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2.3 生命現象と生命相互作用


   生命現象は、生命相互作用によって構成されています。

   この相互作用の思考形式を使って、いま自分が問題としようとしている生命現象と、その一部である脳の関与した現象を論じてみます。


   生命相互作用

   我々は、生命現象を、生物という概念と、環境という概念の間に働いている生命相互作用として理解しています。従って、その図式は、次のようになります。



   この生物と環境の関係は、相対的なものであって、一方的なものではありません。
   環境が生物を変えようとすると同時に、生物も環境を変えようとします。例えば、大気中に存在する酸素は、元々は、生命活動において生じた排拙物ですが、これによって原始地球の環境は、大きく変わりました。塩素同様、当時の生物たちにとっては、猛毒だったからです。
   そして、重要な事は、この環境の変化を、今度は生物自身が受けた事です。それまでの嫌気性生物に変わって、好気性生物が進化発展してきました。

   人間は、その生命活動の結果として、様々な工業廃棄物を作り出していますが、このために今地球の環境は大きく変わろうとしています。そして、それに適応できない多くの生物が、絶滅の危機に瀕しています。いや、それを生み出した人間自身も、大きな影響を受けています。
   生物は、生態系という名の生物自身によって作り出された環境の中に暮らしていますが、人間は、今、この自らのゆりかごそのものを破壊しています。

   生命活動の結果は、常にその痕跡を環境の上に残します。そして、今度はその痕跡の影響を生物自身が受けてし舞います。
   生物と環境との関係は、相対的であり、相互作用の上に成り立っているので、生物が環境を変えると同時に、今度は生物自身がその環境変化の影響を受けてし舞います。その現象の因果関係は、車輪のようにまわり続けて仕舞います。


   脳と環境

   このことは、脳の関与した現象についても言えます。
   脳は、環境に影響を与えると同時に、環境から影響を受けます。それ自身は、相互作用の上に成り立っているに過ぎません。
   だから、脳について知りたければ、頭蓋骨の中の豆腐だけを問題とするのではなくて、この様な現象の構造そのものを問題とし、その中で理解する必要があります。

   本来、物の性質は、他との関連における特性を述べたものですから、他との関連の中で定義されるものです。唯物論のように、現象の因果関係を無視して、物の性質を定義しても無意味です。
   即ち、物体としての脳を問題とするのではなくて、現象としての脳を問題とする必要があります。現象全体の中で、物の性質と言うものを理解していく必要があります。




   生命場の構造

   なお、これは余談になるかもしれませんが、何処かでは、役に立つと思うので、生命場と生物進化の関係について、簡単に述べおきます。
   この思考作業では、生物進化の知識を背景で使います。しかし、残念ながら、現代の正統派進化論(ネオ・ダーウィニズム)は、間違っているので使いものになりません。

   代わりに、今西錦司氏の『棲み分け理論』を使っています。ある程度、使い物になる生物進化の理論は、今西錦司氏の『棲み分け理論』と、木村資生氏の『中立説』を、物理学の場の理論や、制御工学の知識を使って統一することによって構築可能です。
   だから、以後の内容が、正統派進化論に反したものであっても、あまり、気にしないで下さい。

   今西の『棲み分け理論』に従うと、生命場は、物理環境と、生物環境から構成された抽象的2次元空間を構成します。生物にとっての環境とは、次のように、定義されます。

 環境の定義 生物にとって、環境とは、自己の生存に影響を与える全ての外部要因を意味している。
従って、それは、物理環境だけでなく、他の生物たちの存在も重要な意味をもつ。
即ち、生物の存在している環境は、物理環境と生物環境という2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間になっている。


   つまり、形式的には、生物の存在している場は、このような物理環境と生物環境から構成された抽象的2次元空間を構成しています。数学的には、2つの独立変数から構成された空間です。

   今西は、この2次元空間を、生活の場と呼んでいます。物理学的に表現すれば、生命相互作用によって構成された生命場です。ちょど、重力相互作用によって構成された重力場に相当します。



   アインシュタインの相対論は、物質と重力場の間に働いている重力相互作用について述べています。



   マクスウェルの電磁気学は、電荷と電磁場との電磁相互作用について述べています。



   ちなみに、世俗世界での男と女の関係は、男と女の間で働いている恋愛相互作用として理解されています。



   この相互作用は、電磁相互作用に似ています。引力と斥力の2相を持ちます。プラスとマイナスは引き合い、プラス同士、マイナス同士は反発し合います。この為、男と女の関係は、しばしば、磁石に例えられます。相互作用の性質が、形式的に同じ為です。

男と女の関係が磁石に例えられるのは、人間の脳がいい加減な為ではありません。もっと重要な意味が背景に隠れています。現象を構成している相互作用の性質が、形式的に、良く似ているからです。

恋愛相互作用と電磁相互作用の共通の性質
  1. 引力と斥力の2相を持つ。
  2. プラスとマイナスは引き合い、
    プラス同士、マイナス同士は、反発し合います。

   しかし、その力の強さは、性質が異なっています。心の距離と、体の距離に翻弄されて、摩訶不思議な様相を呈しています。心の距離だけに支配されている訳でも、体の距離だけに支配されている訳でもありません。電磁相互作用や重力相互作用のように、単純に、距離の2乗に反比例している訳ではありません。遠距離恋愛の例もあります。


   生命現象は、生命場の変動に対する自己保存系の振る舞いである。

   生命現象は、この抽象的2次元空間の場の変動に対する自己保存系の振る舞いであると考えられます。

   ロボットに例えれば、このロボットが生きている場は、物理環境と生物環境から構成された2次元空間です。
   そして、この場は、荒れ狂う海のように、常に激しく変動しています。この激しく変動してる場に、ロボットは適応して自分自身を保ち続けなければなりません。

   この自分自身を保ち続ける姿、即ち、自己が保存される過程が生物の生きている姿です。そして、自分自身と環境との相対関係を一定に維持し続ける原動力となっているのが、この現象を構成している生命相互作用です。

生命場(生活の場)の構造


生命の存在している場は、生物環境と物理環境の2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間になっています。この空間を、今西は、『生活の場』と呼んでいます。物理学的には、生命相互作用から構成された『生命場』のことです。

今西は、「種は、この空間を、互いに重複することなく、棲み分けている。」と主張しています。つまり、物理学的には、『排他律が成り立っている場』と説明しています。

個体レベルでの自己保存系の排他律は、直観的に、簡単に理解できると思います。あなたと私は、同時に、同じ席に座ることはできません。常に、相手を押し退けて、排他的にしか存在できません。

このような排他律が、種のレベルでの自己保存系でも成り立っていると、今西は、『棲み分け理論』で主張しています。


自己保存系の階層構造

   この自己保存系は、地球上の生物においては、階層構造を構成しています。

   大雑把には、最も下位の基本的な自己保存系が細胞です。その細胞の集合によって、個体レベルの自己保存系が構成されています。そして、その個体の集合によって、種(ゲンプール)レベルの自己保存系が構成されています。
   そして、最上位には、その種の集合体によって、生態系が構成されれています。

生命現象における自己保存系の階層構造



注)単細胞生物については、情報が不足しているので、よく解りません。原始的な分、逆に、部品の汎用性が高く、同じゲンプールを共有するグループ、即ち、種の概念が成り立っているのか、疑問です。自転車の部品は、流用が効きますが、飛行機の部品は特殊過ぎて、他では、なかなか使えません。

大雑把には、成り立っているように見えますが、しかし、一方で、広い範囲で、遺伝子が共有されているようにも見えます。赤痢菌や大腸菌の一部が持っているベロ毒素は、遺伝子が水平伝播したものだと考えられています。仕組みが原始的な分、逆に、汎用性が高く、色々な生物間で、同じ遺伝子が機能しているように見えます。

この問題は考えさせられます。我々人間は、自分自身を、高等生物だと思い込んでいますが、実際には、生物が持っている可能性と自由を犠牲にして、その代償として、特化して、現在のような高度なシステムを手に入れているだけのように思えます。従って、個々の構成部品の汎用性が極めて低く、人間という種の壁を越えて使用可能な部品は、そんなに多くありません。ほとんどが、人間専用の部品です。

我々は、生命が持っている可能性と自由を犠牲にして特化しています。その特化した姿を、高等生物だと錯覚しています。



   生物進化は、種のレベルでの自己保存系の振る舞いである。

   生物進化の現象は、このような階層構造の中で、種のレベルでの自己保存系の生命場の変動に対する振る舞いを意味しています。即ち、種を自己保存する為の制御システム系の環境変化への適応行為です。

   このレベルの自己保存系の制御速度は、非常にゆっくりしています。最少目盛でも、千年から1万年かかります。通常は、化石のデータから判断すると、10万年とか、100万年掛かっている現象です。従って、原因と結果の因果関係が、直接観察できなくて、原因もなしに、突然、生じている現象に見えてしまいます。

   生物学者が観察している結果が、突然変異に見えてしまうのは、原因と結果の時間尺度が、生物学者の一生よりもはるかに長い為です。

   彼らは、現象全体に対する考察もなしに、眼の前に見えている事実だけに、しがみついています。もし、彼らの研究方針が正しいと仮定したら、自分の一生よりも時間尺度の長い生命現象は、生物学の対象と出来なくなってしまいます。

   自分が見ているものは、現象のいち断面に過ぎません。真実ではありません。見る方向が変われば、また、違った姿に見えてしまうものです。


   あ、もちろん、変異の中には、システムの故障による変化もあります。
   生物自体は、非常に精巧なシステムです。多重化されているので、少しぐらいの事故では、致命傷にならず、バックアップシステムが正常に機能します。リスク管理が行き届いた、リスク耐性の高いシステムです。

   でも、それにも限度があります。この世は、危険に満ち溢れています。宇宙線や、各種化学物質、細菌などによって、DNAは常に傷つけらています。DNA自体、2重螺旋になっていて、自己修復と、リスク管理の機能がありますが、やっぱり、現実として、奇形も発生しています。

   生物学者は、生物に放射線を当て、突然変異を起こさせ、「突然変異のほとんどは、有害である。」、「自転車を壊せば、飛行機になる筈なのに、実際には、動かなくなってしまった。」と、よく嘆いていますが、システムの故障と、自己保存の為の適応を混同すべきではありません。

 生物進化の定義    進化とは、種のレベルでの環境変化への適応行為であって、そこには、この種を自己保存する為の物理的メカニズム、即ち、制御システム系が存在している。

   この種を自己保存している制御システム系が、存在している場は、物理環境と生物環境から構成された抽象的2次元空間となっている。
   今西は、この抽象的2次元空間を、『生活の場』と呼んでいます。
 システムの故障 生物は、精巧なシステムです。一方、環境は危険で満ち溢れています。この為、システムは、常に、故障と破壊の危険に直面しています。

システムの故障による奇形と、適応の為の変異を混同すべきではありません。前者は、生物に死をもたらしますが、後者は、生存を約束します。生物にとって、最も重要な生と死の問題で、結果が正反対になってしまいます。

いくら見かけが同じでも、混同してもいい程度の些細な問題ではありません。

 

   今西の棲み分け理論と物理学の排他律の同一性

   今西の『棲み分け理論』は、この生活の場が、種ごとに排他的に棲み分けられていることを主張したものです。即ち、この生命相互作用によって形成された抽象的2次元空間の中でも、種のレベルで排他律が成り立っていることを主張したものです。

   この今西の主張は、今後、生命現象を物理学理論として記述していこうとした場合に、重要になります。物質の排他性同様に、生命現象においても、排他律が成り立っていることを示唆しているからです。物理現象は、その多くが排他律を背景として起っていますが、生命現象も、この排他律(棲み分け)を使って多くが説明可能になるかもしれません。

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