TopPage
7.3 ゆめ(夢)体験

注)この話は、意識感覚器官の知識を前提にしています。先に、こちらを参照頂くと、誤解が少なくなります。

   『夢は願望充足行為である。』というフロイトの考えは、基本的に正しいと思います。

   満たされない欲望(テンション)が、外部運動器官に向かって放出されないで、意識器官に向かって放出されたものが、夢過程であると思われます。



   このことを理解する為には、心的システムの基本的性質に目を向けてみる必要があります。


   快楽原則

   最も基本的な心的過程は、欲望を外部運動器官に向かって放出することです。
   我々は、とかく、欲望を満足させるとは、「砂糖をなめる。」ような甘美な満足体験を連想してしまいますが、心的過程の最も基本的な性質は、心の中に溜まったストレスを、外に向かって吐き出すことです。

   取りあえず、その放出路と放出手段は問いません。ストレスさえ発散できれば、それで目的が達成されます。心の中のものを、外部に吐き出してしまえば、とりあえず、一時的に、ストレスは消滅してしまいますから、心は安らかになれます。

   夏の強い日差しの地表に、間違って出てきてしまったミミズは、苦痛にのた打ち回っています。まるで、焼けた鉄板の上で踊っているみたいに、体を捩って、飛び跳ねています。たまたま、運よく、近くの水たまりか、草むらに転がり落ちればいいのですが、たいていは、力尽きて、やがて静かになります。

   外部感覚器官から耐え難い苦痛が流れ込んだら、神経組織はそれを、外部運動器官に向かって放出します。放出路が確定していない場合は、ランダムに放出してしまうので、あたかも、苦痛にのた打ち回っているかのように見えてしまいます。

   人は悲しいとき泣きますが、泣いている人に、「なぜ、泣いているのか?」と尋ねると、「悲しいから。」と答えます。全く当たり前のことですね。悲しいから泣くのは。

   しかし、これは、意識(左脳)が作り出した常識のウソです。人間は、悲しいから泣いているのでありません。悲しみを、外に放出する為に泣いています。

   人生経験豊かな人は、耐え難い不幸に直面した時、「我慢しないで、お泣き。少しは楽になるから。」とアドバイスしてくれます。この『少しは楽になるから。』が、全ての答えです。そう、泣けば、ストレスの発散になって、少しは楽になれます。
   涙を堪えていたら、いつまでも、その不幸と向き合わなければいけませんから、辛い思いが永遠に続きます。なかなか、心の中から消え去ることはありません。
   時間に解決を委ねても、アッサリとは許してくれません。まるで、焦らすように、いつまでも、ジクジクと、心をいたぶり続けます。

   人生には、悩んで解決できる問題と、悩んでも解決できない問題があります。解決出来なければ、涙と共に流し去ってしまう以外に方法がありません。明日から、前を向いて歩いていく為にも。

   ミミズのような原始的な神経組織も、我々人間の高度な神経組織も、そこを支配している原理は同じに見えます。心的過程の最も基本的な願望充足行為は、このような心に溜まったストレスを、外の向かって発散することです。遊びやレジャーで発散するのも、この行為の一種です。


   現実原則

   しかし、多くの場合は、これでは、根本的解決にはなりません。

   空腹になったら、ついついイライラきて、当り散らしますが、空腹感は相変わらず、生み出され続けます。いくら、外に向かって放出しても、次から次へと、生産されてしまうので、放出が追いつきません。当り散らしても、実際の食べ物が見つからず、空腹感は癒されません。

   「空腹だから何か食べたい。」という欲望(テンション)が継続して生み出され続ける場合は、発想の転換が必要です。心的システムは、イライラきて、ランダムな行動を起こします。あたりかまわず、食べ物を探し回ります。その中で、偶然、食べ物が見つかったら、心は、イライラから解放されます。空腹が癒され、その欲望(テンション)の生産が停止するからです。

   探究反射による学習の成立です。暫くすると、また、同じ欲望(テンション)が生み出されるようになりますが、今回は、前回の探求反射の経験から、放出路が適切に確定できますから、イライラからも早く解放されます。腹が減ったら、適切な行動をとれるようになります。

   欲望を発散することと、問題を根本的に解決することとは、別の話です。ともかく、心は溜まった欲望を、当たりかまわず、ランダムに、外に向かって放出します。

   この過程を生物学者は、探究反射と呼んでいます。このようなランダムな行為の中で、たまたま、欲望の生産が停止したら、その放出路を固定します。これが学習の成立です。現実原則に基づいた行動の成立です。


   夢過程

   夢過程は、どちらかと言えば、遊びでストレスを発散させることに似ています。

   欲望(テンション)を意識器官に向かって放出して、ストレスの発散を行っています。その結果が、怖い夢になろうが、そんなことは知ったことではありません。意識にとっては迷惑な話でしょうが、心にとっては、発散すれば目的達成です。取りあえず、放出してしまえば終わりだからです。

   意識過程は、心的エネルギーの架空充当ですから、意識に向かって放出しても、問題の根本的解決にはなりません。しかし、多くの欲望(テンション)は、どちらかと言えば、単発的なものなので、一度、放出してしまえば、次回、溜まるまでに、暫く時間が掛かります。だから、このような、その場しのぎの願望充足行為でも、それなりには意味があります。

   それに、社会的しがらみから、全ての欲望を、外部に向かって放出できる訳ではありません。特に、性に関連したものは、この制約を強く受けます。そのような欲望は、意識に向かって放出する以外に選択肢がありません。

   問題は、その欲望(テンション)が継続して生産され続ける場合です。これを、夢過程で解決しようとしたら、白日夢の世界に陥ってしまいます。現実行動を取らなければ、生産は止まりませんから、発生し続ける欲望(テンション)は、常に、意識に流れ込み続けることになってしまいます。心がそこに縛りつけられて、正常な社会生活が送れなくなってしまいます。空腹を紛らわす為に、水を飲み続けるようなものです。一瞬、空腹感を紛らすことができますが、所詮は、水腹です。

事象 原因    現象   結果
本来の願望充足行為 満たされない欲望 -> 外部運動器官に向かって放出
(探究反射)
-> 学習の成立
レジャー 心に溜まったストレス -> 外部運動器官に向かって放出
(趣味や、レジャー、八つ当たり)
->  スッキリする
夢過程 満たされない欲望 -> 意識器官に向かって放出 ->
白日夢 発生し続ける欲望 -> 意識器官に向かって放出 ->  生活が破綻

   夢世界を作り出す元になっている情報は、満たされない願望です。この願望が、過去の記憶痕跡と融合して様々な夢のイメージが作り出されています。
   心の中でせめぎ合っている欲望が、次から次へと意識知覚に流れこんでくるので、夢自体は、論理的で筋道だったものになっていません。そのテンションの強さと、連想よって、次に流れ込む夢が決まっているみたいです。今見ている夢が、不思議な連想によって、次の夢を引っ張ってきています。

   音楽でいえば、バッハや、ジャズの世界と同じです。バッハも、ジャズも、音の塊が、次の音の塊を、感性の連想によって、連れてやってきます。メロディーから構成れた論理的組み立てではありません。どちらかと言えば、大脳右半球の音楽です。

   夢の構成形式が、バッハや、ジャズと似ているのは、非常に興味深いことです。バッハやジャズを新鮮に感じるのは、メロディーで構成された音楽ではなくて、夢と同じように、感性の連想によって、組み立てられた音楽だからでしょうか?。

ゆめ世界の仕組み


  前へ  Top  次へ