2.3 価値観を使ったトートロジーのからくり
価値観を使った説明が、トートロジーになっていることを説明します。
なんか、表現が微妙におかしいですね。「説明を説明する。」なんて。かなり、話の確信に近づいてきたので、言葉という道具の限界が目立ち始めました。この限界は、これから、ますます、酷くなります。
価値観への信念
現代科学において、このような間違いが起った原因は、価値観に対する絶対的信念や、先入観の為です。その信念や先入観に原因があります。
我々人間は、自分の信じている価値観に、素朴な信念を持っています。だから、『いい。』と言われれば、「そこには、何か絶対的根拠や、真理が潜んでいる筈だ。」と思ってしまいます。「その隠された絶対的真理によって、選択が行われるから、正しい結果が生まれるのだ。」と思っています。
つまり、
『都合がいい。』こと自体は、物理的作用ではないかもしれないけど、この『いい。わるい。』の価値観には何か絶対的根拠が潜んでいる筈である。
その絶対的根拠を背景にして、何らかの物理現象が起っている筈だ。
その背後に隠された真理によって、選択が行われているから、自然選択説の主張は正しい。 |
と考えています。
それが証拠に、全ての生物は、うまく環境に適応しているではないか。
それが動かない証拠だ。
|
と思っています。
価値観を使ったトートロジー
確かに、現象を観察すれば、生物は、どれも、旨く環境に適応しているように見えます。これは、間違いのない事実です。我々が持っている価値観を使って、現象を観察すれば、『生物は、生存にとって都合がいい。』と、価値判断されます。
しかし、注意深く、この思考過程を観察してみて下さい。その『いい』という価値判断結果を、同じ価値観を使って、『都合のいいものが選択された結果だろう。』と説明しています。
ここが重要ですが、
同じ価値観が、価値判断結果と、その結果を説明する為に使われています。同じ価値観が2度、繰り返されています。同義語の反復、即ち、トートロジーです。
『
その馬はなぜ白いのか?』と聞かれて、『
白いから』と答えるようなものです。
我々は、『白い。黒い。』の価値観を持っています。その価値観を使って、白い馬を観察すれば、『白い馬』と、判断されます。では、『なぜ、白いのか?』と聞かれたら、『白いから。』と答えています。
同じ『白い。黒い。』の価値観が、『白い』という観察結果と、『白いから』という観察結果の説明に、2回、繰り返して使われています。
つまり、「白い馬は、白いから、白く見えるのだ。」と、説明しています。
唯物論の先入観
現代哲学の主流である唯物論では、「物の性質は、その物自身の中に宿っている。我々は、その(宿っている)実体を認識の対象としている。」と考えています。
だから、『白い。』と認識されるのは、そこに、『白い。』実体が存在しているからだと思っています。すなわち、『
白い(実体を持っている)から、白いと見える。』と思っています。
「
白い馬が、白く見えるのは、白いから。」という言葉の用法が、何の疑いもなく成り立ってしまうのも、これが原因です。唯物論的先入観が根底にあります。「我々の認識しているものは、実体である。」という
思い込みが根底にあります。
白い馬の説明 |
前提の価値観 |
『白い黒い』の価値観を使用 |
この価値観を使って馬を観察 |
現象の観察結果 |
その馬は白く見える。 |
白黒の価値判断結果 |
素朴な疑問 |
なぜ、白く見えるのか? |
素朴な疑問。問い。 |
観察結果の説明 |
白いから
白い(実体を持っている)から |
白黒の価値観を使った説明 |
「白い馬が、白く見えるのは、白いから。」
|
つまり、「白い馬が、白く見えるのは、白い実体を持っているから。」 |
我々は、その『白い実体(馬)』を認識の対象としている。 |
だから、当然の帰結として、『白く』見えるのだ。 |
これと同様な説明は、自然選択説でも行われています。自然選択説では、次のように、論理が展開されます。
自然選択説の説明(価値観を使ったトートロジー) |
前提の価値観 |
『いい、わるい』の価値観 |
『いい、わるい』の価値観を使って進化現象を観察 |
現象の観察結果 |
生物はどれも、旨く環境に適応しているように見える。 |
『いい、わるい』の価値判断結果 |
素朴な疑問 |
なぜ、生物は、環境にうまく適応できているのか? |
素朴な疑問。問い。 |
観察結果の説明 |
都合のいいものが選択されたから。 |
この価値観を使った説明 |
「生物がうまく適応しているのは、都合のいいものが選択されたから。」 |
つまり、そこには、『都合がいい。』という実体が存在している。 |
その『都合がいい。』という実体が、自然選択されているから。 |
だから、結果として、全ての生物は、うまく、環境に適応出来ているのだ。 |
このような説明は、自然科学として、はたして、適切でしょうか。物理的作用の因果関係を直接、説明していません。その代わりに、同じ価値観が、2度、繰り返されています。
1回目は、価値判断の為に。
『いい。わるい。』の価値観を使って、『いい』という価値判断結果を生み出す為に使っています。観察結果を生み出す為に使っています。
2回目は、説明の為に。
同じ価値観を使って、その『いい』という判断結果を、『都合がいいから』と説明する為に使っています。観察結果を説明する為に使っています。
価値観を使った価値判断結果を、同じ、価値観を使って、説明しています。同じ価値観が2度繰り返されているので、トートロジーです。
その根底にあるのは、『実体を認識の対象としいる。』という唯物論的先入観です。この先入観が、トートロジーの根拠になっています。
価値観を使ったトートロジーのからくり |
1回目 |
価値判断の為に、使っている。
いい悪いの価値観を使って、『いい』という価値判断結果を生み出しています。 |
2回目 |
その判断結果を、説明する為に使っている。
同じ価値観を使って、「いいものが選択されたから。」と結果を説明しています。 |
つまり、そこにあるのは、唯物論の先入観です。
「白い(実体を持っている)から、白い馬は、白く見える。」と。
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世の中は、価値観を使ったトートロジーで溢れている。
このような価値観を使ったトートロジーは、世間では、非常に多く見受けられます。進化論だけに、限定された話ではありません。恐ろしいことに、哲学にも、宗教にも、科学にも、政治的イデオロギーにも、このトリックは溢れています。
いや、現実はもっと悲惨です。このトーロジーの上に、現代文明は成り立っています。有名どころの思想の多くが、この価値観を使ったトートロジーによって組立られています。
マルクスは、労働に絶対的価値を見出して、労働者と資本家の欲望の対立を、労働者の側から正当化しました。即ち、共産主義思想を展開しました。
進化論は、『いい。悪い。』の価値観に絶対性を見出して、物理現象を説明しようとしました。どちらも、絶対的価値観に拘って、思想を展開しています。同じ間違いを犯しています。
一大スキャンダルです。世の有名どころの多くの権威や教義が、何の根拠もない価値観の絶対性を唯一の根拠として、その正統性を主張してきました。多くの哲学者や宗教家が、神や価値観の絶対性を証明する為に、一生を捧げてきました。余りにも、空しい愚かな行為です。
価値観の絶対性を証明する行為は、ただ単に、心の奥底で蠢いている欲望に振り回された結果に過ぎません。心の奥底の欲望を正当化したいだけです。その欲望に振り回されているおかげで、どれだけの無駄が生じていることか。
でも、自己満足に浸りたいという欲望の前では、そもそも、そのような経済原則は無意味かもしれないですね。「充実した満足感こそ全て。」と言われてしまえは、返す言葉もありません。
今を生きるならそれでもいいですが、未来を目指すなら、欲望に振り回される行為は、命取りです。いやでも、心の奥底に潜んでいる欲望と、向き合う必要があります。好き嫌いの問題ではなくて、
我慢の問題です。
欲望の虜になって、『いい。わるい。』の価値観を振り回すのではなくて、冷徹に現象を観察して、原因と結果の因果関係に注目していくべきです。物事は、原因と結果の因果関係によって、組み立てられています。