2022/01/15 うつせみ

脳と環境との関係を整理します。
脳は、環境の逆関数になっています。

スマホでも、うまく表示できるように、ソフトを変更しました。
内容は変わりません。

2.4 はじめに

脳は、環境の逆関数です。

我々人間にとって、脳、および 脳の属する神経組織は、この肉体の生存と行動をささえるための制御システム系です。それ以外の役割は持っておりません。決して、神様の宿っている場所でもなければ、心や魂の存在する場所でもありません。機械に例えるなら、ただの単なる半導体の集まりにすぎません。

それ故、脳について知りたければ、脳と環境との関係を理解する必要があります。脳は環境との相互作用の上に成り立っています。だから、この相互作用を理解する必要があります。

脳と環境との相互作用

脳と環境との相互作用
脳と環境は相互作用の上に成り立っています。
それ故、頭蓋骨の中の豆腐(脳)を知りたければ、脳と環境を一体のものと捉え、現象全体の中で、即ち、その一部として理解する必要があります。

(メスで、細かく切り刻む事が理解に繋がるとは限りません。)

2.4.1 脳と環境の間の因果関係

このシステムは、次のような因果関係から構成されます。

  1. 環境から生物への働きかけが起こる。
    .
       環境 → 生物
    .
  2. その働きかけは外部感覚器官で知覚され、その情報は脳へ流入し、そこで情報処理が行われる。
    .
       外部感覚器官 → 脳
    .
  3. 処理された結果は、出力信号として、脳より(運動器官へ)流出する。
    .
       脳 → 運動器官
    .
  4. その運動器官に流出した信号は運動を生じさせ、その結果、生物の環境への働きかけが起こる。
    .
       生物 → 環境
    .
  5. 最初の過程に戻る。
    生物の環境への働きかけによって、生物と環境との相対関係が変化する。
    この結果、環境から生物への働きかけも変化し、脳へ流入する信号も変化する。
    つまり、この(5)の過程は、(1)の過程の原因となっています。

この相互作用を纏めると下記のようになります。

脳と生物と環境

脳と生物と環境
脳と生物と環境は相互作用によって繋がっています。

この因果関係において、重要な事は、脳と環境の間の相互作用がフィードバックしていることです。つまり、脳からの出力信号が環境への入力信号となり、環境からの出力信号が脳への入力信号となっています。この関係をひとつの図にまとめると、次のようになります。

なお、外部感覚器官と運動器官は、脳にとっては、外界(環境)の一部です。脳からの出力信号の先にあるものと、入力信号の先にある世界が、脳にとっての環境です。即ち、外部感覚器官と運動期間を含めた全体が、環境を構成しています。そこで、この複合体自体を環境だとみなせは、この関係はもっと簡単な図となります。

脳の現象的構造

脳の現象的構造
物体としての脳は、頭蓋骨の中の豆腐を意味します。
現象としての脳は、環境との間で生じている相互作用を意味します。

脳と環境は、作用がフィードバックしています。このフィードバック過程が制御システムを構成しています。

なお、感覚器官と運動器官は、脳自身からは外部を意味していますから、環境の一部と理解します。
脳は感覚器官を通してしか、環境を知ることが出来ません。運動器官を通してしか、環境に働きかける事が出来ません。この二つを通ししか、環境と関わる事ができません。
(我々は、テレパシーや予知能力、念力などの超能力は持っていません。極めて不細工な生き方しか出来ない動物です。)

この脳と環境との因果関係を、数学的手法を使って記述してみます。この作業のために必要な数学的思考形式は、彼らが『写像』、あるいは『関数』と呼んでいる概念です。

脳への入力信号を y 、出力信号を x とするなら、脳は、形式的には、信号 y の信号 x への変換器、即ち、(数学的には)関数として表現できます。この関数を B と記すなら、次のように表されます。

    x=B(y)   ・・・ 脳

だから、逆に環境は、信号 x の信号 y への変換器、即ち、この関数を E と記すなら、次のように表されます。

    y=E(x)   ・・・ 環境

脳にとって、環境は、信号 x の信号 y への変換器にすぎません。だから、制御においては、環境の真の物理的形状を知る必要はなく、ただ単に関数としての性質が把握されていれば、それで充分です。

我々人間の認識も、これと同じです。我々は、環境の真の物理的形状を理解しているのではなくて、環境のこの様な関数としての性質を理解しているにすぎません。目の前のコップを手でつかめるのも、そこにコップが実在しているからではなくて、我々の神経組織が、最適な制御システムを構成しているからです。

脳にとって、環境は関数としての性質さえ理解出来ていれば、それで充分です。

真実を知る必要はありません。

上記の関数関係をひとつの図に纏めると、下記のようになります。

脳と環境の関数表現

脳と環境の関数表現
脳を関数 B 、環境を関数 E と記述します。
脳からの出力信号を x、脳への入力信号を y と記述します。
脳からの出力信号 x は、環境への入力信号となります。環境からの出力信号 y は、脳への入力信号となります。

なお、この(脳と環境の)関数関係の詳細は、制御理論を参照下さい。生命現象一般を記述する為に、整備を急いでいます。(より正確に表現する為には、)上記の概念以外に、『外乱』と『状況の主体化』の概念も導入する必要があります。(この記述は、まだ、不完全です。)

2.4.2 脳は環境の逆関数

なお、詳しい説明は省略しますが、脳が最適な制御システムを構成するための条件は、数学的には、次のように表現されます。脳は環境の逆関数を構成します。

環境が変化したら脳への入力信号 y も変化します。脳への入力信号が変化したら、脳は最適な存在状態を乱れます。そこで、脳は、環境への出力信号 x を変化させて、入力信号y を安定させようとします。
つまり、脳への入力信号 y が、常に一定になるように、脳は環境変化に合わせて、出力信号 x を変化させる必要があります。この関係は、ちょうど、脳が環境の逆関数になっています。

f_cont_eb_kihon.png

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f_cont_eb_Inverse.png

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直前の(脳への)入力信号 y と、直後の入力信号 y’ は、最適な存在状態になる為には、同じ値になる必要があります。同じ値になるように、出力信号 y が調整されます。つまり、合成関数 EB は、恒等写像になります。

y’ ≒ y

最適な温度帯に留まり続ける動物の場合、周りの温度が変化したら、移動して、最適な温度の環境を見つけて、移動しようとします。常に、温度センサーが、最適な値になるように、行動します。入力信号を、自分にとって都合のいい値になるように、出力信号を調整して、最適な場所に移ろうとします。その結果、この動物は、最適な温度帯に留まり続けることになります。常に、入力値は、最適な一定値になるように、行動が起こります。

哲学者の方々や、人工知能の問題を扱っている工学者の方々は、知覚とか、認識とかを問題とされますが、しかし、現象全体からみれば、これは、さほど重要な問題ではありません。些細な問題です。

我々人間のように物事を認識していようが、或は、何を考えて生きているのか解らない小さな虫たちであろうが、その認識の程度とは無関係に、逆関数になっていれば、それで充分です。逆関数にさえなっていれば、最適な制御システムが構成されますから、動物は生きていくことが可能になります。

当たり前のことですが、生物は、哲学者が自己満足に浸る為に、存在している訳ではありません。研究者が、研究の対象にする為に存在している訳でもありません。学問的定説を、順守している訳でもありません。

自分が生きる為に、自分の都合に合わせて存在しているだけです。

だから、哲学者の自己満足や、学問的シキタリに拘る必要はありません。人間の認識の形式に、拘る必要はありません。
『生きる。』という目的に拘って、その中で、理解する必要があります。

脳は脳だけで意味を持つのではありません。
現象全体の因果関係の中で、はじめて意味を持ちます。それは、生きる為の手段です。生きるという行為との関連で、始めて意味をもちます。

2.4.3 脳の左右が反転している理由

この脳が環境の逆関数になっていることは、現実の世界では、我々動物の脳の左右が反転していることと非常に密接な関係にあるようです。

動物の場合、右目で見た情報は、脳の左半球に投影されます。左目の場合、その逆です。右半球に投影されます。
このような反転が起こる原因は、動物の脳のように、ワイヤードロジックによって制御システムを構成した場合、その空間配置も(現実とは)逆転してしまう為であると思われます。

へびの熱を感知するピット器官は、皮膚の変化したものですが、情報はやはり目と同じように、脳の反対側に投影されます。右側の空間の情報は、脳の左側に投影されます。
左右だけでなく、前後も反転しているように見えます。眼からの情報は、どういう訳か、頭の後ろ側に投影されます。眼の位置と反対側に投影されています。配線が長くなってたいへんだと思うのですが、配線コストよりも、空間の反転の方が優先されています。

このことは、今西錦司氏の『状況の主体化』の概念を導入することによって、ある程度は説明できるのですが、しかし、残念ながら、そのことを数学的に厳密に証明することには、まだ、成功していません。時間と空間の相対性を説明するのが、やっとの段階です。

もし、これに成功したら、その時は、脳やDNAを支配している制御原理を、数学的にきちんと記述可能になるでしょう。脳とDNAは、物理的には全く異なった現象ですが、そこを支配している制御原理は、同じ生命現象として、同じに見えます。

この生物型制御原理は、生命現象や哲学上の認識論、工学のロボットを記述していくうえで必須なので、別の場所で詳しく述べます。現代の工学者が考えいる制御の考え方とは、発想が大きく異なっています。

これからの思考作業では、この脳と環境の間に起こっている現象、即ち作用のフィードバック過程に注目します。この作用のフィードバック過程が、自己を保存するための制御システム系を構成しており、脳は、このシステムを構成するための一部品に過ぎないと考えました。

物体としての脳そのものよりも、この制御システムの構造全体を問題としていきます。この様に、脳と環境を不可分なもの、即ち、一体のシステムとして捉える発想の利点は、この作業の最後の段階で理解していただけます。


注)ワイヤードロジックと、プログラムロジック

制御システムを設計する物理的な方法は、大きく分けて、2通りあります。ワイヤードロジックと、プログラムロジックです。

ワイヤードロジックは、実際に、トランジスタなどの制御素子を、配線で繋げて、論理回路を構成する方法です。昔は、この方法が主流でした。

ひと昔前は、(現代では信じられないかもしれませんが、)数個のタイマーとリレーだけで構成されたボイラーの制御盤を、実際に見たことがあります。真空管や、トランジスタなどの制御素子が使われていないけど、それでも、目的を達成していました。ボイラーの火が消えたら、自動的に着火するシステムが組まれていました。(さすがに、ハウス内の温度管理までは出来ませんでしたが。)

プログラムロジックは、プログラム(制御文字列)を作成して制御する方法です。
最近は、パソコン等の機器が安くなったので、プログラムを組んで制御システムを作成しています。遥かに複雑な制御が、安価に実現できるようになりました。試行錯誤も簡単です。電気炊飯器などは、一番単純な4bitマイコンでも、充分に制御可能です。「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても蓋取るな」の火加減の制御が充分に可能です。

脳の場合は、神経細胞間を、配線(軸索等)で繋いで、制御システムを実現しています。即ち、配線によって、論理回路を構成しています。ワイヤードロジックの手法が使わています。

背後にある制御原理は、現代の制御工学とは、その論理的発想も具体的な実現方法も、大きく異なっています。
神経細胞は、トランジスタなどの制御素子と言うよりは、寧ろ、ひとつの小さなコンピュータです。小さなコンピュータが、大量に、物理的な配線によって連結されて、並行処理が行われています。

論理的発想も、『目的制御』に基づいています。現代主流の手続き型制御とは、大きく異なっています。『生きる目的』が数値化されています。『生きる目的』が評価基準となって、外部感覚器官からの信号が分析され、制御されています。
現在、世間を賑わしている AI は、理屈無き技術です。一種の錬金術です。内部に、永遠に取れる事のないバグ(欠陥)を内包しています。遊びで使っている分には問題ありませんが、人命が関わる問題に適用するのは狂気の沙汰です。安全の保障が何処にもありません。

この生物型制御原理の詳細は、制御理論を参照下さい。

参考1)知的生命体の脳の構造

意識器官を持った我々知的生命体の脳の構造の特殊性を述べます。
今までの話題と、少し発想が異なっています。もちろん、基本は同じです。

意識とは何か?

『意識』とは、いったい何でしょうか?
哲学者は、観念的存在と捉えています。「われ思う。故に、われ在り。」と思っています。
ここでは、(宗教も哲学も科学も無視した)身も蓋もない冷たい話をします。生物学と制御工学の知識を使って論じます。

意識は、生物学的には、感覚器官の一種です。「意識する。」とは、「意識感覚器官で知覚する。」ことを意味しています。
意識は、(観念論の先入観とは裏腹に)「感覚器官の一種である。」という実在的意味を持っています。

詳細は、知的生命体の心の構造を参照下さい。もし、言い知れない不安を感じたら、空の哲学も参照下さい。
(敏感な方は特にそうですが、)深く考え過ぎると、死の恐怖に囚われます。現代の科学文明を根底から覆す内容が含まれています。それ故、深入りしないで、ほどほどが賢明かと。なお、この知識を背景にした哲学体系は、原始仏教や空の哲学です。唯物論とは、全く異質な生き方です。

この特殊な感覚器官は、脳内部に架空行動の為の制御システムを構成しています。我々知的生命体の脳は、(肉体の生存と行動を支える)本来の制御システム系の他に、(意識器官という)肉体の架空行動を支える為の制御システム系も持っています。独立した二組の制御システム系から構成されています。

これを直観的に理解するには、脳の進化に目を向ける事が有効です。脳の構造と行動様式の進化は、下図のような三段階に整理されます。

最も基本的な構造は、本能的行動の脳です。次が本能の代用物として、学習結果が(本能の周りに)付け加わった脳です。最後が意識器官を搭載した知的生命体の脳です。脳が二重構造になっています。

脳の進化と、行動様式の関係

脳の進化と、行動様式の関係
脳は、この肉体の生存と行動を支える為の制御システム系です。
本能的行動、学習された行動、意識された行動へと進化してきました。
この3つの段階で、夫々異なった特徴的構造を持っています。

意識感覚器官を持った人間の脳は、2組の独立した制御システムから構成されています。
第一システムは、肉体の現実行動を制御しています。五感から構成されています。
第二システムは、肉体の架空行動を制御しています。意識感覚器官から構成されています。

『考える』という行為は、この第二システムを使った、肉体の架空行動を意味しています。
即ち、人間の脳は、意識器官というシミュレーターを搭載したシステムになっています。
ここに、知的生命体の秘密と、苦悩が隠されています。

注)現実の現象は、必ずしも、このモデルのように単純ではありません。多くの例外があります。しかし、ここでは、そのような細かな問題は無視して、大きく全体像を把握する事を優先しています。問題の本質を理解し易いように、モデル化しています。


第一システム

脳は、本来、この肉体の生存と行動を支える為の制御システムです。この原則は、昆虫も人間も同じです。全ての動物が共有している機能です。このシステムの入力装置、即ち、感覚器官は、(人間の場合)眼耳鼻舌身の五感から構成されています。
この基本システムを、フロイトに倣って、『第一システム』と呼ぶことにします。(ここの「脳と環境」で話題にしてきたのは、この第一システムです。)

この第一システムは、生物学的には、「本能的行動」と「学習された行動」の二つに分類されます。


本能的行動

最も基本的なシステムは、「本能的行動」のタイプです。
生存の為のプログラムが生まれながらに本能として遺伝的に決まっているタイプです。例えば、昆虫のような動物です。彼らは、生まれながらに持っている本能的プログラムだけで、立派に生きいく事が可能です。特別な学習は必要ありません。

このタイプの場合、環境が変化してプログラムの変更を迫られた場合、進化する必要があります。遺伝的に決定されている内容を変更する為には、世代交代による進化が必要だからです。従って、時間が掛かってしまいます。

本能的行動の段階の場合、生きる(自己保存)為の制御システムは、本能と環境とのフードバック過程の上に構築されています。


学習された行動

もうひとつは、「学習された行動」のタイプです。
基本的プログラムは、相変わらず本能として遺伝的に決定されています。しかし、環境変化と密接に関わった末端のプログラムは、生まれた後の学習に依存しているタイプです。

生物学的には、学習は本能の代用物を意味しています。学習は「進歩する」という意味ではなくて、「一人前になる。」ことを意味しています。その工学的構造は、本能の回りに、学習結果が付け加わった構造になっています。学習結果は、本能の代用物だからです。不足している本能的プログラムを、学習結果で補っています。

この学習されたタイプの動物では、環境変化に対応する為のプログラムの変更が、本能では無くて、個体レベルの体験学習で可能です。それ故、環境変化に、フレキシブルに短時間に対応可能です。進化のように長時間を必要としません。ひとつの種を保ったまま、時間的環境変化も、空間的(地理的)環境変化も、個体レベルの体験学習で吸収可能です。この為、ひとつの種を保ったまま、様々な環境に(広く)適応可能となっています。

我々脊椎動物は、大型であるが故に、生存に不利です。ある一定の個体数を保ったまま、最適な環境を確保する為には、広大な生活空間が必要です。(これに対して、昆虫は微小であるが故に、最適な微小環境を確保する事が比較的容易です。小さな陽だまりでも、生きていく事が可能です。)

学習に依存する脊椎動物の場合、この学習作用によって、(昆虫に比べて)広い生活空間を確保する事が可能になっています。種が生き残る為には、(ゲンプールの)遺伝的多様性を維持する為に、ある程度の個体数が必要です。その個体数を維持する為には、(個体サイズが大きい為に、)広大な生活空間が必要です。脊椎動物は、大型にも関わらず、体験学習によって様々な環境に適応可能となっています。その結果、ひとつの種を保ったまま、(健全な個体数を維持する為に必要となる)広大な生活空間を確保する事が可能となっています。

もし、大型の脊椎動物が、昆虫のように、学習作用を持っていなければ、適応できる環境も限定されてしまうので、たくさんの個体が生きていく事が不可能になります。個体数が少なすぎると、多様性が失われて、環境変化への適応力も弱くなります。結果、種は絶滅してしまいます。伝染病などの些細な環境変化で、危機的状況に陥ってしまいます。
これに対して、昆虫たちは、小型化、単機能化、種の細分化によって、(ある特定の環境にピンポイントで適応する事によって、)結果として、(昆虫界全体では)広大な生活空間に適応しています。遺伝子の構造も、ほ乳類に比べて、遥かに柔軟で、高機能のように見えます。

我々大型の脊椎動物は、このジレンマを、脳の学習作用によって克服しています。逆に、このジレンマを克服出来なかったら、このような現在の繁栄はありませんでした。

学習された行動の場合、脳は、本能の回りに学習結果が付け加わった構造をしています。
学習結果は、本能の代用物だからです。本能の一部が、(生まれた後の)学習結果に置き換わっているだけに過ぎないからです。


意識された行動(第二システム)

我々知的生命体は、これ以外に、意識器官から構成された制御システム系を持っています。知的生命体に固有の機能です。人間の脳は、二組の独立した制御システム系から構成されています。

この新しい制御システムは、我々の肉体の架空行動を制御しています。この架空行動の事を、世間では、『考える行為』と呼んでいます。即ち、考える行為は、生物学的には、意識器官を使った肉体の架空行動(シミュレーション)を意味しています。
この新しいシステムを、同様に、フロイトに倣って『第二システム』と呼ぶ事にします。ここでは、第二システムの事を『意識器官』とも呼んでいます。(第二システム = 意識器官)

我々人間にとって、「意識する。」とは、「意識感覚器官で知覚する。」ことを意味してます。意識感覚器官は、この第二システムの入力装置(Sensor)です。
コンピュータ用語を使うなら、意識器官はシミュレーションシステムです。その入力装置は、意識感覚器官より構成されています。
我々知的生命体は、肉体を使った体験学習の代わりに、頭を使った架空の体験学習、すなわち、「考える行為」によって、環境変化に適応する為の新しいプログラムを作り出しています。

これが、如何に戦略的に優れていたかは、その分布域の広さを見ても明らかです。人間という動物は、赤道直下の熱帯から、北極の氷の世界にまで棲んでいます。夫々の地域に合わせた食糧を手に入れながら。(方法を工夫しながら。)

我々が意識知覚している世界は、意識器官(シミュレーションシステム)にとってのシミュレーションの場です。脳内部に作り出された信号空間です。仮想空間です。それは、コンピュータを使ったシミュレーションが、メモリー空間上に(論理的に)作り出した仮想空間と同じです。これらの仮想空間は、コンピュータ上では、関数とメモリー空間との組み合わせとして実装されています。シミュレートの結果は、仮想空間上にマッピングされています。

認識するという行為の写像表現

認識するという行為の写像表現
我々動物は、外部感覚器官から得られた情報を処理して、その結果を『自己、時間、空間、物質』という情報処理形式(仮想空間)の上にマッピングしています。そのマッピングされた情報に基づいて行動を生じさせています。この原則は、犬も人間も共通です。それ故、犬と人間の間では(鬼ごっこという)共通のゲームが成り立ちます。

『自己、時間、空間、物質』の正体は価値観です。『いい。わるい』の価値観と同じ性質を持ちます。『いい。わるい。』が所詮は比較の問題、即ち、相対的問題に過ぎないように、これら四つの項目は、互いに相対的関係にあります。つまり、相対性を持ちます。『時間』と『空間』は、アインシュタインが主張するように、相対性を持ちます。『物質』と『時空』の相対性は、質量はエネルギーに転換されるという彼の有名な式、『E=mc2』に一端が垣間見えます。

注)『自己』は、幾何学上は座標原点を意味します。現代の幾何学は、座標原点(自己)を中心にして、(思考形式上は、)組み立てられています。

我々知的生命体は、脳の神経組織上に、このシミュレーションの場(仮想空間)が実装されています。意識感覚器官は、この仮想空間を知覚対象としています。そして、この仮想空間内で、架空の試行錯誤(探求反射)を繰り返し新しいプログラムを作り出しています。そして、そのプログラムを使って、現実の肉体を駆動しています。この過程を、世間では、『考えてから、行動する。』と呼んでいます。

  1. 脳内部に仮想空間を作り出している。
  2. この仮想空間内で、架空の探求反射(試行錯誤)を繰り返している。
    この架空の探求反射を、世間では『考える行為』と呼んでいる。
  3. この架空の探求反射で作った新しいプログラムを使って、現実の肉体を駆動している。
    この過程を、世間では、『考えてから、行動する。』と呼んでいる。

【結論】

  1. 『意識感覚器官』は、この仮想空間を知覚対象とした感覚器官である。
  2. この仮想空間内で行われている架空の探求反射を『考える』と呼んでいる。
  3. このようなシミュレーションシステム本体を、『意識器官』と呼んでいる。
    『意識感覚器官』は、『意識器官』の入力装置(感覚器官)である。
    .
  4. このような意識が体験している仮想世界には、ゆめ(夢)、うつつ(現)、まぼろし(幻)の三つがある。この三つは、作り出されている原因が、それぞれ異なっている。

この事を直観的に理解するには、夢を思い出して頂ければ分かり易いと思います。夢は、意識器官を使った架空体験の一種であると考えられます。夢の時、瞼は閉じている訳ですから、その夢見ている映像は、眼からの信号で作り出されたものではありません。自分自身が、自分の脳内部に作り出したものです。その夢見ている本体は、意識感覚器官です。(眼ではありません。)夢の詳細は、フロイトの夢理論をご参照下さい。

これを仏教では、次のように表現しています。

色形はときとして二種(の認識)によって認識される。すなわち、眼(視覚)とそれによって引き起こされる意(意知覚)とによってである。

モークシャーカラグプタ (著), 梶山 雄一 (訳注)
論理のことば (中公文庫 ) P34

「我々が、認識している色形は、二種類の認識から構成されている。眼から情報によって作り出されている視覚と、意識感覚器官から作り出されている意識知覚(意知覚)とによってである。」と述べています。

我々人間の人間性は、(良い意味でも悪い意味でも、)この『第二システム(意識器官)』の働きによって作り出されています。

未知の状況に直面した時、
それに対応する為に、新しいプログラムを作り出す方法。
動物の種類使用器官新しいプログラムを作り出す方法
動物一般肉体(第一システム)肉体を使った探究反射によって、作り出している。
知的生命体意識(第二システム)意識器官を使った架空の探求反射で作り出している。
生物学的には、意識器官(第二システム)は、第一システムに対応する形で発生した疑似組織です。その働きも疑似的です。
両システムとも、探求反射(試行錯誤)によって、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出しています。原理は同じです。
ただし、使う器官は異なっています。動物たちは肉体を使いますが、知的生命体は、頭を使います。脳内部の信号空間内で、架空の探求反射(シミュレーション)を使って作り出しています。

なお、探求反射は、世間では、一般に「試行錯誤」と呼ばれています。



意識器官の生物学的由来

意識器官の働きは、生物学的には、模倣反射(ものまね)の延長上にある機能です。元々は、模倣反射の為に発達してきた機能が、基になっているようです。
その工学的機構が、非常に良く似ています。模倣反射、(音声)言語学習、(文字)言語学習、思考活動は、その機構が同じです。意識器官への信号の入力先が異なっているだけで、共に、架空の体験学習によって、新しいプログラムを身につけてるメカニズムは同じです。

模倣反射では、意識器官を駆動する信号が眼から。(音声)言語学習では、耳から与えられています。(文字)言語学習で、視覚的記号(文字)を、音声に変換して、言語学習を行ています。これらの信号を使った架空の体験学習(模倣反射)です。

思考活動では、自ら作り出した信号で駆動しています。(言語)思考では、自ら言葉を生み出して、それで、駆動しています。つまり、脳内部で、(自ら作り出した信号を使って、)架空の探求反射を繰り返しています。この架空の体験学習で、未知の状況に対応する為の新しいプログラムを作り出して、それを使って、現実の肉体を駆動しています。この過程を、世間では、『考えてから、行動する。』と呼んでいます。架空行動から、現実行動への遷移です。

脳と言葉と学習プロセス

脳と言葉と学習プロセス
プログラム作成の基本は、肉体を使った探求反射です。
サルの場合、視覚情報を使った模倣反射によっても作ることができます。

模倣反射は、生物学的には、意識器官を使った架空の探求反射を意味しています。
人間の場合、視覚情報の代わりに、音声、文字、脳からの信号でも、模倣反射が可能です。
思考活動は、自己の脳で作られた信号を使った模倣反射の一種です。
模倣反射と思考活動を区別する理由は何処にもありません。程度の差を別にすれば。いずれも、意識器官を使ったシミュレーション(体験学習)である点は共通しています。

意識器官(シミュレーター)を駆動する為には、(現実を構成している因果関係に関して)膨大なデータが必要です。

思考活動の場合、この膨大なデータを脳自身が管理する必要があります。従って、巨大な脳システムが必要になります。
一方、模倣反射の場合、その情報が外部から視覚情報として与えられます。現実に関する膨大なデータが必要ありません。従って、(この分、)そこそこの脳システムでも実行可能です。



思い出すとは

思い出すとは、過去の記憶痕跡を、もう一度、意識感覚器官の知覚対象とする事で、過去の再体験を行う行為です。
我々は、(意識器官を使った)過去の再体験によって、過去を理解しています。