2020/05/14 うつせみ

数学は、思考形式学です。
ここでは、思考部品のISO規格化を目指します。

2.2 はじめに

数学は、人間という動物が持っている思考形式を、一般化、記号化した学問です。
ここでは、その中でも、人々が注目していない相互作用の思考形式の重要性について論じています。

現代の数学は、二つの顔を持っています。ひとつは、算術としての側面です。もうひとつは、思考形式学としての側面です。

本来、数学という学問は、我々人間という動物の持っている思考形式を、紙の上に記号化した学問であると考えられます。なぜなら、算術も、そのような我々の持っている思考形式のひとつに過ぎないからです。

数学が持っている2つの顔

数学が持っている2つの顔
数学は2つの顔を持っています。算術としての顔と、思考形式学としての顔です。

歴史的には、最初、数学は、数を計算する学問として発達してきました。
ところが、現代数学は、集合論や写像論に代表されるように、数を計算するだけでなく、我々の持っている思考形式を、記号化し処理する方向へ発展してきました。

自分が一連の作業を行うにあたって、一番悩まされたのは、世の中の多くの理論が、現実と数学を区別できていないことでした。

当人の向き合っている現実と、その現実を表現し理解する為に使っている数学形式が、区別されていなくて、それが、『数学的形式が作り出している先入観』なのか、それとも、『向き合っている現実』なのかを識別するのに、非常に多くの時間を費やしてしまいました。この2つが、混然一体となって、グチャグチャになっていたのです。

そこで、ここでは、この数学を整理して、規格化し、思考作業を合理化したいと思います。

即ち、数学を思考形式学として整備し直して、その規格化された思考部品を使って、様々な分野の理論を記述して行きたいと思います。向き合っている現実と、それを理解する為に使っている思考形式を、出来るだけ、分離したいと思います。

幸いな事に、我々人間という動物は、それ程、多種多様な思考形式(思考パタン)を駆使している訳ではありません。比較的少数の思考形式をだけを、繰り返し、色々な現象を理解するのに使っています。従って、その規格化作業は比較的単純です。

もし、数学体系が、この様な思考形式学として完成されるなら、全ての分野の理論は、この数学という共通の思考部品を使って記述可能となります。

そして、ここにはじめて、学問的レベルでの産業革命が成立します。現代は、まだ研究室という名の徒弟制度のもとで、個人の勘と経験に頼って理論が作り出されているマニュファクチュアの時代です。今求められているのは、思考部品のISO規格化です。

数学で使われている思考部品を規格化します。そして、全ての自然科学の理論を、この規格化された部品を使って記述することを目指します。

向き合っている現実と、それを理解する為に使っている思考部品(数学)を分離します。

2.2.1 現代数学を支えている4つの基本概念

現代の数学は、数、群、集合、写像の4つの基本概念によって構成されていると考えられています。

2.2.2 数

数は、1,2,3,4... 等の数です。

この数という概念は、宇宙の真理ではなくて、我々人間という動物の認識の形式に依存しています。我々人間という動物は、現象を2つの概念間の相互作用として理解していると述べましたが、この認識の形式が、即ち、数の出発点です。この両端が、即ち、一個、2個の認識の基となっています。

数は、演算規則との関係で存在しています。『足し算、引き算』の計算規則からは、『整数』という数のグループが定義されます。『掛け算、割り算』からは、『少数』が定義されます。2次方程式を解く為には、『無理数』とか、『虚数』といった数の世界が広がります。
2次元以上の空間を表現する為には、『ベクトル』という数の概念が導入されています。この空間の計算規則として、マトリクス演算などがあります。

新しい演算規則が開発される毎に、新しい数の概念が広がっていきます。数は、あくまでも、人間という動物の『計算する。』という行為と結びついた存在に過ぎません。宇宙の真理とは、全く関係ありません。

数直線の連続性?

不思議なのは、『数直線の連続性』の証明です。紐と数直線の類似性から、或いは、微積分の正統性を主張する根拠として拘っているのだと思いますが、本来、『数』という概念と『連続』という概念は無関係です。『連続』という概念は、どのような演算規則と関りを持っているのでしょうか?。微積分の正当性を主張する為に必要なら、それが『連続』の数学的根拠に過ぎません。

整数だって、定義の範囲内では連続です。『1』の次は『2』です。『1』の次が『3』で、途中の『2』が欠落して、不連続になっている訳ではありません。『1』と『2』の間に、『1.1』や、『1.2』なる数が存在している事に気が付くのは、新しい演算を定義した時です。つまり、掛け算、割り算を始めた時です。新しい演算が定義されて数の世界が広がった時に、始めて、昔の数の世界が不完全だったことに気が付きます。

数の概念は、新しい演算が定義されたら、その定義に準拠して、拡張していくものです。整数、少数、実数、無理数、虚数。。。。と。『連続』は、どのような演算規則に準拠しているのでしょうか?。

数は真理ではありません。思考部品のひとつに過ぎません。言霊(ことだま)信仰ならぬ数霊(かずたま)信仰に根拠はありません。現代の数学者は、「数には宇宙の真理が隠されている筈だ。」という数霊信仰を持っています。「言葉には摩訶不思議な霊力が宿っている筈だ。言葉には魂が宿っている筈だ。」という言霊信仰と同じです。

思考の前提は、仮定より成り立っています。それは、数学とて例外ではありません。ところが、数学の世界では、思考の出発点となる仮定を、勿体ぶって、『定理』と呼んでいます。あたかも、真理であるかのような印象操作を行っています。数霊信仰の賜物です。正直に『仮定』と表現して現実と向き合えばいいのに。数学者は、コンプライアンスが欠如しています。現実から目を逸らすことは、問題をややこしくするだけです。厚化粧の年増女は嫌われます。

このような、本来、証明出来ないものを、証明出来たと錯覚している背景には、世の常として、トートロジーが隠れています。『数直線の連続性』の証明は、トートロジーの可能性が極めて大です。証明過程のどこかに、『連続』の同義語が使われていると思われます。
例えば、『切断する。』という概念は、『連続(繋がっていること)』を前提とした概念です。「切断できるから、連続だ。」と言う主張は、トートロジーです。演算行為とは関係がありません。連続しているから、その連続を切断できるのです。連続していなけれは、最初から切断されている状況ですから、わざわざ切断することは意味を成しません。

「我こそは。」と思われる方は、ぜひ、挑戦してみて下さい。『数直線の連続性の証明』のトリックを解いてみて下さい。ポイントは、次の3点です。

  1. 数は演算行為によって、その存在が定義されている。
  2. 『連続』なる概念は、どのような演算行為によって定義されているのか?
  3. 証明過程に、演算行為と関係のない概念が使われていないか?そして、それがトートロジーになっていないか?

2.2.3 群

群は、足し算や掛け算などの演算規則を一般化した概念です。

数学の分野では、『所変われば品変わる』で、色々な演算規則が現れますが、しかし、その演算規則の記述形式上の性質は非常に似ており、それらを総称して群と呼んでいます。

演算規則の記述形式上の性質は同じであり、その規則そのものを、一般化、形式化したものが『群』です。

2.2.4 集合

集合は、共通の性質を持ったものの集まりを論じる学問です。

数を数える学問とは少し毛色が異なっています。集合の考え方は、学校で教えている集合論と、数学者たちが普段使っているそれとでは、大きく異なっています。

初等教育の教科書を読み返すと、目からウロコ、その新鮮さに驚かされてしまいます。「えっ!集合って、そういう意味だったの?」と。余りにも、意外な説明に、心が少しの間、止まってしまいました。

教科書では、まず、現実世界が存在して、その現実世界を分類する手法として、集合論が教えられます。例えば、赤い服を着た人の集まりとか、帽子を被った人の集まりと言った分類手法です。当たり前ですよね。

ところが、数学者たちは、逆に、これから行なわれる数学的思考の土台、即ち、架空の思考空間を定義する手法として集合を使っています。『世界創造』の手段として、集合を使っています。まず、最初に集合を定義して、これから行う数学的思考は、この集合内で行われることを宣言しています。

既に存在している現実世界を分類する為に使うか、思考作業の為の前提条件となる数学的架空世界を定義する為に使うか、ターゲットになっている世界の捉え方が、正反対になっています。

教科書の集合論では、世界は既に存在していることを前提としていますが、数学者の集合論は、これから世界(思考空間)を作る為に、集合を利用しています。前提条件としての世界の捉え方が真逆になっていたのです。

これには、ほんと、心が止まるほど、驚かされてしまいました。向き合っている筈の現実と、それを理解する為に使っている筈の思考形式の関係が逆転していたからです。自分は、数学者と同じ先入観で捉えていました。

ここでは、時として、集合を、数学者と同じように、これから行なわれる思考作業の世界と、その思考範囲を定義する為の手法として、即ち、現実を分類する為の手法ではなくて、思考空間や架空世界と、その思考範囲を定義する為の手段として使っていきますので注意して下さい。

集合という思考形式の使われ方

使用場所前提と使われ方
教科書の集合論世界は、既に、存在している。
既に存在している現実世界を、共通の性質に基づいて分類する手法。
数学者の集合論これから、世界を作ります。
何もないところに、数学的思考空間を定義する手法、又は、思考範囲を限定する為の手法。
思考作業の前準備として、思考空間を定義する手法として使われています。

注)向き合っている筈の世界の捉え方が、真逆になっています。

2.2.5 写像

写像は、関数を一般化した概念です。

ふたつの集合間の対応関係を論じます。例えは、集合Xを、集合Yに投影する関数は、下記のように記述されます。

記述例1   y = f (x)
記述例2   f : x -> y

記述例1の場合は、数学の世界では一般に『関数』と呼ばれています。
集合間の対応関係を、演算式で定義した場合には、この記述形式が使われます。例えば、「y = x + a 」のような一次関数の場合です。

記述例2の場合は、『写像』と呼ばれています。
集合間の対応関係を抽象的に論じたい場合は、この記述形式が使われます。具体的に、演算式で定義できない抽象的な話をする場合などに使います。

これ以外に、『置換テーブル』と呼ばれている記述形式もあります。
集合間の対応関係を、集合の元ひとつひとつ列挙していく方式です。例として、置換暗号(シーザー暗号、乱数表)などがあります。シーザー暗号の場合、文字を別の文字に置き換えて、解読し辛くしています。乱数表の場合は、文字コードを乱数表に従って、別のコードに置き換えています。やり方は、原理的にはシーザー暗号と同じですが、数学的には、よりスマートになっています。

前提条件として、集合の元が離散的な場合は可能です。この場合は、このような力技で対応関係を列挙出来ます。連続している場合は、不可能です。対応関係を無限に列挙しなければいけないからです。中国のように、文字種(漢字)が大量にある場合、シーザー暗号は現実的に不可能です。その漢字全てに、置き換えを定義しなければいけないからです。日本の場合は、カタカナ(表音文字)があるので、実現は比較的容易です。ヨーロッパの場合も、アルファベット(表音文字)があるので可能です。

なお余談ですが、暗号の作り方を演算で定義した場合、算術暗号になります。
最も単純な算術暗号「y=x+a」 は、コードを、 a の値 だけシフトした暗号になります。この手法は、数字だけから構成された暗証番号をメモしたい時に使えます。暗証番号を直接メモすれば、直ぐバレますが、このように、ひと工夫すれば、解読が困難になります。単純ですが、効果は絶大です。
このような算術暗号は、理屈上は、置換暗号として、列挙で記述も可能です。その列挙のルールが算術(y=x+a)に依存しているだけです。算術暗号は、大量に存在している置換パタンの内、ある特定のルール(算術)に従った特殊な置換パタンだけを使った置換暗号の一種です。

裏を返せば、算術暗号は対応関係が算術のルールに従っているので、このルールを手掛かりにして解読できる可能性を持っています。暗号自身の中に解読の手がかりとなる元の情報の痕跡(演算ルール)が残っています。それに対して、乱数表(置換暗号)はルールが無いので、手掛かりもありません。暗号としては、解読の手がかりが無いという意味で、ワンランク上です。

この置換暗号をうまく実装することによって、運用は算術暗号程度に簡単ですが、計算によっては解読不可能な暗号を作り出すことが出来ます。もし、余裕と機会があれば、そのノウハウを公開したいと思います。暗号学者の方が唖然とするような想定外のノウハウが使われています。

なぜ、暗号は解けないのか、その数学的理由も述べます。解けない理由は簡単です。縮退して情報が失われ、不確定性が発生しているからです。縮退によって情報が失われると、失われた情報はどう足掻いても取り戻せません。8bitの情報をハッシュ関数を使って4bitに縮退させると、元の8bitの情報には戻せません。ハッシュ関数によって、4bit分の情報が失われてしまっているからです。無理に戻そうとすると、失われた4bit分の不確定性が発生してしまいます。この不確定性の為に、暗号は解読が困難になっています。暗号技術は、情報の縮退技術(暗号化)と、縮退して本来は元に戻せない筈の情報を元に戻す技術(復号化)の組み合わせです。情報量をコントロールする技術です。そして、難易度の評価も、この情報量の推移と、それによって生じる不確定性によって判断されます。

写像は、使われ方によって呼び名も変わります。あくまでも、一般的傾向ですが。

呼び名使われ方
写像集合間の対応関係を抽象的に論じたい場合、『写像』と呼ばれます。
関数集合間の対応関係を演算式で定義した場合、『関数』と呼ばれます。
置換テーブル集合間の対応関係を、いちいち列挙した場合、『置換テーブル』と呼ばれます。
前提条件として、集合は離散値で構成されていることが前提です。連続している場合、無限に列挙することは不可能な為です。
写像

写像
写像は、2つの集合間の対応関係を論じたものです。

関数記号『f』は、いわゆる人間の『投影する』とか『対応させる』という行為に対応しています。関数(写像)は、哲学的には、人間の『行為』を一般化、抽象化した概念とみなしても差し支えありません。

関数(写像)の哲学的定義: 人間の行為を一般化、抽象化した概念。

2.2.6 理論を作るときに、必要になる思考形式の種類は?

注意)この内容は不完全です。完全な内容は、まとめで再度取り上げます。

一般に、理論を作る場合は、『集合』と『写像』の概念を使えば、定性的理論の記述が可能となります。
物事を定量的に論じる場合は、『量』を扱う必要があるので、数と計算が必要になります。さらに、『』と『』の概念も必要になります。

理論構築に必要な思考部品の数

理論構築に必要な思考形式の数
物事を定性的に論ずるだけなら、『集合』と『写像』があれば、かなりの事が論じれます。
定量的に論ずる場合は、『数量』とその関係を論ずる必要があるので、『』と『』が必要になります。

注)この内容は不完全です。

2.2.7 相互作用の思考形式

相互作用の思考形式も、思考部品として必須です。

数学が思考形式学として機能する為には、数、群、集合、写像の4つの思考形式だけでは不充分だと考えています。これ以外に、人間という動物は、相互作用の思考形式も多用しています。従って、相互作用の思考形式も付加する必要があります。

相互作用の思考形式は、現代の数学者が幾何学と呼んでいるものを、抽象化した概念です。これを使えば、空間という概念を使わない全く新しい発想の幾何学体系が展開可能です。

我々人間という動物は、物事を、物と物の対立、又は、相互作用として理解しています。この思考形式は、平凡な日常生活から、哲学、物理学に至るまで、広く使われています。

その一般的な表現形式は下図のようになります。物と物との相互作用(関係)として表現されます。

相互作用の思考形式

相互作用の思考形式
人間という動物は、物事の関係を、2つの物の間で働いている相互作用と理解しています。

世俗的な例として、男と女の関係があります。
人間は、男と女の関係を、恋愛関係(恋愛相互作用)として理解しています。男と女は引き合い、男同士、女同士は反発し合います。そして、その力の強さは、心の距離と体の距離に翻弄されて、摩訶不思議な様相を呈しています。

注)もちろん、人間なので、多少の例外(?)はあります。現代のような高ストレス社会では、この「多少の例外」が無視出来なくなっています。性欲と生殖が一致しなくなっています。そして、その行き着く先は、『性欲の消失』です。残念ながら、動物の習性と宿命です。

男と女の関係

男と女の関係
男と女は引き合い、男同士、女同士は反発し合います。

この関係は、丁度、その相互作用の形式的性質が、磁石や、電気(電荷)と同じなので、しばしば、男と女の関係は、磁石に例えられます。

磁石や電荷(電磁相互作用)の関係

磁石や電荷(電磁相互作用)の関係
プラスとマイナスは引き合い、プラス同士、マイナス同士は反発し合います。

プラスとマイナスは引き合い、プラス同士、マイナス同士は、反発しあいます。本質的に異質な物同士は引き合い、同質な物同士は反発し合います。
男と女の関係が、しばしば磁石に例えられるのは、物理現象としては全く異質であるにも関わらず、それを理解する為の相互作用の思考形式の性質が、非常に、良く似ているからです。人間の頭が、いい加減な為ではありません。思考形式の類似性の為です。

現代の哲学者は、認識論を、主観と客観の対立として理解しています。やっぱり、相互作用の思考形式を使って理解しています。

現代哲学の認識論の思考形式

現代哲学の認識論の思考形式
哲学者は、認識論を主観と客観の対立と理解しています。

当人は、真理を探究しているつもりかもしれませんが、現実は、ただ単に、宿命の手のひらの上で踊っているだけです。この動物が持っている習性(相互作用の思考形式)に、無自覚に振り回されています。哲学者は、動物の性(さが)に、翻弄され過ぎです。

哲学者の習性

哲学者の習性
哲学者は、無自覚に、生物のサガ(性)に振り回されています。
自己が持っている生命としての本能と欲望に、もっと目を向けるべきです。

哲学的衝動や欲望と向き合った哲学者を見たことがありません。向き合う前に、みな、衝動に駆られて突っ走っています。それが真理を探究する道だと錯覚して。ハイデッガーがそうでした。

全ての哲学的問いは、最終的には、自己の『生きる』事との接点を求めています。「それは自分の生きる事と、どう関係しているの?」と。
でも、そんな事、生きてみないと分かりません。空想の世界に閉じ籠っていても分かりません。

マクスウェルの電磁気学は、電荷と電磁場との電磁相互作用について記述しています。

宇宙全体に比べたら、針の先程の局所場の電磁相互作用について論じています。
宇宙全体などのマクロな世界に適用した場合は、プラスの電荷とマイナスの電荷が中和されて、殆どマクロ効果は生じさせません。この為、微小空間の物理学にも関わらず、理論の破綻を自覚することは殆どありません。
なお、ミクロな現象に注目したら、支配的な相互作用となります。

マクスウェルの電磁気学の思考形式

マクスウェルの電磁気学
マクスウェルの電磁気学は、電荷と電磁場との電磁相互作用について論じた理論です。

アインシュタインの相対論は、重力現象を、物質と重力場の重力相互作用として記述しています。

重力相互作用は、電磁相互作用に比べたら遥かに力が弱い相互作用です。しかし、引力の単相のみなので、電磁相互作用のように中和されること無く加算されるだけです。この為、宇宙全体などのマクロな現象に適用した場合は、巨大な力となって、支配的な相互作用となります。

こちらも、マクスウェルの電磁気学同様に、微小空間の物理学です。しかし、マクロな現象では支配的力となりますので、銀河系全体とか、宇宙全体に適用した場合は、電磁気学と異なって、様々な不具合に直面しています。

アインシュタインの相対論(近接作用の理論)

相対論の思考形式
相対論は、物質と重力場の重力相互作用について論じた理論です。

ブラックホールなどの強い重力場の世界では、(物と場との相対性の為に)、日常の常識が通用しなくて、しかたなく、辻褄が合うように、重力場は歪んでいると解釈しています。日常の常識を、極限の物理現象に適用した為に生じてしまった弊害です。

無理に空間という概念に拘ってしまった弊害です。そのような空間と呼ばれる物理的な実在物は存在していません。我々の存在しているこの宇宙は、『時間、空間、物質』と呼ばれている実在物によって構成されている訳ではありません。それは人間という動物が持っている情報の認識された形式です。脳内部の情報の処理形式です。脳内部で、『時間、空間、物質』という価値観を使って情報が処理されているに過ぎません。

このような『物』と『場』との相互作用として記述された物理学理論を、物理学では、一般に、『場の理論』と呼んでいます。『物』と、その物を取り巻いている『近傍の場』との相互作用という意味で、又の名を、『近接作用の理論』とも呼ばれています。『場の理論』と『近接作用の理論』は、同じ意味です。

近代物理学は、『場の理論(近接作用の理論)』として記述されています。これに対して、古典物理学は、『物』と『物』との相互作用、即ち、『遠隔作用の理論』として記述されています。



今西錦司の『棲み分け理論(場の理論)』

今西錦司は、生物進化の現象を、『』と『生活の場』の相互作用と理解していました。

当人には自覚はありませんでしたが、近代物理学同様、場の理論の発想が使われていました。哲学的には、残念ですが、今西の方が、物理学者よりも、場の理論としては、優れていました。物理学者、形無しです。

ちなみに、今西の主張する『棲み分け理論』は、物理学の排他律の問題と同一でした。机の上に置いた2つのコップは、同時に同じ場所に存在することはできません。同じ場所に無理に置こうとすると、既に有るコップは、押し退けられます。排他されます。それと同じように、夫々の種は、この生活の場を共有できない。互いに排他的にしか存在できない。と主張していました。

生活の場でも、排他律が成り立っているらしいことは、非常に、興味深いことでした。このことは、生物進化を、排他律の問題として論ずることが可能なことを意味しているからです。

今西錦司の棲み分け理論

棲み分け理論
今西は、生物進化の現象を、『種』と『生活の場』との相互作用(棲み分け)と理解していました。

今西の棲み分け理論を物理学的の解釈すると、生命現象は、『生命』と『生命場』との『生命相互作用』と理解できます。
生命現象を作り出している相互作用を、『生命相互作用』と呼び、その生命相互作用から作りだされている場を、『生命場』と呼びました。重力場、電磁場からの類推です。今西の用語を使えば、『生活の場』のことです。

この『生命場』内で、排他律が成り立っています。

生命現象の物理学的解釈

生命現象の物理学的解釈
生命現象は、『生命』と、『生命場』との『生命相互作用』と理解されます。

生命にとって自己を保存(生きる)とは、生命相互作用を通して、自己と生命場との関係を一定に保ち続けることを意味しています。
例えば、動物は自己にとって最適な温度帯に留まり続けようとします。わざわざ用もないのに、熱すぎる場所や寒すぎる場所に移動して、自己を危険に晒すことはありません。自己を取り巻く近傍の場との関係が、自己保存に都合が良くなるように行動します。

『生命場(生活の場)』は、温度や水などの物理環境』と、食物連鎖に代表される他の生物たちとの関わり合いによって構成される生物環境』の2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間を構成します。今西は、この抽象的2次元空間を、『生活の場』と呼んでいます。「この抽象的2次元空間内で、種は互いに排他的に存在している。」、つまり、「2つの種が、同時に同じ生活の場を共有することはない。互いに生活の場を棲み分けている。」と主張します。

思考形式上は、生命現象は、この生命場(生活の場)の様々な変動に対する自己保存系の振る舞いとして記述可能です。つまり、制御工学の理論を使って記述可能です。

生活の場と棲み分け

生活の場と棲み分け
生命が存在している場は、『物理環境』と、『生物環境』の2つより構成されます。つまり、数学的には、2つの独立変数から構成された2次元空間を形成します。

この生命場(生活の場)内で、種は互いに排他的に存在している。棲み分けている。」と、今西は主張しています。

生命現象は、この生命場の変動に対する自己保存系の振る舞いです。

なお、現代の正統派進化論は間違っています。いや、正しいとか間違っているとか以前の問題です。これは、自然科学の理論ではありません。疑似科学です。関わるだけ時間の無駄です。

これに代わる新しい進化論は、こちらを参照下さい。今西の発想を参考にして、生命現象そのものを理解しています。物理学と生物学を統合する準備を行っています。そして、生命現象の一部として、生物進化を論じています。



遠隔作用の理論と近接作用の理論

物理学理論は、相互作用の記述形式で分類すれば、2種類存在しています。

物と物と相互作用を論じた『遠隔作用の理論』と、物と場との相互作用を論じた『近接作用の理論』です。

古典物理学は遠隔作用の理論が多く、近代物理学は、近接作用の理論が多くなっています。近接作用の理論は、別名、『場の理論』とも呼ばれています。

遠隔作用の理論は、遠く離れた『』と『』の相互作用を論じます。その代表が、『ニュートン力学』です。
ニュートン力学では、リンゴと地球、或いは、地球と太陽のように、遠く離れた物と物の間に働く重力相互作用(万有引力)について論じています。

ニュートン力学の思考形式

ニュートン力学の形式
ニュートン力学は、遠く離れた物同士の間で働いている重力相互作用(万有引力)について論じています。
ニュートンのリンゴ

ニュートンのリンゴ
ニュートンはリンゴと地球が引き合っていること、即ち、リンゴが落ちることから、力学を思いつきました。

近接作用の理論は、『』とその物を取り巻いている『近傍の場』との相互作用を論じます。その代表が、『マクスウェルの電磁気学』や、『アインシュタインの相対論』です。今西錦司の『棲み分け理論』も近接作用の理論(場の理論)です。

マクスウェルの電磁気学の思考形式

マクスウェルの電磁気学
マクスウェルの電磁気学は、電荷と、その電荷を取り巻いている近傍の電磁場との電磁相互作用について論じています。
アインシュタインの相対論(近接作用の理論)

相対論の思考形式
相対論は、物質と、その物質を取り巻いている近傍の重力場との重力相互作用について論じています。
今西錦司の棲み分け理論

棲み分け理論
今西は、生物進化の現象を、『種』と、それを取り巻いている近傍の『生活の場』との相互作用(棲み分け)と理解していました。

【物の性質】

物の性質は、他の物との関わりによって、始めて発現します。

他の物との関わりを無視した絶対的な物の性質というものは存在しません。関わりが無ければ、現象も生じないからです。現象が生じなければ、物の性質も発現しません。

相手が変れば、その関わりも変わりますから、そこから発現する現象も異なってきます。即ち、相互作用が物の性質を決めています。
原子論の先入観への拘りを捨てることを希望します。

相互作用の思考形式を、論理の出発点に持ってくると、物の性質の背景が明らかとなって、現象全体の見通しが非常に良くなります。

2.2.8 相互作用の思考形式の数学での位置づけ

相互作用の思考形式は、現代の数学者が幾何学と呼んでいるものを、抽象化した概念です。

相互作用の思考形式は、上で述べたように、現象を記述する為には必須です。思考作業の出発点です。この相互作用の思考形式を使って、現象の枠組みを記述すると、それ以後の作業が、非常に見通しがよくなります。現象の骨格が解り易くなります。

この相互作用の思考形式は、現代の数学者の方々が、幾何学(空間)と呼んでいるものを、一般化、抽象化した概念です。ユークリッド幾何学でもない、非ユークリッド幾何学でもない、位相幾何学でもない、空間という概念を使わない全く新しい発想の幾何学体系を構築可能です。厳密な論理を展開した場合、位相幾何学と内容が重複する場合も結構あります。

たとえば、地図の4色問題や、それを3次元に拡張したシャボン玉の5色問題とでも呼ぶべき問題も論ずることが可能です。そして、それらが、全て、物理学者が、排他律、即ち、排他性原理と呼んでいる問題と同一であることが理解できます。地図の4色問題は、物理学的には、排他律の問題です。

相互作用の思考形式と排他律は、表裏一体の関係にあります。と言うよりは、一枚のコインの裏と表の関係です。同じものが、見る方向によって、違って見えているに過ぎません。

この新しい幾何学は、数学者の方々にとっては、受け入れがたい主張だと思います。なぜなら、幾何学とは、空間の性質を研究する学問だからです。この新しい幾何学体系は、その空間という概念を使わないで、幾何学体系を構築するので、根底から、その前提を覆してしまいます。

新しい幾何学の定義 :相互作用の思考形式を論理的に展開したもの。
注)空間という概念は、その特殊な例である。



なぜ、『空間』を使わない幾何学体系が必要か?

このような空間という概念を使わない幾何学体系が必要になるのは、物理現象を、『時間、空間、物質』という概念を使わないで記述していく必要がある為です。

現代の物理学者は、物理現象を、『時間、空間、物質』という概念を使って記述しています。このような思考の枠組みで理解しています。そして、それらは、物理的実在物だと信じています。我々の存在しているこの宇宙は、『時間、空間、物質』という実在物で構成されていると思っています。

ところが、それらは実在物ではありません。『時間、空間、物質』は存在する実体ではありません。我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。

我々は生きる為に、外界を知覚しなければいけませんが、『時間、空間、物質』という形式は、その現象の認識された形式です。現象の構成形式でありません。我々人間という動物は、このような形式を使って、現象を認識しているに過ぎません。それは、脳が持っている情報処理の形式です。

現象の真の姿は不可知です。外界を知覚した瞬間に、それは、パルス信号に変換されています。脳に流入しているのは、感覚器官で発生した電気信号です。つまり、我々は、知覚された範囲内においてしか、物事を理解することができません。この認識の形式は、生物進化の過程で獲得されたものです。従って、それは、動物の生きるという行為とのみ結びついて、最適化されています

日常生活の範囲なら、感じたまま行動しても、それで、不都合を感じることはありません。実際、眼の前のコップを、何の疑いもなく、手で確実に掴むことが出来ます。動物進化5億年の実績によって、最適化されているからです。

目の前のコップを手で掴めるのは、コップがそこに実在しているからではありません。脳が最適な制御システムを構成しているからです。実在性の証明ではなくて、最適化の証明です。
信じたくない気持ちは分かりますが。。。。

この為、日常生活の範囲内の物理学だったら、素朴な唯物論を使って、物理現象を記述しても、問題になることはありませんでした。『時間、空間、物質』を、実在物だと見なしても差支えありませんでした。

ところが、現代物理学のように、平凡な日常から大きく乖離した物理現象を扱うようになってくると、多くの不具合が生じてしまいました。その日常生活の最適性の範囲を超えてしまうからです。

原子よりも、遥かに小さな素粒子の世界とか、太陽系よりも遥かに広大な銀河系とか、その銀河の集団で構成された宇宙全体とかは、今までの動物進化5億年の中では経験してこなかった世界です。従って、最適化もされていません。だから、日常世界を延長して、理解しようとすると、多くの不具合に突き当たってしまいました。

その不具合を回避する為に、様々なテクニックが導入されてきました。ちょうど、天動説末期に、惑星の不可解な動きを理解する為に、周転円のテクニックを導入したように、相対論は時間と空間の相対性曲がった空間を主張しますし、量子力学は物質と波の二重性不確定性原理といったテクニックを導入しています。
現実は、ただ単に、「日常の常識が通用しなくなった。」に過ぎません。

もし、これ以上、物理学を発展させようとしたら、生物の宿命を乗り越えていく必要があります。自らの宿命とサガ(性)に向き合い、空間という概念を使わない幾何学体系を構築し、それを使って物理現象を記述していく必要があります。

相互作用の思考形式を使えば、そのような空間という概念を使わない幾何学体系と、新しい物理学が展開可能です。現在、その基礎となる思考モデルを準備中です。
「物理量が不連続なのは、我々の存在しているこの宇宙が有限な為、即ち、宇宙の有限性が物理量の不連続性に現われている。」「有限な宇宙が、様々な見かけ上のマクロ効果を生み出している。」とか、「なぜ、空間の次元は3次元なのか?」などを論じる予定です。

あっ!、その前に、大切な事があります。
不用意に、『時間、空間、物質』の否定された状態は、想像しないで下さい。
死の恐怖の虜になります。

現代の哲学レベルでは、このストレスには耐えれません。これに耐える為には、空の哲学が必要です。

2.2.9 理論構築に必要な思考形式 まとめ

理論を構築する為には、相互作用の思考形式も必要です。

理論を構築するのに、必要な思考形式(思考部品)は、纏めると下図のようになります。定性的レベルだと、集合写像相互作用の3つが必要です。定量的レベルだと、数量を計算する必要があるので、さらに2つ追加して、も必要です。

理論を構成する思考部品について

理論を構成する思考部品
定性的理論を作る為には、集合写像相互作用の3つの思考部品が必要です。
定量的理論を作る為には、量を表現する為に、の2つの思考部品を追加する必要があります。

なお、相互作用の思考形式は、現代の数学者が、『幾何学』と呼んでいるものを抽象化した概念です。

【数学の定義】

数学は思考形式学である。

人間が持っている思考パタンを、記号化したものである。
従って、もし、これが完備されたら、全ての理論は、この共通部品を使って記述可能になる。即ち、思考部品の規格化と共通化が可能になる。
(思考部品のISO規格化)

注)相互作用の思考形式も、人間という動物が持っている重要な思考形式のひとつです。幾何学の構築には欠かせません。

ここで述べる理論は、全て、定性的レベルであって、定量的レベルには達していません。従って、使用する思考形式は、『集合+写像+相互作用』の3種のみです。

できるだけ、論じようとしている現実と、その現実を理解する為に使用している思考形式を分離したいと思います。そのように、心がけて、論理を展開していきたいと思います。

2.2.10 理論を作るという行為の数学的表現

さっそく、『自然科学の理論を作る』という人間の行為を、上で述べた思考部品を使って表現してみます。ここで使用する思考部品は、集合と写像の2つです。

『自然科学の理論を作る』という人間の行為は、物理現象の数学的形式への投影であると理解されます。従って、集合と写像(関数)の思考形式を使って表現すれば、次のように記述されます。
言葉で表現した例と、数学らしく記号で表現した例を列挙します。

自然科学の理論を作るという行為の関数表現

表現の種類表現式
写像を言葉で表現理論:現実 -> 数学的形式 への投影
関数を言葉で表現数学的形式 = 理論(現実)
関数を記号で表現y =f(x)
y :数学的思考形式
x :現実{物理現象}
f :理論{投影するという人間の行為}

物理学の場合は、大雑把には、物理現象の幾何学体系への投影であると理解されます。実際の認識論は、もう少し複雑になりますが。

物理学の理論を作る行為

理論を作る行為
物理学理論を作るという人間の行為は、形式的には、物理現象を数学的形式へ投影する行為を意味しています。

ニュートン力学は、物の運動を、ユークリッド幾何学に投影したものです。

ニュートン力学の思考形式

ニュートン力学の思考形式
ニュートン力学は、物理現象のユークリッド幾何学への投影です。

アインシュタインの相対論は、非ユークリッド幾何学に投影したものです。

アインシュタインの相対論の思考形式

アインシュタインの相対論の思考形式
アインシュタインの相対論は、物理現象の非ユークリッド幾何学への投影です。

これ以上、物理学を発展させる為には、日常への拘りを捨て、物理現象を、空間という概念を使わない、全く新しい発想の幾何学に投影する必要があります。その発想のヒントは、相互作用の思考形式にあります。相互作用の思考形式を使えば、『空間』という概念を使わない新しい幾何学体系の構築が可能です。扱える問題は、位相幾何学と重複する部分が結構あります。

新しい物理学の思考形式

新しい物理学の思考形式
現代の物理学が突き当たっている壁を乗り越える為には、『空間』という概念を使わない新しい発想の幾何学体系に投影する必要があります。

新しい認識論の枠組み

なお、このようにして作成した物理学理論は、このままでは、人間には理解できませんから、これを人間の理解できる形式に翻訳する必要があります。平たく言えば、全く新しい発想の認識論の枠組みが必要となります。

我々は、物理現象を認識した結果、意識された世界(『時間、空間、物質』の世界)を作り出しています。
一方、物理学理論は、物理現象の数学的形式への投影です。

古典物理学のように、日常生活と密着したレベルの物理現象を扱う場合、物理現象を、直接『時間、空間、物質』という意識知覚された世界(情報処理の形式)に投影すれば充分でした。物理現象と、それを記述する数学的形式、意識知覚された世界を同一視しても問題ありませんでした。

ところが、近代物理学のように、日常生活と遥かに乖離した物理現象を扱うようになると、単純に『時間、空間、物質』に投影しても、うまく理解出来なくなってしまいました。多くの不具合が発生してしまいました。

このような不具合を克服する為には、新しい認識論の枠組みが必要になりました。

物理現象』とそれを理解する『数学的形式』、そして、『意識知覚された世界(情報処理の形式)』を、明示的に分別して、『数学的形式』から、『意識知覚された世界』への翻訳(投影)作業が必要になりました。

理論と認識の新しい枠組み

理論と認識の新しい枠組み
事象は、物理現象界数学的形式意識知覚された世界の3つより構成されます。
意識知覚された世界は、『時間、空間、物質』という枠組みから構成されています。

理論を作る行為は、物理現象の数学的形式への投影です。
認識行為は、物理現象から意識知覚された世界を作り出す行為です。

数学的形式と意識知覚された世界が大きく異なっている場合、数学的形式から意識知覚された世界への翻訳作業が必要になります。

注)物理学において、このような認識論の枠組みが必要なかったのは、意識知覚された世界と数学的形式を同一視していた為です。つまり、日常生活の範囲内の物理現象を扱ってきたからです。
しかし、日常から大きく乖離した物理現象を扱う現代の相対論や量子力学の場合は、辻褄が合わなくなってきています。この為、『時間と空間の相対性』や 『 物質と波の二重性』などの極めて不可解でテクニカルな概念を導入して強引に理解しています。『時間、空間、物質』という認識された形式が、そのままでは通用しない限界の為です。

意識知覚された世界の構成形式

意識知覚された世界は、『自己、時間、空間、物質』の4つの要素から構成されます。
我々動物は、下図のような枠組みで物理現象を理解しています。脳が持っている動物進化5億年の実績に裏打ちされた情報処理の形式です。

これらは、価値観としての構造を持っています。それ故、相対性を持っています。例えば、『時間』と『空間』の相対性のように。相対論が主張するように、『時間』と『空間』が相対性を持つのは、これらが、価値観を構成している為です。
物質』と『時空』も、価値観ゆえに相対性を持っているようです。『質量』は『エネルギー(位置と速度の変化)』に転換されます。

意識知覚された世界の構成形式

意識知覚された世界の構造
意識知覚している世界(情報処理の形式)は、『自己、時間、空間、物質』の4つの要素から構成されます。
自己は、幾何学的には、座標原点を意味します。

この構成形式は、犬などの脊椎動物と基本的に共通です。
それゆえ、人間と犬の間で共通のゲーム(鬼ごっこ)が成り立ちます。

演劇は、(観客(自己)の目から見て)舞台の上で、役者が演じています。物理学は、(座標原点を中心として)時空の入れ物の中で、物質が動き回っています。
通常、自己(座標原点)は、デフォルトなので、思考過程から省略されています。

自己は演劇を楽しんでいる観客自身を意味してます。幾何学的には座標原点を意味しています。時間と空間は舞台(入れ物)を意味しています。物質は、その入れ物の中で演じている役者を意味しています。犬や人間などの動物は、こうのような思考の枠組みで、物事を理解しています。それ故、犬と人間は、共通のゲーム(鬼ごっこ)を楽しむことが出来ます。
共通の先祖と、同じ進化の歴史を持っているからです。

演劇の世界と物理学の世界の対応

物理学の世界演劇の世界
座標原点観客(自己)
時間、空間舞台(入れ物)
物質役者

各種物理学理論と投影している幾何学体系の関係を一覧表に纏めます。

理論と投影

理論投影元投影先
ニュートン力学ものの運動ユークリッド幾何学 へ投影
アインシュタインの相対論ものの運動非ユークリッド幾何学 へ投影
新しい物理学物理現象空間という概念を使わない新しい幾何学体系へ投影

現在、数学的形式から、意識知覚された世界への翻訳作業を行っています。でも、まだ、目途は立っていません。問題の洗い出しを行っているところです。多方面から、様々な可能性を試しています。少しづつ、もつれた糸が解れてきました。