を与えないことが大切です。「僕はウナギを食べたいのだ」と、「僕はウナギ」では、相手に与える印象が大きく異なっています。「食べたい」も、末尾の「だ」も、浅ましい印象を与えるので省略しました。わざと、そのような余分な印象を与える言葉を省略しています。「僕はウナギ」と、事務的に軽く流しています。日本人が良く使うテクニックです。

「何が食べたいですか?」-> 返答1:「ウナギ」

と、(暗黙の前提条件に基づいて、)単刀直入に、食べたい物だけを、ぶっきらぼうに答えても会話は成立します。「何を食べたいですか?」の差分は、「何を」です。その「何を」を単刀直入に「ウナギ」と言語化しています。
この手法は、英語や幼児の会話でも散見されます。幼児は、手を振り上げて、自分の食べたい物だけを連呼しています。文法を無視して。相手の反応が薄い場合、「私、ケーキ」と「私」を追加して、自分をアピールしています。

この手法は、暗黙の前提条件との差分だけを言語化しているので、自分の意志が確実に相手に伝わります。非常に効率よく、要点だけを的確に伝えることができます。事務的に処理しているので、相手に余分な印象や感情を与えることもありません。(文法通りに表現した場合に生じる)「ねちこい」という印象も与えることがありません。

聞く方も、質問に対する答えだけが返されるので、直ぐに理解できます。返答文の中から、答えを探す手間が省けます。(返答2の)語尾の「だ」や、(返答3の)「僕は」が言語化されている場合、願望の強さや種類も理解できます。

言葉は、非常に使用頻度の高い道具です。だから、運用コストが最優先です。できるだけ、少ない言葉数で会話しようとします。暗黙の前提条件を省略すると、言葉数も少なくなって、非常に効率的な会話が可能になります。

しかし、この省略が曖昧さを生じさせ、逆に、言語学者を混乱させた原因にもなっています。省略記法の宿命です。省略し過ぎると、副作用として誤解が生じ易くなります。実際、言語学者も誤解しました。言葉や文章は、(前提となっている)会話の中でのみ意味を持つからです。その前提を無視すると、意味を失います。「何が食べたいですか?」という会話の前提を無視すると、「僕はウナギだ」は、「僕はウナギという魚です。」と誤解されてしまいます。

「僕はウナギだ」文は、暗黙の前提条件を極限まで省略しています
トークンの末尾には文法識別詞が付着しているので、「ウナギ+だ」文のように、トークン単体だけでも、文法的役割が明確です。語尾の「だ」で、自分の強い願望が相手に伝わります。

また、自分自身を強調したい場合は、先頭に「僕は」を追加して、
「僕+は」「ウナギ+(を食べたいの)+だ」を、更に省略して
「僕+は」「ウナギ+だ」
と極限まで短縮して表現しています。最低限必要なトークンだけを羅列しています。

直観的には、「食べたい」というトークンを省略し、自分の願望を強調する為に「だ」を付加した用法です。なお、「僕」は省略できません。自分を強調したいから。

つまり、強調したい願望だけが、言語化されています
暗黙の前提条件は省略しています。動詞も省略しています。コントラストを際立たせる為に。

日本語は、マークアップ言語の特性と利点を最大限に活用しています。
英語のように全ての文法的要素を言語化する必要はありません。暗黙の前提条件を省略して、言葉数を減らし、伝送効率を上げています。それが可能な文法構造になっています。文法的役割が、トークン末尾に付着している文法識別詞によって判断できるからです。つまり、日本語は、マークアップ言語なので、主語だけでなく、目的語や動詞も省略可能です。省略しても、文法的曖昧さは生じません。省略したトークンを文脈から推測可能です。

このような特性を持った言語を、言語学者は、コンテキスト依存性(Context Dependency)が高い言語と見なしています。日本語は、この依存性を利用して言葉数を減らし、伝送効率を上げています。つまり、会話効率を高めています。
コンテキスト依存性を持っていない言語は存在しません。もし、持っていないと、余りにも効率が悪過ぎて、言語として使い物になりません。いちいち、常識を言語化していたら、膨大な言葉数になってしまうからです。
問題は、強弱だけです。どこまでを常識として省略できるかです。日本語は、このコンテキスト依存性を高めることが可能な文法構造になっています。必要なら主語も目的語も動詞も、どれでも省略可能です。逆に、どれかだけを残すことが可能です。

言葉はコミュニケーションの手段です。(言語学者が拘っている)構文解析や文法論とは別の発想で、文が組み立てられています。
重要なことは、意思を伝えることです。言葉を伝えることではありません。意志さえ伝われば、言葉は不要です。ボディーランゲージだけでも充分です。目的と手段を倒錯させないことです。しかし、現実は往々にして、手段が目的化しています。


形容詞と動詞の区別がない

「文法上、形容詞と動詞の区別がない。」に関しては、事実ですが、解釈の分かれるところです。

日本語の場合、(動詞を使わない)形容詞だけの文も作成可能です。例えば、「リンゴは赤い。」や「象は鼻が長い。」のように。

  • リンゴは赤い。(Apples are red.)
  • 象は鼻が長い。(Elephants have long noses.)

これらの文には、動詞が含まれていませんが、日本語としては間違っていません。形容詞を、あたかも動詞のように(文法上)使っています。
実際、形容詞と動詞の両方の性質をもった(異論もある)形容動詞なる品詞もあります。形容詞も動詞も形容動詞も語尾(文法識別詞)が活用します。「リンゴは青かった。」や「リンゴは青ければ不味い。」のように、形容詞の語尾(文法識別詞)を活用させて、過去形や仮定形などの複雑な文法的意味も表現可能です。

日本語は、文法識別詞の活用によって複雑な文法的意味を表現可能なので、文法上、形容詞や動詞、名詞などの品詞の区別が曖昧です。文法識別詞をコントロールすることで、相互に品詞を転換することが可能です。ちなみに、英語の場合、SVO語順の動詞の位置に名詞を置けば、その名詞は動詞として機能するみたいです。(同様に、品詞変換の需要はありますが、)その品詞変換のテクニックは異なっています。

現在形:リンゴは青い
過去形:リンゴは青かった
仮定形:リンゴは青ければ(不味い)
否定形:リンゴは青くない
命令形:(動詞ではないので、機能上、命令形はない。相手の行いを強制できない。行いでないので。)

ちなみに、英語の場合、「Apples are red.」のように、動詞「are」は必須です。省略できません。語順で文法解析を行っているからです。だから、無駄でも、形式的にでも、(構文解析の為には)絶対必要です。構文解析の為に、絶対必要な形式的動詞「 is, are」は、使用頻度も高いので、文字数が最小の短い単語になっています。

機能的には、文法識別詞と同等の役割を演じています。これで、各トークンの文法的役割を推測しています。要は、「(文法解析という)目的を達成する為に必要な情報は何か」です。「日本語のような文法識別詞か?」、「英語のような語順か?」です。

手段に拘るのではなくて、目的に拘れ。」です。文法解析という目的に拘ることが大切です。目的は同じでも、その実現手段は複数あります。

注)アイヌ語も、形容詞と動詞の区別がない。

アイヌ語では、そもそも形容詞なる品詞がないみたいです。文法的に動詞と同じ振る舞いをするので、動詞のように使うことも可能みたいです。
日本語でも、「形容詞+なる」で、品詞を動詞に変換して動詞のように使うことが可能です。例えば、「美しい+なる」で、「美しくなる」と動詞化できます。動詞化できると、「美しくなれ」と命令文も作成可能です。

話は逆で、「日本語では、動詞を形容詞と同じように使える」が、正しいと思われます。なぜなら、言語の進化は、「形容詞 -> 名詞 -> 動詞」の順番だったと思われるからです。

言語の進化:形容詞 -> 名詞 -> 動詞

(生物学的には、)形容詞は、外部感覚器官からの電気信号が脳に流れ込んだ場合に、その電気信号を表現した言葉です。一番最初に、脳内部で発生する信号です。これらの信号に付けられた言葉の群を、言語学者は「形容詞」と呼んでいます。正確には、「イ形容詞」と呼んでいます。末尾の文法識別詞が「い」で終わっている形容詞の群です。感覚器官との結び付きの度合いによって、一次~四次形容詞に分類されます。

例えば、「痛い」は痛覚の信号が脳に流れ込んだ場合に、その信号に付けられた言葉です。イ形容詞です。信号が「ON,OFF」の場合の「ON」の状態を表現しています。
逆に痛くない場合、つまり、「OFF」の場合は、痛覚信号は脳に流れ込みませんから、その信号が無い状態を脳は認識できません。認識できないので、その無い状態を表現する言葉もありません。つまり、「痛い」の反対語は存在しません。無理に表現したい場合は、語尾に否定語の「ない」を付加して「痛くない」と表現する必要があります。

一次形容詞:反対語が存在しない。信号が「ON」の状態を表現。感覚器官に固有。「痛い」

ちなみに、もう少し情報処理が進むと、「明るい、暗い」のように、反対語とのセットで使われるようになります。信号は「マイナス ~ プラス」の範囲の値を取ります。感覚器官からの信号を「右、左」のどちらかに分別する判断の要素が加わります。これを世間では「価値判断」と、その判断基準を「価値観」と呼んでいます。この情報処理の段階では、反対語が存在しているので価値判断も可能です。

二次形容詞:反対語とのセットで「価値判断」を行う。感覚器官に固有。「明るい、暗い」
三次形容詞:複数の感覚器官に跨って運用。「高い山、低い山」「高い音、低い音」

最終的には、更に情報処理が進むと、「いい、わるい」のように、感覚器官との直接の結び付きを失った抽象的形容詞になります。(分かったようで分からない)極めて抽象的価値判断です。でも、なぜか本人は強固な確信に満ちています。

四次形容詞:感覚器官と結び付きが失われた抽象的判断。「いい、わるい」

イ形容詞の進化:「痛い」 -> 「明るい、暗い」 -> 「いい、わるい」
感覚器官と結付:<------------>
反対語とセット:       <---------------->

人類が一番最初に使った文は、「名詞 + 形容詞」、つまり、「リンゴは赤い。」のように(名詞と形容詞を羅列した)文章だったかも。或いは、「危ない」のように、形容詞だけの文だったかも。

群れを作る動物の場合、危険を仲間に知らせることは大切です。実際、群れを作るプレーリードッグでは、見張り役が、鳴き声で、コヨーテやワシなどの危険を知らせています。この鳴き声自体は、「危険な状態」を知らせる信号です。人間に例えれば「危ない」という形容詞です。これを聞いて、仲間は、咄嗟に、巣穴に逃げ帰り隠れます。敵の種類に係わらず、コヨーテでもワシでも、逃げ帰り隠れる行動は同じです。

 1. 感覚器官からの信号を分析し、(形容詞)
 2. 敵の存在を認識し、(名詞)
 3.「鳴き声をあげる」という行動が生じています。(動詞)

つまり、動詞が登場するのは、情報処理の一番最後です。まず最初に、感覚器官から信号(、即ち、形容詞)が発生して、それを情報処理して「もの」の存在(、即ち、名詞)が確定します。そして、最後に「生きる」為の行動(、即ち、動詞)が生じています。

なお、人間の場合も、咄嗟に「危ない」と叫んで、仲間に危険を知らせています。プレーリードッグと同じです。危険の種類が明確な場合、例えば、虎が背後から忍び寄っている場合は、その危険の種類と場所を、「トラ、トラ、トラ、、、せ(背)、せ(背)、、」と連呼します。例によって、「ウナギだ」文と同じ発想で、言葉を組み立てます。状況を考慮して、最適限必要な情報だけを、連呼します。

知覚と判断と「もの」と行動

知覚と判断と「もの」と行動
動物は、外部感覚器官からの信号で、様々な判断と行動を生じさせています。

1. 【形容詞】視覚情報から「危ない」という判断が生じます。
原始的動物では、この感覚器官からの信号で、直ぐに行動を生じさせています。

2. 【名詞】高等な動物では、 この感覚器官からの信号を更に分析して、天敵などの種類、位置、速度を確定し、それを「もの(名詞)」として「時間、空間、物質」という仮想空間にマッピングしています。

3. 【動詞】その分析された「もの(名詞)」から、敵の種類に応じた行動を生じさせています。

人間が使っている言葉は、この一連の過程を表現しています。
常に、「生きる」との接点で運用されています。「それは、生きる事と、どう関係しているのだろうか?」と。
「形容詞、名詞、動詞」という品詞も、このような結び付きの中で理解され運用されています。
「文法識別詞(助詞)」は、このような「認識された世界」の仕組みや関係を的確に表現しています。その為の言語群です。




(日本語に潜む未知のルール

このような事が可能なのは、日本語がマークアップ言語の為ですが、それ以外に、もうひとつ理由があります。 未知のルールが隠れている為のようです。
だから、「象は鼻が長い。」のような文も可能なようです。この文は、「象は長い。」と「鼻が長い。」の二つの文の合成です。両方とも、(意味が)最後尾の形容詞「長い」を修飾しています。

  • 「象は長い」+「鼻が長い」⇒「象は鼻が長い。」

これは、動詞を使った文「私はペンを持つ。」にも言えます。この文も「私は持つ」と「ペンを持つ」の二つの文の合成になっています。両方とも、(意味が)最後尾の動詞「持つ」を修飾しています。

  • 「私は持つ」+「ペンを持つ」⇒「私はペンを持つ。」

この未知のルールは、最後尾が名詞の場合も同様に機能しています。「赤いリンゴ」や「光る石」のように、形容詞や動詞が最後尾の名詞を修飾しています。(やっぱり、文法上、形容詞と動詞の区別がない。)

  • 赤くて美味しいリンゴ ⇒ 「赤いリンゴ」+「美味しいリンゴ」
  • 鈍く光る石 ⇒ [[ 鈍く光る ] 石 ] (入れ子になっています。)

日本語の文は、前方の複数のトークンが、(意味的に)最後尾のトークンを修飾する構造になっているみたいです。そのようなルールで、トークンが羅列されています。だから、日本語の語順は「SOV」になっています。動詞が一番最後です。形容詞文の場合、形容詞が一番最後です。

これ(語順)は、単なる習慣の問題ではありませんでした。(トークンの修飾と羅列という)必然的理由が隠れていました。そこには、未知のルールが隠れていました。その民族の思考方法という根本的問題が隠れていました。

もし、最後部のトークンが、(意味的に)複数のトークンを要求している場合は、前方に、必要な数のトークンを羅列する構造になっていました。その羅列順番は、ある程度のルールや原則があるみたいです。
もちろん、トークンの羅列順番を入れ替えても、(マークアップ言語なので)意味は理解できます。多少、戸惑いますが。

この未知のルールを文法と呼ぶべきかどうかは、意見の分かれるところだと思いますが、英語の語順「SVO」が文法なら、これも日本語の文法と呼べます。日本人は、この未知のルールに従って、文の意味を組み立てているからです。単なる習慣ではありません。発想の根幹に係る問題です。



注)アイヌ語との関連

アイヌ語は、現代日本語よりも、この傾向が強いように見えます。「この未知のルールを推し進めると、アイヌ語のような前方からの膠着語、つまり、抱合語になるのでは?」と、疑っています。(現代日本語は)前方のトークンが、最後尾のトークンを修飾しているからです。これを、もう一歩推し進めて、前と後を一体化させれば、アイヌ語のような「前方からの膠着語(抱合語)」になるのでは?
動詞の前方に、様々な言語要素が付着する形式は、日本語のトークン羅列のルールと似ています。

(模式表現)
日本語 :「私+は」「ペン+を」「持+つ」
アイヌ語:[ペン] [を][私+持]
[私+持]のトークンの形式を、抱合語と呼んでいるみたい。動詞の前に人称情報が付着。

アイヌ語の動詞 = 前方膠着部 + 動詞 + 後方膠着部

前方膠着部が含んでいる言語要素については、文法情報、人称情報が含まれています。否定語や一人称、二人称の情報が付着しています。
後方膠着部については、有るか無いか、よく分かりません。そもそも、時制に関する表現が曖昧なので必要ないのかも。その代わり、自分の意思を強調する語句(助動詞)を文末に付加しています。(結果的には動詞の後ろですが。アイヌ語も語順は「SOV」です。)この特徴は、朝鮮語にも見られます。アイヌ語の会話を聞いた瞬間に、「あれ、朝鮮語に似ている」と感じてしまいました。両言語とも、文の末尾が、やたらと耳に残ります。そこに、力が籠っています。
シュメール語も、アイヌ語と同じように、動詞の前方に様々な言語要素が付着していました。解析したのが欧米の言語学者だったので、いまいち要領を得ませんでした。

ちなみに、日本語は、「後方からの膠着語」です。文法識別詞(助詞)が、後ろから付着しています。文法情報のみが付着しています。否定語「ない」も後ろに付着します。前方膠着部はありません。

日本語の動詞 = 動詞 + 文法識別詞(文法情報のみが後ろに付着)
ヒッタイト語の動詞 = 動詞 + 人称情報+ 文法情報(活用が人称によっても変化)
(模式表現)
日本語   :「私+は」「ペン+を」「持+つ」
ヒッタイト語:「ペン+を」「持+私+(たち)+つ」

ヒッタイト語は、語尾の活用が、文法情報だけでなく、人称情報や、人称の単数複数によっても変化します。つまり、主語に関する情報も内包しています。この点(内包している情報)は、アイヌ語の動詞と似ています。表現形式は異なっていますが。
日本語は、語尾の活用が、文法情報のみで変化します。現在形、過去形、命令形、否定形のように。人称情報では変化しません。主語が、一人称でも二人称でも、一人称複数「私たち」でも二人称複数「あなたたち」でも同じです。三人称でも固有名詞でも同じです。主語の種類で動詞の活用を変えないで、主語に付着する文法識別詞「は」で統一的に処理しています。「私は」や「太郎は」のように。
多くの膠着語では、固有名詞を明示したい場合、文の先頭に、(文法識別詞を付着させないで、)そのまま(なまで)配置しています。「太郎、ペンを持つ」のように。「太郎は」のように、文法識別詞を付着させていません。アイヌ語も、この手法を使っていました。
一人称二人称の情報は、ヒッタイト語のように動詞の活用を変化させたり、アイヌ語のように動詞の前方に付着させて処理していました。

だとしたら、十把一絡に膠着語を論じていますが、実は、出所の違う二種類の膠着語が混じっていたことになります。前方からの膠着語と、後方からの膠着語では、その成立過程と文法的意味が異なっている可能性があります。恐ろしや !

注)アイヌ語は、日本語の祖語である縄文語の特徴を良く残しているように見えます。
注)日本語は、二千年前頃(正確な時期は分かりません)に大きく変化したように見えます。発音の標準化だけでなく、文法構造も洗練されています。アイヌ語と日本語の差分を調べれば、その時の変化を推測する手掛かりが掴めるかも。



古い痕跡が残っている

「日本語には、人類が言葉を使い始めた頃の痕跡が残っている」に関しては、まだ、仮説段階です。

日本語には、動物的痕跡や、人類が言葉を使い始めた頃の痕跡が残っているように見えます。
幼児語的要素やオノマトペが発達しています。特に注目すべきは、(動物の鳴き声に近い)一音言葉の発達です。生存と非常に密接に結び付いた根源的事象が、(優先的に)一音言葉に割り当てられています。例えは、「火(ひ)、矢(や)、蚊(か)、刃(は)、歯(は)、目(め)、手(て)、気(け)、、etc」のように。

優先度が少し落ちる事象は二音言葉で表現されます。例えば、体の部位に関する二音言葉は、「首、肩、腕、指、胸、腹、腰、足、、、、」です。更に、優先度が落ちると、三音言葉、四音言葉です。音の数が増える毎に、運用コストも増大します。

一音だと、音の数に限りがあるので、表現できる事象も限定されます。ちなみに、現代日本語だと50音です。もし、一音言葉だけだと、50種類の事象しか表現できません。優先度が低い事象には、とても使う余裕がありません。
この欠点を補う為に、「昔は、今よりも母音や子音の数が多かったのでは?」と推測しています。つまり、昔は、もっと多くの一音言葉が存在していたと思われます。

(言葉の進化)

言葉を話す為には、二つの機能が進化する必要があります。

  1. ハードの進化 声帯などの物理的機能の進化
  2. ソフトの進化 それをコントロールする神経組織の進化

ハードとソフトが協調して進化する必要があります。ハードだけでは、言葉を話せるようにはなりません。逆に、ソフトだけでもダメです。
ボノボの脳は、言語処理能力を持っています。しかし、声帯が発達していないので声を出す事はできません。でも、コンピュータ画面上の記号を使って文を組み立て、自分の意志を伝えることは可能です。文章を理解したり組み立てたりする能力は持っています。
聞く能力に関しては問題ないみたいです。子供の頃から訓練すれば、人間の言葉を理解できます。同じ兄弟でも、子供の頃に訓練していない個体は、理解できません。人間の子供と同じです。母国語は簡単に聞き取れますが、それ以外は理解できません。

進化初期には、まだ声帯も、それを制御する神経組織も未発達だったので、複数の音から構成された(二音言葉などの)複雑な言葉は、発声出来なかった筈です。実際、幼児も、最初は「ま~ま~」などの同音の繰り返しがやっとです。息を二回吐いているだけです。異なった二音を連続して発声するには、即ち、声帯などの状態をスムーズに変化させる為には、訓練が必要ですが、まだ、それが出来ていません。

初期の人類は、そもそも神経組織が進化していないので、訓練しても不可能です。この為、一音言葉と二音言葉の間には、進化上、かなりの時間差があったものと思われます。
ピジン語の場合、ハードとソフトが充分に進化した後に、一旦、リセットして、新規に発生した言語体系なので、子音が連続した複雑な発声も最初から可能です。特別な進化も訓練も必要ありません。日本語のような「子音+母音」という縛りもありません。

一方、それとは無関係に、群れを作る動物にとって、互いの意思疎通は切実でした。その意志疎通の為に、とりあえず、発声可能な一音言葉を使ったと思われます。他の動物たちが鳴き声で意思疎通しているように。

一音言葉には、(その優先度から、)人類が言葉を使い始めた頃の切実さが滲み出ています。何が、当時の人々にとって切実だったかが、手に取るように分かります。例えば、「火(hi)」に関連した一音言葉に「木(ki)」があります。火も木も、一音言葉です。切実だったのですね。両方とも、母音「i」の言葉です。「死(shi)」や「血(chi)」同様、(母音「i」の)生存と密接に結び付いた言葉です。

(一音言葉のグループ分け)

興味深いのは、これらの一音言葉は、母音毎にグループ分けが可能な事です。一定の規則性があるように見えます。デタラメに割り当てられたのではなくて、背後には、何らかの連想で「意思疎通」と「音」が結び付いたように見えます。

一音言葉の母音によるグループ分け
事象母音一音言葉
体の部位e目(me)、手(te)、背(se)、気(ke)(もののけ、生き物の気配)
生存と結び付いた事象i死(si)、血(chi)、身(mi)、火(hi)、木(ki)、日(hi)(日の出)
ひ~(痛いときの叫び声)
体を傷つける尖ったものa矢(ya)、蚊(ka)、歯(ha)、刃(ha)、葉(ha)
一音言葉は、生存と非常に密接に結び付いた事象に優先的に割り当てられています。
母音毎に、グループ分けが可能なように見えます。背後に、何らかの音と意味の連想が働いているように見えます。これが、日本語において、擬音語や擬態語などのオノマトペが発達している原因と思われます。音と意味の連想が働き易い言語構造です。つまり、言葉を使い始めた頃の太古の痕跡です。

言葉は、非常に変遷し易いものです。
でも、この規則性のおかげて、一音言葉が、長い長い変遷の中で生き残った?。いや、痕跡を残した?

注)体の部位を表現した二音言葉には、次のような例があります。優先度が落ちる事象は、二音言葉で表現されています。
なお、一音言葉のような母音縛りは無いみたいです。二音言葉が使えるようになった頃には、言語に関する神経組織も充分に進化していたのかも。

「みみ(耳)」「はな(鼻)」「くち(口)」「くび(首)」「かた(肩)」
「ゆび(指)」「ひじ(肘)」「ひざ(膝)」「あし(足)」「こし(腰)」
「へそ(臍)」「むね(胸)」「はら(腹)」「しり(尻)」etc

古くからある基礎語彙は、ほとんどが一音言葉と二音言葉です。
ただし、注意が必要です。二音言葉が多いのは別の原因かもしれません。現代でも、家庭内で子供の名前を呼ぶ時は、二音言葉を使います。例えば、「ひろし」の場合、普段は「ひろ」と二音言葉で呼んでいます。日本語の場合、二音言葉が発声し易いみたいです。三音以上は、発声し辛いみたいです。理由は不明。


注)日本語と、表音文字の発生

日本語は、表音文字が発生し易い素地を持っています。一音言葉を、記号化するだけでよいからです。その記号を使って二音言葉も表現可能です。

しかも、その表音文字は、一音言葉としての具体的意味を持っています。表音文字であると同時に、(記号が具体的意味を持った)表意文字です。連想が効いて、非常に覚えやすい文字体系となっています。取り扱いが容易です。このような性質を「一音一義一字」と表現しています。
現代の日本語では、50個程度の「ひらがな」を覚えれば、表記可能です。

多少発音にバラツキがあっても、その(表意文字としての)意味を使って、標準化が可能です。その極端な例が漢字です。発音はバラバラですが、意味は統一されています。その意味を使って、中国のような多言語地域では、コミュニケーションの手段として使われています。実際、日本人とでも、筆談で、意志の疎通がある程度可能です。また、2500年前に作られた漢文を学校で習っています。その意味は、発音と異なって、時代を超えても、地域が異なっていても(変化せず)通用するからです。表意文字である漢字には、時間と空間の壁を乗り越える力があります。

日本語の場合も、「あいうえお」の発音はかなり変化したと思われますが、基本が「あいうえお」の表意文字で構成されている現実は、ほとんど、変化しませんでした。いくつかの音、例えば、「ゐ」と「い」が統合されて「い」なるような単純化の変化はありましたが。
だから、千年前の文章でも、何となく読めます。日本の国家「君が代」も、千年以上前の詠み人知らずです。漢字と同じように、「あいうえお」の表意文字で構成されている原則は、変化しなかったからです。
ただし注意が必要です。「読める」と「聞き取れる」は別問題です。千年前の言葉を耳で聞き取れるかどうかは、甚だ疑問です。発音は、(方言を参考にすると)かなり変化していると思われます。変化しなかったのは、表意文字としての性質と意味だけです。
神代文字の解釈でも、無意識に、このルールが適用されています。ただし、当時は、もっとたくさんの一音言葉が存在していたと思われますが、強制的に現代の50音に収束させています。

言葉は非常に変遷し易いものです。直ぐに方言が発生します。時の流れと共に、変化します。発音が変化してしまいます。たとえ、音を記号化して表音文字を作ったとしても、その元になった音は、時代や地域に伴って、直ぐに変異してしまいます。
それ故、(音に記号を割り当てる)表音文字は、この標準化作業が重要です。何らかのフィードバックシステムによって、一元性を保ち続ける必要があります。ただ単に、音を記号に転写しただけだと、方言の壁に突き当たって、直ぐにバラバラになって、意味が通じなくなってしまいます。

しかし、一音言葉には、その機能が備わっています。表意文字としての意味も、同時に持っているからです。その意味を手掛かりにして、標準化作業が容易になります。たとえば、音「め」は、意味「目」を意味しています。逆に、意味「目」から、その地域の方言の音「め」を理解でいます。言葉と文字が、方言の壁を乗り越えて、広く流通可能となります。逆に、広く流通すると、今度は(現代日本語のように)文字が発音の標準化を促します。

この為、様々な時代に、様々な場所で、同時多発的に、様々な記号を使った(ルールは同じ)表音文字が開発されたのではと予想しています。一度、(「一音言葉を記号化すれば、二音言葉も、更に、話し言葉全体を文字化することは可能だ」という)インスピレーションが与えられれば、多くの人々が(様々な記号を使って)追随可能です。一音言葉に、言霊信仰を抱いていれば、この傾向は加速します。原理原則やルールが確立されていれば、使う記号(表音文字)は自由です。
文字の形を決めるのは、記録媒体の物理的性質です。その記録媒体に、最も簡単に合理的に記録するには、どのような道具を使って、どのような形の文字を使うかです。例えば、土器の表面に記録するなら、楔形文字が最も合理的です。

言語学者は、この標準化の重要性を見落としています。言葉は、非常に変遷し易いものです。峠を越えただけで、微妙な方言の違いが発生します。聞いただけで、何処の村の者か分かります。
我々現代人は、標準化作業の終わった結果だけを学習しているので、背後に隠れている標準化ルールを、まるで、「当たり前の真実」であるかのように錯覚していますが、その「当たり前の真実」こそが問題です。



まとめ

言語の歴史を遡る作業は、非常に困難です。2000年前でさえ曖昧です。また、非常に変遷し易いものです。それを、100万年単位で遡るのですから、狂気の沙汰です。チンパンジーなどの動物が使用している言語も視野に入れた考察です。

ちなみに、自分はコンピュータプログラムを組むことができます。それらに関する知識を持っています。データベースの設計や分析にも慣れています。
また、生物進化に関する知識も持っています。

この為、言語を、常に(コンピュータ用)機械語と人間語と動物語の対比と視点から観察しています。機械と人間と動物を、相互に、関連させながら理解しています。日本語がマークアップ言語だと直ぐに理解出来たのも、日本語に動物的痕跡が残っていると感じるのも、この為です。

2. 日本語は、文法構造が根本的に異なっている

文法構造が異なっている件は、誰でも検証可能な事実です。
日本語は、英語や中国語などとは、文法構造が根本的に異なっていました。
言語学者の想定外の文法構造です。

英語やピジン語は、語順で文法が決まっています。文法に決められた順番通りに、単語を並べないと意味が通じません。主語、動詞、目的語の順番に単語を並べます。それ故、意味を理解する為には、構文解析が必要です。語順を調べて、どれが主語で、どれが動詞で目的語かを推測する作業が必要です。

当たり前ですね。それが、言語学の常識です。逆に、「それ以外に、方法があるの?」と、問い返されそうですね。

ところが、日本語は語順で文法が決まっていませんでした。「語幹 + 文法識別詞 (word + grammar-mark)」の組み合わせによって文法が決まっていました。文法属性が、文の中に埋め込まれていました。

このような構造を持った言語を、コンピュータプログラムの世界では、マークアップ言語(Markup Language)と呼んでいます。例えば、ホームページに文章を表示する HTML文(HyperText Markup Language) が、その代表です。
日本語は、マークアップ言語の一種だったのです。文の中に文法属性が埋め込まれていました。そして、そのトークンを羅列することで、文を構成していました。
なお、日本語などのマークアップ言語のことを、言語学者は膠着語と呼んでいました。

多分、言語学者の方には、何言っているか、意味不明だと思います。コンピュータプログラムの世界の話です。全く想定外の異世界の話です。先に、「マークアップ言語と日本語」を参照頂ければ、理解が容易になるかもしれません。
英語を、マークアップ言語、つまり、膠着語に改造したサンプルも載せています。

日本語は、「語幹 + 文法識別詞 (word + grammar-mark)」で文法を指定している。

マークアップ言語の一種です。語尾に文法属性を付加しています。


注)トークン = 意味を持った情報の最小単位
日本語の場合、「 語幹 + 文法識別詞」が、文法的に意味を持った最小単位になっています。このトークンを羅列することで、日本語の文は構成されています。「私+は」「ペン+を」「持+つ」のように。



日本語の文法構造

例えば、「私はペンを持つ」という文の場合、

例:「私 + は」、「ペン + を」、「持 + つ」

と、三つのトークンに分解されます。
各トークンは、「語幹 + 文法識別詞」の組み合わせで、単語とその文法属性を指定しています。
そして、この三つのトークンを羅列して、ひとつの文を構成しています。

「は」は、主語を指定する文法識別詞 (grammar-mark)
「を」は、目的語を指定する文法識別詞、
「つ」は、動詞を指定する文法識別詞を意味しています。

言語学者は、これらを「助詞」と呼んでいます。助詞は、語幹の文法的役割を指定しています。その為の符号です。日本語の文法的骨格は、この「助詞」によって決まっています。従って、「助詞」という呼び名は極めて不適切です。「文法識別詞」と呼んだ方が適切です。文法属性を指定しているからです。
補助的な言語要素ではありません。日本語の文法的骨格を決めているメインの要素です。この骨格構造の中に、語幹などの単語を埋め込んで、日本語の文を作っています。不適切な用語は、思考作業の効率と品質に著しい悪影響を与えます。

動詞を指定する文法識別詞(助詞)は、複雑に変化(活用)して、様々な文法的意味を指定可能です。「未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形、etc」等。
ただ、活用に関する言語学の分析は、釈然としないものを感じます。「人間という動物の生きる行為との関連で、分析分類されていない」と感じます。「現在形」や「過去形」の用語が見当たりません。(どれかは、それに相当するのでしょうが、)言語学のくせに、言葉の使い方が極めて不適切です。「現在形、過去形、仮定形、命令形」以外に、あと何が必要?。「一緒に持とう」のように相手を催促する用法は、何形、「催促形?」。
「活用」の分類は、機能と、その機能名に従うべきでは?

「私は」は、主語のトークンです。
「ペンを」は、目的語。
「持つ」は、動詞。
この三つのトークンを羅列することで、日本語の文は構成されています。

羅列順番は、慣習上は、SOV です。(主語、目的語、動詞)
でも、文法識別詞が語尾に付着しているので、トークンの順番を入れ替えても、文法的曖昧さは生じません。SVO でも、OV と主語を省略しても理解できます。
この特性を利用して、文学者は、語順を入れ替え、強調したいトークンを先頭に持ってくるテクニックをよく使います。主語は、(源氏物語のように、)一般に省略します。主語を省略すると、非常に滑らかな文章になります。

主語の省略:「ペン + を」、「持 + つ」
語順の入替:「持 + つ」、「ペン + を」、「私 + は」

これらの文は、日本人なら誰でも理解できます。違和感もありません。
語順の入れ替えでは、先頭のトークンが強調される傾向があります。微妙な印象の違いを醸し出しています。

このような芸当が可能なのは、日本語の場合、語幹の後ろに文法識別詞が付着しているからです。この文法識別詞によって、語幹の文法的役割を理解しています。英語のように、語順から推測する必要がないからです。
もし必要なら、(それを手掛かりにして)普段使い慣れている語順に並び替えることもできます。これらの操作で文法的曖昧さは生じません。正しく意味が伝わります。



参考)英語を(日本語方式で)マークアップ言語に魔改造。

参考に、英語に文法属性を埋め込んで、マークアップ言語に魔改造してみます。言語学者が膠着語と思い込んでいるものです。
この思考実験を参照頂くと、日本語の文法構造が理解できると思います。

英語を日本語方式の膠着語に魔改造: I_s have_v a pen_o.(SVO構文)

この構文は、英語に文法属性を埋め込んだマークアップ言語になっています。語尾の「 _? 」が、文法属性を指定する書式です。(ここでのお約束事です。)
なお、文法属性を埋め込む書式は、ただの単なる約束事に過ぎないので自由です。ここでは、日本語方式を採用しています。語幹の後ろに文法識別詞を付着させています。「語幹+文法識別詞」の書式を使っています。なお、コンピュータの世界では、別の書式を使っています。

この文は、「 I_s 」、「 have_v 」、「 pen_o 」の三つのトークンを羅列しています。

「_s」は、主語属性を指定する文法識別詞です。 (grammar-mark)
「_v」は、動詞属性。
「_o」は、目的語属性。
所謂、単語の後ろに付着している(文法属性を指定する)膠着語のことです。日本語では、「助詞」とか「てにをは」と呼んでいます。
「 _ 」(アンダーバー)は、書式の一部です。ここでの約束事です。語幹と文法識別詞の区切りを明確にする為に、形式的書式として入れています。「区切り」以外の重要な意味はありません。

各トークンは、文法識別詞(grammar-mark)が付着していますから、語順で構文解析しなくても、文法的役割は最初から明らかです。だから、三つのトークンのどれかを省略しても、文法的曖昧さは生じません。残っているトークンの文法識別詞を参照することで、文法的役割が理解できる為です。主語を省略しても、会話の流れの中で(省略されている主語を)推測可能です。
語順を入れ替えても、同様です。必要なら、普段使っている語順に並び替えることもできます。

主語の省略 : have_v a pen_o.(VO構文)
日本語式語順: I_s a pen_o have_v. (SOV構文)
日頃の習慣と異なっているので違和感を感じるかもしれません。でも、これは思考実験です。論理的思考でお願いします。

これが象徴的に現れているのが形容詞を使った下記の文です。マークアンプ言語では、動詞は必須ではありません。(構文解析しなくても最初から文法的役割が明示されています。英語で動詞が必須なのは、語順から構文解析をしている為です。)
この為、下記のような表現も成り立ちます。具体的には、「Apples are red.」の動詞「are」は、冗長なもの、無駄なものとして不要になります。

日本語方式で動詞を省略した例: Apples_s red_a.(リンゴは 赤い。)

「red_a」の末尾の記号「_a」は、形容詞を指定する文法識別詞(grammar-mark)のつもりです。日本語の形容詞「赤い」の末尾の「い」に相当する文法識別詞です。思考実験なので、実用上の厳密さは追求していません。

なお、ピジン語話者は、動詞を省略できないので、ついつい「リンゴは赤いある」と、(日本語でも)動詞「ある」を付加してしまいます。でも、これは日本語文法上、無駄で必要のない表現です。日本語では、動詞を使用しない「リンゴは赤い」や「象は鼻が長い」のような形容詞だけの文も可能だからです。あっても理解はできますが、外国人訛りに聞こえます。

このように英語でも、語尾に文法識別詞を付着して、マークアップ言語(膠着語)に改造すれば、語順から各単語の文法的役割を推定する作業が不要になります。
語順からの文法解析が不要になれば、日本語と同じように、主語の省略や語順の入れ替えも可能となります。

なお、厳密な話をするなら、英語などのヨーロッパ諸語も、文法的意味によって語尾が変化する傾向は見られます。例えば、動詞の過去形とか、名詞の格変化などです。ただし、日本語ほど体系化はされていません。部分的に、マークアップ言語されているだけです。



注意)現実の英語では、主語の省略は、(文法上)命令文になります。

命令文だと、主語を省略しても、主語は明確だからです。つまり、動作の主体は、目の前の貴方だからです。ある特定の表現手法に、どのような文法的役割を与えるかは、各言語の自由です。英語は、命令文の役割を与えました。
だから、現実には、この機能と衝突してしまうので、主語の省略は不可です。曖昧さが生じます。あくまでも、思考実験です。

もし、本気で実用化したいのであれば、(命令文の場合、)下記のように文法識別詞を活用(変化)させる必要があります。

文法識別詞を活用して命令文を作成:Have_vc a pen_o.
_vc」は、命令文を指定する文法識別詞のつもりです。日本語と同様に、語尾を活用させています。

ちなみに、日本語の場合、語尾の文法識別詞で命令文を作っています。「働+け。」、「働+きなさい。」のように。当然、主語は英語と同じように省略されます。ちなみに、主語付きの命令文の場合、強い意味になります。「おまえは、働け。」のように。名指しされ、「脇目を振るな。」、「仕事に集中しろ。」という強い意味合いが言外に滲んでいます。
日本語は語尾の文法識別詞で命令文を作っているので、逆に、主語付きの命令文も、文法的には可能です。

主語付き命令文: You_s, have_vc a pen_o.
命令を意味する文法識別詞「_vc」が付加されていますから、主語付きにできます。

「a pen 」の pen という語幹の前の「a」は、単数を指定する文法識別詞です。英語も使用期間が長いので、膠着語的傾向を持ち始めています。文の中に、様々な文法属性を指定する記号が挿入されています。
ちなみに、複数を表現する場合、語尾に「s」を付加して、「pens」と表現します。単数と複数で、文法属性の指定ルールが異なっています。過去の習慣が形骸化して、その痕跡が残っている為と思われます。

単数表現:I_s have_v (a_pen)_o.
複数表現:I_s have_v (pen_s)_o.

う~~~~。単数と複数で、膠着語のルールが異なっとる!



日本語の文はトークンを羅列することで構成。

日本語は、トークンを羅列することで文を構成している。

なお、羅列順番は、文法上、自由です。語順を入れ替えても、意味は通じます。ただし、習慣としては決まっています。SOV の語順です。

注)日本語の語順(SOV)には、実は切実な理由が隠されています。それは、最後の「日本語に潜む未知のルール」で論じます。

このような文法構造の為、日本語は構文解析をしなくても文法的要素が理解できます。最初から、単語の後ろに文法識別詞が付加されているからです。
答えが最初から明示されています。

ちなみに、英語は、語順などの構文解析によって、各単語の文法的役割を推測しています。推測行為なので、本質的に曖昧さを内包しています。


目的語に付着する文法識別詞

目的語に付着する文法識別詞には、「を」以外に、「が、に、の、へ、と、で、、、」等があります。これらは、文法的意味が夫々異なっており、(我々日本人は自覚していませんが、)厳密に使い分けています。使い方を間違えると、意味が大きく異なってしまうからです。

「これらの助詞の文法的意味や使用目的を説明しろ。」と、言われたら困ってしまいます。でも、説明できないけど、厳密に使い分けています。見えてるけど、言葉で上手く説明できません。



動詞に付着する文法識別詞

実際の日本語では、動詞の文法識別詞は複雑に変化(活用)します。活用によって、「未然形」「連用形」「終止形」「連体形」「仮定形」「命令形」などの複雑な文法的意味を指定可能です。

また、文法識別詞は、「語幹+文法識別詞1+文法識別詞2.....」と幾つも付加して、複雑な意味を構成することもあります。

文法識別詞の羅列
No備考
1持+つ現在形。現在の状態を表現。標準の基本形
2持+つ+た「た」を付加して、過去を表現。
3持+た+ない「ない」を付加して、否定を表現。
4持+ち+たい「たい」を付加して、願望を表現。
5持+ち+たく+ない「たい」+「ない」を付加して、願望の否定を表現。
6持+ち+たい+のだ「たい」+「だ」を付加して、より強い願望を表現。
7持+て+ば「ば」を付加して、仮定を表現。
8持+て「て」と活用して、命令を表現。
9持+と+う「と」と活用して、同意を促す表現。
例:一緒に持とう。柔らかい命令形の一種?
語尾は、次に続く言葉の影響を受けて変化しています。これを「活用」と呼んでいます。

「たい+ない」の場合、「たい」の語尾が変化して、「たく+ない」と発声されています。
この事情は、動詞の語尾(文法識別詞)の場合も同様です。

重要)この性質は、形容詞も同様です。動詞と同じように活用しますし、複数の文法識別詞を羅列して複雑な意味も表現可能です。文法形式上、形容詞と動詞の区別がありません。形容対象が異なっているのみです。

活用による語形変化は、声帯等の遷移が滑らかになって発声し易くする為よりは、寧ろ、意味が伝わり易いように区切りを明瞭化する目的で変化しているように見えます。例:「持ちたくない」。「く」は「たい」と「ない」の区切りを明瞭にして、「ない」を強調しています。「たくない」と。

「持ちたいのだ」は微妙です。本来なら、「持ちたいだ」ですが、「だ」を強調する為に「の」を挟んでいるのか、言い回しがスムーズになるように「の」を入れているのか、解釈に苦慮するところです。

つまり、発声の為の経済的合理性の為か、意味的明瞭化の為かです。言語は、常に、この二つのトレードオフに苛まれています。「楽したい。でも、正しく伝えたい。」と。
正しく伝える為には、冗長になります。コストが増大します。楽でなくなります。楽したければ、出来るだけ発声数を減らす必要があります。でも、省略し過ぎると意味的曖昧さが発生します。現実は、常に、このトレードオフに苛まれているのかも。


形容詞に付着する文法識別詞

形容詞に付着する文法識別詞は、「い」です。

「美しい」、「痛い」、「眩しい」、「青い」、「赤い」、「正しい」のように、語尾が「い」で終わっています。

形容詞は、感覚器官と強く結びついています。感覚器官由来の信号の状態を表現する目的で使用されます。「美しい」は視覚ですし、「痛い」は痛覚です。「正しい」は、感覚器官とは直接の結び付きはありませんが、感覚器官由来の情報を処理した最終的結果を表現しています。非常に高度な情報処理の結果です。
正確には、イ形容詞の話です。ナ形容詞は、このような感覚器官との結び付きから離れて、多分に比喩的に使われています。

形容詞の語尾も、動詞同様に活用して複雑は文法的意味を表現可能です。
ただし、動作に関する活用「命令、催促」はありません。

  • 現在形:リンゴは青い。
  • 過去形:リンゴは青かった。
  • 仮定形:リンゴは青ければ、不味い。
  • 否定形:リンゴは青くない。
  • 願望形:リンゴは青くなれ。
  • 断定形:リンゴは青いのだ。
    (命令形、催促形はありません。)

このような特性の為、日本語では、動詞を使わない形容詞だけの文も作成可能です。形容詞が動詞と同等の機能を持っています。

  • リンゴは青い。
  • 象は鼻が長い。

話は逆で、「動詞が形容詞と同等の機能を持っている。」と考える方が正しいかもしれません。動詞は「ものの動き」を形容しているからです。形容対象が異なっているだけです。「感覚器官由来の情報」か、「ものの動き」かの違いです。
言語進化の観点からは、その発生順番は「形容詞→名詞→動詞」と予想されます。動詞が一番最後に発生したと思われます。

形容詞:感覚器官からの信号の状態を形容。例:痛い、寒い、、
名詞 :ものの存在を形容。例:私、太郎、花子、、、
動詞 :ものの動きを形容。例:走る、食べる、、、

ナ形容詞や形容動詞は、多分に比喩的に使われています。使われ方が抽象的です。だから、発生時期は結構遅かったと思われます。


日本語特有の表現

このような文法構造の為、次の四つの表現が可能です。日本語特有の表現です。文法構造が異なっているので、表現の自由度も異なっています。

  1. 主語の省略
  2. 語順の入れ替え
  3. リンゴは赤い(象は鼻が長い。こんにゃくは太らない。)
  4. 他言語の吸収



主語の省略

日本語の場合、主語を省略しても、文法的曖昧さは生じません。
最初から、各トークンには、文法識別詞が添付されており、語順を解析しなくても、文法的役割が明確だからです。語順による文法解析が必要ない為です。

(舞台を頭の中に描いて、会話の意味を理解している。)

主語を省略しても、何となく意味が通じます。主語は、会話の流れの中で推測可能だからです。
日常会話では、「誰と誰が誰について、何について」という背景の舞台を頭の中に描いて会話しています。その舞台の差分だけが言葉で表現されています。主語は、頭の中で補って理解しています。それ以外の要素も、舞台から推測して補っています。経済合理性から、最小の言葉数で会話が成り立っています。(全てが言語化されている訳ではない。)

寧ろ、主語を省略した方が、言葉数が少なくなって理解し易くなります。
言葉で表現されている部分にのみ注意を集中すればいいからです。逆に、主語を明示すると、ポイントが呆けて、理解し辛い駄文になります。最初に出てきたトークン、つまり、主語に心を奪われて、何がポイントかを見極めるのに時間が掛かる為です。重要なポイントだけが言葉化されていれば、理解も容易になります。これが、自分の突き当たった違和感の正体でした。

だから、日本語では主語が省略される傾向にあります。話の本質とは関係ない要素は、極力、省略すべきです。実際、主語を省略しても、文法的曖昧さは生じません。困らないなら、余分なものは省略すべきです。コストを最小にする為にも。
なお、英語の場合、構文解析出来なくなるので省略できません。主語を省略したら命令文になります。意味が異なってしまいます。形式的にでも強制的に付加しています。

主語を省略した例:ペンを持つ
主語を省略した例:「ペン + を」、「持 + つ」

このように主語を省略した文の場合、トークンのうち、主語のトークンが省略されていることを、日本人は簡単に理解できます。残り二つのトークンは、末尾の文法識別詞から、目的語と動詞であることが、簡単に理解できるからです。構文解析によって、(語順から)文法要素を推測する必要がないので、主語を省略しても何も問題はありません。解析して推測しなくても、最初から明示されています。
語順で文法要素を推測する場合、「主語、動詞、目的語」のパタンは崩せません。主語は、絶対に省略できません。省略すると、語順から、文法要素を推測出来なくなってしまうからです。

文法的に正しく主語を明記した場合、結果は芳しくありません。
いちいち、そこで躓いて、非常に流れの悪い駄文になります。言葉数が増えて、会話のポイントがぼやけ、(一瞬)理解し辛くなります。まわりくどい文になります。嫌われます。

文法通りに主語を明示した例:私はペンを持つ
文法通りに主語を明示した例:「私 + は」、「ペン + を」、「持 + つ」

一般に、会話の流れの中で推測可能な常識は、省略した方が、流れが滑らかになります。言葉で表現された部分にのみ注目すればいいので、意味の理解も容易になります。
わざわざ言葉で明示した部分こそが、相手に伝えたい内容だからです。(<<ここ、重要)

その代表が、夕ご飯前の家庭内の会話です。

A「何が食べたい?」
B「カレー」

この会話の(省略なしの)文法的に正しい表現は、

A「あなたは、夕ご飯に、何を食べたいですか。」
B「私は、夕ご飯に、カレーをたべたいです。」

しかし、これでは、まどろっこしくて、逆に会話が成り立ちません。
ただし、省略すると曖昧さも発生します。この辺りの匙加減は、当人のセンス次第です。メリハリの効いた文章の作成が大切です。

会話は、暗黙の前提条件の上に成り立っている。
会話では、その差分だけが、言語化されている。

このように差分だけが言語化されると、
1. 言葉数が少なくなって、会話がスムーズになる。
2. 差分だけが言語化されるので、ポイントが明確となる。理解し易くなる。

逆に、全てを言語化すると、確かに曖昧さは無くなりますが、回りくどくなって、ポイントが呆けます。何が言いたいか理解するのに時間が掛かります。

このような流れで、日本語では主語が省略される傾向にあります。逆に、主語を明示すると、その主語に強い意味が込められます。

匙加減

匙加減については、次のような例が分かり易いと思います。
二つの文から構成された文章です。

匙加減の例:私は筆を執った。これから檄文を書くつもりだ。

この例では、檄文という激しい文章を書くつもりなので、「私は筆を執った。」と、主語は欠かせません。省略できません。「私」を強調したいからです。
でも、次に続く文では、「これから檄文を書くつもりだ。」と、主語を省略して、滑らかさを優先します。主語のあるなしを、使い分けます。

次のように、主語を明記すると、耐え難い駄文となります。

駄文例:私は筆を執った。私はこれから檄文を書くつもりだ。

文法通り、主語を明記すると、主語の部分で、いちいち躓いて流れが止まります。滑らかさに欠けた駄文になります。文の最初に出てきたトークン、つまり、主語に心を奪われてしまうからです。

主語を全て省略すると、確かに、滑らかに流れますが、逆に、滑らかに流れ過ぎて印象が薄くなります。意味自体は充分に伝わるのですが、檄文という激しい感情は伝わりません。

軽く流れる例:筆を執った。これから檄文を書くつもりだ。

主語のあるなしで、文学的印象が微妙に異なります。
意味は問題なく伝わりますし、文法的にも間違ってはいません。全く等価な意味を持った文です。この辺りは、文学的センス、匙加減の問題です。

主語のあるなしの匙加減
項目評価文章
文法に正確な文章×私は筆を執った。私はこれから檄文を書くつもりだ。
主語を省略筆を執った。これから檄文を書くつもりだ。
文学的に正しい文章私は筆を執った。これから檄文を書くつもりだ。
文法的に正しく主語を明示すると駄文になります。主語の部分で、いちいち躓いて、流れの悪い文章になります。

主語を省略すると、軽くて滑らかな文章になります。でも、軽く流れ過ぎるきらいもあります。

文学的に正しい文章では、檄文という激しい文章を書くつもりなので、自分をアピールする為にも主語は欠かせません。でも、次に続く文章では、滑らかさを優先して、主語を省略します。
主語のあるなしで、微妙な印象の違いをコントロールします。

この匙加減は、文学者の腕の見せ所です。

源氏物語は、このテクニックに秀でていました。主語が省略される傾向にありました。この為、非常に滑らかな文章になっていました。
でも、ひとつの文の中で、主語が次々に変わっていくので、古語に慣れていないと、たいへんでした。それに、言葉の感性が異なっていました。心の綾を表現するのに、形容詞や副詞ではなくて、動詞を使う傾向にありました。


語順の入れ替え

日本語は、トークン(語幹 + 文法識別詞)の順番を入れ替えても、文法的曖昧さは生じません。
例えは、下記のように、主語と動詞を入れ替えても意味が通じます。

例:持つ、ペンを私は。
例:「持 + つ」、「ペン + を」、「私 + は」

最初は、日頃の習慣と違っているので少し戸惑いますが、日本人だったら誰でも正しく理解できます。語尾の文法識別詞で、文法的意味を理解しているからです。必要だったら、日頃の語順に戻すこともできます。

この特性を利用して、文学者は、最も強調したいトークンを先頭に持ってきます。この場合、「持つ」が先頭にきているので、動詞が強調される効果を生みます。
なお、主語は省略した方が、更に優れた表現になります。主語は、文章の流れの中で(何となく)推測可能だからです。しかも、余分なものを省略したら、(余分なものに)注意力が惑わされません。

例:持つ、ペンを。
例:「持 + つ」、「ペン + を」

下記のように、目的語を先頭に持って来ると、目的語が強調される傾向を持ちます。

例:ペンを持つ
例:「ペン + を」、「持 + つ」

意味的には、たいした違いはありませんが、でも、最初のトークンが強く印象に残る傾向にあります。その僅かな差が、印象の違いを生み出します。話し手の意志が伝わり易くなります。

語順を入れ替え、強調したいトークンを先頭に持ってくる。

文学者が習得すべきテクニックです。いや、感性の問題か?



他言語の吸収

日本語は、「語幹+文法識別詞」というトークン単位で文法が構成されているので、中国の漢字や欧米のカタカナ言葉などの外来語を柔軟に取り込むことが可能になっています。

事故る

「事故」は、漢字言葉です。和語ではありません。
「事故を起こす」という意味で、最近は「事故+る」という表現が良く使われます。
「る」は、動詞を指定する文法識別詞です。「事故」という名詞に「る」という動詞を意味する文法識別詞を付加して、動詞として使っています。

日本語は、「名詞+る」や「名詞+する」の書式で、名詞を動詞として使うことが可能。

名詞を動詞に転用しています。
使用例:事故る、事故らない、事故れ、事故れば .....

言語学者にとっては、眉をひそめる表現かもしれませんが、言語学は、所詮、ひと昔前の常識の後付け理屈です。やがて、今の現実を受け入れて頂ける時が来ると思います。

興味深いのは、このような日本語の柔軟性です。文法識別詞を付加することによって、外来語を日本語の中に組み込むことが簡単にできます。名詞化、動詞化、形容詞化、どのような品詞にも、変換して取り込むことが可能です。文法的に正確に

この日本語の特性が、日本文化の特徴にもなっています。日本文化は、古い形を保ったまま、中国や欧米の文化を矛盾なく取り込んできました。文化よりも先に、言葉が矛盾なく取り込まれていました。

クイズ:次の合成動詞は、どのような意味でしょうか?
「目+る(める)」
ヒント、「事故る」から類推。でも、まさか、そんなことないですよね。語源が、これだったなんて。


参考)同じような用法

「バズる」
英語の buzz が語源。「多くの人々の注目を浴びて、話題になる」とか「(ザワザワと)ざわめいて、話題が広がる」という意味合いで使います。

「バグる」
英語の bug が語源。「誤動作する」とか「想定外の不具合が起こる」という意味合いで使います。
bug は虫のことなので直訳すると「虫る」になります。本来は、「(機械に)虫(が入り込んで不具合が起こ)る」の意味です。だから、日本語的には、「虫が入る」の方が意味的には適切かもしれません。
最近も、京都の信号機が動かなくなるトラブルが発生しました。原因は、信号機の制御ボックスに、ナメクジが入ったせいでした。まさに、「虫った」のです。この種のトラブルは、よく起こるみたいです。

その他の例:「チンする」「サボる」「お茶する」「パニクる」「ディスる」

外来語だけでなく、「チンする」のように、擬音語や擬態語も動詞になっています。言語の始まりを垣間見ているようです。
なお、「チン」は、電子レンジの加熱時間が終わった時に鳴る音です。「電子レンジで料理を温める」を意味しています。電子レンジが普及したのは、つい最近のことなので、かなり新しい造語です。

チンする = 電子レンジで料理を温める

ちなみに、英語では、このような文法識別詞の機能がないので、そのまま、名詞を動詞として使っているみたいです。構文の動詞の位置に名詞を置けば、その名詞が動詞として機能するみたいです。英語は、SVO の語順で文法属性を指定しているので、V (動詞)の位置に名詞を置けば、その名詞は文法的には動詞として機能するみたいです。
手段は異なっていますが、背後に隠れているルールは同じに見えます。


膠着語と類縁関係

このような言語を、言語学では膠着語と呼んでいます。

このことは、語尾の文法識別詞に注目すれば、膠着語間の類縁関係を推定できる事を意味してます。

現代の言語学のテクニックでは、言語間の類縁関係を調査する場合、単語の類似性と発音の変遷に注目しています。発音は、一定のルールで変化していると思われているからです。
この手法を使って辿れるのは5000年程度と言われています。それ以上離れると偶然の一致と区別が付かなくなる為です。

膠着語の場合、語尾の文法識別詞の類似性を調査することによって、言語間の類縁関係を調査できる可能性を持っています。
文法構造は、人間の思考習慣に依存します。だから、発音に比べて、遥かに変化し辛いと思われます。5000年の壁を超えて、もっと過去にまで遡れる可能性を持っています。
ここに注目すれば、縄文語と現代日本語とアイヌ語の類縁関係を論ずることが可能になるかもしれません。

ちなみに、英語は、(インド・ヨーロッパ語族の祖語からだと、)使用期間が結構長いので、膠着語的要素も持ち始めているようです。でも、その一方で、(事実上の)世界標準語になった為に、逆にピジン語に先祖返りしている面もあります。ブロークンイングリッシュが増えています。
インド・ヨーロッパ語族の祖語は、文明の十字路で発生したピジン語だと思っていたのですが、ヒッタイト語は日本語と同じマークアップ言語でした。実際の成立過程は、それ程単純ではないみたいです。色々入り乱れて、結構複雑そうです。

3. マークアップ言語と日本語

日本語は、マークアップ言語(markup language)の一種です。「語幹 + 文法識別詞 (word + grammar-mark)」の書式で、文法属性が文の中に埋め込まれています。
マークアップ言語は、コンピュータプログラムの世界で使われている言語の一種です。

マークアップ言語は、通常の文章に、決められた書式を使って、様々な属性を埋め込んだ文章です。テキストエディタ―で編集可能です。ただし、余分な書式が挿入されているので、慣れないと、かなり読み辛いです。

代表的なものに、ホームページに文章を表示する HTML文(HyperText Markup Language) があります。
この言語は、ホームページに文章を表示する場合に、文字の大きさや色、その他の様々な属性を指定可能です。
もし、HTML文に抵抗がある場合は、先に「英語をマークアップ言語に改造」を参照した方が理解が容易かもしれません。


HTML文の例

例えば、下記の文章を例に取って、HTML文を説明します。
HTML文は、普通の文章をコンピュータ画面に表示する時に、文字の大きさを変えたり、色を付けて表示する為のプログラム言語です。様々な属性が埋め込まれています。

次の文章をホームページに表示し、しかも、「pen」を大きな赤い文字で表示してみます。

元の文章I have a pen.SVO
表示したい文I have a pen.SVO

この文章で、「pen」という単語を大きな赤い色で表示したい場合、HTML文 では下記のように記述します。

HTML文I have a <font size="5" color="red">pen</font>.SVO

黒色:属性を指定する前のテキスト
水色:属性を指定する書式
茶色:設定した属性値

<xxxx ???? > ~ </xxxx>
が、このマークアップ言語、つまり、HTML文 の表示属性を指定する書式です。「~」の部分が属性を指定される語幹に相当する部分です。つまり、この文の場合、「pen」という単語です。この単語が大きな赤色で表示されます。
慣れないと、読み辛いですね。慣れても、読み辛いけど。

属性指定の始点は「 <xxxx ????> 」のように、山確固「<>」で囲みます。
終端は「 </xxxx> 」と「</ 」で始まる書式で指定します。
「xxxx」は、属性を設定する対象です。この場合は、対象はフォントなので、「 <font ???? > ~ </font> 」 と記述します。
「 ???? 」は、その対象に設定する具体的属性です。この場合は、フォントを大きな赤い字で表示したいので、「 <font size="5" color="red"> 」と指定してます。サイズが「5」の大きさで、色が「赤」を指定しています。
間に挟まれた「~」部分、つまり、「pen」が大きな赤い文字で表示されます。

この文章を、実際にホームページに表示した場合、下記のように表示されます。「pen」という文字が、大きな赤色で表示されます。

画面表示I have a pen.SVO

人間には分かり辛い HTML文 を、コンピュータが解析して、人間に理解できる直観的形式に変換して表示しています。

注意)HTML文の書式は、約束事です。つまり、定義です。それ以上の意味はありません。ある約束事に従って、普通の文章に、様々な属性を埋め込んでいるだけです。使用目的によって、表示属性や文法属性などの様々な属性が埋め込まれます。

注)なぜ、無駄に冗長な書式なのか

HTML文は、随分、人間の直観に反した無駄の多い冗長な書式ですね。

でも、HTML文を読み込んで実行するのは、コンピュータです。人間ではありません。だから、多少、読み難くても、あるいは、冗長でも問題ありません。寧ろ、(通常の文章に埋め込んでも、)曖昧さが生じなく、一意に正確に動作することが求められています。だから、人間の直観に反した冗長な書式でも問題ありません。
つまり、人間用ではなくて、機械用に設計された言語です。だから、問題ありません。(それを使って記述するプログラマーは悲惨ですが。)

なお、日本語の場合、それを読み込んで実行するのは人間です。従って、それに最適化されています。「語幹 + 文法識別詞」と、人間が理解し易い書式になっています。多少の曖昧さが生じてしまうので、三種類の文字「漢字、カタカナ、ひらがな」を使って回避しています。

注)日本語は、XML (Extensible Markup Language) を使えば論理的理解が容易。

HTMLは、木に竹を接ぎ足したような非論理的な言語です。そう感じると思います。
この違和感は、XML (Extensible Markup Language) を使えば改善されます。

HTMLは、元々は複数の文章を、コンピュータ上で関連付ける為の手法として開発された為です。例えば、ホームページの青い文字をマウスでクリックすると、別の文章にジャンプして、そこが表示されますが、この機能を埋め込む為に開発されました。
つまり、(人間用の)元の文章に、(コンピュータ用の)新しい機能を埋め込んだ為に、木に竹を接ぎ足したような非論理的な構造になってしまいました。

もし、日本語をマークアップ言語として論理的に理解したいなら、ゼロから開発された XML (Extensible Markup Language) が参考になります。これを使えば、データ構造を論理的に正確に記述可能です。
ただし、これは構造解析とデータベース設計の手法なので、多少、専門知識が必要です。敷居が高くなります。脳が違和感を感じて拒否してしまいます。そこで、(正確性を犠牲にして)第一印象が比較的穏やかな HTML を使って、マークアップ言語の仕組みを説明しました。

もし、直観的理解ではなくて、論理的正確さを求めるなら、XML (Extensible Markup Language) を参考にしてください。日本語は、HTML よりも、XML を使った方が、データ構造を論理的に正確に理解することが可能になります。



日本語の場合

日本語の場合は、マークアップ言語が、そのままの形で日常生活の中で使われています。指定している属性は、表示属性ではなくて、文法属性(文法的役割)です。日本人の脳が自動的に文法属性を解析して意味を理解しています。

HTML文とは、属性を記述する書式が異なっています。語幹の後ろに、文法属性(文法識別詞)を付加しています。いわゆる、膠着語と呼ばれている構文形式です。

「私 + は」、「ペン + を」、「持 + つ」

という文の場合、三つのトークンから成り立っています。

「は」は、主語を指定する文法識別詞(助詞=文法属性)。
「を」は、目的語、、、。
「つ」は、動詞、、、、。

日本人は、語尾に付着している文法識別詞によって、語幹の文法属性(文法的役割)を理解しています。主語か目的語か動詞かを判別しています。
そして、この三つのトークンを羅列することで、日本語の文章は成り立っています。
注)主語のトークンは、一般に省略される傾向にあります。


4.英語をマークアップ言語に改造(日本語方式で)

英語をマークアップ言語に魔改造します。
英語に、日本語方式で文法属性を付加したら、どうなるかを試してみます。

あくまでも思考実験です。実用上の厳密さは追求していません。だから、深く考え過ぎると、様々な欠点が目立ちます。あくまでも思考実験として読み流して頂けると助かります。

この例を見れば、日本語がマークアップ言語であることが理解できると思います。
日本語では、「語幹 + 文法識別詞 (word + grammar-mark)」の書式によって、語幹の後ろの付着語によって、文法属性を指定しています。
記述形式は、HTML文とは異なっていますが、何らかの記述形式を使って属性を指定している原理は同じです。
日本語では、表示属性ではなくて、文法属性を指定しています。

英語の文章に、日本語方式で文法属性を付加すると下記のようになります。膠着語の英語版です。

目的構文語順
元の文章I have a pen.SVO
文法属性を付加I_s have_v a pen_o.
或いは
I_s have_v a_pen_o.
SVO
pen の前の「 a 」は、単数を示す文法識別詞です。だから、より正確な表現は、
I_s have_v a_pen_o.
かもしれません。「pen」という単語を、前後から二つの文法識別詞が挟み込んでいます。

複数の場合は、語尾に「s」を付けて「pen_s」と表現します。
I_s have_v pen_s_o.
書式「_s」が主語の場合と被りますが、思考実験なので気にしない。

「a_」も「_s」も、「pen」に付着している文法識別詞と見なすことが出来ます。単数複数の文法属性を指定しています。

注)なぜ、単数と複数で文法識別詞の付く位置が、(前と後)異なっているかは謎。

この文章は、「I_s」、「have_v」、 「pen_o」の三つのトークンを羅列することで構成されています。

「_s」は、主語を指定する文法識別詞 (grammar-mark)
「_o」は、目的語を指定する文法識別詞、
「_v」は、動詞を指定する文法識別詞を意味しています。

これらは、膠着語における語尾の付着語に相当します。この付着語によって、文法属性を指定しています。夫々、「主語、動詞、目的語」を指定しています。日本語の「は、つ、を」に相当します。

なお、「 _ 」(Underbar)は、見やすいように、セパレーターとして入れました。でも、マークアップ言語上は、「 _? 」自体が、(約束事として)文法属性を指定する構文です。このような書式(約束事)を使って文法属性を指定しています。
論理的曖昧さが生じなければ、書式は自由です。ただの単なる約束事に過ぎないので。

このように文法属性も明記すると、日本語と同じように、

  1. 主語の省略
  2. 語順の入れ替え

が可能となります。
文法上の曖昧さが発生しない為です。
語順から構文解析する必要がない為です。構文解析で文法を推定しなくても、最初から「これが主語。これが目的語。これが動詞。」と、明記されているからです。

主語の省略、語順の入れ替え
目的構文語順
元の文章I have a pen.SVO
文法属性を付加I_s have_v a pen_o.SVO
主語の省略Have_v a pen_o.VO
語順の入替A pen_o i_s have_v .OSV
日本語式語順I_s a pen_o have_v.SOV
日本語の例、ペン、持SOV
英語式語順、持、ペンSVO
これは、あくまでも思考実験です。実用性を考慮した厳密さは追求していません。

このように、トークンの後ろに文法識別詞を付加すると、語順を入れ替えても、この情報を手掛かりにして、元の語順に戻すことが可能です。主語を省略しても、省略しているのが主語だと分かり、文脈から推測して補完することが可能です。

日本語の場合、文法は「語幹+文法識別詞 (word + grammar-mark)」で指定されています。語尾の「は、を、つ」又は「_s _o _v」は、「主語、目的語、動詞」を指定する文法識別詞です。従って、主語を省略しても、或いは、語順(トークンの順番)を入れ替えても、文法的曖昧さは生じません。構文解析が必要なく、最初から、明示されているからです。

実際の日本語では、動詞の文法識別詞は、複雑に活用(語形変化)して、「現在形」「過去形」「仮定形」「命令形」などの文法的意味を表現しています。例えば、「持+つ、持+った、持+てば、持+て」「_v(1) 、_v(2)、 _v(3)、 _v(4) 、、、」のように。

主語を省略した場合、主語は、会話の流れの中で推測して補います。推測される主語は、多くの場合、多分、「I_s」です。日本人が、日々の暮らしの中で普通に行っている作業です。主語を省略すると言葉数が少なくなり、理解し易くなります。源氏物語でも多用されているテクニックです。
英語話者は、訓練されていないので、最初は戸惑うかもしれませんね。
重要)英語の文法では、主語の省略は、「命令文」になります。

語順の入れ替えは、日本の文学者が良く使うテクニックです。強調したいトークン(要素)を先頭に持ってきます。
この例(A_pen_o i_s have_v)の場合、目的語が先頭ですから、目的語が強調される効果を生み出しています。
逆に、通常の文章の場合、主語が先頭ですから、主語を省略しないで明示すると、先頭の主語に惑わされて、強調したいポイントが呆けます。これが、日本で主語が省略される理由です。

日本語式語順で英語を表記しても、文法的曖昧さは生じません。構文解析で文法を推測しなくても、最初から明記されているからです。
文法識別詞を手掛かりにして、正常な英語の語順に戻すことが可能です。

日本語の場合、語順は、(習慣では、)「主語、目的語、動詞」です。でも、文法が文法識別詞で指定されているので、語順を入れ替えても、意味は通じます。英語式に、「主語、動詞、目的語」としても、日本人なら全員正しく理解できます。

注)このような思考実験は、日頃の習慣と異なっているので、最初は戸惑うと思います。知性を発揮して、論理的思考でお願いします。

注)日本語では、単数と複数の区別はありません。と言うよりは、漠然と言葉を使った場合、言葉が(ペンという)集合を指しています。集合内の個々の元を明示したい場合、前に数詞や副詞を配置して、「このペン」、「一本のペン」、「たくさんのペン」と表現します。この意味で、日本語の方が英語よりも論理的です。日本語は集合の概念を内包しています。
英語の場合、「pens」が、ペンの集合を指示しているのですかね。ひょうとしたら、「pen set」が訛った表現かも。個別の元では無くて、集合自体を指示したい場合、複数形の表現形式を使っているのでしょうか。個別の元を指定する場合は、「at pen」が訛って「a pen」や、「that pen」が訛って「the pen」と表現しているのでしょうか。それを、単数複数の違いと錯覚しているのでしょうか。それ故、単数複数を、文法識別詞と見なした場合、その膠着位置が前後で異なっているように見えるのでしょうか。その辺りの言葉の感性が謎です。

漠然と言葉を使った場合に、言葉が、集合自体を指示しているか、集合内の個々の元を指示しているか、その辺りの暗黙の前提条件が異なっています。

人間という動物は、集合と元の関係を、言葉で、どのように表現しているのでしょうか。日本語や英語に係わらず人類共通の課題です。

集合とその元の関係を、言葉で表現

集合とその元の関係を、言葉で表現
人間は、物事を集合、つまり、共通の性質を持った「もの」の集まりと捉えています。
その集合と、その集合を構成している元(構成要素)の関係を、言葉でどのように表現しているのでしょうか?

日本語では、漠然と「ペン」と使った場合、ペンの集合を指します。ペン一般を意味します。鉛筆かボールペンか、誰の何処のペンか拘りません。集合を明示したい場合は、「ペン+たち」と、後ろに「たち」を付加して表現します。この表現は余り使いませんが、「動物+たち」や「村人+ たち」という表現は良く使います。
集合の元を指定したい場合、「このペン」や「この鉛筆」と表現します。

英語の場合、ペンの集合を表現したい場合には「pens (pen set ?)」と表現しています。語尾に「s」を付けます。日本語の「村人+たち」と用法が似ています。
集合の元の場合は、「a pen (at pen ?)」とか「the pen (that pen ?)」と表現します。前に「a」を配置します。日本語の「このペン」と似ています。
これを、言語学者は、単数複数の違い(?)と錯覚しています。(結果は同じですが。)

ちなみに、「集合」は、英語では「 set 」と表記します。「 pen set 」は、そのままの表現です。これが訛って「 pens 」になったのだろうか。
「a pen 」や 「the pen 」は、「 at pen 」「that pen 」が訛ったものだろうか。

単数と複数で、膠着語の付き方が、前と後ろで異なっているように見える原因は、これだろうか。形式上、「単数、複数」を指定する文法識別詞が、
単数は「a + pen 」と前方に付きます。
複数は「pen + s 」と後方に付きます。
文法上統一が取れていません。

これは厳密には、「単数、複数」では無くて、「集合と、その元」の表記の問題かもしれません。「 pens (pen set ?) 」は集合を、「a pen (at pen ?)」は集合の元を表現しているのかも。指し示す対象や文法的役割が異なっているのかも。(結果は、同じですが。)


注)英語の命令文

ちなみに、英語文法では、主語を省略すると、「命令文」になります。「主語の省略」という行為を、命令の意味に割り当てています。

当たり前ですね。相手に行為を強制するのが目的なので、行為の主体は明確です。明示する必要はありません。しかも、悲しいことに、文の最初に出てくるのは動詞です。相手の「行為」を強制したいので、強調したいもの、つまり、動詞が先頭になっています。分かり易くて、それはそれで合理的です。所詮、言葉は約束事、意志さえ伝われば充分に目的を達成できます。英語の習慣では、主語の省略に命令文の役割を与えています。

注)日本語の論理性と曖昧さ

日本語は、極めて、論理的で高機能な言語です。しかも、単純です。子音母音の数も少なく、文法的な例外も多くありません。
ただし、肝心の日本人は、その高機能さを逆に利用して曖昧に使っています。言葉の論理性よりも、人間関係の方を優先しています

(言葉の本質を捉えた)高機能な道具であるが故に、自由度も高いからです。その自由度の高さを逆に利用して、(角が立たないように、)わざと曖昧に使っています。言葉という道具に、「遊び」と「間」を持たせています。

それだけ言語構造に余裕があって、使う側にも負担が少ないことを物語っています。言語自体に負担が少ないので、その余った力を、一人称や敬語の複雑さ等に使っています。人間関係を円滑にすることに使っています。
しかし、これが逆に日本語の障壁にもなっています。日本語の障壁は、言語構造そのものではなくて、(日本社会の)人間関係にあります。余った力が生み出している部分にあります。

実際、語順の並び替えや、主語のトークンの省略によって、一人称や敬語の複雑さによって、、、角が立たないように、人間関係がギクシャクしないように、ありとあらゆる工夫をしています。「倭(わ)」と「和」と「輪」を大切にしています。それでも、成り立ってしまう文法構造なので、その機能を最大限に活用しています。「いい、わるい」は別にして、温和で居心地のいい社会を築けていることだけは、感謝すべきかも。



形容詞を使った英語文をマークアップ言語に改造(Apples are red.)

形容詞を使った文を、日本語方式で、マークアップ言語に改造してみます。
マークアップ言語のもうひとつの顔を垣間見ることができます。

例文は、「リンゴは赤い (Apples are red.)」です。

目的構文語順
元の文章Apples are red.SVA
文法属性を付加Apples_s red_a.SA
マークアップ言語の場合、動詞「 are 」は不要です。

英語話者には、日頃の習慣と著しく異なっているので、受け入れ難いとは思います。しかし、これは思考実験です。習慣を無視して、論理的思考でお願いします。

文法識別詞「 _a 」は、形容詞を指定する文法識別詞のつもりです。(約束事です。)日本語の形容詞の語尾「い」に相当します。
マークアップ言語では、動詞「 are 」は不要です。語順で構文解析する訳ではないからです。解析しなくても、文法識別詞で、最初から指定されているからです。この為、

「 Apples_s red_a. 」

と、動詞抜きの文が成り立ってしまいます。文法的曖昧さもありません。

語順から構文解析する場合、「 SVO 」のパタンは崩せません。このパタンを崩すと、語順から文法的意味を推測することが不可能になる為です。でも、日本語のように、最初から文法識別詞が語尾に添付されている場合、語順解析が必要ないので、不要な言語要素、即ち、動詞「 are 」は無用で無駄なものとして、最初から考慮の対象外になります。省略できます。

言語に求められるものは、運用コストです。日々大量に使われるので、些細な無駄も、積み重なると耐え難いコストアップに繋がります。だから、無駄は極力省かれます。もし、日本語のようなマークアップ言語だと、動詞「 are 」は(無駄なものとして)省略されます。
実際、英語でも、「 are 」は使用頻度が高いので、三文字の短い単語になっています。「 is 」は二文字です。「it is」は「it's」に更に短縮されています。

つまり、動詞「 are 」は、文法識別詞の代用品としての機能を果たしています。文法識別詞が無いから、動詞「 are 」が必要になっています。
逆に、動詞「 are 」があれば、構文がパタン化されますから、語順から文法解析が可能になります。だから、日本語のような文法識別詞は不要になります。
要は、「目的を達成する為に、どれだけの情報が必要か」です。手段は、(利用できる情報によって、)ある程度の選択の幅があります。

5.形容詞 (象は鼻が長い。こんにゃくは太らない。)

日本語の形容詞に関する考察です。

日本語は、文法形式上、動詞と形容詞を区別する必要がないみたいです。
この為、動詞を使用しないで、形容詞だけの文も作成可能です。
文法形式上は、形容詞を、動詞と同じように使うことができます。形容詞も、語尾を活用させて、動詞同様に、複雑な文法的意味を表現可能です。

いわゆる、「象は鼻が長い」や「こんにゃくは太らない」文に関する話題です。前者は形容詞を使った文、後者は動詞を使った文。

この話題は、最初、漠然としたむず痒さを感じました。何となく常識と異なっているし、背後に未知のルールが隠れているように見えたからです。その未知のルールの正体が全く見えませんでした。

形容詞は、ものに付随している性質や状態などの属性を表現する手法です。日本語には、イ形容詞、ナ形容詞(形容動詞)、動詞を使った三つの方法があります。

イ形容詞の場合、感覚器官から得られた信号を形容しています。語尾は「い」で終ります。
ナ形容詞は、形容動詞とも呼ばれています。名詞の後ろに文法識別詞「だ、なり、ような、的」を付加して、名詞を形容詞に転用しています。比喩的に物事の状態を表現しています。
動詞の場合、ものの動的性質を形容しています。

形容している対象
品詞形容対象
イ形容詞感覚器官からの信号を形容リンゴは赤い、痛い
ナ形容詞
(形容動詞)
名詞を流用した比喩的表現
感じている印象を表現
君は不謹慎だ
動詞ものの動的性質を形容コンニャクは太らない
参考)名詞ものの存在を形容私、あなた、山、川、、
形容詞は、感覚や印象を表現した言葉です。

イ形容詞は、感覚器官から脳に流入している信号の状態を形容しています。「痛い」のように。
ナ形容詞は形容動詞のことです。名詞に「だ」や「ような」を付加して、比喩的に物事の状態を表現しています。
動詞は、ものの動的性質を形容しています。

形容詞と動詞、名詞の境界線は、日常生活では極めて曖昧です。互いに比喩的流用が見られます。
例:名詞「事故」-> 動詞「事故る」

これら三つは、(日本語文法の)形式上の扱いは、ほとんど、同じです。実際、三つとも、語尾が活用します。動詞が活用するように、イ形容詞もナ形容詞(形容動詞)も活用します。
ただ、形容している対象は微妙に異なっています。形容詞は(感覚器官から得られた)静的状態を形容しますが、動詞は動的性質を形容しています。

ものの属性を形容する三つの方法(形容詞、形容動詞、動詞)
品詞トークン順番使用例備考
イ形容詞主語、イ形容詞リンゴは赤い感覚器官からの信号を形容
リンゴは目で見て赤いので、
「赤い」という形容詞を使って状態を形容しています。
ナ形容詞主語、ナ形容詞君は不謹慎だイ形容詞と動詞の中間
名詞を「だ、なり」を使って形容詞に転用
動詞主語、動詞こんにゃくは太らない動的性質を形容
こんにゃくは食べても太らないので、
この性質を動詞「太る+ない」を使って形容しています。
イ形容詞イ形容詞、名詞赤いリンゴトークンの順番を逆にした表現。
ナ形容詞ナ形容詞、名詞新鮮な野菜同上
反対の表現:萎びた野菜 (動詞を使用)
動詞動詞、名詞光る石同上
日本語の場合、形容詞と動詞の(文法上の)区別はないようです。どちらも、状態を形容しています。
形容詞は、感覚器官からの信号や、受ける印象を形容しています。
動詞は、物の動きを形容しています。

対象が違うだけで、どちらも形容している事実は同じです。だから、日本語では形容詞と動詞を区別する必要はないみたいです。

なお、属性、性質、状態の三つの用語は、ほとんど、同じ意味で使っています。論理的には、「属性」に統一した方がスッキリしますが、現状では意味的に、性質と状態を使い分けた方が理解し易くなります。例えは、静的状態や動的性質のように。

注)ほとんど同じ意味で使っている用語:属性 ≒ 性質 ≒ 状態

この問題は、考えれば考える程、不可思議な倒錯した世界に引きずり込まれます。形容詞も動詞も形容動詞も、全部同じに見えます。が、しかし、何処かが微妙に異なっています。背後に、未知のルールが潜んでいることを予感させます。喉まで出掛った もどかしさ を感じます。

言語の進化

人類の言語の進化を問題とした場合、「形容詞が動詞よりも先に発生した」と思われます。生物進化上は、言葉は「形容詞 -> 名詞 -> 動詞」の順番で発生したと考えています。

形容詞は、感覚器官からの信号を表現した言葉です。脳が一番最初に出会う信号です。脳の活動は、感覚器官からの信号で始まります。だから、名詞よりも動詞よりも先と思われます。

名詞は、もの存在を表現した言葉です。感覚器官からの信号を処理して、そこに「もの」という概念を作り出しています。そこに存在する餌や敵の存在を認識する必要がある為です。我々の空間認識は、このような(生きることと結び付いた)「もの」によって構成されています。(名詞は)この(空間認識の中に存在している)イメージに付けられた言葉です。

動詞は、「もの」の動きを形容しています。結構、複雑な情報です。先に、「もの」というイメージ(概念)を作り出さないと機能しない言葉です。感覚器官のように、直感的に捉えている情報ではありません。だから、発生順番は、結構、遅かったと思われます。

品詞の発生順番:形容詞 -> 名詞 -> 動詞

だとしたら、この話題は、「日本語では、動詞は形容詞と同じように使える。」の方が適切かも。話が逆かもしれません。不可思議な倒錯した世界です。

リンゴは赤い

物の属性を形容する基本は形容詞を使った方法です。
この方法は、感覚器官から得られた信号を形容しています。形容詞は、感覚器官との結び付きの程度によって、大雑把に、一次形容詞から四次形容詞までの四つのグループに分けることが出来ます。

「リンゴは赤い。(Apples are red.)」文は、下記のように、二つのトークンから構成されています。

例:「リンゴ+は」、「赤+い」

「は」は、主語を指定する文法識別詞です。
「い」は、形容詞を指定する文法識別詞です。

日本語の形容詞は語尾が「い」で終わっています。つまり、感覚器官から脳に流入している信号に付けられた名前は、語尾が「い」で終わっています。これを、言語学者は、「形容詞」と呼んでいます。

この文は、「主語」と「形容詞」という二つのトークンを羅列しています。
この表現は、日本語の文法としては正しい文です。それが証拠に、日本人なら誰でも意味が理解できます。リンゴの属性や特徴を表現しています。

でも、この文には、英語のような動詞がありません。
英語では「 Apples are red. 」と、動詞を付加して表現します。日本語では、必ずしも動詞は必要ないみたいです。文法が、「語幹+文法識別詞」のトークンによって構成されている為に、語順を手掛かりとした構文解析が必要ない為と思われます。

逆に、英語のように語順による構文解析が必要な場合、「主語、動詞、目的語」のパタンは崩せません。構文解析が出来なくなってしまうからです。これを手掛かりにして、構文解析を行い、文法要素を推測しているからです。
形式的にしろ、無理やりにしろ、必ず、必要です。これが、日本語の文法識別詞と等価な働きをしているからです。つまり、英語には、文法識別詞が無いから、その(文法を指定する為の)代用機能としての動詞が必要です。

日本語は、「主語、形容詞」の組み合わせでも、文が作成可能。
動詞は、必ずしも必須ではない。<< ( ここ重要 )

主語の属性を形容しています。
文法形式上は、形容詞は動詞と同じルールで使えるように見える。

「形容詞、名詞」(赤いリンゴ)

もちろん、英語同様に「形容詞、主語」、つまり、「赤いリンゴ」、「red apple」といった表現も可能です。名詞の前に置いて、名詞の属性を形容することも出来ます。

例文:赤いリンゴ

この場合も、リンゴの属性を形容しています。印象は微妙に異なっていますが、意味は大筋同じです。

逆に、動詞を形容詞的に使うことも可能です。
下記の例では、「動詞、名詞」で、名詞の動的性質を形容しています。
例文:光る石

「形容詞、主語、形容詞」(赤いリンゴは、美味しい)

形容詞を前に持ってくる場合、「赤いリンゴは、美味しい」、又は、「美味しいリンゴは、赤い」という使い方をします。

例文:赤いリンゴは、美味しい。
例文:美味しいリンゴは、赤い。

「赤い」も「美味しい」も、リンゴを形容した形容詞です。
この例では、主語が、前後から二つの形容詞で挟まれています。つまり、「形容詞、主語、形容詞」になっています。

「形容詞、形容詞、名詞」(赤く美味しいリンゴ)

名詞の前に、形容詞を複数連ねて続けて置くことも可能です。

例文:赤く美味しいリンゴ

この場合は、形容詞の語尾「い」が変化(活用)して「赤い -> 赤く」に変化します。
形容詞も、動詞同様、語尾の文法識別詞が活用して様々な文法的意味を指定可能です。
「赤い美味しいリンゴ」と、先頭の形容詞の語尾を活用させないで、そのまま連ねた用法も(使用例は多くありませんが)可能です。リンゴの特徴を平等に羅列している印象を受けます。
「赤く」と語尾を活用させているのは、発声のし易さよりも、寧ろ、「赤く」を強調したい為のように思えます。ここで「く」と口を窄めるのは、意味的な強調と区切りの明確化の為に思えます。

「リンゴは赤い」という文で動詞が無い事実は、(文法形式上は)形容詞と動詞を同等に扱うことが可能なように見えます。

「主語、形容詞、形容詞」(リンゴは、赤ければ美味しい)

主語の後ろに、形容詞を二つ続けた文の例です。

例文:リンゴは、赤ければ美味しい
例文:「リンゴ+は」、「赤+け+れば」、「美味し+い」

この文も、日本人なら誰でも理解できます。決して不自然な用法ではありません。
まるで動詞のように語尾を活用させて、複数のトークンを羅列しています。
前方の「赤ければ」は、語尾が活用して仮定形を表現しています。

動詞と形容詞の文法形式上の違いが曖昧です。



暗黙の前提条件の省略(象は鼻が長い)

「リンゴは赤い」の文では、暗黙の前提条件が省略されています。意味的に正確に表現するなら、下記のようになります。()で囲まれた部分が、暗黙の前提条件として省略されている言葉です。

暗黙の前提を明示した例:リンゴは(皮が)赤い

中身が赤い訳ではありません。パッと見た瞬間、全体が赤いので、わざわざ部位を指定する必要はありません。「リンゴは赤い」だけでも、充分に意味は伝わります。
出来るだけ、常識は省略して短く表現する方が賢明です。(当たり前の常識にまで言及すると、)不必要な言葉が多くなり過ぎて、うざく感じます。

ところが、象の場合は省略できません。

例:象は鼻が長い
例:「象+は」、「鼻+が」、「長+い」

と、長い部位を、キチンと明示する必要があります。この文は、「リンゴは赤い」同様に、象が持っている「長い」という属性を表現しています。

ただし、「象は長い」と部位を省略すると、文法的には間違っていませんが、意味的に曖昧になります。どこが長いか、分からなくなります。蛇のように、全体が長い訳ではありません。だから、長い部位を明記する必要があります。この場合は、部位を指定したり限定したりする文法識別詞「が」を使って、「鼻+が」と指定しています。

「が」の用法は、「私は行く」と「私が行く」の違いと同じです。両方とも主語を指定する文法識別詞ですが、「私が」とした場合、「誰が行く。私が行く。」と、数ある可能性の中で「私」を明確に限定し指定しています。「鼻が」も、数ある部位の中で、鼻を指定しています。意味を正確に伝える為に。
「が」は、数ある可能性の中で、その中のひとつを名指しする用法みたいです。主語の場合は「私が」となり、目的語の場合は「鼻が」となるみたいです。

省略すると、「言葉は、コミュニケーションの為の手段」という目的を達成できなくなります。この目的を達成する為には、(象の場合は)長い部位をキチンと明記する必要があります。「象は鼻が長い」と。意味を正確に伝える為に省略できません。

ちなみに、蛇の場合は省略可能です。「蛇は長い」の文で、意味的曖昧さは生じません。正確には「蛇は(胴が)長い」ですが、全体の属性なので、わざわざ部位を明示する必要がない為です。「象は大きい」も同じです。正確には、「象は(体が)大きい」ですが、意味的曖昧さが生じないので省略可能です。「リンゴは赤い」同様、全体の属性だからです。

全体の状態を形容(形容している部位を省略可。)

  1. リンゴは赤い
  2. 蛇は長い
  3. 象は大きい

いち部分の状態を形容(「が」を使って、部位を指定する必要がある)

  1. 象は鼻が長い。 (どこが長い。鼻が長い。)
  2. キリンは首が長い。
  3. あいつは、面の皮が厚い。

全体の属性を形容した場合、暗黙の前提は省略可。
いち部分の属性を形容した場合は、省略不可。「が」を使って部位を明確に指定する必要がある。

結局、「象は鼻が長い」文は、たった、これだけの話だったみたいです。いち部位を形容しているので、その部位を省略できなかっただけのようです。意味的曖昧さを避ける為に。

寧ろ、本質は「リンゴは赤い」文にあります。「なぜ、このような動詞を使わない文が成り立つのか」です。これこそが重大な問題です。無視できません。

言葉は、コミュニケーションの為の手段」です。目的の為には、必要な情報は、省略しないで明確に言語化する必要があります。
目的と手段を倒錯させないことを希望します。目的は「コミュニケーション」です。手段は「言葉と文法」です。「ボディーランゲージ」とか「以心伝心」という用語もあります。意志さえ伝われば、必ずしも言葉は必要とは限りません。まるで、言語学を否定する物言いですね。

  • 目的:コミュニケーション
  • 手段:言葉と文法


    形容動詞(君は不謹慎だ)

形容動詞を使っても、下記のように形容詞と同じような文を作成可能です。

例文:君は不謹慎だ。

この文でも、暗黙の前提条件は省略されています。正確には、下記のように表現されます。

例文:君は、(行いが)不謹慎だ

このような用法も、日本語では可能です。主語の属性を形容しています。この表現でも、やはり、動詞は使っていません。「リンゴは赤い」と同じです。文法上は、形容詞と同等の働きをしています。

日本語では、「名詞+だ」、或いは、「名詞+なり」で、形容詞の代用品として使えるみたいです。語尾の「だ」や「なり」を、形容詞を指す文法識別詞と見るべきか、形容動詞を指す文法識別詞と見るべきか、意見が分かれるところだと思います。

実際、日本語的には、「赤い」という形容詞と同じ使われ方をしています。だから、形容詞の一種に見えます。
一方、英語的には、SVO構文の動詞に相当する使われ方をしています。「君は、行いが不謹慎だ」の場合、SOV構文に見えなくもありません。「不謹慎だ」が動詞の位置にあります。だから、動詞のように見えます。

日本語的には形容詞であり、英語的には、動詞です。見る方向によって違って見えます。だから、両方を合体させて、(安易に)形容動詞と名付けられたのでしょうか。
もし、見解を日本語の文法に統一するなら、形容詞と同じ使われ方をしていますから、「名詞+だ」、つまり、「不謹慎だ」は、形容詞の一種と見なした方が賢明かもしれません。
新しい解釈:形容詞を指定する文法識別詞は、「い、だ、なり」の三つがある。「だ、なり」は、名詞を形容詞に転用した場合の形容詞を指定する文法識別詞。?

このようなトラブルが起こった原因は、日本では動詞が無くても文章が成り立つことです。語尾の文法識別詞をコントロールすることで、非常に柔軟な表現が可能です。

下で述べる「事故+る」の場合、「名詞+る」で、名詞を動詞の代用品として使っています。それと同じ要領で、形容動詞では、「名詞+だ」で形容詞の代用品として使っています。日本語では、語尾の文法識別詞をコントロールすることで、名詞が様々な品詞に変身できるみたいです。

名詞を、他の品詞に流用する文法識別詞
流用先文法識別詞構文例文
動詞へ流用る、する名詞+る事故る、パニクる、チンする
形容詞への流用だ、なり名詞+だ不謹慎だ、不謹慎なり
「る」は、動詞を指定する文法識別詞。「名詞+る」で、名詞を動詞に変身させ流用。
「だ」は、形容詞を指定する文法識別詞。「名詞+だ」で、名詞を形容詞に変身させ流用。

形容詞を指定する文法識別詞には、「い、だ、なり、、」等があります。「だ、なり」を形容詞を指定する文法識別詞と見なすなら、「形容動詞」なる分類は不要のように思えます。

ちなみに英語の場合、SVO構文の何処に名詞を置くかによって、名詞が様々な品詞に変身しているみたいです。当たり前ですね。構文解析によって、文法が決まっているので。置き場所によって、品詞が決まります。構文解析とは、置き場所から、文法的意味や役割を推測する作業だからです。



動詞を使った形容(こんにゃくは太らない)

日本語では、下記のように、動詞を形容詞代わりに使って、物に付随している性質や特性を形容可能です。動的性質を形容しています。

例文:こんにゃくは太らない
例文:「こんにゃく+は」、「太+ら+ない」

この文は、「リンゴは赤い」と同じで、主語の属性や性質を表現しています。しかし、この場合は、形容詞では無くて、動詞を使って動的性質を形容しています。
コンニャクは、食べても太りにくい性質を持っています。カロリーが低いからです。(コンニャクの)この性質を形容しています。

この文章でも、暗黙の前提条件は省略されています。
正確には、

例文:こんにゃくは、(食べても)太らない。
例文:「こんにゃく+は」、(「食べ+て+も」)「太+ら+ない」

です。
でも、こんにゃくは食べ物ですから、当たり前の事実、「食べても」は省略されています。

日本語では、「主語、動詞」で、主語の動的性質や属性を形容可能みたいです。

動詞を、形容詞と同じように、動的性質を形容する手段として使えます。

動詞を使って主語の属性を形容
No慣用表現省略している語句を明示
1こんにゃくは太らないこんにゃくは(食べても)太らない
2ペンギンは飛べないペンギンは(空を)飛べない
3イモは太るイモは(食べたら)太る
4登山は疲れる登山は(体が)疲れる
「登山は疲れる」と言った場合、登山という行為の一般的(体が疲れるという)性質を表現しています。
一方、「登山は疲れた」、「富士山は疲れた」と過去形で表現した場合、過去の実際の出来事を表現しています。実際に体験した行為を表現しているので、動詞本来の使い方です。

具体的行為を前提とした表現かどうかの違いがあります。前者は一般論です。後者は過去の具体的行為です。



「動詞、名詞」(光る石)

形容詞の場合、「赤いリンゴ」のように、名詞の前に形容詞を配置して、名詞の属性を形容することが可能です。
この用法は、下記のように、動詞の場合も可能です。石の動的性質を形容しています。

例文:光る石
例文:「光+る」、「石」

この例では、逆に、動詞を形容詞的に使っています。形式的には、日本語文法は、動詞と形容詞の区別が無いように見えます。やはり、日本語が「語幹+文法識別詞」のトークンによって構成されているからでしょうか。

常識を捨て、もっと単純化させれば、「こんにゃくは太らない」文の中に、日本語の根底に隠れている未知のルールが見えてくるような気がします。
そもそも、動詞と形容詞と形容動詞を区別する必要があるのでしょうか。(文法形式上は、)根は同じもので、意味と用途が異なっているだけのように思えます。

そもそも、動詞、形容詞と言った区分は、ピジン語を前提とした分析です。文法構造が根本的に異なっている日本語に適用可能でしょうか。喉まで出かかった歯がゆさを感じますが、その具体的姿は、まだ、見えません。漠然とした暗い靄が見えているだけです。


言語の発生と進化

「日本語は、形容詞を動詞と同じように扱える。」と述べましたが、これは間違いの可能性があります。

話は逆、
日本語は、動詞を形容詞と同じように扱える。」が正しいかもしれません。

言語の発生と進化を、数百万年単位で遡って考察すると、一番最初に発生した品詞は、ものを指し示す「名詞」と思われます。

その次に発生した品詞は、感覚器官からの信号や状態を表現した「形容詞」と思われます。このような形容詞には、心の状態を表現した感情表現(怒りや悲しみ、喜び)なども含まれます。

そして、一番最後に発生した品詞が「動詞」と思われます。
「動詞」を使って表現する動作は、言語化する優先度と需要が低かった。というのも、動作は、(視覚を使った)模倣反射で充分伝わるからです。我々人間を含めたサルは、模倣反射の能力が優れています。見ただけで、相手の動作を真似ることが可能です。それで、充分、動作を学習することが可能です。子供は、言われなくても、教わらなくても、親の背中(生活態度)を見て育ちます。このような模倣反射によって、群れ内部で受け継がれている(ニホンザルの)行動様式を、今西錦司氏は、「カルチャー」と呼んでいました。

このような模倣反射による「カルチャー」の継承は、クジラの群れなどでも見られます。砂浜に乗り上げた子クジラに、その脱出方法を、母クジラは、やって見せているそうです。(クジラは、鳴き声で様々なコミュニケーションを取っていますが、流石に、動作までは、言語化出来ていないみたいです。)

言語の発生と進化 :名詞 -> 形容詞 -> 動詞

このような意味で、最初期の言語体系は、名詞と形容詞から構成されていたと思われます。

言語機能の発達と共に、やがて(形容詞の拡張として)動詞も加わった。だから、「日本語は、動詞を形容詞と同じように扱える。」が適切な表現と思えます。


源氏物語と心の綾の表現

源氏物語は、心の綾の表現が実に巧みです。
その原因は、どうも、心の微妙な綾を表現するのに、形容詞ではなくて動詞を使う傾向にある為のようです。

人間生きていると、色々な事があります。何かやる場合、やるだけでなく、それに伴って様々な感情や思いが去来します。「行い」には、必ず、感情や臭いがこびりついています。臭いは心を掻き毟ります。遠い遠い過去の記憶を呼び起こさせます。

だから、心の綾を表現するのに、動詞を使えば、「行い」にこびりついている感情や臭いも表現可能になります。源氏物語の病的繊細さは、この辺りに原因がありそうです。

逆に、心の表現に、(常識に従って)形容詞や副詞を使えば、ありきたりの安っぽい表現になります。心の綾を表現したければ、(臭いがこびりついた)動詞を使うべきです。

6. 言葉の意味(僕はウナギだ)

言葉は、使われる状況によって意味が変わります。
いわゆる「僕はウナギだ。」文の話題です。

言葉は、人々の日常生活の中で、コミュニケーションの手段として使われています。だから、厳密な使い方はしていません。「意味さえ正確に伝われば充分」という結果オーライの世界です。

常に、ある特定の状況、つまり、日々の暮らしの中で使われています。だから、同じ言葉が使われていても、状況によって異なった意味になることがあります。
言葉の数を減らす為?。使用頻度の高い言葉は、使用コストの観点から極力短くしたいから?

また、状況から推測される内容は省略される傾向にあります。伝えたい内容のみが、言葉で簡潔に表現される傾向にあります。余分なものを省略すると、伝えたい内容が際立ち、相手も理解し易い為です。逆に、言葉数が増えると、話し手の意図が伝わり辛くなります。
理解するのに時間が掛かって、何を伝えたいのか呆けてしまいます。

  1. 言葉は、暗黙の前提条件(日々の暮らし)の中で使われる。つまり、常識の中で使われています。
  2. 状況によって、言葉の意味は変わる。
    言葉の意味 = 言葉 + 状況
  3. 伝えたい内容のみが、言葉で表現される。
  4. 状況から推定可能な内容は省略される傾向にある。(伝えたい内容を際立たせる為に。)

今問題にしている「僕はウナギだ」文も、二通りの解釈が可能です。

  1. 暗黙の前提条件を省略した用法
  2. 形容動詞としての用法

結論だけ言えば、自分は、今まで、一度も、これを形容動詞として使った状況に直面したことがありません。だから、これは、多分、暗黙の前提条件を省略した用法だと思います。



(状況から推測可能な)暗黙の前提条件を省略した用法

言葉は、ある特定の状況の中で使われます。その状況から推測可能な常識は省略されて、簡潔に表現される傾向にあります。

状況:ある夕方のお母さんと子供たちの会話

ある日の夕方の母親と子供たちの会話を思い浮かべて頂きたい。

母親:夕ご飯、何が食べたい

暗黙の前提条件は、「食べたい」です。だから、これを前提にして子供たちは答えます。

子供A:カレー
子供B:ウナギ
子供C:ウナギ だ
子供D:僕は、ウナギ だ
子供E:私はウナギを食べたい

「ウナギ」(子供A、B)
通常は、子供ABのように、文法を無視して、食べたいもの(単語)だけを返します。「食べたい」は、暗黙の前提条件なので、この言語要素は省略します。主語も、実際に目の前で子供たちが声を出しているので明確です。省略可能です。目的語を指定する文法識別詞「を」も省略します。ほとんど、ピジン語の世界です。

でも、こうすれば、相手にストレートに意思が伝わります。文法もくそもありません。結果オーライです。

「ウナギ だ」(子供C)
食べたいものを強調したい場合は、子供Cのように、語尾に「だ」を付けます。「だ」は、願望を強調する文法識別詞の働きをしています。

「僕は、ウナギ だ」(子供D)
自分をアピールしたい場合は、子供Dのように、「僕は」と、主語を付加します。兄弟が多いと、自分をアピールすることは大切です。「僕は、ウナギだ。」と。

「私はウナギを食べたい」(子供E)
子供Eのように、暗黙の前提条件を省略しないで、文法的に正しく表現したら、(何が食べたいか)理解するまでに、一瞬、時間が掛かります。言葉数が増えたら、意味解析に時間が掛かるからです。言葉のどれが要点か、判断に時間が掛かってしまいます。
「言葉はコミュニケーションの手段」という観点から見たら、この言葉遣いは、必ずしも適切とは言えません。(だって、伝わり辛いので。)

アメリカのテレビを見ていたら、子供ABと同じように、文法を無視して、答えの単語だけを簡潔に返していたので、このような用法は共通なのですね。



クイズ

「僕は、ウナギだ」文で、省略されている言葉を推測して、正しい日本語に戻せ。

回答例1:僕はウナギ(を食べたいの)だ。
回答例2:ウナギだ。僕は(ウナギを食べたい)。
参考)バカボンパパの回答:僕はウナギなのだ!

()が省略されている言葉です。「食べたい」が省略されています。会話の流れの中で暗黙の前提条件なので、省略しても、意味は正しく伝わります。
逆に、絶対省略できないのは、「ウナギ」です。これが、自分の伝えたい意思だからです。

回答例1は、まるで、漫画のバカボンパパの世界ですね。あの漫画では、よくこんな言葉遣いをしていました。それに、「ウナギイヌ」なる謎生物も登場していたし。(まさか、赤塚不二夫先生は、これを皮肉っていた?。)

回答例2は、ごく普通の発想です。「ウナギだ。僕は。」と言った場合、「ウナギ」が先なので、これが強調される効果を生みます。
言葉を入れ替えて「僕は、ウナギだ。」と言った場合、「僕」が強調されます。「僕」を強くアピールしたい場合に使います。

「言葉はコミュニケーションの為の手段」に過ぎません。目的さえ達成できれば OK の結果オーライの世界です。大切なことは、形式ではなくて結果です。自分の意志が正しく伝わるかどうかです。

このような芸当が可能なのも、日本語の文法が、「語幹 + 文法識別詞」で決まっているからです。目的語や動詞を省略して、主語だけを残しても、推測可能なら、文法的曖昧さも意味的曖昧さも発生しません。寧ろ、言葉数が少なくなるので、理解し易くなります。
主語省略の逆パタンです。主語を残し、その他の不要な言語要素を省略します。


状況:上司が部下に食事を奢る場合

よくある日常の風景です。

上司:よ~し、今日は俺の奢りだ。好きなものを頼んでくれ。
部下:ウナギ、お願いします。

TPO が理解できる社会人なら、「食べたいもの + 上司への敬意」は忘れません。食べたいものを「ウナギ」と簡潔に事務的に伝えます。(卑しいという印象を避ける為にも、願望を強調する文法識別詞「だ」は付加しません。)そして、その直ぐ後に「お願いします。」と敬意と配慮を忘れてはいけません。
(「アホ、高いもの頼むな。安いものを頼め。俺様の顔を立てろ!。世の中は、配慮と世渡りだ。」という上司の心の声は、とりあえず無視。)

「僕はウナギだ」と、相手の立場を考慮できない一方的発言は、「おまえ子供か?」と、社会人としての常識を疑われます。

日本語では、この相手への敬意と配慮に関連した用法が発達しています。
日本の安全神話は、案外、このような言語の特性の中に隠れているのかも。言語は民族性を作ります。民族性から言語は生まれます。
ドイツ語は、(意味は分からないけど、)語尾が尖っているので、いちいち刺さります。命令口調に感じます。ドイツ社会の厳格さは、決して、偶然ではないように思えます。言葉そのものが、その性格を持っています。
ちなみに、北京語は、(同様に意味は分からないけど、)日常会話でも押しが強く、喧嘩しているに聞こえます。田舎臭さを感じます。中国共産党の性格を良く体現しています。
上海語の話者は、東京人と同じで、相手との距離や間の取り方が上手です。都会人として、洗練されているように感じます。

言葉と状況

言葉の意味は、状況によって変わります。

言語学者のように、状況を無視して、言葉だけを切り出して、「言葉は文法だ」と、文法の意味を論じても無意味です。状況を無視して、形式だけ問題にするなら、「僕はウナギだ」文は、「吾輩は猫である」と同じ意味に誤解されてしまいます。

言葉の中には、「言葉 + 状況」で、始めて正しく理解できることが結構あります。と言うよりは、多くの場合、同じ言葉でも、状況が異なれば、異なった意味で使われています。だから、有限な言葉数で、多様な現実を表現可能になっています。

言葉は、状況依存型です。状況から切り離された客観的存在ではありません。多くの暗黙の前提条件の上に成り立っています。(言葉を使った)思考の間違いは、多くの場合、その暗黙の前提条件の中に隠されています。

言葉 + 状況 = 意味

同音異義語が、その好例です。



形容動詞としての使用例

この文を形容動詞だと見なせば、また、違った断面が見えてきます。
これを形容動詞だと見なせば、「僕は、ウナギである。」、「僕は、ウナギなり。」、つまり「僕 = ウナギ」の意味合いになります。
ただし、まず、こんな使い方はしません。あくまでも理屈の上での形式論です。

主語の属性を形容する例を順番に見ていきます。
まず、形容詞を使った文の例です。

形容詞の文:リンゴは赤い

この文の場合、「主語、形容詞」の羅列で、主語の「赤い」という属性や性質を形容しています。当然、動詞は不要です。

形容動詞を使った文でも、主語の属性を表現することが出来ます。

形容動詞の文:君は不謹慎だ

「主語、形容動詞」の羅列で、主語の「不謹慎」という属性や性質を形容しています。この文も、動詞は不要です。
「ウナギだ」を形容動詞と見なした文も可能です。

形容動詞?:僕は、ウナギだ

「ウナギだ」は、「名詞+だ」つまり、形容動詞とも見なせます。主語(僕)が持っている「ウナギ」の属性や性質を形容しています。いや、もっと強い意味、即ち、「僕=ウナギ」を表現しています。主語と属性の関係を、「主語=属性」と同一視しています。

この「僕は、ウナギだ」文と等価な意味を、動詞を使って表現すれば、「僕は、ウナギである」となります。「吾輩は猫である」、つまり、「吾輩=猫」と同じ用法です。「吾輩は猫だ。」と形容動詞を使っても、等価な意味を持った文になります。

動詞の文:僕は、ウナギである

「ある」が動詞です。典型的な SOV構文です。この場合は、より明確に、「僕=ウナギ」の意味が強調されます。
注)「ある」の前の「で」は、どんな役割を担っているのだろう?目的語を指定する文法識別詞の一種?



文法識別詞「だ」の曖昧さが話を複雑にしている。

このような混乱が起こる原因は、文法識別詞「だ」の曖昧さにあります。この言葉は、二つの意味が臨機応変に使い分けられています。
ひとつは、願望を強調したり、断定する為です。もうひとつは、名詞から形容動詞を作る為です。

  • 願望を強調する為。断定する為。
  • 名詞から形容動詞を作る為。

文法識別詞「だ」が、このように二つの目的の為に使い分けられているので、その意味を巡って混乱が生じています。
「僕は、ウナギだ」文も、使われる状況によっては、話者の願望を強調した文に見えます。また別の状況では、「吾輩は猫である。」と同じ趣旨を持った文に見えます。即ち、形容動詞に見えます。

本来、断定を意味する文法識別詞「だ」が、人間の欲望に作用した場合、願望の強調になり、名詞などの存在物に作用した場合、形容動詞になったのでしょうか。「吾輩は猫である。」と、同じような意味に使われるようになったのでしょうか。
いずれにしても、言葉は直観的感性で使われます。理屈や文法では使われません。意味が伝わるかどうかがだけが問われています。



他言語話者の誤用

ちなみに、母語の文法が語順で決まっている話者は、時々、「リンゴは、赤い」文を、

誤用の例:リンゴは赤い ある

と誤用します。日本語としては、本来、動詞は必要ないので正しい日本語ではありませんが、母語では「Apples are red.」と、動詞を省略できないので、「ある」という動詞を追加して、SOV構文にしています。興味深い現象です。

以上、これらの文には、不思議な一貫性があります。語尾「だ」を、名詞を形容詞に流用する文法識別詞だと見なせば、つまり、形容詞の一種だと見なせば、全て、同じルールで文章が構成されています。基本は「リンゴは赤い」です。「主語、形容詞」の二つのトークンを羅列することで、文を構成しています。この基本の発展形になっています。

もの事を形容する用法
項目例文語順備考
本来の形容詞を使った文リンゴは赤いSA動詞を使っていない。
形容動詞を使った文君は不謹慎だSA動詞を使っていない。名詞を形容詞に転用。
形容動詞を使った文僕はウナギだSA動詞を使っていない。
動詞を使った文僕はウナギであるSOV動詞「ある」と使っている。
他言語話者の誤用リンゴは赤い あるSOV本来必要ない動詞「ある」を付加
参考)動詞への転用例事故る形容動詞と同じ発想で名詞を動詞に転用。
注)語順の記号「A」は形容詞を表現。形容動詞も形容詞の一種と見なしています。

何れの文も、主語の属性を形容しています。
構文のルールに一貫性があります。
上三つは、動詞を使わない文になっています。

誤用の例は、母語の文法が語順で決まる話者が、陥り易い間違いの例です。文法が、「Apples are red.」のように、「主語、動詞、目的語」の三つの語順で構成されている為、本来必要のない筈の動詞も付加してしまいます。

参考に動詞への転用例も記載します。動詞を指定する文法識別詞「る」を付加することで、名詞を動詞に転用しています。名詞を形容詞に転用している形容動詞の例と同じ発想とルールです。



「ウナギだ」文のまとめ

以上のように、「僕は、ウナギだ」文を、「暗黙の前提条件を省略した用法」と見なすか、「形容動詞」と見なすかは、その場の状況次第です。

  1. 暗黙の前提条件を省略した用法。(ウナギを食べたい。)
  2. 形容動詞としての用法。(僕はウナギである。)

日常生活では、文法を意識して使っていません。何となく感覚で使っています。意味が正しく伝わるかどうかだけ、気にしています

だから、どちらの意味で使っているかは状況次第ですが、感覚的には、「暗黙の前提条件を省略した用法」ではないかと思っています。「ウナギを食べたい。」という意思表示の表現に見えます。その省略形です。

これを形容動詞として使った例を知りません。「僕は、ウナギである。」と同じ意味で使っている例を知りません。

7. 日本語に潜む未知のルール

日本語文法には、言語学の常識とは異なった未知のルールが隠れているみたいです。

日本語は、トークンの羅列によって、文を構成しています。そのトークンの羅列に関して未知のルールが隠れているようです。習慣によって、或いは、無意味に羅列している訳ではないようです。その背景には、一定の(隠れた)ルールがあるようです。

例えば、形容詞と動詞が、文法形式上、あたかも、同等に扱われています。「リンゴは赤い」や「象は鼻が長い」、「コンニャクは太らない」文のように動詞を使わない形容詞だけの文も可能です。これに関して、喉まで出掛ったもどかしさを感じます。

これは、それに関する回答案のひとつです。

あるトークンが、後ろのどのトークンと意味が繋がっているか?」に注目します。
人間は、意味の繋がりで、トークンを羅列していると思われるからです。言語学者が考えているような文法に従って、羅列している訳ではない。

動詞の場合

最後尾のトークンが動詞の場合です。
「 私は、ペンを持つ 」文の場合

  私は    -> 持つ
.+)   ペンを -> 持つ
.--------------------------
  私はペンを持つ。

この文は、三つのトークンを羅列しています。(「私は」、「ペンを」、「持つ」)

前の二つのトークンは、最後尾のトークン「持つ」と意味が繋がっています。これで、意味を成しています。「私は持つ」と「ペンを持つ」は、意味のある文です。
ところが、「私は」と「ペンを」の間には、意味の繋がりがありません。「私はペンを」だけでは意味不明です。(「それで、何がしたいの?」という疑問が湧いてきます。)

この文は、最後尾のトークンと意味が繋がるように、前方の(複数の)トークンを羅列しています。最後尾のトークンは、前方の複数のトークンと、意味的繋がりを持っています。

形容詞が名詞を修飾している場合

最後尾のトークンが名詞の場合です。
「 美味しくて赤いリンゴ 」文の場合、

  美味しい   -> リンゴ
.+)     赤い -> リンゴ
.--------------------------
  美味しく赤いリンゴ
  美味しくて赤いリンゴ

「美味しい」も「赤い」も、最後尾のトークン「リンゴ」と意味が繋がっています。「美味しいリンゴ」も「赤いリンゴ」も、意味のある文です。
ところが、「美味しい」と「赤い」の間には、意味の繋がりがありません。「美味しくて赤い」だけでは意味不明です。

「 私は、ペンを持つ 」も、「 美味しくて赤いリンゴ 」も、同じルールに支配されています。文は三つのトークンで構成されています。前方の二つのトークンは、最後尾のトークンと意味が繋がっています。前方のトークンは、最後尾のトークンに向かって、羅列されています。

動詞が名詞を修飾している場合

最後尾のトークンが名詞の場合です。
「 光る石 」文の場合、
  
.+) 光る -> 石
.--------------------------
  光る石

「光る」という動詞は、「石」を修飾しています。
このように名詞に繋がっている場合、文章が入れ子になっている場合の入れ子の一部を構成します。

最後尾が形容詞の文の場合( 象は鼻が長い)

最後尾のトークンが形容詞になっている文の場合です。つまり、動詞の代わりに、形容詞を使った文の場合です。
「 象は鼻が長い 」文の場合

  象は   -> 長い
.+)   鼻が -> 長い
.--------------------------
  象は鼻が長い

「象は」も「鼻が」も、最後尾のトークン「長い」と、意味が繋がっています。「象は長い」も「鼻が長い」も、意味のある文です。
ところが、「象は」と「鼻が」には、意味の繋がりがありません。「象は鼻が」だけでは意味不明です。

このような未知のルールの為、日本語では動詞を使わない文、つまり、動詞の代わりに形容詞を使った文が可能です。

構文が入れ子の場合、例1

これらの文は、入れ子にすることも可能です。

「 赤いリンゴは、美味しい 」文の場合、

[ [赤いリンゴ] は、美味しい]

と、構造が入れ子になっています。

   赤い -> リンゴ
.+) [       ]は -> 美味しい
.-------------------------------------
   赤いリンゴは、美味しい

「赤い」は、「リンゴ」と意味が繋がっています。最後尾の「美味しい」とは繋がってません。
「赤いリンゴは」のトークンは、最後尾の「美味しい」と繋がっています。

構文が入れ子の場合、例2

「 青く光る石は美しい 」文の場合、

[[ [青く光る] 石 ]は、美しい]

と、構造が二重に入れ子になっています。

   青い -> 光る
   [      ] -> 石
.+) [          ] は -> 美しい
.-------------------------------------
   青く光る石は美しい

「青い」は、動詞「光る」と意味が繋がっています。「石」とは繋がってません。
「青く光る」のトークンは、名詞「石」と繋がっています。
「青く光る石は」は、最後尾のトークン「美しい」と繋がっています。このトークンは形容詞です。
構造が、二重に入れ子になっています。
動詞の代わりに形容詞を使った文になっています。



トークンの意味的繋がり

このように、日本語はトークンの羅列によって文が構成されていますが、あるトークンが、後ろのどのトークンと(意味的に)繋がっているかが重要みたいです。文の意味を理解する規則を文法と呼ぶなら、日本語には、このような隠れた未知の文法(ルール)が存在しているように見えます。

日本語は、多くの場合、SOV構文なので、最後尾のトークンは動詞です。
「リンゴは赤い」のように、形容詞や形容動詞も最後尾に置けます。
「赤いリンゴ」のように、名詞も置けます。この用法は、構文を入れ子にする場合に、よく使われます。

でも、最後尾は、もう、その後ろにはトークンは存在していませんから、これは後ろに意味繋がりはありません。そこで収束しています。
つまり、最終的には、最後尾のトークンに意味が収束しているように見えます。日本語の多くの文は、動詞を使った文ですから、動詞の前に置かれたトークンが、最終的には、最後尾の動詞を修飾しているように見えます。
多くの日本語文では、最後尾のトークンが動詞になっている原因です。つまり、SOV構文の理由です。日本語の語順は、決して、習慣や偶然によって決まっている訳ではない。そこには、合理的で切実な理由が隠されています。

実際には、形容詞も置くことができますが、これに相当する英語の用法がないので、この用法(SOA)に関する文法は無視されています。

このようなトークンの意味的繋がりで、最後尾に置かれるトークンの品詞は、名詞、動詞、形容詞の三つがあります。もう少し詳しく調べたら、また、別のトークンも最後尾に置けるかもしれません。

  1. 日本語の文は、トークンの羅列によって構成されている。
  2. 文が意味を成す為には、各トークンの意味的繋がりが大切。前方のトークンは、後方のどれかのトークンと意味的繋がりを持っている。
  3. 文の最後尾に置けるトークンは、動詞、形容詞、名詞の三つがある。
  4. 最終的には、この最後尾のトークンと意味的繋がりを持っている。

日本語の文法は、語順で決まっていません。「語幹+文法識別詞」の構造を持ったトークンによって構成されています。このトークンの羅列によって、文が構成されています。そして、各トークンは意味的繋がりを持っています。最終的には、最後尾のトークンと意味が繋がっています。
通常は、この未知のルールに従って、トークンの羅列順番が決まっています。

この為、形式上は、動詞と形容詞を同等に扱えるように見えます。意味は別にして、形式上は区別がありません。動詞のない文も作成可能です。形容詞で終わる文も作成可能です。

これが、未知のルールに関する混乱の原因だったのかもしれません。
つまり、言語学の常識であるSVO構文とか、SOV構文といった分析は、日本語については、無意味だったと思えます。

注)形容動詞は、名詞に含めました。形容動詞も、最後尾に置くことが可能です。やはり、語尾が活用します。


なぜ、日本語はSOV構文なのか?

「なぜ、日本語は動詞が一番最後なのか?」の理由も、この未知のルールに注目すると理解できます。

日本語は、トークンを羅列して文を構成します。そして、各トークンは、後方のどれかのトークンと意味的繋がりを持っています。後方のトークンは、前方の複数のトークンと意味的繋がりを持つことが可能です。
例えば、下記の文のように。

  私は    -> 持つ
.+)   ペンを -> 持つ
.--------------------------
  私はペンを持つ。

  象は   -> 長い
.+)   鼻が -> 長い
.--------------------------
  象は鼻が長い

二つのトークンが羅列されて意味を持つ場合、後方のトークンは、動詞か形容詞です。つまり、動詞を含む文の場合、意味的修飾の為に、動詞を最後尾に配置する必要があります。
これが原因で、主語が先頭、動詞や形容詞が最後尾になっていると思われます。

日本語の語順: 主語 +?+(動詞 or 形容詞)

日本語の語順には、説明可能な合理的理由があります。



アイヌ語

大した根拠はないけど、この未知のルールについて考察していると、ふと、アイヌ語を連想してしまいます。(自分はアイヌ語を知りません。)

日本語の未知のルールは、最後尾の動詞を、前方のトークンが(意味的に)修飾しています。「前方のトークン+動詞」が意味を構成しています。この日本語の未知のルールを、更に、一歩、推し進めたら、どのような文法構造の言語になるのでしょうか?。興味があります。
アイヌ語のように、前方から膠着するタイプの膠着語になるのでしょうか?

もちろん、大した理由もない素朴な嗅覚です。

膠着語の動詞の膠着 = 前方膠着部 + 動詞 + 後方膠着部

注)日本語も膠着ですが、日本語の「助詞(文法識別詞)」は、後方から膠着しています。一方、アイヌ語やシュメール語は、前方からの膠着語です。このような膠着語を、言語学者は「抱合語」と呼んでいるみたいです。膠着語と抱合語の定義がメチャクチャです。

注)後方膠着部は、一般に活用によって変化するみたいです。
日本語の場合は、文法情報によって活用しています。語尾は、現在形、過去形、否定形、仮定形などの文法的意味によって変化します。一方、ヒッタイト語の場合は、更に主語の人称や単数複数によっても活用が変わるようです。日本語よりの活用が遥かに複雑です。後部膠着部は、(日本語のような)文法情報だけでなく、人称情報や単数複数の情報も含むみたいです。

ヒッタイト語の動詞の膠着 = 動詞 + 後方膠着部(文法情報、人称情報、単数複数情報を含む)
日本語   の動詞の膠着 = 動詞 + 後方膠着部(文法情報のみ)

8. 漢字、カタカナ、ひらがな

ことのほか重要な話です。

なぜ、現代日本語は、漢字、カタカナ、ひらがなの三種類の文字を使い分けているのか?
そこには、明確な理由が隠されています。
読み易くする為、つまり、意味の解析を容易にする為です。

日本語は構文解析をしなくても、各トークンを抽出できれば、それで文法解析は完了です。トークンの末尾の文法識別詞(助詞)を見れば、そのトークンの文法的役割が分かるからです。英語のように、語順から推測する必要がないからです。

日本人が日本語を理解している手順

日本人が日本語を理解している手順
日本人は、日本語を次の手順で理解しています。

0. 【暗黙の前提】まず、状況を思い浮かべます。
言葉の意味は、その思い浮かべている状況の中で理解しています。状況が異なれば、同じ言葉でも、違った意味に使っている場合があります。

1. トークンを抽出します。
2. 各トークンを、語幹と文法識別詞(文法属性)に分解します。
3. トークン末尾の文法識別詞から、語幹の文法的役割を決定します。

日本語を、効率的に理解するポイントは、「トークンの抽出作業」です。この作業が円滑に行えると、後は簡単です。

注)英語では、単語の並び順から、文法的役割を推測しています。いわゆる、「SVO」の語順のことです。だから、語順の入れ替えは不可能です。文法が崩壊してしまう為です。

注)「文法識別詞」のことを、日本の言語学者は「助詞」と呼んでいます。マークアップ言語では、「属性」と呼んでいます。ここでは、文法の属性を指定しているので「文法属性」になります。

トークンの抽出作業

では、日本人は、何を手掛かりにして、トークンの抽出作業を行っているのでしょうか。
各トークンを区切っているセパレーター記号は何でしょうか。
注)トークン = 語幹 + 文法識別詞 = 意味の最小単位

日本語では、文法識別詞(助詞)を「ひらがな」で記述し、これをトークンの区切り記号として使っています。

この為、語幹にひらがなを使うと、この「語幹にひらがなを使う」文のように非常に読み難くなります。トークンの抽出作業が困難となる為です。語幹に平仮名が使われている場合、(頭の中にある)単語データベースを参照し、前後の関係も考慮し、意味も考慮して最適解を見つけています。試行錯誤が必要になるので時間も掛かります。

語幹に平仮名を使った例:語幹にひらがなを使う (読み難い。)
語幹に漢字 を使った例:語幹に平仮名を使う  (読み易い。)

読み易い日本語の文を作成する原則は、下記の通りです。

  1. 語幹は漢字かカタカナを使用
  2. 語尾の文法識別詞(助詞)は「ひらがな」を使用
  3. 適時、句読点を入れる。

もし、幼児の絵本のように、全てを「ひらがな」で記述する場合、英語のように、トークンを空白で区切る必要があります。

全て「ひらがな」の場合:わたしは ぺんを もつ。 (トークンを空白で区切る)

トークン抽出に利用している情報
(トークンを区切っているセパレーター)
No情報の種類備考
1文法識別詞て に を は ... 等の助詞(文法識別詞)
「ひらがな」で表記している。
2句読点 括弧、 「 」 。
3単語の知識頭の中の言語データベースを参照して、
知っている単語は、語幹だと判断している。
4漢字、カタカナ文字種の切り替えによってトークンの抽出を容易にしている。
漢字、カタカナは語幹に使用
「ひらがな」は文法識別詞に使う傾向にあります。
文字種を使い分けると、トークンの抽出が容易になって読み易くなります。これが、日本語において三種類の文字種(漢字、カタカナ、ひらがな)が存在している理由です。
語幹は、中国由来の外来語の場合は漢字を、外国語を直接音写する場合はカタカナを使う傾向にあります。
5意味の解析文の意味を解析して、トークンの区切りを推測している。
語幹が「ひらがな」の場合は、この作業が多くなります。
日本語の場合、トークンの抽出は、文法識別詞と句読点を手掛かりにして行っています。だから、英語のように単語と単語を区切る空白は、ほとんど使いません。

幼児の絵本のように「ひらがな」だけだと、トークンの区切りが曖昧で読み辛くなります。そこで、絵本の場合、英語のように(トークン毎に)空白を入れて読み易くする工夫をしています。
例:「私はペンを持つ。」-> 「わたしは ぺんを もつ。」


なお、話し言葉(音声言語)の場合は、文字種の使い分けができないので、アクセントやイントネーション、呼吸や間を利用しているみたいです。
逆に、文字の場合、これらの情報が使えないので、三つの文字種が必要なのかも。

注)文法識別詞が、「ひらがな」で表記されている原因は、日本語の成立と密接な関係にあります。一音言葉の発達と関わっています。詳細は、「日本語の古い痕跡」を参照下さい。

注)トークン区切りのダメな例

ダメな例1:「わたし は ぺん を も つ。」

文法識別詞(助詞)は、トークンの単位ではありません。

ダメな例2:「わたしはぺんをもつ。」

全て「ひらがな」の場合、区切りが曖昧な為、トークンの抽出が非常に困難です。
改善案:「わたしは ぺんを もつ。」(幼児の絵本のように、トークンを空白で区切る。)

正しい例:「私はペンを持つ。」

三種類の文字種が使い分けられているので、トークンの抽出が容易です。
無駄な空白が無いので、表示効率も高く、読み易くなっています。

  • 使用原則1:語幹は、漢字、カタカナを使用。
  • 使用原則2:文法識別詞(助詞)は、「ひらがな」を使用。
  • 使用原則3:外来語を音写する場合、カタカナを使用。(例:ペン)

正しい例:「わたしは ぺんを もつ。」

全てを「ひらがな」で記述する場合、トークンを空白を区切ると、つまり、文法識別詞(助詞)の後ろに空白を挿入すると、トークンの抽出作業が容易になって読み易くなります。

これが、(現代日本語において、)三種類の文字種が存在している理由です。
中国由来の外来語や和製漢語は漢字を、欧米由来の外来語はカタカナを使う傾向にあります。文法識別詞(助詞)には、「ひらがな」を使っています。
平仮名が語幹の場合は、(自分の場合、)「ひらがな」のように確固で括っています。或いは、文法識別詞と語幹の間に、句読点「、」を入れています。

現代日本語の文字体系は、トークンの抽出、即ち、文法解析が正確に効率的に行えるように最適化されています。
三種類の文字を使っているので一見不合理に見えいますが、文法解析の観点では、実に合理的です。(何となく最適解に辿り着いている)集合智の素晴らしさを実感します。

日本語が三種類の文字(漢字、カタカナ、ひらがな)を使い分けている理由
理由:
トークンの抽出を容易にする為。つまり、文法解析の効率化と正確性の為。
その為に、現代日本語の文字体系は最適化されています。


漢字を捨てなくて、本当に良かったですね。非常に効率の高い文字体系になっています。もし捨てていたら、読むだけで精力を使い果たして、意味を理解する余裕が無くなってしまうところでした。危うく、(読めるけど、意味が理解できない)機能性文盲になるところでした。隣国のどこかのように。
それに、日本語も、どこかの言語も同音異義語が多いので、漢字表記しないと、意味が正しく伝わりません。

注)カタカナは、外来語を音写する目的で使っています。漢字は、この目的には使えないので。

もし、外来語を漢字で表現したい場合、(明治初期のように)それに相当する意味を持った漢字を造語しています。漢字の造語能力の高さを利用して。つまり、音ではなくて、意味を写しています。

この事情は、古代や現代の中国でも同様です。
中国の仏教経典は、サンスクリット語等のインドの言葉を、漢字に翻訳しています。明治時代と同じで、意味を漢字に翻訳しています。
漢字の仏典を読んでいると、漢字の造語能力の高さに驚かされしまいます。思わず「う~~」と唸り声が出てしまう程、的確に意味が表現されていました。翻訳者は、意味が理解出来ていたのですね。意味が理解出来ていないと、音写になるので。

なお、明治時代には、「ひらがな」の代わりにカタカナが使われていました。つまり、文法識別詞をカタカナで記述していました。その名残が、大日本国憲法に残っています。カタカナ言葉が少なかった為と思われます。
戦後に、今の表記に落ち着きました。外国の情報量が増えて、漢字化作業が追い付かなくなった為と思われます。そのまま、カタカナに音写して使う傾向が顕著になりました。もっとも、英語も事情は同じす。日本語をアルファベットに音写して、そのまま使う傾向にあります。
なお、外国語をカタカナで音写すると、文字数が多くなって、表示効率が落ち、少しだけ、読み辛くなります。例:コミュニケーション(会話 or 意思疎通 )

9. まとめ

日本語は、マークアップ言語として、文の中に(既に)文法属性が、「語幹+文法識別詞」の書式で埋め込まれています。

意味の最小単位、即ち、トークンは、「語幹+文法識別詞」です。このトークンを羅列することで、日本語の文は成り立っています。その羅列順番は、文法上は自由です。

だから、(言語学の常識である)語順や構文を無視した柔軟な表現が可能です。
文法などの形式論ではなくて、「生きる意味」、即ち、「言葉はコミュニケーションの為の手段」に注意を払う必要があります。自分の意志さえ(正しく)伝われば、結果オーライの世界です。

言葉一般の特徴

  1. 言葉はコミュニケーションの為の手段。
  2. 運用コストが最小になるように、暗黙の前提は省略される傾向にある。
  3. 言葉は使われている状況で、始めて、意味が決まる。
    意味 = 言葉+状況
  4. 言葉は、人間という動物の(不条理な)生き様を表現している。言葉に込められているのは、人間の欲望です。
    真理や実体を表現しているのではない。
    言葉 ≠(真理 or 実体)
    言葉 = 人間という動物の「生き様」 = 欲望
    人間という動物は、自己の欲望を正当化する為に、「言葉=真理」と見なし、言葉を振り回す事に一所懸命です。
    もし言葉が真理でないなら、即ち、嘘なら、いくら振り回しても、自己の欲望は正当化できません。言葉で欲望の正当化を試みている人々にとって、言葉は真理でないと困ります。

日本語の特徴

  1. マークアップ言語として、文法属性(文法識別詞)が文の中に埋め込まれている。
    複数の文法識別詞を繋げて、複雑な文法的意味も表現可能。
  2. トークンの羅列で文を構成している。
  3. トークンの省略が可能。特に、主語の省略が顕著。
  4. トークンの順番を入れ替えることが可能。
  5. トークンの羅列順番は、基本的には、SOV。
  6. トークンの羅列順番は、未知のルールに従っている。
    前方の複数のトークンが、最後尾のトークンを修飾している。
  7. 文法形式上、動詞と形容詞の違いが曖昧。同じように使える。
    (動詞を使わない)形容詞だけの文が作成可能。

日本語を構成しているルール

日本語を構成しているルールは、大雑把には三つ

  1. トークンの羅列順番に関するルール
    前方の複数のトークンが、最後尾のトークンを修飾している。
  2. マークアップ言語の書式のルール。文法属性(文法識別詞)の記述方法
    語幹の後ろに「語幹+文法識別詞」の書式で、文法属性を付着させている。
  3. 文法識別詞の語形変化(活用)のルール
    現在形、過去形、仮定形、命令形、否定形などの作り方。

注)トークンの構成単位は、「語幹 + 文法識別詞 (word + grammar-mark)」です。