2016/04/14 うつせみ

自然選択説は、人間と自然の素朴な同一視、即ち、自然の擬人化です。

2.0 物理的作用の因果関係が成り立っていません。

現代進化論の主張は、物理的作用の因果関係が成り立っていません。

従って、これは、自然科学の理論ではありません。

我々が観察する物理現象は、物理的作用の因果関係の上に成り立っています。現象は、原因と結果の因果関係より構成されています。これは、生物進化の現象についても同様です。

生物進化の現象は、生命現象の一部です。そして、その生命現象は、この宇宙を構成している物理現象の一部です。だから、生物進化の現象も、物理現象の一部として、物理的作用の因果関係の上に成り立っている筈です。

思考対象の自らの世界観の中での位置づけ

ところが、自然選択説は、この物理的作用の因果関係が成り立っていません。物理現象の筈なのに、物理的作用の因果関係、即ち、原因と結果の因果関係に基づいて説明されていません。

自然選択説は、次のように主張しています。

生存にとって都合のいい変異が、自然選択されて、生物は進化した。

この主張を、原因と、結果の因果関係に分解すると、次のようになります。『生存にとって都合がいい変異』が原因となって、『自然選択』が起って、その結果、『生物は進化した。』と。

つまり、彼らの主張に従うなら、現象の原因は、『生存に都合がいい変異』であり、その結果は、『生物進化』となります。『生存に都合がいい変異』が原因になって、『自然選択』という現象が起こり、『生物進化』という結果が生じたと考えています。彼らは、因果関係を、このように考えて、生物進化を説明しています。この因果関係を誰も疑っていません。

ところが、この説明には、トンデモない落とし穴が潜んでいます。彼らの主張を、もう一度、解り易いように、一覧表に整理してみます。

正統派進化論が主張する因果関係

1.原因生存に都合がいい変異が原因となって
2.現象自然選択が起った。
3.結果その結果、生物は進化した。

この主張の、どこが問題なのでしょうか?。
どこにも問題は無いように思えます。完璧に見えます。しかし、思考過程を注意深く、観察してみて下さい。思考習慣の常識に囚われないで下さい。気付かれましたか。トリックが隠されていることに。

ここで、問題になるのは、『生存に都合がいい変異』という表現です。この表現にトリックが隠されています。

ところで、この表現は、どのような物理現象を指し示しているのでしょうか。物理的作用について述べた言葉でしょうか。例えば、『光が当たる。』と言った表現のように。
それは、物理的測定器によって観測可能な物理現象でしょうか。ここが問題です。

残念ですが、『都合がいい。』という物理現象は存在していません。この言葉は、物理現象を指し示してはいません。

多くの生物学者は誤解していますが、これは、我々人間が持っている『いい。わるい。』の価値判断です。現象を観察した結果、心の中に生じてくるものです。あくまでも、心の中に生じている事象、結果です。
だから、物理的な測定器によっては、観測できません。物理現象ではないので、このような量を、直接、計測可能な測定器は存在していません。

測定器が反応しないので、現実の物理現象に影響を与えることもありません。つまり、『生存に都合がいい。』は、物理現象ではないので、物理現象の原因になることはできません。物理的作用の因果関係が成り立っていません。論理的に破綻しています。根本的に、説明方法が間違っています。

理屈はそうだが、実感としてはシックリこない。

しかし、何かが、シックリこないと思います。

キツネに抓まれたような。。。。言葉で巧妙に言い包められたような印象を受けるかと思います。 確かに、「理屈としてはそうだ。」が、「実感としては、何処かが違っている。」と、感じている思います。

「そもそも、君の思考方法はおかしい。我々と同じような健全な思考をすべきだ。そうしたら、君も『進化論の正しさ』を理解出来る筈だ。あまりにも、ひねくれ過ぎている。」と感じているかと思います。

これから、理屈と実感の違和感について、説明していきます。そこには、現代科学の闇が潜んでいます。生物学を超えた、もっと深刻な問題に直面します。

2.0.1 経験則による説明です。

自然選択説の説明は、経験則としては、間違っていません。

もっと、解り易い話をしてみます。
これは、「明るいから、植物の光合成が起っている。」と、説明するのと同じです。

明るいから、植物の光合成が起っている

誰にでも、直感的に理解出来るいい説明ですね。これの何処が問題なのでしょうか。何処にも問題はないように思えます。実に、簡潔に、真理を述べているように見えます。

ところで、同じ話を繰り返すのですが、『明るい。』は、どのような物理現象を指し示しているのでしょうか。それは、物理的測定器で測定可能な現象でしょうか。

経験則としては、確かに、植物が光合成を行っている現場では、光が当たっていますから、『明るい』と判断できます。だから、我々が観察して、『明るい』と感じることが出来る現場では、植物は、光合成を行っています。これは、間違いのない事実です。この経験則に間違いはありません。この素朴な信念に間違いはありません。

しかし、そのような信念とは裏腹に、この光合成の原因は、『光が当たる。』という物理的作用です。この物理的作用が原因となって、起っている現象です。従って、自然科学としては、次の表現が正しい説明です。

光が当たるから、光合成が起こる。

経験則を使った説明は、確かに、我々人間を納得させるには完璧ですが、物理的作用の因果関係は説明していません。つまり、人間を納得させる事には成功していますが、自然科学の説明として失敗しています。因果関係を説明していません。

そのような『光が当たっている。』現場を観察して、『明るい』と感じているに過ぎません。『明るい。』と感じているのは、人間の心に生じている現象の観察結果です。即ち、人間の経験、体験です。目の網膜上に生じている現象の副作用です。副作用は、現象の原因ではありせん。現象の結果です。だから、光合成の原因に成ることは出来ません。

同様に、生物進化の現象も、観察すれば、生き残っている生物たちは、みな、『生存に都合がいい。』ように見えます。この事実に、間違いはありません。

しかし、このような『都合がいい。』という観察結果は、あくまでも、人間の心に生じている価値判断結果です。現象を観察した結果、心の中に生じているものです。人間の経験、体験です。つまり、経験則です。

経験則を使って、「都合がいいように見える。」のは、「都合のいいものが選択されたから。」と、説明するのは、同じ言葉の繰り返し、即ち、トートロジーです。経験則の結果を説明するのに、同じ、経験則を使って説明しています。

白い馬を見て、「白い馬が白く見えるのは、白いから。」と説明するのと同じです。

現象の観察結果を使って、現象の仕組みや、理由を説明すべきではありません。「明るいから、光合成が起こっている。」と説明すべきではありません。

物理的作用の因果関係の基づいて説明すべきです。「光が当たるから、光合成が起こる。」と。
説明方法が、根本的に、間違っています。

経験則と物理現象の違い

経験則明るいから、光合成が起っている。『明るい』と、形容詞を使って説明。
物理現象光が当たると、光合成が起る。『光が当たる』と、動詞を使って説明。

残念ですが、現代の哲学と科学は、まだ、この2つの違いを、識別できていません。時と場合に応じて、臨機応変に、この2つを、使い分けています。

2.0.2 それは、自然の擬人化です。

自然選択説は、自然の擬人化による説明です。

我々人間の行動は、『いい。わるい。』の価値判断の上に成り立っています。価値判断に基ずく経験則の上に成り立っています。
だから、人間の行動を説明する場合には、『いい、わるい』の価値判断を使った説明は、正しい説明になります。原因と結果の因果関係は成り立っています。

例えば、家畜などの品種改良の場合、『都合がいい個体』を、『人為選択』して、新しい品種を作っています。

しかし、「自然もそれと同じだ。」と考えるのは、人間と自然の素朴な同一視、即ち、自然の擬人化です。

自然選択説は、「自然も、『いい、わるい。』の価値判断に類似した機能を持っており、それに基づいて、自然選択が起っている。」と、考えています。人為選択からの類推で、そう考えています。

人間の行動原理と、自然の仕組みは、全く異質のものです。人間の行動原理は、『いい、わるい』の価値判断の上に成り立っていますが、自然の仕組みは、物理的作用の因果関係の上に成り立っています。

このような主張は、論理の前提条件に、『人間の価値判断と類似した機能を自然も持っている。』という仮定があります。人間と自然の素朴な同一視があります。まるで、アニミズムのように、人間の行いを、自然に投影し、自然を擬人化して、物事を説明しようとしています。

擬人化の罠に陥っています。

自分の批判作業が、実感としてシックリこなかったのも、原因はここにあります。
人間の行動原理に基づいた説明ではないからです。自然の仕組みに基づいた説明だからです。つまり、価値観と経験則を使った人々を納得させる説明ではなくて、物理的作用の因果関係に基ずく説明だったからです。
説明原理そのものが異なっていた為です。

現象名原因と結果の因果関係
人間の行動原理いい、わるい』の価値判断が原因になって起こる。
自然の仕組み物理的作用が原因になって起こる。
自然選択説『生存に都合のいい変異』が自然選択された。
『いい、わるい』の価値判断が原因になって、自然選択(物理現象?)が起こった。

生命現象は、生物と自然との相互作用の上に成り立っていますが、ラマルキズムは、生物の側を擬人化し、自然選択説は、自然の側を擬人化しています。
共に、擬人化によって、説明を試みている点は同じです。

擬人化による説明

2.0.3 まとめ

現代進化論は、人間の行動原理と、自然の仕組みを、混同しています。

人間の行動は、『いい。わるい。』の価値判断の上に成り立っています。
一方、生物進化の現象は、物理現象なので、物理的作用の因果関係の上に成り立っています。

自然選択説は、『生存に都合がいい変異が、自然選択された。』と、『いい。わるい。』の価値観を使って説明しています。

これは、人間と自然の素朴な同一視、即ち、自然の擬人化 です。

人間の行動原理と、自然の仕組みを混同しています。自然も、我々人間同様に、『いい。わるい。』の価値判断に基づいて、起こっている現象だと、見なしています。自然の仕組みと、人間の行動原理が同じだと見なしています。

あまりにも、素朴過ぎます。
あまりにも、幼すぎます。
科学的思考の基礎訓練ができていません。