4.集団遺伝学で使われている騙しのテクニック

   集団遺伝学で使われている騙しのテクニックを解説します。人間の習性を逆手にとった巧妙な手法です。

 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。

   最初、何の先入観もなしに、この表現を見た時、面くらってしまいました。全くスキがなく、実に巧妙な表現だったからです。

   でも、直ぐに、デジャブを感じました。このパタン。何処かで。。。。。

   直ぐに思い出しました。昔、読んだ『大阪ニセ夜間金庫事件』の解説本の内容です。この詐欺事件と手口が同じだったからです。(もっと、気になったのは、新興宗教の教祖も、この手口を使っていることでした。)
   だから、最初、この言葉を作った人、天才的詐欺師だと思ってしまいました。この騙しのテクニックを知っていることに驚いたのです。侮れないと、思わず身構えてしまいました。

   でも、もう少し解析を進めていくと、驚くべき事に、突然、集団遺伝学が姿を現しました。言葉をひとつひとつ分解して、論理を組み立て直すと、集団遺伝学の主張になったのです。
   何の先入観も持っていなかったので、これが、まさか、集団遺伝学の主張だとは思ってもいませんでした。それが、突然、姿を現したので、驚いてしまいました。そして、詐欺の手口に関する疑問も解けました。

   集団遺伝学は、確率論をベースにしているので、結果論です。途中経過は無視して、結果だけを、統計的に解析します。例えは、サイコロの場合、どのような振り方をするのか、その手段は問題にされません。途中経過を無視して、出た結果だけを集計して、確率を計算します。結果だけを、問題としています。
   だから、このような表現になったみたいです。詐欺の天才ではありませんでした。確率論特有の表現だったのです。安心しました。

   この集団遺伝学に基ずく自然選択説の表現について、理解する為には、この『大阪ニセ夜間金庫事件』の解説が多少必要です。この詐欺事件の騙しの手法について、説明する必要があります。このテクニックは、詐欺以外にも、利用価値が高いので、覚えて損はないと思います。


大阪ニセ夜間金庫事件

   銀行には、夜間金庫が設置されています。遅くまで営業している店の為です。遅くまで営業して、その日の売り上げを、お店に保管しておくのは、不用心です。そこで、夜間金庫に預けるようになっています。もちろん、夜は銀行員がいないので、窓口で預かってくれるわけではありません。お金を袋に入れて、夜間金庫の投函口に投函する仕組みになっています。

   詐欺事件は、この夜間金庫を舞台にして起こりました。まず、投函口に異物を詰めて、投函できなくして、故障の張り紙を貼りました。そして、少し離れた場所に、ニセの夜間金庫を設置して、そこにお金を投函させたのです。
   その少し離れた場所のニセ金庫への投函は、全て、張り紙で誘導しました。その張り紙の文言が、あまりにも素晴らしかったので、誰も不信に思わず、多くの人が、そのニセ金庫まで誘導されて、お金を投函しました。後々まで、語り草となった有名な詐欺事件だったみたいです。
   自分が読んだのは、この張り紙に使われていた文言の解説本でした。「なぜ、だれも、この張り紙を不信に思わず、誘導されてしまったのか。」その解説でした。この解説本の内容が、そのまま、この集団遺伝学の説明を連想させました。そこで説明されていた内容と、これが同じだったからです。


   この解説本の論旨は、『張り紙の指示は、事務的に表現する。』でした。事務的に表現されると、誰も、不信に思わないみたいです。

   例えは、タクシーに乗って、次の角を右に曲がってほしい時に、あなたなら、運転手さんに何と言いますか。多分、「次の角を右に曲がって下さい。」と言うと思います。自分の意志を明確に、相手に伝えると思います。しかし、これでは、詐欺師として失格です。あなたは、有能な詐欺師にはなれません。実直過ぎます。

   運転手さんは、仕事なので、気分を害さないと思いますが、普通の人間相手なら、「俺様に指図するつもりか。」とか、「騙すつもりではないよね。」と、ムッとくる可能性があります。人間、指図されると、本能的に、気分を害したり、相手の意図に不信感を抱きます。

   そこで、どうするかと言えば、まず、指示した行動の結果がどうなるかに、着目します。そして、その結果だけを、事務的に表現します。
   例えば、行動の結果、タクシーは、右側に存在することになると思います。そこで、その結果だけを、事務的に、「次は、右です。」と、さりげなく表現します。指図する言葉も、余分な説明も行いません。行動の結果だけを、事務的に淡々と表現します。
  1. 指示した結果がどうなるかに、着目する。
  2. そして、その結果だけを、事務的に淡々と表現する。
  3. それ以外の理由説明とか、指示、説得等の余分な言葉は並べない。
   この表現手法を使えば、指示の言葉がないので、「俺様に指示するつもりか。」という感情的反発も起こりません。意図が表現されていないので、「俺様を騙すつもりか。」という不信感も生じません。

   しかも、結果だけを断定されるので、あたかも、運命論、確定事項のように感じます。確定事項に沿って、そのまま行動すればいいような錯覚に陥ります。
   些細なことのように思えるかもしれませんが、人の心に与える影響は、大きく違います。人間、指示、命令されたら、ムッときますが、自分の主体性を尊重されたら、つい、気分が良くなって、自ら進んで言われた通りに行動してしまいます。

   目標だけ、さりげなく示してやれば、自ら主体的に、その目標に向かって行動してくれます。人間、行動することは、やぶさかではありませんが、考えて迷うことは苦手です。その迷いを取り除く為に、さりげなく、『次は右です。』と目標を示してやれば、そのまま、それに従って動いてくれます。

相手に指示する2つの方法
 × 次の角を右に曲がって下さい  > 「右に曲がれ」と、行動を指図する。
指図されるので、意図を感じて不信感を抱きます。
 ○ 次は右です。 > 行動の結果だけを、事務的に述べる。
結果だけを述べるので、つまり、指図されないので、受手の感情的葛藤が少ない。
主体性を尊重されたかのように錯覚します。

   ニセ夜間金庫事件では、人々を誘導した張り紙に、この手法が巧みに使われていた為に、多くの人が疑いもせずに、そのまま、指示通りに行動してしまったみたいです。
   騙す側は、ついつい焦って、「次の角を右に曲がって下さい。」と、指図したくなりますが、そこをグッと我慢して、一歩引き下がって、「次は右です。」と、操作手順を、事務的に表現にしたのが、成功の秘訣でした。あたかも、相手の主体性を尊重したかのような印象操作がポイントでした。

   集団遺伝学の表現も、結果だけを、事務的に表現しています。詳細に自然選択の過程を説明するなら、
となるはずです。
   しかし、余分な過程の説明を省略して、
と、差が生じている結果だけを、事務的に表現すれば、多くの人は、この主張を、確定事項、運命論として受け取ってしまいます。

   自分が考えている進化の仕組みには言及しないで、その仕組みから予想される結果だけを、事務的に淡々と述べています。

   『生存確率に差を生じさせる。』なら、生存確率は、高くなるか、低くなるかしかありませんが、そのことにさえ、言及していません。反論を受ける可能性のある『重要事項の説明』は、わざと省略して、曖昧なまま、放置しています。反論を受けないように、結果の一断面、つまり、『差が生じる。』事実だけを述べています。

『都合がいい変異は、生存確率が高くなる。』という重要事項には言及しないで、『差が生じる。』と結果のいち断面だけ述べています。

   でも、読む人は知っています。『確率は、高いか、低いか。』で評価されることを。だから、読む人は、『都合がいい変異は、生存確率が高くなる。』と理解しますが、書かれている内容は、『差が生じる。』のみです。
   まさか、『都合のいい変異は、生存確率が低くなる。』などとは、は想像だにしていません。論理的には、低くなっても同様に差は生じる訳ですから、この表現だけだと、この可能性も否定できません。しかし、暗黙のうちに、この可能性は無視しています。暗黙に理解していることを、あえて省力して、反論を防いでいます。
   ミスリードを狙った実に巧妙な表現です。

   余分な説明がないので、原因や現象の仕組みについて、反論のスキを与えません。「都合がいい変異は、生存確率が高くなる。」と進化の仕組みについて、正直に言及すれば、「では、何が都合がいいのか。」とか、「都合がいい根拠は何か」と反論されてしまいますが、「差が生じている。」と結果のいち断面だけを表現すれば、仕組みについて言及していないので、反論のしようがありません。差が生じているのは事実であって、この事実自体は、反論のしようがありません。

   また、実際の観察結果においても、全ての生物は、うまく環境に適応しているようにみえるので、観察結果との整合性についても、反論できません。原因と仕組みと結果の全過程において、反論を封じています。

   このような手順を踏むと、進化の仕組みそのものが、運命論、確定事項にすり替えられてしまいます。『変異の中には、生存確率に差を生じさせるものがある。』という言葉を、決定事項として受け止め、疑わなくなります。

   その後に展開される論理、即ち、確率論を用いた集団遺伝学の説明は、読む人の関心を逸らし、アカデミックな自己満足を醸し出す為の『目くらまし』です。
   どうでもいい仮定の上に組み立てられた空論(確率論)に、生物学者の関心を釘づけにして、『なぜ、生存確率に差を生じるのか?』という肝心の仕組みに関する疑問から逃げています。
   みんな、確率論ばかりに興味を奪われて、それで、進化の仕組みが説明できたと錯覚しています。集団遺伝学のように、確率論を使ってシミュレーションを行わなくても、「都合がいい変異は、生存確率が高くなる。」と仮定した時点で、もう既に、話しの大勢は決まっています。大勢の決まっている話を、わざわざ複雑にしています。

   要は、自己満足に浸れれば、、、、、、、、つまり、納得出来れば、それでいい世界です。その自己満足に浸る為の儀式(確率論)が、実に、巧妙に、準備されています。

   この騙しの手法は、他の騙しの手法のように、欲望をくすぐって、騙すやり方ではありません。人間と言う動物の習性を逆手にとった手法です。しかも、普段の日常生活でも、角がたたない表現なので、騙す目的以外でも、結構使われています。
   これを、騙しの目的に流用されると、ほとんどの人は、気が付きません。欲望をくすぐられることには、経験的に敏感ですが、動物の習性を逆手に取られることには無力です。手品と同じです。極めて、高度なテクニックです。

   集団遺伝学の説明も、このような事情で、偉大な成功を収めました。巧みな手法を使って反論を抑えることに成功しました。


事件の顛末

   ちなみに、『大阪ニセ夜間金庫事件』は、結果的には、失敗しました。

その原因は、皮肉にも、あまりにも、うまく行き過ぎたが故の失敗でした。みんなが、騙されて、どんどん、金を投函したので、ニセ金庫が一杯になってしまいました。最後の人が、無理に押し込んだので、ニセ金庫が壊れてしまったそうです。それで、犯行が発覚しました。

   余りにも、大勢の人が騙されて、引きも切らずにやってきたので、途中で、ニセ金庫を回収するタイミングも無かったみたいです。もったいない話ですね。犯罪は完璧に成功していたのに。

   なお、犯人は逮捕されていません。人も傷ついていません。何処となく、憎めない結末です。「グリコ・森永事件」に通じるものを感じます。同一犯ですかね。

犯罪は、90%成功していました。でも、残り10%のリスクを犯しませんでした。
普通は、70%程度成功した時点で、欲望に負けて、最後の30%のリスクを犯します。でも、彼らは、犯さないで、あっさり切り捨ててしまいました。欲望に負けませんでした。この欲望の切り捨て方、欲望に執着しない姿が何処となく似ています。