2019/07/22 うつせみ

そもそも、意識とは、いったい何でしょうか。
その物理的存在さえ確認されていない意識は未知の存在です。

フロイトは、『夢判断』の中で、「意識は、心的性質を知覚するための感覚器官である。」と述べています。このフロイトの言葉の中に、自分が体験してきた不可思議な世界の謎を解く手掛かりが、隠されていることに気が付きました。

これから述べる内容は、この意識感覚器官の工学的構造と、生物学的意味についてです。
知的生命体の脳の構造の特殊性と、その宿命について触れます。

なお、この内容は、現代の科学文明を根底から覆します。

1. はじめに

意識は、フロイトも述べているように、感覚器官の一種です。我々にとって、『意識する。』とは、意識感覚器官で知覚することを意味しています。

この特殊な感覚器官は、脳内部に新しい制御システム系を構成していました。即ち、我々知的生命体の脳は、2組の独立した制御システム系より構成されていました。この特殊な構造が、いい意味でも、悪い意味でも、人間性の根源でした。

知的生命体の脳は、2組の独立した制御システム系より構成されている。

第一システム

動物にとって、脳は、本来、この肉体の生存と行動を支える為の制御システム系です。それ以上の意味も、それ以下の意味もありません。心の宿っている場所でもありません。もちろん、神様の宿っている場所でもありません。冷たいようですが。

この制御システム系は、眼、耳、鼻、舌、身の5種類の感覚器官(センサー)と、脳、運動器官より構成されています。この原則は、虫などの下等な動物も、我々人間も変わりません。
この全ての動物に共通した制御システム系を、フロイトに倣って、第一システムと呼ぶことにします。
この第一システムは、肉体の生存と行動を支えています。感覚器官は、五感より構成されています。

脳が構成する制御システム

脳の基本的構造
全ての動物が持っている共通の基本構造です。

脳が属している制御システム系は、脳、感覚器官、運動器官、環境の4つの要素から構成されます。感覚器官は、眼耳鼻舌身の5感から構成されています。

この4つの要素は、作用が循環しています。この作用の循環が、フィードバック制御システムを構成しています。その制御目的は、この肉体の生存と行動を支える為です。

第二システム

我々知的生命体は、これ以外に、もう一組、意識感覚器官から構成された制御システム系を持っていることに気が付きました。この意識感覚器官から構成された新しい制御システム系が、良い意味でも、悪い意味でも、知的生命体を特徴づけていることに気が付きました。

この新しい制御システム系を、フロイトに倣って、第二システムと呼ぶことにします。

この第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。我々人間にとって、『考える行為』は、この第二システム(意識器官)を使ったを肉体の架空行動を意味しています。我々は、未知の状況に直面した場合、意識器官を使った架空行動によって新しいプログラムを作り出して、それが完成したら、それを使って、実際の肉体的行動を起こしています。この過程を、世間では『考えてから行動する』と呼んでいます。

判り易い表現を使えば、意識器官はシミュレーションシステムです。このシミュレーション(架空の試行錯誤=考える行為)によって、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。このシステムの入力装置は、意識感覚器官より構成されています。

意識器官は、肉体の架空行動(考える行為)を制御しています。

意識が加わった制御システム

意識が加わった制御システム
知的生命体特有の構造です。
二組の独立した制御システム系より構成されます。

意識は、自己の心的システム(脳)を知覚対象とした感覚器官の一種です。

その知覚結果は処理されて、また、自己の心的システムに還流します。この循環が、架空行動の為の制御システム系を構成します。
早い話が、意識器官はシミュレーションシステムです。意識器官を使った考える行為(シミュレーション)は、基本的には、肉体の架空行動を意味しています。この考える行為(シミュレーション)によって、我々人間は未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。

意識器官の内部には、現実の環境に対応した架空の環境(シミュレーションの為の架空場=仮想現実)が作り出されています。我々知的生命体は、この架空環境(仮想現実)を意識感覚器官の知覚対象としています。
おそらく、大脳前頭葉が、この架空環境(仮想現実)を作り出している場所です。大脳は溝(中心溝)を境に前と後ろで対称性を持っています。後ろが現実の環境に対応し、前が架空の環境(≒意識された行動)に対応しているものと思われます。

【2つの制御システムの構成】

システム名目的依存する感覚器官該当する動物
第一システム肉体の現実行動を制御五感(眼耳鼻舌体)全ての動物
第二システム肉体の架空行動を制御意識感覚器官人間や象、イルカ

我々人間にとって、『意識する。』とは、意識感覚器官で知覚することを意味しています。その知覚対象は、脳内部の事象です。それは、夢を思い出して頂けると理解出来ると思います。夢見ている時、瞼は閉じている訳ですから、それは、外からの情報ではありません。脳内部に作り出された架空の事象です。
夢のとき、意識知覚している事象は、ほぼ純粋な脳内部の事象です。

考える。』とは、生物学的には意識器官(第二システム)を使った肉体の架空行動を意味しています。
分かり易い表現を使うなら、意識器官は、 シミュレーターです。人間は、未知の状況に直面した場合、まず、意識器官を使ったシミュレーション(肉体の架空の試行錯誤)によって、その状況に対応する為の新しいプログラムを作り出します。そして、それが完成したら、それを使って、実際の肉体的行動を生じさせています。この一連の行動を、世間では、『考えてから、行動する。』と、呼んでいます。
第二システム(意識)を使ってプログラムを作成し、第一システム(肉体)を駆動しています。

我々知的生命体の脳は、シミュレーター(意識器官)を搭載した2重構造になっています。脳内部にシミュレーションの場、即ち、意識の知覚対象の世界を作り出しています。今流行りの言葉を使えば、仮想現実の世界です。外部感覚器官からの信号は、一旦、架空環境(仮想現実)にマッピングされ、そこで、シミュレーション(考える行為)が行われています。
現実のコンピュータ処理でも、一旦、抽象化して仮想空間にマッピングし処理を行っています。例えば、このホームページを支えているインターネットプロトコル(IP)での通信も、抽象化とその階層構造の上に成り立っています。

我々は、仮想現実の中で、シミュレーション、即ち、架空の試行錯誤を繰り返しています。それが、意識器官を使った思考の正体です。

哲学者にとって観念的存在でしかなかった意識は、実は、工学的には明確な実在的意味を持っています。即ち、シミュレーターです。意識知覚している世界は、脳内部に作り出されたシミュレーションの為の架空空間、即ち、仮想現実の世界です。このような意識知覚している仮想現実の世界は、古来の言葉を使えばゆめ、うつつ、まぼろしの3つが存在しています。

【感覚器官と、その知覚対象】

感覚器官知覚対象感覚器官が属しているシステムの働きや役割
五感(眼耳鼻舌体)外界、肉体等肉体の生存と行動を支える為の制御システム系の一部です。
五感によって、肉体の状態や、自分の置かれている環境の状態を知覚しています。
意識感覚器官脳内部の事象意識器官は、肉体の架空行動を制御しています。即ち、 シミュレーターです。
意識感覚器官は、シミュレーションの場、即ち、仮想現実の世界を知覚対象としています。

意識知覚している3つの架空世界

意識体験の世界備考
うつつ(現)体験通常の覚醒時の体験です。
意識知覚している世界は、外部感覚器官からの信号で作り出されています。
外部世界と仮想現実の世界は、ほぼ、対応関係にあります。
ゆめ(夢)体験夜、睡眠中に体験します。
瞼は閉じているので、外部からの信号で作り出された世界ではありません。
心の中で蠢いている様々な満たされない欲望から作り出されています。
まぼろし(幻)体験死後幻覚とか、臨死体験、お迎え現象、金縛りと呼ばれています。
現代では、まだ、現象の存在自体が認められていません。
原因も解りません。当然、心理学も確立されていません。

意識器官のメリットとデメリット

この特殊な構造は、人間に様々なメリットデメリット をもたらしています。

その最大のデメリットは、死の恐怖です。

意識と、意識が作り出している仮想現実の世界は、死と共に消滅します。夢で薄々は気が付いていたことですが、自分自身の肉体だけでなく、意識知覚してる世界も、死と同時に消滅するのです。この実在していると思い込んでいた意識世界そのものが消滅するのです。たとえ肉体は消滅したとしても、この世界だけは残ると思い込んでいた『その世界』も生滅してしまうのです。その消滅への本能的恐怖です。肉体の消滅への恐怖だけではありません。
我々は、唯物論の先入観から、知覚しているものは実在物だと思い込んでいます。意識知覚している世界も、意識が知覚できているので実在物だと思い込んでいます。しかし、それは、物理的には脳内部の信号空間に過ぎません。

生によって押し寄せた波が、引き際に全てを持ち去るように、死は全てを持ち去ってしまいます。
自分も、そして、自分の存在していた『この世界』も、生によって生み出されたもの全てを、何もない無の世界に引きずり込んでしまいます。意識知覚していた『この世界』そのものが、消滅してしまいます。永遠の無の世界に帰ってしまいます。
消滅するのは肉体だけではありません。(我々が存在していると思い込んでいた)意識知覚していた仮想現実の世界そのものが消滅するのです。その消滅への恐怖です。

我々は、意識器官を持ったがゆえに、常に、その消滅の恐怖、即ち、死の恐怖と背中合わせの一生を送っています。その宿命(仕様書)に翻弄されています。悲しいことに、人間は、誕生時に決められた仕様書(宿命)の範囲内の行動しか取ることができません。持って生まれた宿命(仕様書)は、ある程度、決まっています。個人の努力だけでは、如何ともし難い限界があります。残念ですが、死の恐怖を乗り越える事は、困難です。常に、無の誘惑に苛まれています。勇ましいのは、口先だけです。

それでも、ここでは、仕様書(宿命)の限界に挑戦しています。

未来にむけて

なお、この結論は、現代の科学文明に根本的変革を迫ります。

意識によって作り出されている現代の科学文明は、哲学も、宗教も、思想も、科学も、全ては、所詮、意識の働きに過ぎないからです。意識知覚された範囲内の事象に過ぎないからです。その外側に広がっている筈の広大な未知の世界をカバーしていないからです。

我々は、籠の中の鳥です。籠の中しか知りません。籠の外を知りません。意識知覚された仮想現実の世界、つまり、籠の中(意識知覚された世界)以外を知りません。

意識知覚している世界の外側

意識の外側
意識知覚している世界の外側には、広大な未知の世界が広がっている筈です。
でも、我々には、それを知る術はありません。
全知全能だと思い込んでいる人間が知っているのは、意識知覚されている世界の中のみです。
我々は、知っている事しか知りません。知らない事は、知らない事自体を知りません。

現代の科学文明は、この新しい知識の前では、余りにも、素朴過ぎます。唯物論は、意識知覚している事象を、実体だと思い込んでいますが、それらは、全て、脳内部の信号空間(事象)です。実体ではありません。

根本的に、何か、大切なものが欠如しています。全てを、根底から作り直す必要があります。

ここでの最優先事項は、意識器官の全体像を把握することです。その為に、様々な方向から切り込んでいます。中には、現代科学で、まだ許されていない分野の話題も含まれています。健全な科学的常識を持っている方にとっては、抵抗があるかもしれません。

1.1 フロイトの夢判断

フロイトは、その著書『夢判断』の中で、意識について、次のように述べています。

では、我々の叙述の中で、かつては全能であり、他の全てのものを覆いかくしていた意識に対して、どんな役割が残されているのか。

それはすなわち、心的性質を知覚するためのいち感覚器官以外のものではない。我々が図式によって示そうとした試みの根本思想に従えば、我々は意識知覚を、省略記号Bw(意識)で現される特殊な一組織の独自な業績としてのみ、捉えることができる。

この組織はそのメカニックな諸性質に於て知覚諸組織Wに似ていると考えられ、それゆえ性質によって興奮させられるが、変化の痕跡を保持することができない。

つまり記憶力を持たない。知覚組織の感覚器官をもって外界に向けられている心的装置は、それ自身が意識の感覚器官にとっては外界であり、この関係にこそ意識の目的論的な存在理由がある。

出典「夢判断(上、下)」 S.フロイド著 高橋義孝、菊盛英夫訳 日本教文社

つまり、「意識は、自己の心的システムを知覚対象とした感覚器官である。眼が外界を知覚対象とした感覚器官であるように、意識は、自己の脳(心的システム)を知覚対象としている。」と述べています。

フロイト:意識は、心的性質を知覚するための感覚器官である。

世の多くの哲学者や思想家は、意識を『観念的存在』として捉えていました。でも、フロイトは、物理的存在、即ち、『感覚器官』と捉えていました。この意外な新鮮さに驚いてしまいました。

しかし、この主張は、何を意味しているのでしょうか。一見、矛盾しているように見えます。自分自身の脳を知覚対象とした感覚器官とは、いったい、何を意味しているのでしょうか。

感覚器官とは、本来、外側を向いた組織です。外界や肉体などの制御対象の状態を把握する為の器官です。制御システム内部の情報処理の状態をモニターする器官ではありません。例えば、眼の場合、眼は外界を知覚対象としており、脳は、この眼からの情報によって、肉体の行動を制御しています。脳自身から見たら、外部の状態を知覚し、制御しています。

ところが、フロイトは、「意識は、自分自身の脳を知覚対象にしている。」と主張しています。「脳が自己の脳を知覚している?」って、何を言っているのでしょうか。意味不明です。意識は、自分自身の脳の何を知覚し、何を制御しているのでしょうか。その制御対象が解りません。矛盾に満ち溢れています。

自分は、この矛盾の中に、重要な意味が隠されている事に気が付きました。

注)フロイトがこのような結論に辿り着いた原因は、コカインの為と想像しています。同様に、ゴータマが同じ結論に辿り着いたのは、苦行の為と思われます。薬物幻覚や、苦行による幻覚がヒントになっていたと思われます。反社会的で物騒な話ですね。
でも、当時は、まだコカインの危険性が認識されていませんでした。やっと、「何か変だな?」と疑われ始めた時代でした。南米のインディオの場合、コカの葉を常用していましたが、目立った副作用は見られなかったからです。精製したコカインが危険だと知らなかったのです。なお、精製したコカインの危険性は、こちらを参照下さい。

1.2 意識器官の働きを明らかにする動物実験

意識器官の働きは、次のような動物実験によって、明らかとなります。

ネズミを迷路の中に入れたら、どのように行動するでしょうか。

取りあえず、肉体を使った試行錯誤(探究反射)を繰り返します。
辺り構わず、動き回ります。この試行錯誤の繰り返しによって、偶然、迷路を抜けることに成功します。それを、何度も、何度も繰り返しているうちに、次第に、道を覚えて、最後には、迷わずに、抜けることが出来るようになります。

ネズミたちは、探究反射(試行錯誤)によって、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。

ネズミの場合

ネズミの場合
迷路に直面した場合、
ネズミは、直接、肉体を使って試行錯誤を繰り返します。


では、我々人間はどうでしょうか。

いきなりネズミと同じように、行動に移す勇ましい人もいますが、多くの方は、一旦、立ち止まって考えます。頭の中に、迷路を思い浮かべて、「あ~でもない。こ~でもない。」と、色々試行錯誤を繰り返します。そして、解決策が見つかったら、おもむろに行動に移ります。

人間は、頭の中に、架空世界を作り出して、それを意識感覚器官の知覚対象にして、思考活動を行っています。眼が外界を知覚対象としているのに対して、意識は頭の中に作り出された内なる世界を、知覚対象としています。その内なる世界の中でシミュレーションを繰り返しています。
視覚情報が思考の邪魔をするので、しばしば、人々は、目をつぶって、思いに耽っています。

或いは、迷路の地図を見ながら、目で追いかけたり、指でなぞって試行錯誤を繰り返しいるかもしれません。何れにしても、直接、体を使って歩き回ることはありません。

人間の場合

人間の場合
人間の場合、一旦、立ち止まって考えます。
即ち、頭の中で、肉体の(架空の)試行錯誤を繰り返します。



このネズミと人間の行動を比較してみて下さい。

どこかが同じで、どこかが異なっています。

驚くべきことですが、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出す原理原則は、人間もネズミも同じです。
探究反射、即ち、試行錯誤です。試行錯誤によって作り出しています。我々人間もネズミも、未知の状況に対応する為の新しいプログラムは、試行錯誤によって作り出しています。

これは、驚くべきことです。知的生命体の専売特許と思われていた思考活動が、実は原始的な探究反射に過ぎなかったからです。摩訶不思議な未知の機能を期待していたのに、それに反して、最も、原始的な機能だったのです。思考作業は 探求反射の一種に過ぎなかったのです。

新しいプログラムを作り出す原理原則は、人間もネズミも同じです。
探究反射です。

この原理原則が同じだったことは、本当に驚くべき事です。
違いよりも、この同一性に気が付いた時の方が驚きでした。この同一性こそが、『考える行為』の正体だったからです。思考とは探求反射のことでした。(ただし、架空の。。。)


でも、使う器官は、異なっています。

ネズミは、肉体を使いますが、我々は、頭を使います。

ネズミは、第一システム(肉体)を使った探究反射によって、新しいプログラムを作り出していますが、我々人間は、第二システム(頭)を使った架空の探究反射によって、新しいプログラムを作り出しています。

頭の中に、自分を想像して、実際に肉体を動かしたと想定して、あれや、これやと、試行錯誤を繰り返しています。つまり、肉体を、頭の中で架空行動させ、この架空の試行錯誤によって、未知の問題を解決する方法を見つけています。

実際の人間の能力は、もう少し、高度です。思考活動の多くは、思考の基本である肉体の架空行動の枠を超えて、自動車や、会社、国家などのように、自分の延長線上にある組織(外骨格)も動かして、様々なシミュレーションを行っています。我々は、自動車や国家などの外骨格も、頭の中で、動かすことが可能です。

抽象化された自分、即ち、数学や物理学に見られるような、高度に抽象化された概念も、動かすことができます。

未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出す手段

動物作成方法使用器官
ネズミ肉体を使った探究反射によって、作り出している。第一システムを使用
人間頭を使った架空の探究反射によって作り出している。第二システムを使用

注)ネズミも人間も、探求反射によって、新しいプログラムを作り出しています。その原理原則は、同じです。
でも、使う器官は異なっています。ネズミは肉体を使いますが、人間は、頭を使います。頭を使った肉体の架空の探求反射(シミュレーション)によって作り出しています。

1.3 第二システム(意識器官)の生物学的意味

第二システム(意識器官)は、第一システム(肉体)に対応して発生した疑似組織です。肉体の現実行動ではなくて、肉体の架空行動を制御しています。

この肉体の架空行動、即ち、『考える行為』によって、高速に探究反射を繰り返しています。この架空の探究反射によって、高速に、大量に、未知の状況に対応する為のプログラムを作り出しています。

この意識体験が、架空体験であって、その知覚対象が心の中の事象であることは、夢を思い出して頂ければ、理解し易いかと思いいます。夢の時、瞼は閉じていますから、それは、目から流入した信号ではありません。心の中に作り出された架空世界です。架空世界の中で、夢物語が演じられています。

意識知覚された世界は、脳内部に作り出された架空世界です。その中で、架空体験を味わっています。即ち、意識知覚している世界自体は、仮想現実(架空体験)の世界です。
それは夢を思い出して頂けると理解できると思います。

この仮想世界の中で、架空体験、即ち、シミュレーションが繰り返されているのが、実際の思考活動です。
それは、生物学的には、肉体の架空行動(架空の探求反射)を意味しています。

システム名目的依存する感覚器官該当する動物
第一システム肉体の現実行動を制御五感(眼耳鼻舌体)全ての動物
第二システム肉体の架空行動を制御意識感覚器官人間や象、イルカ

注)意識感覚器官は、程度の差はありますが、模倣反射が可能な高等動物は、広く持っていると思われます。カラスなどの鳥類も、持っている可能性があります。
問題は、(意識器官の正体である)模倣反射の起源を、何処まで遡れるかです。どんどん、どんどん辿っていくと、魚の群れ行動に辿り着きます。魚の群れを模倣反射と呼べるかどうかは微妙ですが、少なくとも、そこに、原型を見出すことは可能です。視覚情報で、他の個体の行動に追随(模倣?)しています。

昼間の覚醒時の体験、即ち、日常のうつつ体験の世界では、外部感覚器官で捉えている世界と、意識知覚している事象は、ほぼ、対応関係にあります。だから、意識知覚している仮想現実を、実際の現実と見なしても、それ程、不都合は生じません。「我々は、実体を認識している。」という唯物論的迷信と先入観を信じても問題ありません。実際にも、眼の前のコップは、何の疑いもなく掴むことができます。制御システム(脳)が、動物進化5億年の実績に裏打ちされ、最適化されているからです。入力に対する出力が最適化されて、不都合を感じさせないからです。

「コップを手で掴める。」ことは、(唯物論者が主張しているような) 実在性の証明ではありません。脳が最適な制御システムを構成していることの証明です。つまり、最適化の証明です。(実在していると) 信じたい気持ちは理解できますが。

しかし、ゆめ体験や、まぼろし体験の場合は、厳密に区別する必要があります。その時、意識知覚している事象は、外部感覚器官からの信号で作り出された世界ではないからです。脳内部の欲望やテンションによって作り出された、純粋に架空の事象だからです。現実に基づかない事象です。本来の意味での仮想現実の世界です。その仮想現実を作り出している真の情報が、何処から来ているのか、非常に興味のある問題です。

もうひとつ、問題になるのが、現代物理学です。

現代物理学は、日常生活と遥かにかけ離れた物理現象を扱うようになってきました。この為、意識知覚している様々な物理概念を、唯物論のように存在する実体とは見なせなくなってきました。

ニュートン力学のような古典物理学では、日常生活と近い物理現象を扱ってきたので、意識知覚している物理概念を、実際に実在している実体と見なしても、それ程、問題になることはありませんでした。
ところが、現代物理学のように、日常生活と遥かにかけ離れた物理現象を扱うようになってくると、様々な不都合が生じてしまいました。量子力学や相対論が直面している物理現象は、我々の日常生活と遥かに隔たっているので、素朴な常識が通用しなくなりました。

具体的には、時間も空間も物質も、存在する実体ではありません。我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。これらは、全て、意識の知覚対象です。動物進化5億年の実績に裏打ちされた脳内部の情報処理の形式です。存在する実体ではありません。

だから、人間という動物の日常生活の範囲内の物理現象なら、これ(『時間、空間、物質』という認識と思考の枠組み)で、うまく理解できましたが、日常と遥かにかけ離れた物理現象を扱う現代物理学では、様々な弊害が生じてしまいました。

その弊害を克服する為に、『時間と空間の相対性』とか、『物質と波の2重性』などの直観に著しく反した複雑怪奇な概念を導入して、無理矢理、理解してきました。でも、だんだん、訳が判らなくなってきました。『時間、空間、物質』という思考の枠組みそのものが『日常生活から作り出された架空概念』だったからです。その日常性が通用しない極限の物理現象と向き合っているからです。
この枠組みに囚われている限り、複雑怪奇な迷路から抜け出すことが出来ません。

このような複雑怪奇な混乱は、天動説末期の『周転円』を連想させます。これも、絶対的基準である『地球』に拘った為に生じた混乱と、それを解決する為のテクニックでした。

時間空間物質』は、存在する実体ではありません。
我々の存在しているこの宇宙は、このような実在物によって構成されている訳ではありません。
これは、脳内部の情報処理の形式です。
即ち、仮想現実の構成形式です。

意識知覚している世界の外側

意識の外側
時間、空間、物質』は、意識知覚された世界の構成形式です。

外側の構成形式ではありません。つまり、我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。

日常の身近な物理現象なら、動物進化5億年の実績によって最適化されているので、この形式を使って理解しても支障が生じません。しかし、日常と遥かに隔たった現代物理学の世界を理解しようとすると、様々な弊害に突き当たってしまいます。

動物が体験したことの無い未知の世界だからです。脳の情報処理が対応していません。

我々の日常と遥かにかけ離れた極限の物理現象を記述する為には、過去の誰もが挑戦したことのない、全く新しい発想の物理学が必要になってきました。『時間、空間、物質』という物理概念を使わないで、物理現象を記述する必要に迫られました。幾何学体系も、『空間』という概念を使わない、(数学者が想像した事も無い)全く新しい発想の幾何学体系を構築する必要に迫られました。

ここで述べている内容は、この新しい発想の物理学と幾何学を構築する為の作業の一部です。まず最初に、認識論と哲学の基礎を整備しています。哲学的空想に陥らない為に、現実に目を向け、知的生命体の脳の構造の特殊性を解析しています。

この内容が、現代科学の常識に反して異常なのも、これが原因です。立ちはだかっている大きな壁を乗り越える為に、変革の作業規模も大きくなりました。別に奇をてらっている訳ではありません。必要だからリスクを冒しているだけです。

自分にとって、深刻で切実な問題は、この計画を実行する為に必要な知識や情報が、現代では、まだ、ほとんど蓄積されていないことです。まだ、少し時代的に早過ぎるみたいです。

この為、その実行手段も含めて、結構、荒っぽい作業になっています。様々な基本的な思考の為の道具(基礎理論)さえも、全てが、一から、手作りです。しかも、その内容は、現代では、まだ受け入れて頂ける準備が出来ていない突拍子もないものばかりです。

新しい幾何学と物理学については、問題解決のヒントになる思考モデルを作るのが、精一杯です。その前段階の作業が、当初の予想に反して、膨大過ぎて、とても、そこまで、辿り着けません。

注)ここでは戦略的目的に従って、現象の全体像を明らかにすることを優先しています。戦術的に学問的シキタリに従った手段は取っていません。
短期的には、シキタリを無視した突拍子もない内容なので、受け入れて頂けなくて賛同を得ることは出来ませんが、長期的に、だんだん、その効果を発揮します。最終的には、目標に辿り着く最も早い近道です。
要は、未来に対する明確な見通しを準備することです。目先の学問的シキタリは犠牲にしても。

1.4 脳の生物進化

生物進化の立場から、問題を整理します。
意識器官の生物学的由来が明らかとなります。

動物の行動は、脳によってコントロールされています。
この為、脳の構造と、その行動様式の間には、非常に密接な関係があります。逆に言えば、動物は脳の構造に反した行動は取れない訳ですから、このふたつは、表裏一体の関係にあります。
この関係に注目すれば、動物の行動様式の進化を考察することによって、背後で起こっている筈の脳の構造の進化を推測することが可能となります。

その行動様式と、それを支える制御システム(脳)の構造の進化は、次のようになります。

ものと現象の区別

まず、最初にハッキリさせる必要があるのは、もの現象の区別です。

脳と環境が一体となって、制御システム系が構成されています。環境から切り離された脳だけを論じても意味がありません。あくまでも、環境との因果関係の中に組み込まれた構成要素のひとつとして、頭蓋骨の中の豆腐を、理解する必要があります。

ものの性質は、あくまでも、他のものと関連し合って始めて発現する性質だからです。現象の全体像に着目し、環境との相対関係の中で、脳と、脳が生み出している行動を理解する必要があります。

ものの性質は、他のものと関連し合って始めて発現する。

他のものと関わり合わなければ、現象も形成されませんから、従って、認識することもできません。我々は、現象を通してしか、認識することができません。我々の目も、そして物理的な測定器も、現象を通して、始めて動作します。測定器と現象の相互作用が起こらなければ、測定器は反応しません。測定器は客観的な神ではなくて、現象を構成している主観的ないち構成要素に過ぎません。

即ち、現象としての脳を理解する為には、物体としての脳と、環境の両方を含めた存在として考察する必要があります。現象系全体の因果関係に注目する必要があります。

ちなみに、現代の研究者は、唯物論の先入観から、物体としての脳しか、研究対象にしていません。メスで細かく切り刻むことが、脳を知ることだと思い込んでいます。唯物論の先入観から、『ものの性質は、そのものの中に宿っている。』と考えているからです。

この脳と環境の間で起こっている作用のフィードバック過程が制御システムを構成しています。

注)現代の工学者が使っている制御理論では、生命現象を記述できません。生物型制御原理に基づく、新しい発想が必要です。この新しい制御理論の数学的に詳細な説明は、上の行の「制御システム」のリンクをクリックしてください。生命現象全般を記述する為に、整備を急いています。

現象としての脳と、物体としての脳

現象としての脳と、物体としての脳
物体としての脳は、頭蓋骨の中の豆腐を意味します。
現象としての脳は、脳と環境の間で起っている相互作用を意味します。
環境も含めた、現象系全体の因果関係を考察の対象にする必要があります。

この相互作用は、右図のように、脳と環境の間でフィードバックしています。
この作用のフィードバック過程が、制御システム系を構成しています。

なお、五感と運動器官は、脳自身からは、外界の一部と見なされます。
脳は五感を通してしか環境の存在を知ることが出来ず、運動器官を通してしか環境に働き掛けることが出来ません。

脳の進化と行動様式の進化の関係

脳と行動様式の進化は、大ざっぱには、下図の3段階に分けることができます。

  1. 最も原始的な脳は、本能のみから構成されます。
  2. 次の段階が、本能の代用物として、学習結果が、本能の周りに、付け加わったモデルです。
  3. 最後が、意識器官を搭載した知的生命体の脳です。意識された行動を制御しています。工学的には、シミュレーターを搭載した制御システムのモデルです。
脳の進化と、行動様式の関係

脳の進化と、行動様式の関係
脳は、この肉体の生存と行動を支える為の制御システム系です。
本能的行動、学習された行動、意識された行動へと進化してきました。
この3つの段階で、夫々異なった特徴的構造を持っています。

意識感覚器官を持った人間の脳は、2組の独立した制御システムから構成されています。
第一システムは、肉体の現実行動を制御しています。五感から構成されています。
第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。意識感覚器官から構成されています。

『考える』という行為は、この第二システムを使った、肉体の架空行動を意味しています。
即ち、人間の脳は、意識器官というシミュレーターを搭載したシステムになっています。
ここに、知的生命体の秘密と、苦悩が隠されています。

この3種類の脳は、未知の状況に直面したとき、夫々、異なった振る舞いをします。
未知の状況に対応する為には、それに対応した新しいプログラムが必要ですが、その獲得方法が、夫々、異なっています。

本能的行動の脳は、新しいプログラムを獲得するのに、進化する必要があります。遺伝的に決定された事項を変更する為には、進化する以外に方法がないからです。

学習された行動の脳は、体を使った試行錯誤によって、獲得しています。即ち、体験学習が必要です。

最後の意識された行動の脳は、意識器官を使った架空の試行錯誤によって、即ち、脳内部の信号処理(シミュレーション、つまり、考える行為)によって作り出しています。

この3者は、夫々、異なった手順で、新しいプログラムを獲得しています。

1.5 本能的行動様式

本能だけに依存した動物の行動様式です。
例えるなら、昆虫たちの行動様式です。

本能的行動

本能的行動
脳は、本能のみから構成されています。
プログラムを変更するには、種のレベルでの進化が必要です。
(プログラムが、生まれながらに本能として固定されている為です。つまり、生まれ変わる必要があります。)

彼ら昆虫は、生まれながらに組み込まれたプログラム(本能)だけて生きています。
だから、環境が変化して、行動様式の変更が必要になった場合、進化する必要に迫られます。遺伝的に決定されている事項を変更する為には、進化する以外に方法がないからです。

コンピュータに例えると、ROM(Read Only Memory)のみから構成されたシステムです。
ROMは、製造段階で基盤に埋め込まれ、後で、プログラムを書き換えることができません。プログラムを書き換えたかったら、もう一度、最初から作り直す必要があります。詳細...

進化 = 姿形の変更も含め、生存形態を大きく変更すること。
進歩の意味ではない。種のレベルでの自己保存系の環境変化への適応行為 の一種です。
ちなみに、現代の正統派進化論は間違っています。自然科学の理論としての要件を満たしていません。その正体は、疑似科学です。
だから、この内容が現代の進化論と反していても、あまり、気にしないで下さい。

新しいプログラムを作り出すには、進化する必要がある。

1.6 学習された行動様式

もう少し進化すると、本能だけでなく、学習も必要なシステムになっています。本能の代用物として、本能の周りに、学習結果が付け加わったモデルです。

学習された行動

学習された行動
本能の回りに学習結果が付け加わったモデルです。
このシステムの場合、プログラムを変更するには、体を使った体験学習が必要です。
即ち、学習結果は、本能の代用物です。

動物にとって学習とは、進歩することではなくて、一人前になることを意味しています。
本能だけでは、生きる為に必要なプログラムが不足しているので、それを体験学習によって補って、一人前になっています。即ち、学習結果は、生物学的には、本能の代用物です。

学習結果は、本能の代用物です。

コンピュータに例えると、ROMだけでなく、RAM(Random access memory)も搭載したシステムです。
コンピュータを起動する為には、相変わらず、最低限必要な基本的プログラムは、ROMとして組み込んでおく必要があります。しかし、それ以上のプログラムは、RAM上に読み込まれ、実行時に、随時、書き換えられています。この為、同じコンピュータでも、ワープロや表計算等、様々な用途に使うことができるようになっています。

この事情は、生物も全く同じです。生物もコンピュータも、基本的なプログラムは、相変わらず、ROM(本能)として、製造(胚発生)段階で、ハード的に組み込まれます。しかし、実際に日常生活で使う場合は、目的に応じて(即ち、環境が変化したら)、随時プログラムを書き換え、動作を変更しています。

学習のメリットは、個体レベルで、プログラムの変更が可能になったことです。

時間的環境変化も、地理的環境変化も、個々の個体にとっては、体験学習の差にしかなりません。
この為、種の立場からみれば、種を分割することなく、しかも、進化することもなく、ひとつの種を維持したまま、多様な環境に適応可能となりました。
しかも、その対応速度も、進化に比べて、各段に高速となりました。フレキシブルな対応が可能となりました。

それとは対照的に、昆虫たちの適応戦略は、小型化、単機能化、種の細分化によるニッチ環境への適応です。哺乳類と昆虫では、遺伝子の仕組みが、かなり異なっているようです。昆虫たちは遺伝子の仕組みを高機能化することによって、哺乳類は個体の高機能化によって、環境変化へ適応しています。昆虫たちは、フレキシブルな遺伝子の仕組みを確立して、進化によって、柔軟に環境変化へ適応しているように見えます。哺乳類のような個体の大型化高機能化による適応とは対照的です。

この環境変化に対応する為のプログラムの変更が、種のレベルでの進化ではなくて、個体レベルでの体験学習によって可能になったことが、学習のメリットです。

プログラムの変更に、進化する必要が無くなったことは、画期的なことです。詳細...

なお、この段階での学習行為としては、探求反射と模倣反射があります。

探求反射は、別名、試行錯誤と呼ばれているように、実際に体を動かして、その試行錯誤によって、新しいプログラムを身に付ける行為です。最も、基本的な学習行為です。

模倣反射は、『サルの物まね』と言われるように、高等動物に見られる学習行為です。相手の行動を視覚的に観察することによって、その行動を自分でも再現することが出来ます。我々サルは、当たり前に持っている能力なので、何の疑問も感じませんが、我に返って、真面目に同等の能力をもったロボットを設計しようとしら、途方に暮れてしまう不思議な能力です。

ここでは、模倣反射が重要な意味を持っています。しかし、それに触れると、大変なことになってしまうので、省略しました。本体の思考作業では、結構、頁を割いて、真面目に、考察しています。理解して頂けるかどうかは、自信ありませんが。
これの重要性に気が付くかどうかが、知的生命体の脳を、理解できるかどうかの分かれ道になります。模倣反射こそが、意識器官の正体だからです。

新しいプログラムを作り出すには、肉体を使った体験学習が必要

1.7 意識された行動様式

進化の第三段階が、意識された行動です。
脳が2組の独立した制御システム系から構成されています。

ここで、パラダイムシフトが起っています。第一システムの代用物として、第二システムが付け加わっています。脳が2組の独立した制御システム系から構成されています。第一システムが肉体の現実行動を制御しているのに対して、第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。即ち、第二システムは第一システムの疑似組織です。

意識感覚器官は、第二システム用の入力装置(感覚器官)です。

我々人間は、未知の状況に直面した場合、いきなり行動しないで、一旦、立ち止まって考えます。頭の中に状況を思い浮かべ、あれやこれやと、試行錯誤を繰り返します。そして、問題が解決したら、その手順に従って、実際の肉体的行動を起こしています。

意識された行動

意識された行動
意識器官が加わったモデルです。
意識感覚器官は、脳内部に作り出された架空環境を知覚対象にしています。
この新しい感覚器官によって、そこに2番目のシステム、即ち、架空行動の為の制御システム系が構成されています。

知的生命体にとって、『考える』行為は、この第二システムを使った(架空環境内での)肉体の架空行動を意味しています。その目的は、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出す為です。
この架空行動で作成されたプログラムを使って、現実の肉体行動を制御しています。この一連の過程を、世間では『考えてから行動する。』と呼んでいます。

この意識器官を使った肉体の架空行動、即ち、シミュレーションを、世間では、『考える。』と呼んでいます。架空行動から現実行動に遷移する過程を、『考えてから、行動する。』と呼んでいます。

解り易い表現を使うなら、人間の脳は、シミュレーター(第二システム)を搭載した2重の制御システム系になっています。未知の状況に直面したとき、まず、第二システム(意識器官)を使ったシミュレーション(試行錯誤)によって、未知の状況に対応するプログラムを作り出します。そして完成したら、それを使って第一システムを駆動しています。即ち、架空行動でプログラムを作り出してから、実際の肉体的現実行動を起こしています。
この2重構造に、知的生命体の秘密と苦悩が隠されています。

これは、画期的なことです。プログラムの作成と変更が、本能のように進化する必要が無くなったからです。体験学習のように肉体を直接使って、身を危険に晒す必要も無くなったからです。脳内部の形式的な信号処理だけで、一瞬にして作り出せるようになったのですから、感動ものです。

そのエネルギーコストや、時間コスト、リスクの低減は、目を見張るものがあります。詳細...
ちなみに、その副作用も無視できない位に深刻です。人間の苦悩の原因は、ここに由来します。

新しいプログラムを作り出すには、脳内部の信号処理(考える)だけで可能となった。

新しいプログラムを作り出す方法

行動様式処理階層新しいプログラムの獲得方法
本能的行動様式種のレベルで、進化する必要がある。
学習された行動様式個体肉体を使った体験学習が必要。
意識された行動様式架空行動脳内部の信号処理だけで、一瞬で、作成可能になった。

注)同じ目的が、生命現象の全く異なった階層で、処理されていることは、驚くべきことです。進化を固定的に捉えることの無意味さを感じます。

注)『意識』という言葉は、現状では、意味が曖昧です。『第二システム』自体を『意識器官』と呼び、第二システム用の感覚器官(入力装置)を『意知覚』と呼べば、混乱しないかもしれません。制御システム自体と、その入力装置を、夫々、別の言葉で表現した方がいいかもしれません。現状は、同じ言葉が、2つの事象を指しています。混用されています。

1.8 意識器官の生物学的由来

このような特殊な意識器官は、元々は、模倣反射の必要性に基づいて発達した器官のようです。

模倣反射こそが、意識器官の正体です。

生物進化の上では、模倣反射の延長線上にある機能です。模倣反射が可能な動物は、その程度の差は別にして、多かれ少なかれ、意識器官を持っているものと思われます。

模倣反射と、言語学習、思考活動の工学的機構が、非常に良く似ています。
ただ単に、シミュレーター(第二システム)への情報の入力先が異なっているだけです。

模倣反射では、眼からの信号で、意識器官を駆動しています。まず、意識を集中して、対象をジッと見つめます。そして、眼からの視覚情報で、意識器官を駆動し、架空体験を生じさせ、その架空体験によって、複雑な模倣行動を学習しています。

言語学習では、耳からの信号(音声言語)で、駆動しています。同様に心を集中させ、耳からの情報で、自分を頭の中で動かし、その架空体験によって、新しい行動様式を身に付けています。
いずれも、意識器官(第二システム)を使った架空体験によって、学習結果を生み出しています。

ちなみに、文明化された現代では、音声言語だけでなく、文字言語からも可能です。視覚情報を、音声言語にすり替えて架空行動を生じさせています。子供の頃、声を出して本を読んでいたことを思い出して下さい。

思考活動では、駆動する信号を、自ら、積極的に作り出しています。それで、駆動しています。思考活動で作り出される信号は、言葉だけではありません。我々は、言葉を使わない思考も可能です。かなり集中力を要求されますが、言葉と結び付いていない全く新しい概念を作り出して、それを直接、頭の中で動かすことも可能です。数学的形式を使った思考や、マンガのようなイメージの紙芝居で思考することも可能です。

「人間は言葉を使って思考する動物である。」という固定概念に囚われると、思考の可能性を限定してしまいます。思考の限界を乗り越える為には、言葉を否定してみることも、ひとつの方法です。言葉に拘る限り、言葉が持っている先入観と過去への呪縛を乗り越えることは出来ません。言葉の本質は、過去の呪縛です。

模倣反射と、言語学習では、意識器官(第二システム)を駆動する信号が、脳外部から、即ち、外部感覚器官から与えられています。それに対して、思考活動では、その信号を脳自身が生成しています。本来の意味で、シミュレーションシステムになっています。
思考活動の場合、シミュレーションの為には、現実に関する膨大なデータが必要です。この為、巨大な脳が必要になります。一方、模倣反射の場合、駆動する情報が外部より与えられるので、その部分が不要になり、比較的低機能な脳でも実行可能となります。
意識器官が、模倣反射を基本にしていると考える理由は、ここにあります。模倣反射の想像を絶する高機能さは、『模倣反射は、意識器官を使ったシミュレーションだ。』と、見なさないと理解できません。

いづれも、意識器官を使った架空の体験学習によって、学習結果を生み出しています。模倣反射と、音声言語学習文字言語学習思考活動を区別する理由は、何処にもありません。詳細...

脳と言葉と学習プロセス

脳と言葉と学習プロセス
プログラム作成の基本は、肉体を使った探求反射です。
サルの場合、視覚情報を使った模倣反射によっても作ることができます。

模倣反射は、生物学的には、意識器官を使った架空の探求反射を意味しています。
人間の場合、視覚情報の代わりに、音声、文字、脳からの信号でも、模倣反射が可能です。

思考活動は、自己の脳で作られた信号を使った模倣反射の一種です。

以上の結果を、上のように、ひとつの図に纏めてみました。

基本は、第一システムを使った探求反射、即ち、体験学習です。

これに対応するように、第二システムを使った学習行為が発生しています。このシステムでは、意識器官を駆動する信号が何処からやってくるかによって、大きく3種類に分けられます。

最初は、視覚情報によって駆動している場合です。これを、生物学の世界では、『模倣反射』と呼んでいます。いわゆる『サルの物まね』です。

2番目が、言葉によって、駆動している場合です。その言葉は、耳から入ってくる音声言語の場合もあれば、紙に書かれた文字言語の場合もあります。或いは、自己の脳自身が作り出した言葉の場合もあります。これを世間では、『学習』又は『コミュニケーション』と呼んでいます。

最後が、自己の脳自身が作り出した信号によって駆動している場合です。これを世間では、『考える』と呼んでいます。考える行為の場合、言葉を使わないで、直接、イメージを使って、駆動することも可能です。

このページで、絵が多用されているのも、思考の中心が言葉ではなくて、イメージである為です。言葉が宿している先入観と限界を回避する為です。言葉を使わないで思考して、その結果を言葉(?)で表現しています。ウっ? 。。。。。。言葉は、思考活動の一部だけを担っている部分的手段に過ぎません。
ところが、現代の哲学者は、「言葉が全てだ。」と、思い込んでいます。みんな、眼を閉じて、言葉ばかりを見つめています。言葉の首輪に繫がれています。言葉が作り出している先入観と常識に呪縛されています。言葉への執着から離れることが大切です。それが、自らを解き放つ道です。

何れの場合も、意識器官を使った模倣反射の一種です。意識器官を使ったシミュレーションです。模倣反射と言語学習と思考活動を区別する理由は何処にもありません。

【模倣反射の起源】

意識が模倣反射の延長線上にある機能なら、模倣反射が可能な動物は、多かれ少なかれ、何らかの意識器官を持っている筈です。成体になっても『あそび』が見られる動物の場合、我々人間同様、シミュレーション能力(考える力)を持っているものと思われます。サル、象、イルカ、カラスなどには、『あそび』が見られます。

この模倣反射の大元の起源をどこまで辿れるかは、難しい問題です。魚の群れ行動を、果して模倣反射と呼べるかどうかは微妙ですが、そこに大元の起源を見出すことは可能です。群れ行動の場合、視覚情報で、他の個体の動きに同期しています。
だとしたら、脳の部位を問題にした場合に、意識器官の大元の原初的痕跡は、視覚関連の部位と近い場所に、何らかの手掛かりがありそうです。魚の頃の機能が出発点になっているとしたら、脳のかなり奥深い機能である可能性があります。つい最近、発生した機能ではありません。そこには、生物進化、数億年の歴史が隠されています。
もちろん、高等生物の場合、中心的な意識活動の場所は、前頭葉だとは思います。

生理学的仕組み

生理学的には、自己刺激の一種ではないかと思われます。

意識器官を使った、報酬系、又は、罰系への自己刺激によって、学習を成立させている。」のでは、と思われます。その中心的部位は、恐らく、前頭葉です。前頭葉にも、報酬系、罰系に関連した部位が存在しています。

ラットの報酬系に電極を埋め込み、そのスイッチをラット自身が押せるようにすると、ラットは、だだひたすら押し続けるそうです。自分の報酬系に、自分で電気刺激を与えて、架空の報酬を求め続けるそうです。
この姿は、白日夢に耽り続ける人間の姿と、何処となく重なります。人間も意識器官を使った架空充当によって、現実を忘れて、架空の快楽に耽っています。詳細...

前頭葉は、シミュレーションの場として、架空外界を構成している。丁度、それは、眼が知覚対象にしている現実外界に対応している。それ(現実外界)と、等価な働きをしているものと思われます。

模倣反射と多神教

このような意識器官を使った倒錯と投影の中に、多神教(アニミズム)の起源を見出すことができます。

模倣反射では、視覚対象を、自分とすり替えて、自分が行動したつもりになって、意識器官を駆動しています。即ち、自分と視覚対象を、同一視して、投影、交錯させています。この為、自分に心があるように、「視覚対象にも、心があるだろう。」と思っています。「木や草にも、石ころにも、、、森羅万象、全てのものに、心がある。」と、素朴に信じています。多神教、即ち、アニミズムの起源は、模倣反射にあります。模倣反射の為に、視覚対象と自分を、重ね合わせて、置き換えてしまうところにあります。

一方、一神教の起源は、人間が群れを作る動物であることに由来しています。

群れの自己保存と欲望を、『神』という言葉で象徴しています。自分の属する群れはひとつですから、その象徴もひとつです。自分の群れの欲望を正当化するのが最優先ですから、他の群れの欲望は無視されます。即ち、神は、ひとつです。群れは、ひとつだからです。
『我が神以外に、神はなし。』です。我が群れの欲望だけが、絶対神です。群れの欲望が、神の名のもとに、正当化されているに過ぎません。

この為、一神教は、その根本教義の中に、争いの種を宿しています。ふたつの群れが衝突するとき、必然的に、欲望の対立と抗争が起こります。互いに、欲望は、神の名のもとに、正当化されているので、水と油のように、互いに排斥し合います。、絶対化されます。
この争いの種を取り除こうとすると、ジレンマに陥ってしまいます。何らかの妥協をしようとすると、群れの欲望が絶対では無くなってしまうからです。自らの唯一の正当性を失います。他の群れの神(欲望)も認めたら、それは、もはや、一神教ではありません。多神教です。

自己の群れの欲望を、神の名のもとに、強く押し通すことこそが、真理へ至る道である。神の意思(欲望)を実現する道である。他の群れの欲望(神)は、邪教である。群れの欲望を、神の意志と言い換えることによって、正当化しています。????
果たして、彼らは何処まで自己の欲望を自覚しているのでしょうか。自覚することなく、欲望に振り回されているだけなのでしょうか。

物事は、言葉によって、明らかになっている訳ではありません。ただ単に、『行い』によって、『結果』が生じているに過ぎません。世の中を、ややこしくしているのは、必死になって、言葉で欲望を正当化しているからです。

言葉と行いの絶対的差異に、心を傾けてみて下さい。『言葉』は、『行い』の代用物です。言葉によって表現された教義、経典は、代用物、即ち、偽物です。誤魔化しが効かない『行い』こそが、本物です。
それが証拠に、モーゼも、キリストも、ムハンマドも、難解な教義は説いていません。『モーセの十戒 』に見られるように、誰にでも理解できる簡単な『行い』だけを説いています。彼らは、『行い』が『結果』を生み出していることに、気が付いていました。『いい結果』を望むなら、難解な教義を振り回すのではなくて、『適切な行い』が大切です。それは、難しい『行い』ではありません。ただ、守るのが難しいだけです。
汝、殺すなかれ。』という行いは単純です。でも、守ることは、結構、困難です。欲望の対立がある所に、争いが発生し、その争いが殺し合いに発展してしまうからです。教義などの言葉で欲望を正当化していると、争いは、混迷の度合いをさらに深めます。水と油のように、妥協は困難になってしまいます。宗教が教義に拘らなければ、言葉で欲望を正当化しなければ、つまり、神や教義を捨て去ることができるなら、もう少し、問題の解決は容易になるのですが。残念です。

平和に暮らすことを優先するか?。根本教義を掲げて、(自分の欲望にしがみついて、)争いの野に打って出るか?。人間の智慧が試されるときです。

1.9 意識器官のメリット

この意識器官(第二システム)の生物学的メリットは、いくつも指摘できます。

一番重要な事は、リスク管理です。

試す行為には、常に、リスクが伴っています。未知の状況に挑戦する訳ですから、何が起るか判りません。最悪の場合、命を落とすかもしれません。

第一システムを使った体験学習では、直接、肉体を使いました。肉体を使って、直接、未知の状況に挑戦していました。この為、未知のリスクに、肉体を晒すことになりました。死と背中合わせの危険な行為です。もし、失敗したら。。。。
第二システムを使ったシミュレーションだと、そのような危険を回避できます。直接、肉体を危険に晒す必要がなくなるので、失敗しても、大きな痛手にはなりません。

次に大切なことが、エネルギー消費です。

肉体を直接使うことに比べたら、頭を使った架空行動の方がエネルギー消費が少なくて済みます。
旅行の計画を立てる時も、実際に体を動かさないで、パンフレットだけで、「あーでもない。こうでもない。」と思いをはせながら、色々試して、夢を膨らませています。
この優位性を最大限に生かして、人間は今このように繁栄(繁殖)しています。

3番目が、スピードです。つまり、制御速度です。

肉体を使うことに比べたら、遥かに早く、試行錯誤を繰り返すことができます。短時間に、多くの可能性を試すことができます。この為、より、複雑なプログラムを作ることが可能になっています。

人間の場合は、自分の体だけでなく、自分の属しているグループや組織も、シミュレーションの対象にすることが出来ます。頭の中で、自分の体を動かすのと同じ要領で、自動車や、国、会社などを動かしてみることも可能です。
このような自分の外側に広がっている自分の身体の延長部分を、昆虫からの類推として、『外骨格』と呼んでいます。我々は、自動車などの外骨格だけでなく、会社や国などの組織も、外骨格として動かしています。

言葉や、数学、物理学などのように、さらに抽象化が進んで、肉体との直接の結びつきが判り辛い事象も、シミュレートしています。言葉などの記号と、自分の肉体を、倒錯させて、肉体の代わりに、抽象的記号を動かしています。

第二システム(意識感覚器官)のメリット

1.リスク管理肉体を危険に晒さらさなくても、試行錯誤が可能になった。
2.エネルギー消費肉体を動かすことに比べたら、エネルギー消費が少なくなった。
3.スピード直接、肉体を動かすことに比べたら、遥かに早く試行錯誤を繰り返せます。

1.10 知的生命体の宿命(意識器官のデメリット)

もちろん、デメリットもあります。

最大のデメリットは、死の恐怖に怯えていることです。

第二システムが作り出していた架空世界は、死と共に消滅します。意識知覚していた世界は、死と共に、永遠の無の世界に返っていきます。押し寄せる波が、引き際に、全てを持ち去るように、死は、意識知覚していた全てのものを、無の世界に、引き摺り込んでしまいます。

この自分の存在していた世界の消滅と、無への回帰に、人々は恐れおののいています。その恐怖に、苛まれています。

死は、知的生命体にとって、自分自身の消滅と同時に、自分の存在していた意識世界の消滅も意味しています。自分の存在している、この意識知覚していた世界も、消えて無くなるのです。自分だけでなく、自分の存在している、この世界も、消滅してしまうのです。夢で、うすうすは悟っていた、あの世界も消滅してしまうのです。

架空行動の為のシステムを持ってしまった知的生命体の宿命です。
この広い宇宙には、大勢の知的生命体がいると思うのですが、彼らは、果たして、死の恐怖を克服できるまでに、進化しているのでしょうか。知的生命体の宿命を、あるがままに、受け入れることが出来ているのでしょうか。
それとも、やっぱり、人間と同じように、サル山の喧騒に翻弄されているのでしょうか?

この地球上では、少なくとも、人間は、知的生命体としては、最初の試作品です。プロトタイプ1号です。
カエルの心臓と同じで、第一システム由来の情報と、第二システム由来の情報が、識別されることなく、雑然と混じり合って、心の中を流れています。心と体に由来する情報を、うまく識別できていません。あまり、出来はよくありません。それゆえ、死の恐怖に翻弄されています。第二システム由来の情報に振り回されています。残念ですが、克服できていません。

次に問題になるのが、第二システムが生み出している『自己満足に浸りたい。』という欲望です。

制御システムの快楽原理が、第二システム上でも成り立っています。白日夢に代表されるように、常に、脳内麻薬を必要としています。第二システム内で自己完結した満足体験を求めています。この欲望に振り回されています。

第二システムの『自己満足に浸りたい。』という欲望が、現実に即していない、様々なムダな行動を生じさせています。第二システム上の『満足体験こそが、人生の全てだ。命だ。(目的だ。)』と言ってしまえば、返す言葉もありませんが。

あまりにも、ムダな行動が多すぎます。自己満足に浸る為だったら、他の全てのことを犠牲にしています。

哲学的欲望、宗教的欲望、科学的欲望、善や、正義、正統性、正しさへの拘り。『意識知覚している事象は、実体である。』という唯物論への拘り。いわゆる、ありとあらゆる綺麗ごとへの拘り。

これらの拘りと、その拘りを生み出している欲望を正当化する為に、言葉が総動員されています。言葉の上に、さらに、言葉を塗り固めています。年増女の厚化粧のように、これでもか、これでもかと、コテコテに、塗り固めています。

いつも、勝ち誇ったように、頭の上で、勇ましく、言葉を振り回しています。そのような宗教家や哲学者、思想家の勇姿は、ドン・キホーテも真っ青です。

ムダな努力です。結果は、少しばかりの自己満足が得られるだけです。

3番目の問題が、競合と対立です。

1個の肉体の上に、2組の制御システムを搭載しているので、その制御権と支配権を巡って、対立と争いが起っています。一個の肉体の制御権と支配権を巡って、2つの独立した制御システムが争っています。そこに、対立と矛盾が生じています。多くの精神的な疾患が、この2つのシステムの対立と競合に起因しています。
人間という動物は、まだ、この2つのシステムの調整が、うまく出来ていません。翻弄されています。

第二システム(意識感覚器官)のデメリット

1.死の恐怖第二システムが作り出している架空世界は、死と共に消滅します。
この世界の消滅に、恐れおののいています。
架空行動の為の制御システム系を持ってしまったがゆえの、知的生命体の宿命です。
2.自己満足に浸りたい欲望あまりにも、欲望に振り回され過ぎています。
第二システムは、常に自己満足を追い求めています。この為、人間は、ムダな行動をいっぱいしています。
あたかも、自己満足に浸ることが、人生の究極の目的であるかのように錯覚しています。
その為だけのムダな行動が、随所で、目に付きます。
3.主導権を巡る対立一個の肉体の上に、2組の制御システムが乗っかっています。
この為、一個の肉体の支配権をめぐって、主導権争いと、対立が発生しています。その葛藤が、様々な精神的疾患の原因になっています。
人間は、これに、翻弄されています。
知的生命体としての人間は、まだレベルが低いので、この第一システムと第二システムの調整が、あまり、うまく出来ていません。

知的生命体は、意識器官を持ったがゆえに、その宿命に翻弄されています。

生物学レベルでの基本仕様なので、個人の努力だけでは、なかなか、克服できません。
余分な混乱を避ける為に、現実をあるがままに、受け入れて下さい。
言葉を振り回しても、言葉で飾り立てても、現実が変わる訳ではありません。
少しばかりの、自己満足に浸れるだけです。

一時の現実逃避の後には、冷酷な現実が待ち構えています。

1.11 原始仏教

向き合っている現実を、全く異なった方向から眺めています。

意識が感覚器官であることに気がついた人物が、歴史上、フロイト以外に、もうひとり存在していました。

今から2500年前の人、ゴータマです。日本では、通称、釈迦とか仏陀と呼ばれています。仏教の開祖と思われている人です。原始仏教の中に、その面影を見ることが出来ます。

原始仏教の教典『スッタニパータ』の中に、次のような興味深い一文があります。

雪夜叉が言った。「何があるとき世界は生起するのか?何に対して親愛をなすのか?世間の人々は何ものに執着しており、世間の人々は何ものに害(そこな)われているのか?」

師(ゴータマ)は答えた。「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親愛をなし、世界は六つのものに執着しており、世界は六つのものに害われている。」

「それによって世間が害われる執着とは何であるのか?お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてくだされ。どうしたら苦しみから解き放たれるのであろうか。」

「世間には五種の欲望の対象があり、意(意識の対象)が第六であると説き示されている。それに対する貧欲を離れたならば、すなわち苦しみから説き放たれる。」

出典「ブッタの言葉(スッタニパータ)」 中村元訳 岩波書店

「世間には、眼、耳、鼻、舌、体の五感に根ざした五種類の欲望の対象がある。これ以外に、六番目の意(意識知覚)に根ざした欲望の対象もある。これら六つのものが知覚世界を作り出している。これら六つの知覚への愛着、執着が苦しみの原因になっている。」と、述べています。
即ち、「意識は五感同様の感覚器官である。これら六つの感覚器官からの知覚刺激が、欲望の原因になっている。」と述べています。

パーリ語大蔵経の中部教典の中には、次のような一文もあります。

比丘よ、こちらの岸というのは、内的な六つの感覚器官(内の六処)をたとえてこういうのである。 比丘よ、向こう岸というのは、感覚器官の六つの外的な対象(外の六処)をたとえていうのである。 

出典「バラモン教典 原始仏典」 中央公論社

感覚器官を『こちらの岸』、その知覚対象を『向こう岸』に例えています。その感覚器官は六つあって、その知覚対象も同様に六つあると述べています。

又、次のような一文もあります。

アーナンダよ、次にあげる十八の界(構成要素)、すなわち、眼と色形と視覚、耳と音と聴覚、鼻と香りときゅう覚、舌と味と味覚、皮膚と触れられるべきものと触覚、心と概念と意識の諸界がある。 

出典「バラモン教典 原始仏典」 中央公論社

原始仏教では、知覚は、感覚器官と、その知覚対象と、そこから生じる知覚刺激の3つより構成されていると考えています。

知覚を構成する3つのもの

知覚を構成する3つのもの
知覚は3つの要素から構成されています。
1.感覚器官と
2.その知覚対象と
3.そこから生じている知覚刺激です。

人間は、『眼、耳、鼻、舌、体、意』の六種の感覚器官(六根)を持っています。その感覚器官には、『光、音、香、味、物、色』の6種の知覚対象が対応しています。そして、そこからは、『視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意知覚』の6種の知覚刺激が生じています。合計18個の要素から、人間の知覚は構成されています。これを、十八の界(構成要素)と呼んでいます。
その主張を一覧表に纏めると、下図のようになります。

,知覚を構成する十八の界

知覚を構成する十八の界
中部経典の主張を一覧表に纏めてみました。
人間には、6種の感覚器官が存在しています。
各感覚器官は、夫々3つの要素から構成されています。
合計、6*3=18 の界より構成されています。

仏教では、意識を感覚器官のひとつと捉えています。
その知覚対象を『色』と呼んでいます。
そこから生じている刺激を、『意知覚』と呼んでいます。

意識も、眼や耳同様の感覚器官であって、そこから生じる知覚刺激を、『意知覚』と呼んでいます。つまり、意識している事象のことです。その知覚対象を『色』と呼んでいます。現代語に訳すると、『イメージ』のことです。意識は、脳内部のイメージ(色)を知覚対象にした感覚器官です。

人間には、六種の感覚器官(六根)に根ざした六種の欲望が存在している。
その六種の欲望へのむさぼりが、苦しみの原因となっている。
だから、その六種の欲望へのむさぼりから離れることが、苦しみから解き放たれる道である。

と、原始仏教では説いています。

それ故、『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』と唱えます。
六つの根(感覚器官)に由来した、六種の欲望を清めることが大切だと説きます。
仏教では、感覚器官から生じている知覚刺激が、眠っていた欲望を揺り起こしてしまうので、感覚器官のことを『欲望の根』と表現しています。知覚刺激が、眠っていた筈の欲望を活性化させてしまうからです。欲望の根元、又は、原因という意味が込められています。

参考)最初期の原始仏教を支えた人々のプロフィール

最初期の原始仏教を支えた人々は、豊富な社会経験を持っていました。日々の生活の中で、悩み思うところがあって仏門を叩いた人々なので、酸いも甘いも味わい尽くしていました。だから、心の機微の表現が実に巧みです。とても、新鮮です。現代仏教のような教義中心の抹香臭さは全くありません。日々の暮らしで出会った出来事を例え話にして説かれているので、情景が瞼の裏に浮びます。
例えば、人々が物事に執着してもがいて様を、「干からびかけた水たまりで、もがいている魚のようだ。」と例えています。実際、干ばつで干上がった川底の最後に残された小さな水たまりで、多くの魚が蠢いている姿は、よく目にします。

般若心経

般若心経には、次のような有名な言葉があります。

色即是空(しきそくぜくう)

仏教では、意識感覚器官の知覚対象を、『』と、呼んでいます。現代語に訳すと、『イメージ』です。
人間が意識知覚しているイメージ(色)は、実体ではない。実体のない空っぽのものだ。
欲望によって作り出された脳内部の架空の事象です。

空即是色(くうそくぜしき)

何も無い空っぽのもの、それが、意識が知覚しているイメージ(色)の正体だ。」と、述べています。
人間は、唯物論を信じていますから、即ち、意知覚しているものへの執着を持っていますから、それは実体だと思い込んでいます。

意識知覚しているイメージ(色)は、欲望が作り出している心の中の架空の事象であって、実体ではありません。(色即是空)
生も死も、愛も憎しみも、意識にとっての知覚対象ですから、心の中の架空事象です。それは、心の中で蠢いている欲望が作り出したものです。欲望から生まれて、欲望の中に消え去っていくものです。実際に存在しいる実体ではありません。
そのような実体の無いものに、イタズラに振り回されていることが、苦しみの原因になっています。
そこから、離れることが、その苦しみから解放される道です。

と、説いています。

参考)般若心経の作者のプロフィール

般若心経の作者は、芸術家肌のヒラメキ屋さんタイプです。どちらかと言えば、落ちこぼれ気味です。「あっ。そうか!」という、一瞬のヒラメキを一気に文章にしました。この為、非常に短くて直観的な文章になっています。『色即是空。空即是色。』と、直観的に思考を反転させています。

注意)色即是空は、賢者タイムのことではありません。まさかとは思いますが、念の為に。

金剛般若経

金剛般若経には、次のような一文があります。

世界は世界に非ず。ゆえに、これを世界と名づく。

(1):「あなたが意識知覚している『世界』という事象」は、
(2):「あなたが思い込んでいるような実体としての『世界』ではない。」
(3):だから、「その事象には、『世界』という言葉が対応しているのだ。」

と主張します。

言語体系の不完全さと自己矛盾から、同じ『世界』という言葉が使われていますが、この3つの言葉が指示している内容は、夫々異なったいます。

世界(1)は世界(2)に非ず。ゆえに、これを世界(3)と名づく。

(1)は、意識知覚している事象を指示しています。
(2)は、その事象に対する人間の先入観、思い込みを指示しています。人間は、意識知覚している事象を、実体だと錯覚しています。少なくとも、唯物論者は、そのように、思い込んでいます。
(3)は、音や文字として表現されている言葉そのもの(名札)を指示しています。

(3):(世界という)『言葉』も、意識にとっての知覚対象です。
(1):『世界』という意識知覚している事象も、意識にとっての知覚対象です。
(2):(意識知覚している世界は実体だという)『先入観(思い込み)』も、意識にとっての知覚対象です。

意識知覚を構成して売る3つのもの

世界構成物備考
世界(1)知覚外部感覚器官によって知覚している事象
世界(2)先入観知覚している事象への思い込み、先入観
世界(3)言葉口から出ている音(言葉)。知覚の対象に付けられた名札。
意識知覚している事象の構造

意識知覚している事象の構造
意識知覚している事象は、3つの融合物です。
 1.外部感覚器官からの信号
 2.それに対する先入観(又は、外部信号から連想される記憶痕跡)
 3.言葉
この3つの要素とも、言葉で表象したら、同じ『世界』という言葉になります。
金剛般若経では、言葉は同じでも、これら3つの事象を厳密に区別します。
「世界(1)は世界(2)に非ず。ゆえに、これを世界(3)と名づく。」と。

これら3つのものは、共に、同じ現象界、即ち、意識された世界に属しています。これらは、共に、意識感覚器官の知覚対象です。
だから、この3つの事象は、結びつくことが出来ます。意識された世界の中で、統合されています。

ちなみに、現代哲学では、この3つの事象は識別されておらず、ぐちゃぐちゃにして、ひとつのものだと、混同しています。「言葉が同じだから、中身も同じだろう。」と思っています。即ち、「AはAに非ず。故に、Aなり。」と見なしています。理屈を超越した宗教的ドグマだと思っています。言葉と、その言葉が指示しているものの区別が曖昧です。
一方、金剛般若教では、この区別が厳密です。「知覚しているA1は、思い込んでいるA2に非ず。だから、この事象にはA3という言葉が付着している。」と理解しています。簡潔に表現すると、「A1はA2に非ず。故に、A3と名づく。」です。

現代哲学 :AはAに非ず。故に、Aなり。
金剛般若教:A1はA2に非ず。故に、A3と名づく。

もし、存在する現象界が異なっていたら、この3つは結びつくことが出来ません。異なった現象界に存在する夫々の事象は、互いに独立となって、現象界の壁を越えて、互いに結びつくことはできないからです。

もし、現象界の壁を越えて結びつくことができるなら、それは、統合されたひとつの現象界に過ぎません。外界を意識知覚した現象界と、先入観の現象界と、言葉の現象界の3つの現象界が互いに関連し合って、ひとつの統合された現象界、即ち、意識された世界を作り出しています。互いに関連し合うという性質(結びつき)によって、ひとつの統合された現象界が作り出されています。数学で言えば、夫々は部分集合です。全体集合の一部です。

言葉で表現できるということは、意識にとっての知覚対象、つまり、脳内部の事象であることを意味しています。そして、それは、先入観と、それへの執着の支配下にあります。

あなたが意識知覚している世界(1)という事象は、あなたが思い込んでいるような実体としての世界(2)ではありません。だから、その事象には、世界(3)という名前(言葉)が付いています。

意識知覚している事象は、脳内部の事象です。
すべては、色即是空、空っぽです。

参考)金剛般若経の作者のプロフィール

金剛般若経の作者は、仏教界随一の理論家です。非常に、論理的に正確に表現されています。まるで、物理学の本を読んでいるみたいです。現代に生きていたら、きっと、優秀な物理学者になっていたでしょう。
ただし、口減らしの為に、幼くして寺に預けられたのでしょう。社会経験がほとんどありません。欲望まみれの心の機微が、一切表現されていません。最初期の原始仏教のような面白味はありません。物理学や数学の本のように、全く味気ない文章です。
般若心経のように、直観的で親しみやすい経典でもなければ、法華経のように、心を揺さぶる経典でもありません。

ちなみに、法華経の作者は、新興宗教の超優秀なリクルーターです。大衆操作の手法が駆使されている為に、つまり、巧みな例え話が駆使されている為に、まるで、蜘蛛の巣が虫を捉えて弄ぶように、人々の心を捉えて弄んでいます。多くの人々の心を揺さぶっています。しかし、『嘘も方便』という言葉は、「目的が手段を正当化する。」という極めて危険な思想です。この為に、法華経は、戦闘的性格の教団を生みやすい傾向にあります。
大衆操作の手法が駆使されているので、大衆受けはいいのですが、一歩間違うと、(既に勘違いしている教団があるみたいですが。)、あまり、いい結果は生みません。出来るだけ、速やかに、離れることを希望します。副作用が大き過ぎます。その結果だけを観察していると、仏教版資本論みたいな経典です。いや、逆ですね。年代的には、法華経の方が古いので、マルクスの資本論が、法華経の真似事ですね。欲望の正当化の手法がよく似ています。

意識知覚している事象と、どう向き合うか。
原始仏教の中には、参考になる記述が、たくさん、あります。

空の哲学

ちなみに、大乗仏教では、これを、『空っぽの哲学』、略して、『空の哲学』と呼んでいます。何もないので、言葉の制約上、仕方なく、『空っぽ』と呼んでいます。物事は『言葉』によって明らかになっている訳ではありません。ただ単に、『行い』によって『結果』が生じているに過ぎません。それ故、『行い』と『結果』の因果関係を観察することが大切です。

仏教学者が拘っている、「と呼ばれる深淵なる真理(空性)」など、存在していません。『空性』自体は、「真理が欲しい。」という欲望が生み出した幻想です。という言葉と、その言葉によって作り出されている幻想(空性)への執着です。つまり、意識感覚器官と、それが生み出している意知覚への拘りです。仏教では、そのような拘りから離れることが大切だと説きます。「一切は空なり。」、空っぽです。

空は空に非ず。故に、空と名づく。

「全ては言葉で表現できる筈だ。」「言葉は真理を表現している筈だ。」という言葉への先入観と執着から離れることが大切です。世の中には、言葉で表現できないものが、いっぱい、あります。
だだし、『言葉で表現できないもの』に、注意を払っていたらの話ですが。言葉にしか興味が無ければ、世界は、全て、言葉で組み立てられています。
自分の世界は、『自分の興味を持っているもの』によってのみ構成されています。それ故、自分は全知全能です。知っていることは、全て、知っています。
逆に、知らない事は、何を知らないかを知りません。知らない事自体を知りません。知らないことを自覚できないからです。

1.12 新しい物理学

時間も、空間も、物質も、存在する実体ではありません。

言葉で表象される全ての事象は、脳内部の事象であって、実体ではありません。
現代物理学の基本概念である『時間、空間、物質』も、言葉で表象されている限り、物理的実在物ではありません。言葉と結びついたイメージである限り、最終的には、脳内部の事象です。

我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって、構成されている訳ではありません。
それは、生物の宿命である『生きる。』という欲望が、生み出したものです。
「宗教したい。」「科学したい。」「哲学したい。」「真理がほしい。」「絶対的価値観がほしい。」「不安」「さみしい」などの欲望が、脳内部に様々な事象、例えは『神』や、『科学的な真理や真実』『絶対的価値観』などの幻想を生み出しています。

『時間、空間、物質』も、そのような欲望と、その欲望への執着に支えられたもののひとつです。かなり根源的な欲望です。それは、動物進化5億年の歳月の中で、獲得、最適化されてきた情報の処理形式です。そこには、動物進化5億年の『生きる。』、『動く。』という欲望が集約されています。動物としての宿命が、色濃く反映されています。
人間の個人的レベルの欲望ではありません。もっと根の深い生物レベルの欲望です。それ故、克服することは困難です。進化の宿命から逃れることは容易ではありません。克服しようとすると、死の恐怖と向き合うことになります。ここで原始仏教に触れたのも、この死の恐怖を乗り越える為です。

我々は、『生きる。』為に、外部感覚器官から得られた情報を、このような形式に処理して理解しています。そこから派生した『意識知覚している世界』、即ち、『シミュレーションの場(仮想現実の世界)』も、このような構成形式になっています。

外部情報の処理形式

外部情報の処理形式
物語は、時間と空間の入れ物の中で演じられいます。
その中で演じている役者が、犬や人間などの物質です。

動物は、それを、『時間、空間、物質』という価値観を使って分析しています。
『時間、空間、物質』は、この宇宙を構成する実在物ではなくて、我々動物の情報の処理形式です。そのような先入観で思い込んでいるような実在物など存在していません。
この形式は、動物の『生きる。』という行為と密接に結びついています。

この情報の処理形式は、5億年の実績によって最適化されているので、日常生活では、何の疑問も不都合も生じません。目の前のコップを、何の疑いもなく、掴むことが出来ます。だから、唯物論者は意識知覚しているものは実在していると錯覚しています。

目の前のコップを、何の疑いも無く、掴むことができるのは、そこに、コップが実在しているからではありません。『実在している。』と、信じたい気持ちは解りますが、実際は、我々の脳が、5億年の実績に裏打ちされた最適な制御システムを構成しているからです。入力信号に対して、出力信号が最適に制御されているからです。だから、入力信号のままに行動しても、行動結果(出力信号)に不都合が生じることはありません。
「目の前のコップを掴める。」という唯物論者の素朴な実感を否定したら、『死の恐怖』の虜になってしまいます。

日常生活の範囲内だったら、この形式を使っても、うまく、物理現象を記述できます。意識知覚している事象を、実体だと見なしても、不都合を感じることはありません。動物進化5億年の実績によって最適化されているからです。唯物論でも、問題ありません。

実際、日常生活の範囲内だったら、ニュートン力学を使って、直観的に、しかも、正確に、記述可能です。太陽系の範囲内の物理現象なら、全く、不都合を感じません。

ところが、現代物理学は、この日常生活から大きく懸け離れた物理現象を扱うようになってきました。原子よりも遥かに小さな素粒子の世界とか。太陽系よりも遥かに広大な銀河系や、その銀河系の集合体である宇宙全体とか。あるいは、ブラックホール近くの非常に強い重力場の世界とか。光の速度に近い、超高速の世界とか。

これらの新しい世界は、今までの動物進化5億年の歴史の中では、経験してこなかった世界です。
この為に、最適化されておらず、綻びが生じ始めてきました。日常の延長として、これらの非日常の極限の物理現象を理解しようとすると、様々な弊害に直面することになりました。

現代物理学は、「物質と波の二重性」とか、「時間と空間の相対性」とか、「不確定性原理」などの、まるで、天動説末期の「周転円」を想起させるような、極めてテクニカルな概念を使って、無理矢理、理解しています。

物質も、波も、時間も、空間も、日常生活から作り出された概念です。それを、日常とは遥かに隔たった極限の物理現象に適用することには、無理があります。
日常に拘る限り、多くの意味不明なテクニカルな概念を使って、無理やり理解する必要が生じてしまいます。

銀河系サイズの広大な宇宙を理解しようとすると、「ダークマター」の存在を仮定しないと、うまく理解できません。太陽系近傍といる針の先ほどの微小空間の物理学を、広大な宇宙全体や銀河系全体に適用しようとした為に生じた不具合です。

現代物理学が突き当たっている壁を乗り越える為には

これ以上、物理学を発展させる為には、日常への拘りを捨て去る必要があります。動物進化5憶年の性(さが)を乗り越える必要があります。『時間、空間、物質』という日常の認識の形式ではなくて、別の形式を使って、極限の物理現象を記述する必要があります。

幾何学体系も、根本的に改める必要があります。ユークリッド幾何学でもない、非ユークリッド幾何学でもない、位相幾何学でもない、現代の数学者の発想力の限界を超えた、『空間』という概念を使わない、全く新しい発想の幾何学体系を構築する必要があります。
「幾何学とは、空間の性質を研究する学問である。」という先入観を捨て、『空間』という概念を捨て、 現実と向き合う必要があります。そのような生物進化5億年の先入観に呪縛されないで、自由な新しい発想が必要です。

認識論も、哲学的空想の問題としてではなくて、具体的な情報学や生命現象の問題として理解する必要があります。なぜなら、「哲学する。」「認識する。」という行為自体は、人間という動物の行為の一部に過ぎないからです。生きる為の情報処理に過ぎないからです。こちらも、哲学的先入観に囚われていないで、現実に目を向ける必要があります。

計画全体の変更点

計画全体の階層の変更点
計画全体の変更点です。
左が現代物理学の理論階層です。右が新しい階層です。
現代物理学は、哲学(唯物論)と数学の上に構築されています。

この計画では、階層全体を根底から作り変えてしまう必要があります。
哲学は、唯物論から空の哲学に変更します。「一切は空なり」です。
数学は、思考形式学として再編成します。
空間を使わない新しい発想の幾何学体系も構築します。
物理学は、生物学と統合します。
そして、それを空間という概念を使わない新しい幾何学の上に展開します。
なお、最下層には、知的生命体の宿命が。。。
空間が否定された思考は、死の恐怖を伴うので、原始仏教の助けが必要です。

これら4つのもの、『哲学、幾何学、物理学、生物学』をセットにして、現代物理学が突き当たっている壁を乗り越えていく必要があります。

金剛般若経の言葉を借りるなら、

時間は時間に非ず。ゆえに、これを時間と名づく。
空間は空間に非ず。ゆえに、これを空間と名づく。
物質は物質に非ず。ゆえに、これを物質と名づく。
波は波に非ず。ゆえに、これを波と名づく。
神は神に非ず。ゆえに、これを神と名づく。
空は空に非ず。ゆえに、これを空と名づく。

です。

全ては、意識にとっての知覚対象です。
脳内部の事象です。
動物進化5億年の実績によって最適化された情報の処理形式です。
日常を延長して、極限の物理現象を理解するには、無理があります。

この内容が、現代科学の常識と大きく異なっているのは、この為です。新しい物理学体系を構築する為、具体的には、『認識論の基礎を築く為』と、『死の恐怖を乗り越える為』に、作業規模が大きくなっています。

1.13 言葉と行い

物事は、『言葉』によって、明らかになっている訳ではありません。
ただ単に、『行い』によって、『結果』が生じているに過ぎません。

言葉への執着を捨て去ることを希望します。
行いと結果の因果関係』を、冷徹に観察されることを希望します。

言葉に拘る限り、言葉が作り出している先入観の世界から逃れることはできません。
その言葉の外側に広がる、広大な別の世界を知ることなしに、一生を終えてしまいます。

現状は、残念ながら、『言葉は、欲望を正当化する為の手段』としてしか、使われていません。
もったいない話です。
せっかくの知的生命体が、頭の上で、勇ましく言葉を振り回して、自己満足に浸っているだけなのですから。知性を、だだひたすら、『言葉を振り回す。』ことばかりに使っています。言葉を振り回して、欲望を正当化することばかりに夢中になっています。重ね重ね、もったいない話です。

下図は、人間という動物の生き様の因果関係です。

人間という動物の生き様の因果関係

人間という動物の生き様の因果関係
1. 六種の感覚器官(6根)からの信号によって、『欲望』が活性化されています。
2. その活性化された『欲望』から、『行い』が生じています。
3. そして、その『行い』によって、『結果』が生まれています。

それ故、もの事は、『行い』と、そこから生じる『結果』の因果関係によって判断されます。

ところが、人々は、
言葉を振り回して、欲望を正当化することばかりに夢中になっています。
言葉ばかりに、心を奪われています。

なお、欲望と共鳴しなかった信号は、雑音として、無視されます。

1.感覚器官からの『刺激』で、『欲望』が活性化され、
2.その活性化された『欲望』から、『行い』が生まれています。
3.そして、その『行い』から、『結果』が生じています。
なお、欲望と共鳴しなかった刺激(信号)は、雑音として無視され、素通りしてしまいます。

それ故、物事は、『行い』と、その『結果』から判断されます。
『結果』だけが、実際に残って、周りに様々な影響を与えるからです。

ところが、人間は、『言葉』ばかりに、心を奪われています。
『行い』の原因になった『欲望』を、言葉で正当化することばかりに、夢中になっています。その為に、『言葉』が総動員されています。

子供が、オモチャ箱をかき回すように、欲望を正当化できる便利な言葉を見つけようと、頭の中をかき回しています。必死になって、かき回しています。欲望を欲望と認めたくなくて、『神のように聖なるもの』と、自分自身に言い聞かせています。自分自身で、自分自身を騙しています。

悲しい現実です。

欲望は、汚いものでもなければ、綺麗なものでもありません。
卑しいものでもなければ、尊いものでもありません。
否定すべきものでもなければ、肯定すべきものでもありません。
ましてや、執着すべきものでもなければ、克服すべきものでもありません。

いきものが、いきものとして、背負っている宿命です。
言葉で飾らないで、そのまま、受け止めることを希望します。

1.14 まとめ

誤解され易い内容なので、出来る限り、冷たい表現を使いました。何かを主張するのでは無くて、色々な角度から、冷たい現実を羅列するように勤めました。何か新しい価値観や思想を期待していたなら、期待外れだったかもしれません。おそらく、期待とは正反対の方向、最も嫌な方向、本能的に避けたい方向だったかもしれません。全ての価値観(執着)を否定しているからです。

多分、様々な葛藤が生じていると思います。今、、、必死になって、「納得できる言葉を探し回っている。」と思います。言葉への執着を吹っ切れないで、執着したまま、言葉が言葉を、引きずり回して、空回りしている。その言葉の迷路から、抜け出せなくて、多くの迷いが、整理出来ないまま、蠢いていると思います。

しかし、そのような執着と迷いを無視して。。。冷たい現実に目を向けると。。。

意識は、脳内部の事象を知覚対象とした感覚器官です。

この特殊な感覚器官によって、そこに、架空行動の為の制御システム系が構成されています。この架空行動によって、未知の状況に対応する新しいプログラムを作り出しています。

我々は、未知の状況に直面したとき、第二システムを使ったシミュレーションによって、即ち、意識器官を使った肉体の架空行動(試行錯誤)によって、新しいプログラムを作り出しています。
そして、それを使って、第一システムを駆動し、実際の肉体的行動を生じさせています。

このような一連の動作を、世間では、『考えてから、行動する。』と呼んでいます。

新しい文明

この知的生命体に関する新しい知識は、現代の哲学や科学に根本的変革を迫ります。

哲学も、科学も、宗教も、根底から作り変えてしまう必要があります。これらの現代文明の構成要素は、意識の働きによって作り出されていますが、その意識感覚器官が知覚対象にしている全ての物は、脳内部の事象だからです。それは、心の中で蠢いている欲望が作り出したものです。
唯物論者が主張しているような実体ではありません。宗教家が考えているような神でもありません。
神は欲望の産物です。

根本的なところで、間違っています。

全ては、欲望が作り出した幻想です。
一切は空なり。』です。
全てを見直す必要があります。
人間という動物の性(さが)と、そこから生み出される宿命に心を傾ける必要があります。
死の恐怖を乗り越える為にも。

向き合っている現実を乗り越える為に、
現代の科学文明に代わる、次の新しい文明の構築が必要です。
知的生命体の宿命と向き合った、心の文明が必要です。
現代の科学文明は、哲学も科学も、あまりにも、素朴すぎます。
刹那過ぎます。目の前の欲望に振り回され過ぎです。

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注意:厳密な正確さ、細かな問題は省略しています。理解し易さを優先しています。
参考:原始仏教、フロイト、今西錦司、チャールズ・サンダース・パース