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7.2 うつつ(現)体験

注)この話は、意識感覚器官の知識を前提にしています。先に、こちらを参照頂くと、誤解が少なくなります。

   通常の覚醒時の体験です。

   この世界は、外部感覚器官から流入した情報によって、作り出されています。即ち、意識のとっての知覚対象は、外部感覚器官から流入した情報に基づいて作り出されれています。

   しかし、大切なことは、この世界を作り出している情報が、ただ単に、それだけではないことです。


   うつつ体験で、意識知覚しているもの

   うつつ体験で、意識知覚している情報は、外部感覚器官からの情報と、過去の記憶痕跡との融合物です。

   我々は、外部感覚器官からの情報を意識知覚していると同時に、連想によって結びついた過去の記憶痕跡も、意識知覚しています

   我々は、同時に、この2つの情報を意識知覚しており、過去の記憶痕跡によって、その情報の意味を理解しています。

   我々にとって、過去を思い出すとは、意識器官をつかった、過去の再体験を意味しています。意識器官内で、記憶痕跡の情報を使って、架空行動を生じさせ、その架空の再体験によって、過去を理解しています。

 うつつ世界の仕組み
 

   初めてのホテルでは、ドアの前に立っても、部屋の中の様子は判りません。
   しかし、自分の家なら、ドアの前に立っただけで、ドアの向こう側の世界を理解することができます。過去の情景が、一瞬、脳裏をかすめます。

   この時、外部感覚器官から流入しているのは、確かに、目の前のドアの映像だけですが、実際に意識知覚しているのは、ドアの映像と、そこから連想される過去の体験との融合物だからです。
   同時に過去の体験も知覚できるので、ドアの向こう側の世界も理解することができます。

   我々は、ただ単に、目からの映像を意識知覚しているのではなくて、同時に、連想によって結びついた過去の記憶痕跡も知覚対象にしています。


   常識世界と現実世界

   このことは、いい面もありますが、困った副作用もあります。どちら側の情報に、より心を奪われるかによって、うつつ世界は、大きく2つに分類されます。

   皆様が現実だと錯覚されている常識世界と、外部感覚器官からの情報で構成された実際の現実世界にです。

 うつつ世界の2重構造
 現実世界:外部感覚器官からの情報で構成された世界。
 常識世界:過去の記憶痕跡から作り出された世界。

 どちらの情報に、心は、より、関心を寄せるのでしょうか。
 どちらの情報を、見つめているのでしょうか。
 瞼に映っているのは、確かに、外の情景ですが、

 心が見つめているのは、過去の記憶痕跡かも?
 過去の記憶痕跡に基づいて、行動を起こしているのでは?
 外の情報(現実)に基づいて、行動を起こしていないのでは?
 外の情報を無視しているのでは?

   多くの場合、人間は心が乱れる事も好みません。新しいことを受け入れると、心の再組立てが必要になって、心がチクチクと痛みます。この為、より心安らかな、過去の体験の方にばかりに、注意を向ける傾向にあります。既に、心の整理が済んでいる過去の心地よい記憶痕跡ばかりに、目を向けたがります。

   これに、言葉の世界が被さると、もう、決定的になってしまいます。言葉が生み出す先入観ばかりを見つめ始めるからです。

   我々は、新しい状況に直面した時、なんとか、その状況を説明できる適切な言葉を探し求めます。子供が、お気に入りのおもちゃを求めて、おもちゃ箱をかき回すように、頭の中を、探し回ります。

   そして、見つかった瞬間に、ほんとうに、その瞬間に、解ったと納得して、目の前の現実への関心を失ってしまいます。そして、言葉だけを、見つめ始めます。しかも、理解できたという錯覚と一緒に。
   彼らにとって、理解するとは、言葉を見つけることであるようです。言葉を見つけて、心の平安を得ることのようです。

   人間の行動を観察していると、言葉で作り出された常識の世界を見ているのか、目からの現実世界を見ているのか、判断に苦慮することが、しばしばです。
   もちろん、当人は、それが現実世界だと思い込んでいますが。

   現実的であると思い込んでいる事象は、しばしば、過去の記憶痕跡から構成された常識世界の出来事です。

   我々は、『現実的行動』と『常識的行動』の区別が、往々にして、ついていません。過去の記憶痕跡に基づいた常識的行動を、現実的行動と、錯覚しています。

   行動は、出来る限り、外部感覚器官から流入した現実世界に基づいて行うべきです。

   現実に基づかない行動は、破綻します。

   それが、どんなに素晴らしい言葉で飾り立てられていても、
   それが、どんない道徳的に正しくても、
   それが、どんない宗教的に正しくても、
   それが、どんない法律的に正しくても、
   それが、どんない科学的に正しくても、
   それが、どんなに学問的に正しくても、

それとは無関係に、破綻します。

   『現実を無視してる』という、だだ、その一点の為に。

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