2019/04/08 うつせみ

生物が進化しているのは事実です。
しかし、ネオ・ダーウィニズムは、間違っています。

彼らの主張は、因果関係が成り立っていません。従って、そのような物理現象(生物進化)が起こることは不可能です。

これは自然科学の理論ではありません。疑似科学です。
ここでは、自然選択説の騙しのテクニックを解説しています。

1. 始めに

現代の正統派進化論(ネオ・ダーウィニズム)は、説明方法に問題があります。

生物進化の現象は、物理現象です。だから、物理的作用の因果関係に基づいて、その仕組みを説明する必要があります。

ところが、自然選択説は、「都合のいい変異が自然選択されて、生物は進化した。」と主張しています。『いい。わるい。』の価値観を使って説明しています。物理的作用に基づいた説明ではありません。

『都合がいい』という表現は、物理的作用を表現した言葉ではありません。これは、我々人間が持っている『いい。わるい。』の価値判断です。脳が行っている情報処理の結果を表現した言葉です。

現象を観察した結果、脳は何らかの判断を下しますが、そのような判断を表現した言葉です。あくまでも、心の中に生じている事象です。物理的作用を表現した言葉ではありません。従って、物理現象の原因になることは出来ません。

心の中の事象は、物理現象の原因にはなれない。

価値判断の因果関係
価値判断の因果関係
現象(花)を観察した結果、心の中に、『きれい。汚い。』の価値判断結果が生じます。
価値判断結果は、心の中の事象です。
心の中の事象は、物理現象の原因になることはできません。

生物進化を観察すると、都合が『いい、わるい』の価値判断結果が生じます。

しかし、この価値判断結果を使った説明、「生存に都合がいい変異が自然選択された。」は、因果関係が成り立っていません。価値判断結果は、心の中の事象であって、物理的作用ではないからです。物理的作用でないものは、つまり、心の中の事象は、物理現象の原因になることは出来ません。
人間のさが

人間のさが
ちなみに、この因果関係は成り立っています。
綺麗な花には、ついつい手が出てしまいます。
悪いとは判っていても。

人間の行動は、価値判断が原因となって起こります。
綺麗な花には、ついつい手をだしてしまいます。

しかし、「自然も、人間同様、価値判断が原因で起こる。」と考えるのは、人間と自然の素朴な同一視、即ち、自然の擬人化です。人間の行動原理と自然の仕組みを混同して、同一視しています。

このような素朴な同一視の根底には、『唯物論の先入観』が潜んでいます。

1) 我々は実体を認識の対象にしている。
2) だから、『いい』と判断できる背景には、何か、絶対的根拠、実体がある筈だ。『いい』と認識できるのだから、そこには『いい』という実体が潜んでいる筈だ。
3) その『いい』という実体が自然選択されるのだから、これ程、確かな話はない。進化は起こる筈だ。

と素朴に思っています。

この先入観を克服することは極めて困難です。これは、揺るぎない絶対的信念だからです。

『いい。わるい。』の価値判断は、物理現象の原因には成れない。

だから、それ(心の中の事象)は、物理現象の原因になることはできません。

「物理的作用でないもの、即ち、心の中に生じている『いい。わるい。』の価値判断が、物理現象(生物進化)の原因になった。」と主張する自然選択説は、論理的に破綻しています。物理的作用でないものは、物理現象(生物進化)の原因になることはできません。因果関係が成り立っていません。

因果関係が成り立っていないので、そのような仕組みで、物理現象(生物進化)が起こることも不可能です。

ネオ・ダーウィニズムは、物理的作用の因果関係に基づいて主張されていないので、正しいことも、間違っていることも、両方とも証明することはできません。
これは自然科学の理論ではない。」としか言えません。
その正体は、疑似科学です。

原因と結果の関係

現象原因結果備考
物理現象物理的作用物理的結果物理的作用が原因になって、
物理的結果が生じます。
自然選択説いい悪いの価値判断自然選択いい悪いの価値判断が原因となって
自然選択が起こり、
結果、生物は進化したと主張します。
人間の行動価値判断行動きれいな花には手を差し伸べ、
醜い花からは、目を逸らします。
人間の行動は、価値判断の上に成り立っています。
自然選択説と、その発想が同じです。
この説は、人間と自然の混同、即ち、自然の擬人化による説明です。

注)【集団遺伝学について】

ちなみに、集団遺伝学では、『いい。わるい』を、『確率が高い、低い』に言い換えています。

確率は、結果を集計して始めて求まるものです。だから、本質的に結果論です。結果が起こる前に判っている性質のものではありません。

もし、前もって生存確率を決定できるなら、もう既に、その時点で進化の仕組みは解かっていることになります。前もって生存確率を決定する仕組みそのものが、進化の仕組みだからです。

逆に、確率の決まっていない事象に確率論を適用することはできません。

集団遺伝学は、既に進化の仕組みが判っていることを前提としています。「進化の仕組みが判っているなら、生存確率を前もって決定できるので、確率論を使って集団遺伝学で進化を論ずる事ができる???」。意味不明なトートロジーに陥っています。

もう一度繰り返しますが、確率は価値判断と同じ『起こった結果』の集計です。つまり、事後判断、結果論です。物理的仕組みを説明する手法ではありません。確率が前もって決まっていない事象に、集団遺伝学のように確率論は適用できません。あまりにも、幼過ぎます。

芋や粘土で自作したサイコロは、形が歪な為、結果が1/6になるとは限りません。「サイコロの確率は前もって決まっている。1/6になる。」という先入観は捨てるべきです。全ては、実際にやってみないと判りません。前回のテスト結果があって、始めて次回の結果を予測できます。
なお、高精度な工作機械を使ってサイコロを作っても、結果は同じです。工作機械の精度の範囲内で、バラつきが発生します。自作のサイコロと本質的に何も変わりません。そのバラつきと精度を、人間が無視できるかどうかだけの問題に過ぎません。感覚的に、高精度な工作機械を使った場合バラつきを無視できますが、芋のサイコロの場合無視できません。ただ、それだけです。

『確率は、実際にテストして、結果を集計してみないと分からない。』現実は変わりません。

説明方法が根本的に間違っています。

現代の正統派進化論は、疑似科学です。
人間が納得することと、自然科学の説明の区別がついていません。

現代の正統派進化論は、人間を納得させることには成功しています。この事実は認めます。

確かに、『いい。わるい。』の価値観を使った説明は、理解し易く、多くの人々を納得させます。実際にも、哲学や思想、道徳、宗教は、この価値観を使った説明です。哲学や宗教、道徳、進化論に限らず、価値観を使った説明は、非常に強い説得力を発揮します。それが証拠に、これらは多くの人々から強い支持を得ています。

しかし、自然科学の説明には失敗しています。物理的作用の因果関係に基づいて説明されていないからです。

人間を納得させることと、自然科学の説明を混同しています。
人間を納得させることに成功した。』ので、『自然科学の説明にも成功した。』と錯覚しています。

説明方法が、根本的に、間違っています。人間は『いい。わるい。』の価値判断に従って行動しているから、自然も同様に『いい。わるい。』の価値判断に従って行動しているだろうと思い込んでいます。人間と自然を混同して、自然の擬人化によって、自然の仕組みを説明しています。

生物進化の現象は、物理現象なので、物理的作用の因果関係に基づいて説明すべきです。あまりにも、素朴過ぎます。

自然選択説の説明は、自然の擬人化による説明です。

以下では、これが自然科学の理論では無いことを説明します。自然選択説で使われている騙しのテクニックを解説します。

なお、もうひとつの重要な概念である突然変異説に関しては、『突然変異説のトリック』を参照して下さい。こちらも、また、別の騙しのテクニックが使われています。

注)ネオ・ダーウィニズムに代わる新しい進化論については、こちらをご参照下さい。なお、発想が違い過ぎているので、最初は、違和感を感じるかもしれません。

注)生物が進化しているのは事実です?

これは、このページの最初の言葉です。
これを、ワザワザ最初に述べなければいけない程、現代の進化論争は混迷を極めています。

哀しいことに、ネオ・ダーウィニズム自体も疑似科学なら、それを否定する主張も、宗教的誇大妄想です。誇大妄想と疑似科学の対立で訳が分からなくなっています。誰も、現実に目を向けようとしていません。自己の信念にしがみついているだけです。

この無益な宗教論争に巻き込まれる危険性を回避する為に、敢えて、この言葉を最初に持ってきました。いや、持って来ざるえませんでした。残念ながら、今のこの瞬間には、即ち、今のこの時代には、まだ、この言葉が必要です。いい悪いは別にして、哀しいことです。

1.1 二通りの説明方法

今まで、誰も気付かなかった冷酷な現実を指摘します。

人間は、本質的に全く異なった二通りの説明方法を、臨機応変に使い分けています。

罠に落ちない為に、現実に目を向けて下さい。
人間という動物の習性を、注意深く観察してみて下さい。
人間という動物の行動を冷徹に観察します。耳を塞いで。
言葉が脳を流れると、その言葉の先入観に支配されてしまうので、まず、耳を塞ぎます。
そして、眼を見開きます。
じっくり、行動を観察します。
行動パタンが充分に脳に焼き付いたら、耳を開きます。
その行動パタンに、どのような言葉を被せているかを観察する為に。

  1. まず、耳を塞ぎます。
  2. 目を見開いて、行動パタンを脳に焼き付けます。
  3. 焼き付いたら、耳を開きます。
  4. その行動を、どのような言葉で正当化しているかを観察します。

言葉によって、思考しないでください。
目を見開いて、現実を観察してください。
原因と結果の因果関係を観察してください。

人間という動物の習性

この動物は、何にでも理屈を付けたがる不思議な習性を持っています。
この動物の、この習性を注意深く観察していると、そこに、本質的に全く異なった2通りの説明方法が、臨機応変に、使い分けられていることに気が付きます。

そのひとつは、価値観を使った説明です。
もうひとつは、物理的作用の因果関係に基づく説明です。

  1. 価値観を使った説明
  2. 物理的作用の因果関係に基づく説明

例えは、植物の光合成を例にとれば、次の2通りの説明方法が可能です。

そのひとつは、『明るいから、光合成が起こる。』と、『明るい。暗い。』の価値観を使って説明する方法です。どちらかと言えば、人間の体験、即ち、経験則に基づいた説明です。
確かに、明るい場所では、光合成が起っており、暗い場所では起こっていません。この経験則に間違いはありません。

この説明方法は、世の哲学や思想、道徳、宗教上の教義、童話などに、広く使われています。これらの多くが、この価値観を使った説明です。

例えは、『赤ずきん』という童話を思い出して下さい。この童話は、良い子の赤ずきんと悪い狼の2者より構成されています。『いい。わるい。』の価値観の上に物語が組み立てられています。『自然選択説』と、その論理構造が全く同じです。自然選択説も『いい。わるい。』の価値観の上に物語を組み立てています。

もうひとつは、『光が当たるから、光合成が起こる。』と、『光が当たる。』という物理的作用の因果関係に基づいて説明する方法です。自然科学の分野で、よく使われています。

  1. 明るいから、光合成が起こる。
  2. 光が当たるから、光合成が起こる。
なぜ、光合成は起こる?

光合成の説明
光合成という物理現象の原因の説明について、
1. 明るいから。
2. 光が当たるから。
この二通りの説明が可能です。

光合成は、『光が当たる。』という物理的作用が原因となって起こる現象です。

これら2通りの説明方法は、どちらでも、それなりに、人々を納得させることができます。
実際に、学問の世界も含めて、世間では、この2通りの説明方法が、臨機応変に、広く混在して使われています。

自然科学の説明は、一部の例外を除いて、そのほとんどが、この物理的作用の因果関係に基づた説明です。それゆえ、実際に実験によって確認することができます。仕組みの説明が、実験によって再現可能です。『いい。わるい。』の価値判断のように、各個人の主観的判断に依存しないので、誰がやっても、同じ結果を得ることができます。宗教論争や進化論争のように、総論賛成各論反対の不毛な論争に陥ることはありません。

光合成の原因と結果、その説明方法

説明方法原因結果備考
物理現象『光が当たる』
という物理的作用
光合成光合成は、『光が当たる』
という物理的作用によって起こります。
価値観を
使った説明
『明るい暗い』
の価値判断
光合成?「明るい場所では光合成が起ている。」
という経験則自体は、間違っていません。
しかし、因果関係の説明にはなっていません。

この2通りの説明方法は、言語文法上、明確に異なっています。

『いい。わるい。』や、『明るい。暗い。』などの価値観は、人間の判断なので、形容詞です。形容詞を使った説明です。
『光が当たる。』は、物理的作用なので、つまり、物の動きなので、動詞です。動詞を使った説明です。
文法上、品詞が異なっています。
この品詞の違いに、この2通りの説明方法の謎を解く手がかりが隠されています。人間という動物の進化過程と密接に関わっています。

自然選択説の問題点

自然選択説は、この説明方法に問題があります。

この説は、『都合のいい変異が、自然選択された。』と主張します。
いい。悪い。』の価値観を使って説明しています。「明るいから、光合成が起こる。」と同じ説明手法です。物理的作用の因果関係に基ずいた説明ではありません。

根本的に、説明方法が間違っています。
自然科学とは、およそ無縁な説明方法です。
自然科学を装った偽物です。

自然科学なら、物理現象なので、物理的作用の因果関係に基づいて説明すべきです。「光が当たるから、光合成が起こる。」と、説明すべきです。

形容詞は、使うべきではありません。動詞を使うべきです。

2通りの説明方法

説明方法品詞説明例備考
1価値観
を使った説明です。
形容詞明るいから
光合成が起こる。
『明るい』は文法上、形容詞です。
『明るい。暗い』の価値観を使って説明です。
人間の行動原理に基づいた説明です。
2物理的作用
を使った説明です。
動詞光が当たるから
光合成が起こる。
『光が当たる』は、文法上、動詞です。
物理的作用の因果関係に基づいた説明です。
物理現象の仕組みを説明しています。

この2通りの説明方法の由来は、生物進化の歴史に求めることができます。

1.2 自然選択説は因果関係が成り立っていません。

自然選択説は、物理的作用の因果関係が成り立っていません。
論理的に破綻しています。

この説は、「生存に都合のいい変異が自然選択された。」と、『いい。わるい。』の価値観を使って説明しています。
この主張を、原因と結果に分解すると、下記のようになります。

原因生存に都合がいい変異『いい。わるい。』の価値判断
現象自然選択
結果生物が進化した物理現象

注)『自然選択』と呼ばれている物理現象が起こっているかは疑問です。一方、生物進化は実際の起こっている物理現象です。

生存に都合がいい変異が原因となって、自然選択が起こり、その結果、生物は進化した。」と、主張しています。
この説明に、多くの方々は納得すると思います。原因と結果の因果関係も、一見、成り立っているように見えます。

しかし、ここで問題になるのは、『生存に都合がいい変異』という表現です。これは、物理現象を表現した言葉ではありません。『いい。わるい。』の価値判断を表現した言葉です。

いい。わるい。』の価値判断は、現象を観察した結果、人間の心の中に生じている事象です。人間が目の前の現象を観察して、下す判断です。脳の情報処理の結果、脳内部に生じている信号です。あくまでも、それは、観察行為の結果、心の中に生じている事後の事象です。生物進化が起こる前に生じている事前の事象ではありません。

価値判断の因果関係
価値判断の因果関係
花(現象)を観察した結果、心の中に、『きれい。汚い。』の価値判断結果が生じます。
価値判断結果は、心の中の事象です。
心の中の事象は、物理現象の原因になることはできません。

注)但し、価値判断は、人間の『行い』の原因になることはできます。綺麗な花には手を差し伸べ、汚い花からは目を背けます。冷酷な表現ですが、価値観を使った説明は擬人化です。人間の行動原理を、自然も持っていると仮定しています。自然も『いい。悪い』の価値判断の上に成り立っていると思い込んでいます。

だから、当然、それは、物理現象の原因になることはできません。心の中に生じている事象は、物理現象の原因になることはできないからです。それは、物理現象に、影響を与えることはできません。

「都合のいいもの(原因)が自然選択されて、生物は進化(結果)した。」という自然選択説の主張は、「物理的作用でないものが、物理現象の原因になった。」となってしまい、因果関係が成り立ちません。物理現象でないもの、即ち、心の中の事象は、物理現象の原因になることが出来ないからです。

もっと、本質的な問題として、『生存に都合がいい。』という価値判断は、生物進化の現象を観察した結果です。即ち、事後の事象です。生物進化が起こった結果を観察して、『生き残った生物は、都合がいい。』と判断しているに過ぎません。進化現象が起こる前に、発生している事象ではありません。だから、時間の順番から判断しても、原因になることはできません。現象の原因が、現象の結果よりも、後になることはありえないからです。

論理的に破綻しています。
これは、『いい。わるい。』の価値観を使ったトリックです。このようなトリックが成り立つ背景には、唯物論の先入観が潜んでいます。

いい。わるい。』の価値判断結果は、物理現象ではありません。心の中に生じている事象です。
だから、これは物理現象の原因になることはできません。
自然選択説は、因果関係が成り立っていません。

しかし、これだけでは、実感として、しっくりこないと思います。理屈はそうかもしれないけど、納得はできないと思います。価値観に対する揺ぎ無い絶対的確信の前では、この程度の説明では、無力です。

そこで、これからの話では、価値観を使った説明の正体を明らかにしていきます。この話は、現代の科学文明の根幹に係わる非常に根の深い問題です。

一流の哲学者や思想家の嘘が暴かれてしまいます。

1.3 自然選択説は、自然の擬人化です。

自然選択説の説明は、自然の擬人化による説明です。

人間は、『いい。わるい。』の価値判断に基づいて行動しています。だから、確かに、価値判断は、人間の行動の原因になることはできます。
物理現象の原因になることはできませんが、人間の行動の原因になることはできます。

この為、価値観を使った説明は、強力な説得力を発揮します。簡単に、人々を納得させます。人間の行動原理と、説明原理が一致しているからです。

しかし、自然も同様だろうと考えるのは、人間と自然の素朴な混同です。
「我々人間の行動は、『いい。わるい。』の価値判断が原因となって起こっているのだから、自然も、同様に、『いい。わるい。』の価値判断が原因となって起こっているだろう。」と類推するのは、人間と自然の同一視です。自然も人間同様の価値判断機能と選択機能を有していると見なしています。

先入観1:自然も、人間の価値判断に類似した機能を持っている。
先入観2:しかも、その判断基準は、人間と自然とで一致している。

その機能によって、自然選択が行われている。だから、我々の観察結果と、自然選択の結果は一致する。
我々の観察結果と自然選択の結果が一致するのは、自然も、我々同様の選択機能(価値判断機能)を持っており、しかも、その選択基準が一致しているからである。

人間と同様の選択機能を持っていても、その選択基準が一致していないと、別のものが選択されてしまいますから、結果は一致しません。

これは、人間と自然の素朴な同一視です。
人為選択の類推から自然選択説が作り出されたことからも分かるように、人間の行動原理を使って、自然の仕組みを説明しています。人間の行動原理と同じ仕組みを、自然も持っていると見なしています。

このような人間と自然の同一視は、自然の擬人化です。自然を擬人化することによって、説明を試みています。

生命現象は、生物と自然との相互作用の上に成り立っていますが、ラマルキズムは生物の側を、自然選択説は自然の側を擬人化して説明しています。共に、擬人化によって、説明を試みている点では同じです。

新旧の擬人化による説明

確かに、人間の行動原理と、説明原理を一致させれば、強い説得力を発揮します。擬人化によって説明すれば、人間の行動原理と一致しますから、理解し易くなります。抵抗なく、受け入れることができます。
しかし、『人間という動物が納得すること』と、『物理現象を説明すること』とは別問題です。

物理現象は、物理的作用の因果関係の上に成り立っています。植物の光合成は、『光が当たる。』という物理的作用が原因になって起こっている現象です。生物進化の現象も、同様に、物理的作用の因果関係の上に成り立っている現象です。

いい。わるい。』の人間の価値判断の上に成り立った現象ではありません。人間と自然の同一視、即ち、自然の擬人化による説明は不適切です。

各現象における因果関係

現象名原因現象原因の種類品詞
人間いい。悪い。人間の行動価値判断形容詞
自然選択説いい。悪い。自然選択価値判断形容詞
光合成光があたる。光合成物理的作用動詞

「人間の価値判断行為に類似した機能を、自然も持っている筈だ。それが証拠に、人間の価値判断結果と、自然選択の結果は一致している。」という考え方は、人間と自然の素朴な同一視、即ち、『自然の擬人化』です。
同一視しているからこそ、成り立つ論法です。
これは、人為選択の類推から、自然選択が作られたことからも理解できます。

1.4 価値観を使ったトートロジーのカラクリ

自然選択説は、価値観を使ったトートロジーになっています。
同じ価値観が、2度、繰り返されています。

  • 1回目は、観察結果を得る為に。 (「都合がいい。」という価値判断結果を得る為に。)
  • 2回目は、その観察結果を説明する為に。(「都合がいいものが選択されたから。」と説明する為に。)

我々人間は、『いい。わるい。』の価値観を持っています。
その価値観を使って現象を観察すれば、全ての生き残っている生物は『生存に都合がいい。』と見えます。

そして、その観察結果を説明するのに、同じ価値観を使って、『都合のいいものが自然選択されたから。』と説明しています。

同じ価値観が、観察結果と、その観察結果の説明に、繰り返し使われています。トートロジーになっています。

価値観を使ったトートロジーの仕組み

価値観を使ったトートロジー
価値観を使った説明は、トートロジーになっています。
同じ価値観が、2度、繰り返されています。
1回目:現象を観察して、『いい。わるい。』の価値判断を行う為に。
2回目:その判断結果を説明する為に。『いいものが選択されたから。』と。

このカラクリの背景には、唯物論の先入観が潜んでいます。
1. 都合がよく見えるのは、そこに『都合がいい。』という実体が潜んでいるから。(唯物論の先入観)
2. その実体を観察しているから、『都合がいい』と見えるのだ。(先入観の再確認)
3. 生物進化では、その『都合がいい』という実体が選択されているのだ。(確信?)
と、思っています。

確かに、『いい。わるい。』の価値観を使って進化現象を観察すれば、「全ての生物は、実に巧みに環境に適応している。」ように見えます。「生存に都合がいい形態をしている。」ように見えます。これは、間違いのない事実です。この経験則に、間違いはありません。この経験則を、否定するつもりはありません。

しかし、その『都合がいい。』という観察結果を説明するのに、「都合のいいものが自然選択された結果だ。」と説明するのは、同じ価値観の繰り返しです。
同じ価値観が、観察結果と、その観察結果の説明に、繰り返し使われています。

「白い馬は、なぜ白く見える?」と聞かれて、「白いから」と答えるようなものです。
我々は、実体を認識の対象にしていると思っています。だから、白い馬が白く見えるのは、そこに白い実体が存在している為と思っています。即ち、白い実体を認識しているので、白く見えると思っています。
余分な言葉を省力して、解り易く表現すれば、『白く見えるのは、白いから。』です。
都合がよく見えるのは、都合のいいものが選択されたからです。

白い馬

白い馬
白い馬を見て
「なぜ、白い?」と聞かれて、
「白いから」と答える。
「白い馬は、白い本質を持っているから、白く見える。」と、思っています。

進化論では、「なぜ、生物はどれも生存に都合がいい姿をしている?」と聞かれて、「都合のいいものが自然選択されたから。」と答えています。

都合がいいように見えるのは、そこに『都合がいい』という実体(本質)が宿っている為と思っています。「その実体(本質)を認識しているので、『都合がいい』と見える。」と思っています。
生物進化は、その『都合がいい』という実体(本質)が、自然選択された結果である。より『都合がいい』実体(本質)が選別されて残った結果、生物は、より『都合がいい』姿になった。即ち、進化したと思っています。

余分な言葉を省力して、解り易く表現すれば、

都合がいいように見えるのは、都合がいい本質が宿っているからです。その『都合がいい』という本質が、自然選択されたので、より都合が良くなった。つまり、生物は進化した。

そこには、『我々は、実体(本質)を認識の対象にしている。』という唯物論の先入観が潜んでいます。

『その実体の実在性の証明は、認識できていることにある。つまり、実体が存在しているから、認識できるのである。認識できている事実が、存在の証拠である。実際に見えているのだから、これ程、確かなことはありません。(限りなく循環論法です。) 』と思っています。

なぜ、こんな単純なトリックに、200年もの間、一流の哲学者や科学者が、騙されていたのか不思議です。
「一人ぐらいは。。。」と思うのですが、全滅です。深い闇を感じます。

現代文明は、その多くが『いい。わるい。』の価値観の上に組み立てられています。
宗教も、道徳も、哲学も、思想書も、その多くは、価値観を使った説明です。この為、自然選択説同様に、トートロジーになっている可能性が大です。

例えば、一世を風靡したマルクスの資本論は、『労働』に絶対的価値を見出し、労働者には価値があり、労働をしない資本家は、労働者を搾取している絶対悪であると断定しています。
労働者と資本家の欲望の対立を、『善と悪との闘い。』即ち、善と悪との階級闘争と見なして、暴力を正当化しています。

これ以外にも、「ミイラ取りが、ミイラになっている。」ような事例が。。。。
一抹の不安を覚えます。

注)人々が求めているのは、絶対的価値観です。でも、ここで説いているのは、その絶対的価値観自体の無意味さです。
その方向性の違いに、物足りなさを感じている人々がいるかもしれませんね。求めているものを説いていないと。。。。。。。。。。。。。。。。。全ては、人間という動物の習性です。生物学者がチンパンジーを観察するように、人間をチンパンジーのひとつとして、冷徹に観察することを希望します。欲望に振り回されてホルンホルンするのではなくて。

1.5 トリックの背景

このようなトリックが成り立つ背景には、『唯物論』の先入観があります。

現代科学の根底にある哲学は、唯物論です。
この唯物論では、「ものの性質や本質は、その物の中に宿っている。」「その本質を、我々は、認識の対象としている。」と考えています。
つまり、「我々は、実体を認識の対象にしている。」と、素朴に信じています。

例えば、白い馬を例にとれば、「白い馬が白く見えるのは、その馬が、『白い』という本質(実体)を持っている為である。その『白い』という本質(実体)を、我々は、観察(認識)の対象にしているので、白く見えるのだ。」と考えています。
即ち、「白いから、白く見えるのだ。」「白い(実体を持っている)から、白く見えるのだ。」と思っています。
限りなく、循環論法です。

唯物論の先入観白い馬には、『白い』という本質が宿っている。
観察結果の説明その『白い』という本質を観察するから、白い馬は、『白い』と見える。

もちろん、実際は、白く見えるのは、全ての波長の光を、乱反射してしまう為ですが。そのような色認識に関する物理的知識がなければ、この論法で、充分納得する(騙す)ことが可能です。

自然選択説も、この唯物論の暗黙の先入観 を巧みに利用しています。

「生物がどれもうまく環境に適応している。」ように見えるのは、「そこに、『いい』という本質(実体)が宿っているからだ。」と思っています。

即ち、

「生き残った生物が、どれも『いい』ように見えるのは、そこに、『いい』という本質(実体)が宿っているからだろう。それを、我々は観察の対象にしているから、『いい』と見えるのだ。」と、思っています。

即ち、「いいから、いいと見えるのだ。」。その『いいという本質』が自然選択されたから、生物は、進化、発展した。
限りない循環論法です。

と考えています。

その根底にあるのは、唯物論の先入観です。

唯物論の先入観

(1) 価値判断

我々が持っている『いい。わるい。』の価値観を使って生命現象を観察すれば、「全ての生物は、生存に都合がいい。」ように見えます。

これは、事実です。
この事実を否定するつもりはありません。

(2) 唯物論の先入観

「『都合がいい。』という本質を持っているから、『都合がいい。』と見えるのだ。」と思っています。

現代科学の土台になっている哲学は、唯物論です。
この哲学では、「ものの性質は、その物の中に宿っている。人間は、その宿っている本質や実体を認識の対象のしている。」と考えています。
即ち、「我々が認識しているのは、実体である。」と見なしています。

この先入観がある為に、『都合がいい。』と見えるのは、「そこに、『いい』という本質や実体が宿っている為だろう。」と判断しています。
つまり、「『都合がいい。』という本質を持っているから、『都合がいい。』と見えるのだ。」と思っています。
思考過程、(1)と(2)は、循環論法です。

(3) 自然選択説

自然選択説では、「生物が持っている『都合がいい。』という本質が、自然選択されている。」と考えています。そこには、『いい』という本質が宿っていると考えています。

『いい』という本質が自然選択される訳ですから、これ程、確かなことはないと思っています。自然選択説には、疑うことのできない、明確な根拠があると思っています。

この推論を、誰も疑っていません。

(4) 生物進化

「『都合がいい。』という本質が自然選択された結果、生物は進化した。」と考えています。
即ち、「『都合がいい。』ものが自然選択され、残ったから、『都合がいい。』ように見える。」と考えています。価値判断結果と、唯物論の先入観を同一視しています。

(5) 価値判断結果と、自然選択の一致

価値判断結果と、自然選択説による推論結果は一致します。

自分がこの眼で観察しても、『都合がいい。』ように見えます。
「この原因は、『都合がいいという本質』が自然選択され、残った為。」と、考えています。
観察結果と自然選択の結果が一致するので、自然選択説は正しいと信じられています。

このような一致が生じてしまう原因は、最初の仮定に問題がある為です。
即ち、論理の出発点になっている唯物論の先入観、「人間は、物事の本質や実体を認識の対象にしている。」の為です。この先入観の為に、それ以後の推論結果と、価値判断結果が一致します。

生物学者は、「生物進化は、『都合がいい。』ものが自然選択された結果である。それが証拠に、我々の観察結果と、自然選択の結果は一致している。」と考えています。

1.『都合がいい。』ように見えることを根拠にして、
2.「『いい』という本質が宿っている。」と仮定し、
3.「その本質が自然選択された。」と推論した訳ですから、

自然選択説の結果と価値判断結果が一致するのは当たり前です。循環論法です。

唯物論の先入観生物には、『いい』という本質が宿っている。
観察結果の説明その『いい』という本質を認識の対象にしているから、『いい』と見える。
自然選択説の推論先入観を真理だと見なして、結果論で説明しています。
全ての生物が、環境にうまく適応しているように見えるのは、その『より、いい』という本質が、自然選択された結果だろう。

『都合がいい。』ように見えるのは、そこに『都合がいい。』という本質が宿っている為である。
その本質が自然選択されたから、生物は進化した。
つまり、進化の結果と、我々の観察結果が一致するのは、自然選択説が正しい証拠である。

限りない循環論法です。

1.6 価値観を使った論争の宿命

『いい。悪い』の価値観を使った論争は、『総論賛成、各論反対』のジレンマに陥ってしまいます。

進化論争がいつも不毛の水掛け論に終わってしまう原因は、それが価値観を使った説明だからです。宗教上の神学論争と根は同じです。

神学論争では、『神は実在している。』『神は真理である。』『神は正しい。』という総論に関しては、全ての教団が同意しますが、では、具体的に『神の姿は?』『真理とは何か?』『何が正しいのか?』となった場合、不毛な宗教論争へと発展してしまいます。神の姿は、教団によって、夫々異なっているからです。各教団の都合と欲望は、夫々異なっているからです。

互いに、相手を『邪教だ。』と、罵り合います。熱くなり過ぎると、「我が神以外に神はなし。」とばかりに、真理と正義を賭けて、宗教戦争を繰り広げることになってしまいます。相手に邪教のレッテルを貼って、その邪教を駆逐し、殲滅しようとします。それが、ただの単なる『欲望の正当化』に過ぎないことに、気付かないままに。

教団という組織は、神とは何の関係もありません。関係あるのは、『組織は欲望の産物である。』という事実のみです。マフィアと同じです。時として、マフィアよりも悪質です。
物事は、言葉によって明らかになっている訳ではありません。ただ単に、『行い』によって、『結果』が生じているに過ぎません。『組織を作る。』という欲望が、組織に付随した様々な不幸を生み出しています。宗教戦争は、マフィアの抗争よりも、遥かに大規模です。正義を信じている分、悪魔や敵には無慈悲です。残虐です。神の名のもとに、徹底的な浄化(破壊)が行われます。教団が欲望の産物である哀しい一面です。

自然選択説でも、『都合のいいものが選択された。』という総論では、全ての人々の意見は一致しますが、では、具体的に、『何が都合がいいのか?』という各論になると、収集のつかない不毛の論争に発展してしまいます。
一般論だと、全ての人々の賛同を得ることが出来るのに、現実に目を向けた途端に破綻してしまいます。

価値判断は、見る人、見る立場、見る方向によって、全て、異なってしまうからです。
それは、立ち位置と方向によって決まるものです。都合がいい事象も、見る立場や見る方向を変えると、都合が悪くなってしまいます。
まるで魔物のように、変幻自在に姿を変えてしまいます。

ところが、人々は、『価値観には絶対的な真理や根拠が宿っている筈だ。』という先入観(総論)を持っています。唯物論の先入観から、『認識しているものには、本質が宿っている。』と考えているからです。

この先入観(総論)と、『見る立場、見る方向によって変わってしまう。』という現実(各論)とのギャップの前で、人々は、いつも右往左往しています。

何とか、『先入観』に合致する『現実』を見つけようと、論争を繰り広げていますが、いつも、魔物相手に『総論賛成、各論反対』のジレンマに陥っています。

宗教論争が、いつも不毛に終わるように、進化論争がいつも不毛に終わってしまうのは、同じ原因からです。価値観を使った説明だからです。
価値観に抱いている先入観と、価値観の置かれている現実とのギャップの為です。

総論価値観への先入観価値観には絶対的な真理や根拠が宿っている筈だ。
各論価値観の現実見る人、見る立場、見る方向によって変わってしまう。
まるで魔物のように、変幻自在に姿を変えてしまう。

1.7 まとめ

生物進化の現象は物理現象です。だから、物理的作用の因果関係に基づいて説明すべきです。それ以外の手法を使った説明は、何らかの騙しです。

我々人間は、2種類の説明方法を、臨機応変に使い分けています。

そのひとつは、「いい。わるい。」の価値観を使った説明です。
もうひとつは、「物理的作用の因果関係」に基づいた説明です。
文法上は、形容詞を使った説明と、動詞を使った説明の違いです。

自然選択説の説明は、「いい。わるい。」の価値観を使った説明です。
「物理的作用の因果関係」に基づいた説明ではありません。

これは、自然科学の理論ではありません。
宗教や童話と同じ論法を使った、疑似科学です。

このような疑似科学の為に、優秀な人材が無駄遣いされてきたことに、そして、今現在も無駄遣いされていることに、心が痛む思いです。
現実は、優秀な人々が頭の体操に夢中になっているだけです。尤もらしい理屈を思いつく為に。。。。
動物としての性(さが)に振り回されていないで、冷酷に、現実に目を向けることを希望します。人生を無駄にしない為にも。

人間が納得することと、自然科学の説明とは、別問題です。

なお、現在、ネオ・ダーウィニズムに代わる新しい生物進化の理論を準備中です。今西錦司氏の『棲み分け理論』と、木村資生氏の『中立説』を、物理学の『場の理論』と、『制御工学』の知識を使って統一しました。生命現象に関する理論を作って、その一部として、生物進化を論じています。

必要とするデータが不足しているので、苦労しています。こんな疑似科学の為に、時間が無駄遣いされている現実を残念に思います。「もう少し、冷酷になって頂ければ、もう少し、データが揃っていたのに。自分は、もう少し楽できたのに。」と。

総評(愚痴)

現代の正統派進化論は、騙しのテクニックの博覧会です。様々な騙しのテクニックが駆使されています。

その意味では、正統派進化論は、反面教師として、科学史の貴重な遺産です。

現実に目を向けた人間は騙せません。
言葉によって思考している人間は騙せます。言葉ばかり見つめて、現実を見てないという一点において。。。

原因と結果の因果関係を観察されることを希望します。言葉を振り回す前に。。。

参考 1)突然変異説

突然変異説も、同様に、自然科学とは無縁な考え方です。

この説は、創造神話と同じように、因果関係を断ち切るテクニックです。
話しの始まりに、『突然』という言葉を持ってくることによって、突然、変異が起こった時点よりも前の因果関係を無視しています。即ち、突然変異は、因果関係も無しに、突然、起こった現象だと思っています。ここで、因果関係の鎖を切断しています。詳細は、こちらを参照下さい。

参考 2)二通りの説明方法の生物進化の由来。

【価値観を使った説明の由来】

価値観を使った説明は、その原型を、動物の発生に求めることができます。感覚器官からの信号を判断することと密接に結びついているからです。少なくとも、5億年前からの機能です。もちろん、それを言葉で表現できるようになったのは、知的生命体からですが。機能自体は、かなり古いものです。

動物は、外部感覚器官からの信号を、脳などの神経組織で処理しています。この時、信号は、右か左のどちらかに分別されています。『暑い。寒い。』とか、『明るい、暗い』のように、ある一定の判断基準に基づいて、両端に分別されています。
この機能を、一般に、価値判断、又は、価値観と呼んでいます。進化過程で、動物が獲得した機能です。この機能で使われている言葉を、言語文法上は形容詞と呼んでいます。形容詞は、外部感覚器官からの信号を分別する様子を表現した言葉です。

従って、形容詞や価値観は、一般に、『いい。わるい。』や、『高い。低い。』などのように、両極端から構成されています。情報の処理方法が、価値判断や、分別に依存しているからです。両極端のどちらかに分別することが、生きる為の情報処理だからです。

仏教では、価値観のことを、『両極端』と表現しています。価値判断を、両極端のどちらかに分別する行為、即ち、『分別智』と呼んでいます。「分別智に振り回されてはいけない。」と説いています。油断すると、進化論のように、分別智のドグマに陥ってしまうからです。

マルクスのように、労働に絶対的価値観を説いた思想は、純粋培養された学者には受けは良かったけど、結果は、歴史が証明しているように悲惨でした。ただ単に、階級闘争の名の下で大量虐殺が行われ、無慈悲な独裁政権が生み出されただけでした。哀しいことに、『階級闘争』が暴力の正当化に使われていました。残念ですが、マルクスは人類の歴史が続く限り、永遠の反面教師(毛沢東の言葉)です。この過ちを繰り返すべきではありません。純粋培養された人間には、『絶対的価値観』は、麻薬です。

【因果関係を使った説明の由来】

一方、因果関係を使って説明する方法は、その原型を知的生命体の発生に求めることができます。精々、数百万年前か、数千万年前からです。かなり、新しい機能です。

知的生命体は、意識器官を使ったシミュレーション(考える行為)の為に、現象の因果関係を理解する必要がありますが、その為の機能です。意識器官が発達した人間やサル、象、クジラ等に見られる機能です。もちろん、言葉で表現できるのは、人間だけですが。詳細は、知的生命体の心の構造を参照して下さい。

参考 3)進化論と宗教対立

進化論が宗教上の教義と激しく対立するのは、共に、『いい。わるい。』の価値観を使って、自らの正統性を主張し合っているからかもしれません。

丁度、宗教どうしが、近親憎悪で、激しく対立しているように。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、同じアブラハムの宗教です。同じ兄弟どうしで、生家(エルサレム)を巡って、生家争いをしています。「ここは僕の生まれた家だ。」と。同じ似た者同士であるがゆえに、逆に、否定と競合が激しくなって、憎しみが倍増しているのかもしれません。「可愛さ余って、憎さ百倍」の世界です。近親憎悪の世界です。

現代は、科学教の時代です。人々の信じている価値観が、『神』から『科学』に移り変わっている時代です。現代の人たちは、『科学』という神(価値観)を信じています。

もの事は、言葉によって明らかになっている訳ではありません。ただ単に、『行い』によって、『結果』が生じているに過ぎません。

言葉の違いに惑わされないで、『行い』の同一性に注目して下さい。『行い』によって生じている『結果』、即ち、原因と結果の因果関係を、冷徹に観察して下さい。言葉は、残念なことに、欲望を正当化する為の手段としてしか使われていません。

宗教も科学も、『価値観を信じている。』という『行い』は同じです。
信じている神(価値観)が異なっているだけです。『科学』という神(価値観)を信じているか、アブラハムの神々(価値観)を信じているかの違いだけです。神という言葉で代表される価値観を信じている『行い』は同じです。
無神論者は、『価値観を信じる行為』自体を否定している人々では無くて、既存の『神』と呼ばれている価値観を否定している人々です。彼らは、『科学』と呼ばれている新興宗教の新しい価値観を信じています。

案外、科学教(新興宗教)とアブラハムの神々(既存宗教)との間で、人間の心の支配を巡って、宗教対立が生じているのかもしれません。進化論は、たまたま、既存宗教と同じように、『いい。わるい。』の価値観を使って正統性を主張した為に、目の敵にされたのかもしれません。

ネオ・ダーウィニズムは、別名『正統派進化論』と、『正統派』という宗教用語を使って修辞されています。この言葉を使い方を見ていると、心の奥底では、これは科学教のひとつ、即ち、宗教だという自覚があるみたいです。

それが証拠に、仏教は、『いい。わるい。』を主張しないので、進化論も否定しません。仏教も、輪廻転生 という、進化論とは別の生命観を持っていますが、生物進化の現実は受け入れています。アブラハムの宗教のように、激しく対立し、批判することはありません。心理的抵抗は、ほとんどありません。

なお、輪廻転生は、仏教の変遷過程で、インドの土着信仰が紛れ込んでしまったものです。仏教とは、関係ありません。
仏教自体は、生死観を持っていません。ただ、「人間、欲望を持ち続ける限り、その欲望によって、同じ過ちを繰り返す。だから、同じ過ちを繰り返さない為にも、欲望を鎮めることが大切だ。」と、教えています。

この話と、輪廻転生が、混線してしまったようです。「命への執着が、生死を繰り返す。」と。最初期の原始仏教には無かったのに、ある日、突然、『輪廻転生』が現れました。

参考 4)童話と進化論

グリム童話の『赤ずきん』を思い出して下さい。この物語は、『よい子の赤ずきん』と、『わるいオオカミ』とから構成されています。『いい。わるい。』の価値観の上に、物語が組み立てられています。

自然選択説も、『いい。わるい。』の価値観の上に、物語が組み立てられています。その論理構造が全く同じです。『言葉』は違っていますが、『行い』は同じです。

ここに、自然選択説が強い支持を得た理由が隠されています。その本質は、進化童話だからです。『赤ずきん』と同じ論理構造だからです。
童話なので、子供の頃から慣れ親しんでおり、思考習慣と相性がよく、理解し易い為です。この思考習慣と相性がよく、直観的に理解し易いことが、絶大な支持に繋がっています。