2024/01/02 うつせみ

日本語には、人類が言葉を使い始めた頃の古い痕跡が残っています。
動物の鳴き声に近い一音言葉が発達しています。しかも、これらは、生存と結び付いた非常に重要な事象に、優先的に割り当てられています。

4. 人類が言葉を使い始めた頃の痕跡が残っている。

古い痕跡が残っている件は、まだ、仮説段階です。
日本語には、不思議な特徴が残っています。言葉だけでなく、宗教も古い痕跡を残しています。

日本の宗教はアニミズムです。いわゆる、多神教です。万物に(神ではなくて)霊が宿っていると考えています。自分に命があるように、万物にも命が宿っていると感じています。自分の心と姿を、万物に投影しています。自然と共に暮らしてきた昔の人々の宗教観です。自然は、食べ物を与えてくれる優しい存在であると同時に、様々な災害などの試練を与える恐ろしい存在です。人類が最初に持った宗教観が、自然への畏敬の念です。恐れと感謝です。その頃の宗教観が、まだ残っています。この宗教観なしには日本語を語れません。常に、表裏一体になっています。

日本語の特徴で興味深いのは、一音言葉の発達です。基本的で重要な事柄が、一音で表現されています。
これを見ていると、数百万年前の人類の生き様が瞼に浮かびます。日々の暮らしの中で、何を最も重要視していたかが分かります。

  1. 日本語は、一音言葉が発達しています。
    例:「め(眼)」「て(手)」「し(死)」「ち(血)」「ひ(火)」「け(気)」、、、etc
  2. しかも、これらは、生存と非常に密接に結び付いた事象に優先的に割り当てられています。
  3. これらの一音言葉は、母音毎に、グループ分けが可能のようにみえる。
    背後に何らかの根拠を予感させる。デタラメではなくて、生活実感からの連想で割り当てられたと思われる。

アニミズムと結びついている一音言葉は、「け(気)」です。ものに宿っているものを「もののけ」と表現したり、「生き物の気配(けはい)」と表現しています。様々な獣(けもの)に、「け(気)」を感じていたのですね。「け(気)」は、見る事も触る事もできない極めて抽象的な宗教感覚です。でも、生存本能です。獣(けもの)の「け(気)」を感じ取ることができないと、生き残ることはできません。神経を研ぎ澄まして、獣(けもの)が隠れている藪(ブッシュ)に分け入っていました。食べ物を見つける為には、リスクを冒さざる得なかったからです。

一音言葉

日本語は、一音言葉が発達しています。

言語の始まりは、動物の鳴き声だったと思われます。その鳴き声に、生きる意味を対応付けたのが、始まりだったと思われます。実際、動物たちは、鳴き声で、様々なコミュニケーションをとっています。しかも、これらの鳴き声のパタンは有限の為、餌や危険などの生存と非常に密接に結び付いた事象に優先的に割り当てられています。

例えば、カラスの鳴き声には、いくつかの種類があり、夫々に意味があると言われています。チンパンジーは、(人間と同じように、)幾つかの鳴き声を組み合わせて、文章を作って、コミュニケーションを行っているそうです。実験室では、コンピュータ上に記号を表示し、その記号を押して、人間と(簡単な)コミュニケーションが可能です。
(声帯が発達していないので、人間と同じような声は出せませんが、脳自体は言語を処理可能なようです。彼らの行動パタンを観察していると、我々人間と同じように、思考活動が可能な(そこそこ)高度な意識器官を持っているようです。)

人間は、声帯が発達したので、様々な音を出す事が可能となりました。でも、最初は、一音しか発声出来なかった思われます。異なる二音を連続して発声する為には、声帯や口の形、舌の動きを巧妙に連携してコントロールする必要があり、神経組織の発達が必要だからです。簡単には実現できません。

一方、生きる為に、コミュニ―ケーションの要求は切実です。
最初は、一音しか発声出来なかった思われますが、この段階でも、生存上の要求はあります。だから、最初は、この一音に、他の動物同様、意味を割り当てていたと思われます。

生存の優先順位: コミュニケーション >>> 声帯や脳の進化

その視点で眺めてみると、日本語は、その音、つまり、一音言葉が発達しています。
「め(眼)」「て(手)」「し(死)」「ち(血)」「ひ(火)」「か(蚊)」などのように、生存と非常に密接に結び付いた事象が、一音言葉で表現されています。

ただ、一音だけでは、音の数に限りがあります。だから、表現できる事象の数にも限りがあります。この為、生存と非常に密接に結び付いた事象に、優先的に割り当てられているように見えます。一音言葉は、どれも、(生きる上で)切実な事象ばかりです。
何を重要視していたか、当時の暮らしが瞼に浮かぶようです。太古の人も、「か(蚊)」には悩まされていたみたいですね。離島や海の蚊は、アグレッシブだから。(渡船で磯釣りをした経験のある人は分かると思うけど、)服の上からでも刺してきます。
まさかとは思うけど、太古の海洋民族も、蚊で島が近いことを実感していたのかも。昼は空に浮かぶ雲で、夜は蚊で。(島があると上昇気流が発生して雲ができます。)

二音言葉

日本語では、二音言葉も発達しています。二音を組み合わせれば、表現できる事象の数が飛躍的に増大します。縄文時代の日常生活は、ほとんど、二音言葉で表現でるように見えます。特に、海洋民族のせいなのか、海に関する二音言葉が発達しています。

海の例:
「うみ(海)」「はま(浜)」「いそ(磯)」「しま(島)」「かい(貝)」「にな(巻貝)」「たい(鯛)」「いか(烏賊)ニュージーランドのマリオ語では、「いか」は「魚」を意味するらしい。」「たこ(蛸)」「さば(鯖)」「あじ(鯵)」

その他:
「やま(山)」「みね(峰)」「かわ(川)」「たに(谷)」「つち(土)」「いわ(岩)」「そら(空)」「ほし(星)」「つき(月)」「ひ(太陽=おひさま)」は一音言葉です。「ひ(火)」と同じ発音です。、、、etc

でも、二音言葉は、発声する為に、声帯や口の形、舌の動きを(協調して)スムーズに変化させる必要があります。この為に、神経組織の進化が必要です。ハードだけでなく、ソフトの進化も重要です。実際、幼児の場合、最初は、「ま~ま~」と単音の繰り返しです。これは、声帯は変化させないで、息を二回に分けて吐き出しているだけです。異なった二音を連続して発声する為には、ある程度の訓練が必要です。

幼児は、元々神経組織上の機能は持っていますから訓練で可能となりますが、初期の人類は、そもそも、そのような神経組織自体を持っていなかったので困難です。進化する必要があります。この為、一音言葉と二音言葉の獲得の間には、かなりの時間差があったと思われます。数十万年~数百万年の時間差があった?

二音言葉の技術的問題点:声帯や口の形、舌の動きを協調してスムーズに変化させること。そのコントロール。

声帯だけでは、言葉は喋れません。それをコントロールする為の神経組織の進化も必要です。それに見合っただけの容量の脳が必要です。
ハードとソフトの両方の進化が必要です。

4.1 言葉を話す為に必要な二つの進化。

言葉を話す為には、二つの機能が進化する必要があります。

  1. ハードの進化(声帯などの物理的仕組みの進化が必要です。)
  2. ソフトの進化(それをコントロールする神経組織の進化が必要です。)

ハードが進化しただけでは、言葉は喋れません。
それが証拠に、幼児は、「ま~ま~」などのような同音の繰り返しがやっとです。二つの異なった音を連続して発声することは困難です。その為には、口の形、舌の位置、声帯などの複数の要素を連携してコントロールする必要があるからです。同音の繰り返しなら、まだ比較的容易です。息を二回に分けて吐き出せていいからです。しかし、二つの異なった音を連続して発声するのは、発声器官の状態を、(息を吐くタイミングに合わせて)スムーズに遷移させる必要があるので結構困難です。神経組織上の学習や訓練が必要です

このような事情は、人類の進化初期にも起こったと思われます。声帯などの発声器官(ハード)が進化して、様々な音を出す事が可能になりました。

一音(子音+母音)を出すことは、動物の鳴き声の延長として、比較的容易だったと思われます。

でも、異なった二音を連続して発声する事は、困難だったと思われます。声を出す為には、声帯、口の形、舌の動き、息の吐き方などの複数の機能を連携してコントロールする必要があります。これらを、連携させながら、スムーズに別の状態に遷移させる必要があります。

神経組織が未発達な段階では、このコントロールは困難だったと思われます。実際、幼児は、生まれながらに、その機能は持っていますが、最初は、「ま~ま~」といった同音の繰り返しです。訓練して、やっと可能になります。神経組織の訓練による最適化が必要です。

初期人類は、そもそも、そこまで進化していなかったので、そのような神経組織上の機能を持っておらず、訓練しても不可能です。動物に算数を教えるようなものです。どんなに訓練しても、計算できるようにはなりません。
種のレベルで、時間を掛けて、神経組織を進化させる必要があります。

言葉を話す為には、声帯などのハードの進化も重要ですが、そのハードをコントロールする神経組織の進化も重要です。

ボノボやチンパンジーの言語能力について

ボノボを(小さい頃から、人間と一緒に暮らして)訓練すれば、人間の言葉を理解できるようになります。
コンピュータの助けを借りれば、画面上の図形を押して文章を組み立て、自分の意志を伝えることもできます。注意深く観察すると、人間の言葉を真似て、口から音を出しているようにも見えるみたいです。でも、声帯が発達していないので、(物理的制約から)言葉にはなっていませんが。
ちなみに、野生のチンパンジーは、幾つかの鳴き声を組み合わせて文章を作り、複雑な意味を伝え合っているみたいです。

ボノボもチンパンジーも、(程度の差はありますが、)言語や文章を使いこなす基礎能力は持っているみたいです。でも、声帯が発達していないので、(人間のように)発声することは出来ません。

動物の能力は、その動物の生存環境の中で最適化されています。
「人間と同じような言葉を発声することが出来ないので、チンパンジーには言語能力がない。」と判断することは、適切でないかもしれません。物理的制約で人間と同じことが出来ないだけで、神経組織自体は、ある程度対応している。(彼らのハード要件に合った)別の手段を使えば、もっと、もっと、彼らの才能を引き出せると思われます。ハードとソフトは、分離して考察する必要があります。

一音言葉の切実な需要

群れを作る動物には、コミュニケーションの需要がありました。群れ内部で様々な情報を交換する必要があったからです。実際、他の動物でも、様々な鳴き声を使って、(群れ内で)情報を交換し合っています。

「コミュニケーションの切実な需要はある」という現実と、(最初は)「一音しか発声できない」という制限から、何が起こったでしょうか。

  1. 需要:コミュニケーションの切実な需要はある
  2. 制限:一音しか発声できない

とりあえず、現状の機能の中で、コミュニケーションという目的を達成したと思われます。
つまり、発声可能な単音に、生存と非常に密接に結び付いた重要な事項を、優先的に割り当てたと思われます。実際、動物は様々な鳴き声でコミュニケーションしていますが、余り多くの鳴き声は不可能なので、(危険や餌などの生存上)重要な事項に限定されています。

我々人類も、一音(子音+母音)が発声できるようになった段階で、その音に、生存と非常に密接に関わった意味を(優先的に)割り当てたと思われます。即ち、一音言葉の発達です。
その一音言葉を使って、群れ内部で情報交換を行っていたと思われます。言語機能の充分な発達を待てなかった。

4.2 一音言葉

この視点で、現代日本語を眺めてみると、様々な一音言葉が存在しています。

この一音言葉で、重要な事は、「母音毎に、一定のグループを構成している」ように見えることです。背景に、何らかの連想や関係があるように見えます。


体の部位に関する一音言葉

母音「e」は体の部位を指定しています。

「め(眼 me)」、「て(手 te)」、「せ(背 se)」、「け(気 ke)」

眼も手も生存に最も大切な器官です。
「け(気)」は、生き物の気配を感じる為に非常に重要です。視界が悪い森や藪の中、背の高い草で覆われたサバンナでは、「もののけ(物の気)」や「けもの(気物)のけはい(気配)」などの「け(気)」を持った生き物の気配を感じる事ができるかどうかは命に係わります。神経を研ぎ澄まして集中する必要があります。「けもの」は、草陰に身を潜めて、待ち伏せています。
現代人は、言葉ばかりを見つめているので、この「け(気)」を感じる能力が退化しています。

「せ(背)」も一音言葉になっています。背中は死角になっているので、背後の危険を知らせる必要から、「め(眼)」や「て(手)」同様に、優先度が高くなっているのでしょうか。仲間の背中に「けもの(気物)」が忍び寄っていたら、慌てて、「せ、せ、せ、、、」と叫んで、危険を知らせたのでしょうか。よっぽど、背後から襲われるのが怖かったのですね。一音言葉を見ていると、当時の人々の暮らしが瞼に浮かぶようです。

なお、耳や鼻首指肘足は、重要な器官ですが、最重要ではありません。日常生活でも、それ程、使用頻度の高い言葉ではありません。従って、割り当てられていません。これらは、次に述べる二つの音から構成された二音言葉で表現されています。つまり、第二優先です。第一優先ではありません。


生存や事故と密接に結びついた一音言葉

母音「i」は、生存と非常に密接に結び付いています。生存を脅かす事故と関連しています。

「し(死 shi)」「ち(血 chi)」「み(身 mi)」「み(実 mi)」「ひ(火 hi)」「き(木 ki)」「ひ(日 hi =太陽)」

「ひ(火)」と「き(木)」は、夜、獣に襲われない為に、或いは、食事や暖を取る為に大切です。現代でも、火が消えそうになると、ついつい「火、火、火。。木、木、木。。」と、慌てて連呼します。
今は、マッチやライター、懐中電灯があるので火起こしは簡単ですが、昔は、火が消えると真っ暗になって、火起こしは至難の業になります。明るいうちに、薪を集め、火を起こし、朝まで絶やさないように、慎重な準備が必要でした。その意味で、「き(木)」は「ひ(火)」と同じくらい重要だったのでしょう。
人類が火を使い始めたのは、大雑把には100万年前頃みたいです。まだ信頼性は高くありませんが、それでも、言葉と火の関係を推測するには参考になります。火を管理する為には、高度な計画性とコミュニケーションが必須だからです。火起こしの道具、着火剤、乾いた細い枝、長時間燃える太い薪等、それらを互いに連携しながら管理する必要があります。少なくとも、火を使い始めた頃には、それらを実行可能な程度に、言葉も発達していたと思われます。

なお、太陽も「ひ(日)(おひさま)(ひがてる)」です。「ひ(火)」と同音です。一音は、音の数が限られているので、現代日本語だと50音しかありませんから、同じ「ひ」が割り当てられたのでしょう。どちらも暖かいし。

「み(身)」は、身体のことも意味しますが、中身のことも意味します。「栗の実」、「貝の身」、「むき身」と言った使い方もします。漢字は異なっていますが、(視覚的に体感的に)意味するところは同じです。大雑把には、殻の中に入っている可食部を指しています。



体を傷つける一音言葉

母音「a」は、体を傷つけたり刺したりするものです。

「は(歯、葉、刃 ha)」、「か(蚊 ka)」、「や(矢 ya)」

葉っぱには、小さな棘があります。だから、原っぱを掻き分けて進むと、(葉先で)体中が傷だらけになります。歯で噛みつかれたら傷ができます。刃で切りつけられても傷付きます。蚊は世界中にいます。刺されたら痛いです。矢で射られても、傷つきます。「やり(槍)」も、やはり同様に体に刺さります。皮膚が損傷する物を、母音「a」で表現しているように見えます。


コミュニティを表現する一音言葉

母音「a」には、もうひとつのグループがあります。自分たちのコニュニティを指しているらしい言葉の群があります。

「わ (和、 輪、倭 wa)」
「な(名 na)」「ま(間 ma)」「た(水田 ta)」「かか(かあちゃん ka)」

「わ」は、自分たちの属しているコニュニティを指しているようです。現代語にも、その名残があります。「わに入る」、「わを乱す」、「われ」、「われわれ」、「わたし」などのように、「わ」を使って、自分、又は、自分の属するコニュニティを表現しています。

「わ (倭)」は不思議です。三千年前の中国では、揚子江下流域に住んでいた人々を指す言葉だったみたいです。(他人から「お前は、何処の部族の者だ?」と聞かれて)自分たちのコニュニティを「わ」と自称していたのでしょうか。
漢字に人偏が使われているので、少なくとも、人間扱いはされていたみたいです。自分たちと同じ文明圏に属している人々と見なされていたみたいです。中国の伝統では、周辺異民族は、鮮卑や匈奴などのように、卑下するようなヘイト漢字が割り当てられています。人間扱いされていません。

なお、二千年前には、なぜか、九州北部や朝鮮半島南部に住む倭人文化圏の人々を指す言葉になっていました。これが、また謎です。やはり、弥生人のルーツは、揚子江下流域に住んでいた倭人だったのでしょうか。でも、なぜ、縄文語と、三千年前の揚子江下流域の人々を指す言葉が一致しているのでしょうか。揚子江下流域の倭人のルーツは、日本列島の縄文人だったのでしょうか。縄文人は海洋民族だったので、その可能性は充分にあります。

倭人文化圏では、水田稲作によって、膨大な人口と富を蓄積していました。水田稲作は、画期的な技術革新でした。春夏は水の中、秋冬は乾いた土と、土壌環境を大きく変えた為に、土壌の生物相が大きく変化しました。この為、連作障害が発生せず、毎年毎年、安定して沢山の収穫が期待できました。(連作障害が発生しやすい)陸稲に比べて約二倍の収量です。この為、多くの人口を養うことが可能でした。また、米は長期間の備蓄が可能でした。富の蓄積には最適でした。
当時の気候では、朝鮮半島南部辺りまでは、水田稲作が可能だったみたいです。それが証拠に、水田開墾時の残土の捨て場、つまり、古墳が朝鮮半島南部でも見られます。倭人文化圏の痕跡です。
残土の捨て場は、やがて、(山岳信仰と結び付いて)祭り事の象徴、祭壇付きの土の山、つまり、前方後円墳になったみたいです。時の権力者にとって、動員した民衆の労をねぎらうことは、重要な関心事だったのでしょう。日本は、同一民族による支配だったので。大陸国家のような異民族による過酷な支配とは異なっていました。
つまり、アイデンティティーの単位の問題です。同族か異民族かの。ファミリーなら内部の和や利益を優先します。同じ村の人間同士なら、助け合います。異民族なら、力による絶対的支配を優先します。支配対象は人間ではなくて、ニラ(又は、雑草)なので。刈っても刈っても、放っておいたら直ぐ生えてきます。だから、支配する為に、全てを犠牲にできます。雑草の都合を無視して。政治システムは、アイデンティティーの単位によって根本的に異なります。

「な」は、「あなた」とか「なまえ」などのように、コニュニティの構成員を指す言葉みたいです。

「ま」については、日本は「間」の文化です。「間を取る」とか「間を空ける」のように、人と人の適度な間(距離)が大切です。

「かか」は、同音の繰り返しなので幼児語です。「かあちゃん」や「おっかあ」の用法にみられるように、大人は「か」と単音を使っていたのでしょうか。
日本やポリネシアは、元々母系社会です。源氏物語に見られるように、通い婚の文化がありました。この意味で、母親こそが、家族やコニュニティの象徴です。


母音「a」が、二つのグループから構成される謎

なぜ、母音「a」に、本質的に異なった二つのグループが存在しているのか疑問です。

ひとつは、「は(歯、葉、刃)」、「か(蚊)」、「や(矢)」などのように、体を傷つける一音言葉です。

もう一つは、「わ (和、 輪、倭)」「な(名)」「ま(間)」「た(水田)」「かか(かあちゃん)」のように、自分の属しているコミュニティを表現する一音言葉です。

このふたつは、性格が大きく異なっています。片方は自分を傷つけるもの、もう片方は自分を守るものを意味しています。正反対です。余りにも、異なり過ぎています。

元々は、異なった母音だったものが、ひとつに収斂したのでしょうか。それを検証する為には、かなり時代を遡る必要があるので、今となっては確認のしようがありません。結果として、残骸が残っているのみです。


日本語の変遷

日本語は、発音が単純化する方向に進んでいます。

一音言葉が主流の頃は、一音で、出来るだけ沢山の事象を表現するために、母音の種類も、子音の種類も、沢山必要です。あれば有る程、沢山の事象を表現可能になります。
その代わり、聞き取り辛くなる副作用もあります。良く似た音が増える為です。

でも、二音言葉が可能になると、沢山の事象を表現可能となったので、聞き易さを優先して、母音や子音の種類が減ってきたと思われます。音素の数を減らすと、信号空間内の距離も離れる為、認識も容易になります。発音に、少々、個人差があっても、充分聞き取れるようになります。

日本語の変遷は、聞き取り易さの為に、音素の数を減らす方向に進んでいます。つまり、発音が単純化する傾向にあります。
ある意味、(日本列島内での)グローバル化です。時代が下ると共に、列島内での移動が益々活発になりました。弥生時代頃から、政治権力も統一され、人口も集中するようになりました。この為、母音や子音の音素の数を減らして、(誰が喋っても、)聞き取り易い方向に進んだものと想像されます。或いは、不特定多数による伝言ゲームの結果、最大公約数に収斂したのでしょうか。
例:「ゐ」、「い」 --> 「い」

言葉と信号空間

言葉と信号空間
発音には、個人差、地域差があります。
この為、良く似た音の場合、聞き分けが困難になります。
「ゐ」と「い」は似た音の為、聞き分けが困難で、時として、聞き間違いでトラブルの原因になります。
解決方法:
「ゐ」を廃止して、「い」に統一する。(音素を減らす。)
つまり、物差しを変更して、目盛りの間隔を広くする。
実際、現代の日本人は、「ゐ」と「い」を区別できません。全て、「い」と理解しています。

情報は、常にバラツキと誤差が生じています。
この為、情報の意味を理解する為には、正規化(標準化)が必要です。
我々は、外部からの音声が、どの言葉と近いかで、正規化を行っています。つまり、標準化して、意味を理解しています。
このような「遠い近い」の概念を持った情報の空間を「信号空間」と呼んでいます。

もし、情報のバラツキが大きくトラブルが多発する場合は、正規化ポイントの間隔を広く取ればトラブルが回避できます。充分離れていれば、どっちがより近いか、悩まなくても済むからです。
この理論は、数学の世界では、CDやQRコードの読み取りに応用されています。(傷や汚れで)多少の読み取りエラーが発生しても、数学的手法を使って自動で訂正して、正しい情報に戻すことが可能です。

人間が言葉を使う場合も、(自覚すること無く)この情報学の理論に従って行動しています。実際、常に、聞き間違いや誤解のトラブルに悩まされているからです。

これと似た状況が、江戸の山の手で起こりました。参勤交代で地方の武士が集まり、方言の坩堝でした。だから、現代の標準の原型となった山の手言葉には、二つの特徴があります。
1. 聞き取り易いように、一音一音をハッキリと発音する。
2. 誤解が生じないように、言い回しが回りくどい。最初は、イライラしました。
あの壮大な無駄、参勤交代は、結果としては、日本の近代化に大きく貢献しました。



数に関する一音言葉

数を数える場合も、和語の場合、一音言葉になっています。
ただ、発音に一定の規則があるようには見えません。

ひ(一)、ふ(二)、み(三)、よ(四)、い(五)、
む(六)、な(七)、や(八)、こ(九)、と(十)

生活と密接に結び付いた10までの数は、一音言葉になっています。
でも、10以上の数については、一音言葉にはなっていません。10進法の規則で、複数の音を組み合わせて、数えているように見えます。

数は、多くの民族で、体の部位と関連付けて数えています。小学生は、最初、数を覚える時に、手の指と関連付けています。指を折って数えています。
数に関する一音言葉は、元々は、その体の部位の名称が由来なのでしょうか。だから、発音自体に、一貫性が見出せないのでしょうか。今となっては、確認のしようがありません。数と言葉の対応関係は、人類が言葉を使い始めたかなり早い時期には、もう既に、確立していたと思われます。

このように、一音言葉は、生存と非常に密接に結び付いた事象に優先的に割り当てているように見えます。しかも、母音毎に一定の傾向があるように見えます。デタラメに割り当てられているのではない。ある一定の感性と連想で割り当てられているように見えます。


音と意味の対応関係

言葉の場合、音だけで意味を構成している訳ではありません。

一音にひとつの意味を割り当てた場合、表現できる事柄が限られます。現代日本語では、50音程度ですから、50個の事柄しか表現できません。昔は、もう少し母音や子音が多かったとしても、根本的解決にはなりません。日々の暮らしの中では、もっと多くの事柄を伝え合う必要があるからです。音の数が、絶対的に不足しています。

このような制限を回避する方法は幾つがあります。

  1. 複数の音を組み合わせて言葉を作る。例、二音言葉、三音言葉、、、
  2. 同音異義語のテクニックの使う。
    使われる状況に応じて、同じ音や言葉を別の意味に使う。

以下で話題にするのは、「同音異義語のテクニック」です。

言葉は、コミュニケーションの為の手段です。コミュニケーションを行う場合、必ず、ある特定の状況に置かれています。その状況の中で、正しく伝わるなら、目的は達成されます。つまり、ひとつの音に対して、状況に合わせて複数の意味が割り当てられていたと思われます。

言葉の意味 = 音 × 状況 (= 同音異義語)

このような状況依存型の同音異義語のテクニックを使えば、50音の制限を超えて、もう少し多くの意味を伝え合うことが可能になります。
実際、現代の日本語でも、大量の同音異義語が存在しています。

一音言葉でも、このテクニックは有効です。日常生活では、ひとつの音に、状況に合わせて、複数の意味が割り当てられていたと思われます。
例:「は(歯、葉、刃)」、「ひ(火、日)」、「み(身、実)」 etc
(根本的解決にはなりませんが、目先の問題を最低限は回避できます。なお、根本的解決の為には、下記に述べる二音言葉を発達させる必要があります。)

参考)この仕組みを数学的に応用したのが、暗号システムです。

暗号では、元の文とパスワードを組み合わせることによって、暗号用記号が、パスワードによって複数の意味を持つように変換されます。
また、言葉の理解でも、同様です。当人の過去の経験や持っている知識から理解しています。知識や経験は、人夫々異なっています。だから、同じ言葉でも、しばしば理解が異なります。つまり、誤解が生じてます。
言葉は、(暗黙の)背景を考慮することが大切です。

言葉の意味 = 音  × 状況
言葉の理解 = 言葉 × 経験   (経験の差異で、理解が異なります)
暗号文   = 文  × パスワード(パスワードによって異なった暗号文が作成されます)


言葉は変わり易いもの

もちろん、言葉は変遷し易いものです。昔がそのまま残っていることはありません。母音が変化したり、複数の母音が退化して、ひとつの母音に収斂したこともあったでしょう。或いは、二重母音が単母音に変化したこともあったでしょう。

しかし、そのような長い歴史と、その変化を考慮しても、無視できないものを感じます。発声は、一定のルールで変化します。同じグループは、同じルールに従って、同じ方向に変化すると思われます。この原則を否定したら、言語学の前提が崩れます。言語間の類縁関係を推定できなくなってしまいます。

【一音言葉 まとめ】

     
  1. 一音言葉は、生存と非常に密接に結び付いた事象に優先的に割り当てられている。
  2. 母音のグループ毎に、一定の傾向を持っているように見える。


4.3 二音言葉

二音言葉

幼児語は、「まんま、わんわん」などのように、同音の繰り返しが多く存在します。

同音の繰り返しなら、比較的簡単に発声できます。でも、二つの異なった音を連続して発声するのは困難です。初期の人類にも困難です。神経組織が対応していないので。
でも、でも、二つの音を組み合わせた二音言葉なら、多くの事象を表現可能になります。

一音言葉では、表現できる事柄に限りがあります。音の数に限りがある為です。その欠陥を補う為に、日本語では二音言葉が発達しています。二音使えば、かなり多くの事柄を、区別して表現可能です。言葉の進化で、比較的後期に起こった特徴だと思われます。

言葉の長さと情報量
言葉の種類情報量を計算情報量
一音言葉50音50
二音言葉50音 * 50音2500
日本語は、50音から構成されていると仮定。
一音だけだと、50種類の事象に言葉を割り当てることが可能です。
二音になると2500個の事象に言葉を割り当てることが可能となります。

これに、(置かれている状況によって意味が異なる)同音異義語のテクニックを使うと、もう少し、多くの事象に言葉を割り当てることが可能になります。



体の部位を表現する二音言葉

例えば、体の部位に関する言葉は、多くが二音言葉で表現されています。

「みみ(耳)」「はな(鼻)」「くち(口)」「くび(首)」「かた(肩)」
「ゆび(指)」「ひじ(肘)」「ひざ(膝)」「あし(足)」「こし(腰)」
「へそ(臍)」「むね(胸)」「はら(腹)」「しり(尻)」



コミュニティを表現した二音言葉

人間関係や社会に関連した言葉です。

「かみ(神)」
「とと(父)」「かか(母)」「ねね(姉)」「あに(兄)」
「じじ(祖父)」「ばば(祖母)」「おじ(叔父)」「おば(叔母)」
「いえ(家)」「むら(村)」「ふね(船)」
「うち(内)」「なか(中)」「そと(外)」「よそ(他所?)」



身の回りの自然を表現した二音言葉

「そら(空)」「つき(月)」「ほし(星)」
「やま(山)」「かわ(川)」「おか(丘)」「とち(土地)」
「つち(土)」「みず(水)」「いし(石)」
「うみ(海)」「はま(浜)」「いそ(磯)」「しま(島)」「なみ(波)」「しお(潮、汐、塩)」

「うお(魚)」「たい(鯛)」「ふぐ(河豚)」「たこ(蛸)」「いか(烏賊)」
「あゆ(鮎)」「あじ(鯵)」「さば(鯖)」「はぜ(鯊)」
「かい(貝 = 一枚貝、二枚貝)」「にな(蜷 = 巻貝)」
「とり (鳥)」「むし (虫)」「あり (蟻)」「はち (蜂)」

「とき(時)」
「あさ(朝)」「ひる(昼)」「よる(夜)」
「はる(春)」「なつ(夏)」「あき(秋)」「ふゆ(冬)」
「ゆき(雪)」「あめ(雨)」「かぜ(風)」「きり(霧)」「つゆ(露、梅雨)」

「あか(赤)」「あお(青)」「しろ(白)」「くろ(黒)」

二音言葉も、結構、歴史の古い言葉に見えます。昔の人々の生活が垣間見えるようです。

その民族の生活と結び付いた事柄は、単語の数が多くなって、細かな違いが識別されます。その当時の人々の身近な関心事だったからです。例えば、雪に関連した言葉でも、北国では、「雪、みぞれ、あられ、綿雪、粉雪、雹、、」などと、多くの言葉を使って、微妙な違いが表現されています。雪の種類によって、日常の生活が様々な影響を受けるからです。
南国では、そもそも、雪なんて滅多に降らないので、「雪」という言葉ひとつだけでも充分です。

その意味では、やはり、日本人の祖先は、海洋民族だったのですね。海に関する言葉が発達しています。同じ海岸でも、「はま(浜)」と「いそ(磯)」が区別されています。同じ貝でも、「かい(貝)」と「にな(巻貝)」が区別されています。魚種にも、夫々固有名詞が割り当てられています。


二音言葉が多い原因

ただし、二音言葉が多いのは、日本語の特性上、二音が発声し易い為かもしれません。現代日本語でも、家庭内で子供の名前を呼ぶ時には、二音言葉が使われます。

例えば、「ひろし(博)」という子供の名前の場合、戸籍上の正式名称は三音ですが、家庭内では、「ひろ」とか「ひろ ちゃん」と、二音で呼ばれています。正式名称で呼ばれる事は、それ程、多くありません。
最近では、最初から、戸籍上の名前も二音になる傾向があります。

日常生活と密接に係わった使用頻度の高い言葉は、必然的に、発声し易い二音言葉になってしまうのかもしれません。二音言葉に古い痕跡が残っているのは、縄文時代から現代まで、基本的な生活習慣が変化していない為かもしれません。

もちろん、以上は大雑把な傾向です。人間のやる事なので、例外も結構あります。

4.4 ペトログリフ

日本語のように、一音言葉が発達していると、音に対して記号を割り当てることが比較的簡単になります。即ち、表音文字が可能です。漢字が伝わる前に、既に表音文字が存在していたのではと疑っています。

一音言葉は、「し(死)、ち(血)、み(身)、ひ(火)」などのように、生きる事と密接に結びついた抽象的概念が多いので、視覚的形が曖昧です。従って、(視覚的物の形である)象形文字で表現することは困難です。抽象的記号で表現せざるえません。

もし、一音言葉を抽象的記号で表現できるなら、その延長である二音言葉も、一音言葉用記号を使って表現可能になります。文字の発達が容易な下地が揃っています。

「一音一義」から、「一音一義一字」への発展は容易です。それを応用すれば、「二音一義」から「二音一義二文字」へのハードルは高くありません。一音言葉で作った表音文字を、そのまま、流用すればいいからです。

一音言葉が存在していたことは、表音文字の発達に非常に有利です。しかも、象形文字ではなくて、最初から、抽象的記号を使う必要があります。「し(死)」などのように、形を持たない抽象的概念もあるからです。表音文字なので、文字の数も比較的少なくて済みます。文字自体も、一音言葉が背景にあるので、覚えやすいと思います。文字を覚える時、一音言葉からの連想で覚えることができます。習得が簡単です。文字自体が、既に生きる意味を持っています。

日本語は、一音言葉であると同時に、表意文字の性質も内包しています。
この為、表音文字やペトログリフの発達を促したのではと考えています。非常に、ハードルが低かったのではと想像されます。
方言のように、多少、発音に差異が生じても、表意文字としての性質を利用して、意味を手掛かりにして標準化が可能です。この標準化によって、広い範囲で流通可能な文字体系となります。

注)文字や記号の形は、筆記媒体の物理的性質に強く依存しています。

漢字は、最初、甲骨文字から発達したと考えられています。つまり、硬い記録媒体に情報を書き込んでいました。硬い場合は、直線が書き易く、曲線は困難です。漢字が線の組み合わせで構成されている所以です。
後の時代に、筆が発明されて、曲線の表現が簡単になりました。結果、楷書体と草書体という慣れないと、同じ文字とは思えない意味不明な文字体系になってしまいました。

シュメールの楔文字は、粘土板に文字を書く為に最適な形をしています。ヘラを斜めに持って、先を押し付けて記録しています。従って、字体は楔のような形になります。粘土板に記録するには、最も合理的な方法です。しかも、個人差によるトラブルを回避する為に、識別が容易なように、楔の向きが縦横斜めの三方向になっています。誰が書いても、多少、姿勢や手先が狂っていても、縦横斜めの三方向だけなら、個人差を超えて識別可能です。

日本のペトログリフは、岩肌に記録されたものが残っています。ところが、それを見ると曲線を使った抽象的記号も多く見受けられます。硬い岩に曲線を刻むのは困難です。合理的ではありません。最初から、硬い岩に刻むのが前提なら、甲骨文字と同じように、直線を主体としたデザインにします。
ひょっとしたら、当時は、曲線を描くのが簡単な筆記媒体が主流で、それを記念碑的意味合いで、岩肌に転写していただけかもしれません。それは、生物由来の媒体で、葦船のように、遺跡としては残り辛いものだったのかもしれません。



神代文字

日本には、(公には認められていませんが、)神代文字が存在しています。

それらの神代文字は、統一性が無く、バラエティーに富んでいます。これから推測すると、同時多発的に、各時代、各場所で発生したのではと疑ってしまいます。

日本語の場合、一音言葉に記号を割り当てるだけで済むからです。しかも、一音言葉は、音自体が意味を持っています。その意味に、記号を割り当てるのは、連想が効き、管理が容易です。しかも、しかも、一音言葉は、音の数に限りがありますから、準備する記号も少数で済みます。例え抽象的記号を使っても、文字の数自体が少ないので、簡単に覚えられます。

  1. 一音言葉に、記号を割り当てるだけで済む。
  2. 一音には限りがあるので、準備する記号も少数で済む。
  3. 抽象的記号を使っても、文字自体の数が少ないので、簡単に覚えられる。
  4. 音には(一音言葉として)意味があるから、連想が効き、管理が容易。同時に、表意文字である。

表音文字が発生する下地が揃っています。



ピジン語

我々日本人の祖先は、10~12万年前の温暖期にアフリカを出て、そのまま、海岸伝いに東進し、タイ沖のスンダランドに辿り着き、そこから北上して、4~5万年前に、日本列島に辿り着いたと思われます。

アフリカからスンダランドに至る海岸線は赤道に近いので、氷河期でも、比較的温暖です。しかも、海の側なので、寒暖の差もありません。比較的温暖です。裸のサルでも充分耐えれます。寒冷地適応の必要がありません。

一方、ギリシャ、トルコに向かう北上ルートは、一旦は、ギリシャ、トルコの辺りにまで辿り着いたと思われます。でも、氷河期の到来によって、(裸のサルは)押し戻されてしまいました。寒さに耐えれなくて消滅したグループもあれば、南下して生き残ったグループもあったでしょう。生物は、(大局的には)気候が変動したら生息域も変動します。

7万年前に衣服(毛皮)が発明されてから、やっと、寒冷地適応が可能となり、6万年前頃から、ヨーロッパやアジアの寒冷地に進出しました。所謂、グレートジャーニーです。

(裸のサルにとって、)出アフリカのポイントは、寒冷地適応、即ち、衣服の発明と火の利用技術です。火を起こす技術、火を持ち歩く技術です。食糧問題は、元々雑食だったので、それ程、重要ではありません。獣でも魚でも、草木でも、多くの物を食料にできました。

しかし、それにしても疑問なのは、30万年前の温暖期に出アフリカを果たしたネアンデルタール人の寒冷地適応です。なぜ、成功した?。そして、次回の温暖期である20万年前は出アフリカに失敗したように見えることです。一旦は、ギリシャ辺りまで北上したみたいですが。

大局的には、温暖化の度に、生息域が北上しました。つまり、出アフリカが起こりました。でも、寒冷化によって(裸のサルは)押し戻されました。これが、大雑把には、10万年毎に繰り返されました。もともと人類は、赤道直下の草原環境(サバンナ)に適応した動物だったからです。暑さには耐性があっても、寒さにはありませんでした。
なお、それ以前の原人たちの場合、まだ体毛が残っていたので、寒冷地適応は比較的容易だったと思われます。つまり、出アフリカに比較的容易に成功したと思われます。

海岸線伝いに東進したグループは、直線的な移動だった為、異民族同士の衝突と交雑を経験していないのではないか、つまり、「日本語は、ピジン語の経験が無かったのでは」と疑っています。

スンダランドから日本に至る道は、北上ルートなので、やはり、寒冷地適応の問題が発生します。ここには、暖流である黒潮が流れていたので比較的温暖です。4万前は、海水面が今よりも80m程度低く、ベーリング海峡の水深は50m程度なので、北極の冷たい海水は太平洋に流れ込まず、黒潮は、今よりも、もっと北上していたものと思われます。しかし、それでも氷河期なので衣服の問題は発生します。独自に、発達させていたのでしょうか?。これによって、4万年前の人々の北上限界が決まります。衣服の問題が解決されていれば、北海道を突き抜けて、サハリンやシベリアまで拡散が可能です。解決されていなければ、黒潮が今よりも北上していたとしても、北海道辺りが限界と思われます。(根拠はないけど。)

この辺りは、南米最南端のヤーガン族が参考になります。彼らは、海洋民族でしたが、裸でした。衣服を着ていませんでした。火で暖を取っていました。長い年月を掛けて適応すれば、南緯55度の環境までは適応可能みたいです。日本で言えば、カムチャッカ半島辺りまでは可能です。

日本は島国なので、大規模な民族移動は不可能です。当時の造船技術では、小さな船で、少人数がパラパラと辿り着くのがやっとです。常に、大多数の地元民の中に、少数の来訪者が取り込まれてきた歴史です。この為、初期の言語構造を、そのまま、現代にまで引き摺ったのではと思われます。(ピジン語が発生する機会は無かった。)

これに対して、大陸は地続きです。(寒冷化などが起こると)民族全体が歩いて移動しています。大陸の歴史は、民族の移動と衝突の歴史です。民族が入り混じると、必然的にピジン語が発生します。

ピジン語の文法は、語順で決まっています。言葉を順番に並べていきます。
互いに言葉が通じない場合、身振り手振りで、単語を並べながらコミュニケーションするのがやっとです。とても、日本語のような、文法識別子を使った文章など、複雑過ぎて不可能です。ピジン語のような単純な文法構造となります。

ピジン語が自然発生した時、人間の言語能力は、ソフトもハードも、既に完成していました。後は単語と、その発声だけです。子音が連続したような複雑な発声も最初から可能だったと思われます。

一方、過去を引き摺っている場合、ソフトとハードの進化は、互いに縺れ合いながら進みます。一音言葉から、二音言葉へと。あくまでも、音(鳴き声)が基本になって変遷していくように思えます。文法構造は、生活習慣や発想の問題なので、変化するのは困難と思われます。
日本語が、幼児語や擬態語の傾向を強く残しているのも、この為と思われます。(昔の痕跡を引き摺った)音が基本の言語だったからです。

4.5 まとめ

日本語は、ピジン語によってリセットされておらず、古い痕跡が残っているように見えます。

特に一音言葉の発達は、人類が言葉を使い始めた頃を連想させます。動物の鳴き声に近く、動物たちが鳴き声でコミュニケーションを取っているように、初期人類も一音言葉でコミュニケーションを取っていたのでしょうか。どれも生存と非常に密接に結び付いた重要な言葉(意味)ばかりです。

この一音言葉が、神代文字などの表音文字の発達を促したように見えます。「一音一義」から、「一音一義一字」への発展は比較的容易です。しかも、音の数は限られているので、それを表現する記号の数も、(漢字のように)多くを必要としません。(限られた)少量で済みます。
「一音一義一字」が完成すると、それを使って二音言葉や通常の文章も文字で表現することが可能となります。しかも、音と文字に、(一音言葉としての)意味がありますから、連想が効いて、習得や管理が容易です。
ちなみに、英語のアルファベットは、音と文字は結び付いていますが、意味とは結び付いていません。言葉としての意味はありません。純粋な発音記号です。もっとも、変遷が激しくて、音と文字との関係が変則的になっています。日本語の「てふてふが飛んでいる。(蝶々が飛んでいる)」と同じ状況になっています。文字表記と読みが、必ずしも一致していません。

日本語の文法構造が、洗練されたマークアップ言語になっていることも、使用実績が非常に長い言語であることを物語っています。

以上のように、日本語には、非常に古い痕跡が残っているように見えます。その特徴が、散見されます。