2017/08/08 うつせみ

自然選択説の異常性は、言語文法に着目すると、より明確になります。
説明に、動詞ではなくて、形容詞が使われています。

2.1 文法上の品詞が異なっています。

自然選択説と、物理現象では、説明に使う単語の品詞が異なっています。

人間は、2通りの説明方法を、臨機応変に使い分けています。そのひとつは、価値観を使った説明です。もうひとつは、物理的作用の因果関係に基づいた説明です。

例えは、植物の光合成を例にとれば、次の2通りの説明が可能です。

  • 明るいから、光合成が起こる。
  • 光が当たるから、光合成が起こる。

この2通りの説明方法は、言語文法上、大きな違いがあります。『明るいから。』と、価値観を使った説明は、文法上は、形容詞 を使った説明です。一方、『光が当たるから。』は、動詞 を使った説明です。
同じように見える説明ですが、言語文法上は、使用している品詞が異なっています。

形容詞は、感覚器官と結びついている。

形容詞は、感覚器官と結びついており、感覚器官で知覚された状態や印象を表現しています。

例えは、「赤い服」とか、「甘い水」、「明るい部屋、暗い部屋」と言った使い方をします。もっと、情報処理が進んで、感覚器官との直接の結びつきが失われて、より抽象化された形容詞もあります。「いい本」とか、「正しい行い」と言った例です。

『高い、低い』の形容詞も、感覚器官との直接の結びつきを失っています。聴覚情報と結びつくと、「高い音、低い音」と使われますし、視覚情報と結びつくと、「高い山、低い山」と使われます。「値段が高い、値段がやすい」に至っては、どの感覚器官と結びついているのか、判断に苦しみます。かなり抽象的に、直感的に使われています。

最も原始的な形容詞の場合、反対語が存在していません。

感覚器官から、脳に信号がやってこなければ、脳はそのような無の状態を知覚できないので、従って、その無の状態を表現する言葉も存在していません。 無理やり表現する場合は、否定語との組み合わせで表現しています。『~ない。』と。
例えば、『痛い。』という形容詞の場合、反対語は、『痛くない。』と表現します。

最も原始的な形容詞の場合、感覚器官からの信号(ON)を形容する言葉は存在していますが、信号がやってきていない状態(OFF)を形容する言葉は存在していません。そもそも、脳に信号が流入していないので、脳内部に事象が形成されることもなく、事象が存在しないので、それを表象する言葉も存在しない為です。

虫に刺されて『痛い。』場合、『痛い。』という信号は、脳に到達しますが、逆に、痛くない場合、痛みの信号は発生していませんから、脳にも信号が届かず、信号が届かないので、脳は、そのような事象は、知覚できません。

言葉は、脳内部に生起する事象に対してしか、割り当てられません。厳密には、意識知覚 できる事象に対してのみです。だから、存在しない事象には、言葉も存在していません。無理に表現しようとすると、否定語との組み合わせによって、表現する以外に方法がありません。

高度な形容詞の場合、反対語とのセットで運用されます。

もう少し、情報処理が進むと、情報は右か左に分別され、反対語とのセットで表現されるようになります。『明るい、暗い』のように、対立した概念によって、情報を右か左に分別します。このような分別行為を、価値判断と呼んでいます。そして、その分別の基準を価値観と呼んでいます。

価値観は、価値と、その反価値から構成されています。例えば、『美しい』という価値には、『醜い』という反価値が対応しており、この『美しい。醜い。』の価値観によって、情報は分別されています。それゆえ、常に、それは、基準との比較の問題となってしまいます。

より美しいものを目にすると、比較の問題として、今まで美しいと感じていたものは、美しく感じることが出来なくなってしまいます。価値のインフレが起こってしまいます。常に、価値と、その反価値は、比較の問題として、天秤のように、バランスを保っている為です。

価値観の天秤

価値観は、その外見上、大雑把には、次の4つのパタンに分類されます。
希少価値と無価値は、宝石と石ころの関係です。数が少ないからこそ、価値があります。数が多くなると、インフレによって、価値を失います。例えば、ガラス玉は、古代においては宝石でしたが、現代においては偽物の代名詞です。

時間と空間も脳内部の情報処理なので、価値観を構成しています。片方が大きくなれば、それとバランスを取る為に、もう片方も大きくなります。アインシュタインが主張したように相対性を持ちます。時間を2乗した値と、空間を2乗した値は、比例します。

価値天秤の4つの姿

さらに進むと、感覚器官との直接の結びつきが失われます。『いい。わるい。』の価値観は、感覚器官と、直接にも間接にも、結びついていません。高度に抽象化されています。

しかし、高度に抽象化されても、形容詞(価値観)の基本的性質は変わりません。『右か左に情報を分別、識別する行為』である現実は変わりません。それが、価値と反価値から構成されている現実は変わりません。

形容詞と感覚器官との結びつき、 そして、抽象化のレベル

抽象化説明


反対語が存在していない。
反対の意味は、否定語との組み合わせで表現しています。
感覚器官が ON の状態を表現する言葉は存在しているが、
しかし、OFF の状態を表現する言葉は存在していない。
『痛い、痛くない』
『眩しい、眩しくない』
特定の感覚器官と強く結びついた形容詞
反対語とセットで運用されています。
視覚『明るい、暗い』
温感『暑い、寒い』
複数の感覚器官に跨って使用されています。
抽象化の程度が、かなり、進んでいます。
聴覚『高い音、低い音』
視覚『高い山、低い山』
感覚器官との結びつきを失っています。
高度に抽象化されています。
『いい、わるい』

形容詞は、このように感覚器官由来の情報を処理した結果、即ち、価値判断結果を表現しています。名詞を修飾して、その名詞に(感覚器官由来の情報で)属性を与えています。

『白い馬』の場合、馬という名詞(存在物)に、自分が視覚情報で判断した結果(白い)を付加して、『白い馬』と表現しています。『白い』は、自分の感覚器官が感じた結果、つまり印象です。

生物進化の上では、このような形容詞を使った情報の処理形式は、かなり古いと思われます。動物の発生と同時に、このような情報の処理形式は、確立されたのではないかと思われます。少なくとも、5憶年は遡ることができると思います。もちろん、その情報の処理形式が、形容詞という言葉と結びついたのは、人間になってからですが。

その事象を言葉で表現できるかどうかと、その事象が存在しているかどうかは、別問題です。『言葉が存在しなければ、実体も存在していない。』という先入観には、惑わされない方が賢明です。人間の先入観とは無関係に、現実は存在しています。


動詞は物の動きを表現している。

一方、『光が当たると、光合成が起る。』という物理現象の説明は、動詞を使った説明になっています。

「腕を曲げる。」とか、「地球が回る。」と言った使い方もします。人間の行為を説明するだけでなく、自分を取り巻いている様々な物の動きも表現しています。物理現象は、物の動きですから、基本的には、動詞を使って表現されます。

説明で使用している品詞の例

言葉文法上の品詞備考
都合がいい形容詞『いい。わるい。』の価値観
明るい形容詞『明るい。暗い。』の価値観
光が当たる動詞物理的作用(ものの動き)

2.1.1 形容詞を使った説明

形容詞を使った説明は、自らの感覚器官に依存する表現です。

「明るいから、光合成が起っている。」という形容詞を使った説明は、自らの感覚器官に依存する表現です。自らの感覚器官が体験したことです。即ち、それは、経験則です。経験則は、経験を集積することによって得られる結果であって、現象の原因には成れません。

統計や、確率と本質的には、同じものです。統計や確率も、事が起ってしまった結果、つまり、目の前の結果を集めて、分析したものです。まだ、一度も起ったことの無い事象は、確率を計算できません。そのような計算の基になる母集団が存在していないからです。経験則や確率は、結果は説明できますが、物理的作用の因果関係や、仕組みは説明できません。

集団遺伝学も確率論を使って説明しているので、その本質は結果論です。本来の確率論のように、事が起こった結果を集計しているのではなくて、『生存確率』なる架空概念を導入して、『事が起こったら。』と仮定して、論理を展開しています。仮定の上に、仮定を重ねた二重仮定の話になっています。
誰も、実際に進化現象が起こった結果を観察して、確率論を適用している訳ではありません。進化現象は、時間尺度の非常に長い現象で、人間の一生よりも遥かに長い為に、現象の成り行きを観察できないからです。

これと同じで、生物進化が起っている現場を観察すれば、確かに、『都合のいいものが生き残っている。』ように見えます。そのように判断されます。これは、間違いのない事実です。この経験則を否定するつもりはありません。

しかし、そのような判断は、あくまでも、現象の観察結果です。その観察結果は、人間の心の中に生じている事後の結果、つまり、副作用です。事前の原因ではありません。事が起った後に生じているものであって、起る前に生じている原因ではありません。

だから、『都合のいいものが生き残っているように見える。』という経験則自体は、現象の原因になることはできません。因果関係が成り立っていません。現代進化論は、経験則による説明と、物理現象の違いを混同しています。

進化論争がいつも、混迷してしまうのは、言葉と物理現象の対応関係が曖昧な為です。もっと、ハッキリ言えば、物理的作用でないものを使って、物理現象を説明しようとしているからです。経験則を使って説明しようとしているからです。

心の問題に過ぎない『いい。わるい』の価値観を使って説明しようとするから、いつも、その価値判断の基準を巡って、神学論争に陥ってしまいます。『何が都合がよくて、何が都合がわるいのか。』の価値判断の基準が、いつも、論争の対象になってしまいます。

価値判断は、ひとり、ひとりの心の中で起っているものです。人の顔が、みな異なっているように、人によって、置かれている立場によって変わってしまうものです。人の立場は、みな、其々ですから、その価値判断も、みな、其々、異なっています。一致することはありません。

同じ人でも、見る方向や、立場を変えると、その評価は変わってしまいます。一枚のコインでも、表から見るのと、裏から見るのでは、その模様が異なってしまうのと同じです。コインの実体は変わらない筈なのに、その見え方は異なってしまいます。

しかし、人々は、「価値観には真理が隠されており、一致する筈だ。」という信念を持っています。だから、人々は、『いい。わるい。』の真理を探究すべく、盛んに、論争を繰り広げます。信念に合致する現実を見つけようと、様々な意見が飛び交います。その論争は止むことがありません。神学論争同様、その立場の違いを巡って、永遠に続きます。

進化論争でも、『生存に都合がいい。』という総論については、みんなの意見が一致しますが、では、「具体的に何が都合がいいのか?」と現実に目を向けた時には、混迷してしまいます。見る方向、見る立場によって、『いい。わるい。』の評価は逆転してしまうからです。

価値観の置かれている現実と、信念の間には、大きなギャップがあります。
このギャップに、進化論争は、いつも翻弄されています。

冷たいようですが、物理現象を説明する場合は、動詞を使うべきです。
形容詞、つまり、自らの感じだ印象で説明すべきではありません。価値観を使った、経験則によって、説明すべきではありません。

2.1.2 まとめ

もう一度、下記の2つの説明方法の違いを、真剣に考察してみて下さい。

形容詞と動詞を使った説明の違い

品詞説明例備考
形容詞明るいから、光合成が起っている。経験則による説明
動詞光が当たるから、光合成が起る。物理現象の説明