2019/04/20 うつせみ

学問的伝統を無視して、生物進化の理論をゼロから一気に作ります。
まず、生命現象に関する考察を行って、その一部として、生物進化の現象を論じます。

話しの焦点は、生命現象と時間の関係です。
物理時間は、繰り返す時間と、繰り返さない時間の2種類があること。
生命現象は、繰り返さない時間に依存していること。

それ故、生命にとって、未来は不確定になること、即ち、『生きる』ことが可能となります。ニュートン力学的運命論から解放されます。

2.思考対象の自らの世界観の中での位置づけ

学問的伝統を無視して、ゼロから一気に、生物進化の理論を作ります。その為に、思考過程を体系化します。

まず最初に、哲学的考察から入ります。
自らの思考対象を明確にさせ、それの自らの世界観の中での位置づけを明確にさせます。

自分は、これから生物進化について論じます。従って、その思考対象は、生物進化の現象です。

思考対象: 生物進化の現象

この生物進化の現象は、生命現象の一部です。そして、その生命現象は、この宇宙を構成している物理現象の一部です。従って、その関係は、集合論の書式を使って、図に纏めると、下図のようになります。

生物進化の世界観

生物進化の世界観
思考対象は、生物進化の現象です。

生物進化の現象は、生命現象の一部です。
その生命現象は、物理現象の一部です。
従って、生物進化の現象は、物理現象の一部です。

現代人は、このような世界観を持っています。
物理現象 ⊃ 生命現象 ⊃ (生物進化の現象 = 思考対象)

自分は、このような世界観を持っています。そして、思考対象は、その世界観の中で、上図のような位置づけにあります。

ここから、直ぐに、次の2つの作業方針を導き出すことが出来ます。

作業方針1: 生命現象は、物理現象の一部として記述しろ。
作業方針2: 進化現象は、生命現象の一部として記述しろ。

つまり、生物進化の現象は、物理現象です。(物理現象 ⊃ 生物進化の現象)。物理的作用の因果関係に基づいて記述する必要があります。

今後は、この2つの作業方針に従って、進めていきます。
まず、生命現象を、物理学理論のように、時間と空間の関数として記述することを目指します。その時、何が問題になるかを、考察します。次に、生命現象の一部として、進化現象を説明します。(孫氏の兵法に従って、学問的迷信を無視して、冷酷に目の前の問題を解決していきます。)

1. まず、生命現象を時間と空間の関数として記述することを試みます。
2. 次に、生命現象の一部として、生物進化の現象を論じます。
物理現象 ⊃ 生物進化の現象

実際の自分の興味は、生物進化の現象では無くて、生命現象そのものです。生命現象を物理学理論として理解することです。特に、『時間とは何か?』の問題を理解することです。(物理現象 ⊃ 生命現象)

この為、話の内容は、現代生物学の常識とは、かなり異なったものになっています。現代において受け入れて頂けるか自信はありません。それよりも、未来に向かっての作業効率を優先しています。目の前に立ちはだかる『生命現象の壁 』を乗り越えることに集中しています。壁が大きいので、少々荒っぽい作業になっています。

このような事情で、この内容は、どちらかと言えば、物理学者の方が理解し易い内容になっています。多くの作業は物理学や工学を前提にしています。

3.川の流れに逆らって生きるサカナ

川の流れに逆らって生きるサカナは、流れに逆らうからこそ、サカナとして存在できます。

流れに身を委ねたら、木の葉と同じように押し流されてしまい、やがて、海で死に絶えてしまいます。

彼らは、重力という自然の摂理(ルール)に逆らって存在しています。その自然の摂理に逆らうことが、自己の存在を確立する唯一の方法です。自然の摂理に身を委ねたら、そこで待っているのは死だけです。流れに漂う木の葉のように、押し流されて、やがて、海で死に絶えてしまいます。

しかし、だからと言って、イタズラに逆らっている訳ではありません。逆らい過ぎると、今度は、水の無い山の上に出てしまい、こちらも同様に死を招くからです。

川の流れに逆らって生きるサカナ
川の流れに逆らって生きるサカナ
サカナは、流れに逆らうからこそ、サカナとして存在できます。
しかし、だからといって、イタズラに逆らっている訳ではありません。
彼らは、川の流れに妥協して生きています。

生命現象は、対立と妥協という相反する矛盾した行為の上に成り立っています。

彼らは、川の流れに妥協して生きています。

雨が降れば増水し、日照りが続けば干上がり、川の水は常に変化しますが、その変化に合わせて生きています。

彼らは、環境の変化を受け入れ、それに従っています。自らの態度も、環境の変化に合わせて、変えています。増水すれば、一生懸命に逆らって、流れの緩やかな淀みや支流に避難します。逆に、干上がれば、水の豊富な本流に移動します。何処かで、環境と折り合いをつけて生きています。環境変化を受け入れ、それに合わせて生きています。

生物は、自己の存在を確立する為に、環境と対立しなければならず、
生きる為に、その環境と妥協しなければなりません。

生命現象は、対立と妥協という相反する矛盾した2つの行為の上に成り立っています。
その矛盾した行為の結果、上流に棲むサカナは上流に棲み続け、下流に棲むサカナは下流に棲み続けます。その存在状態が一定に保たれ続けます。多少の変動はありますが。
環境との相対関係が、自己にとって都合がいいある一定の状態に保たれ続けます。

生命現象の矛盾

条件目的行動
自己の存在を確立する為の条件存在する為に環境と対立すること
自己が存在し続ける為の条件生きる為に環境に妥協すること
生命現象の構造

図名
生物は、存在する為に、環境と対立しなければならず、
生きる為に、その環境と妥協しなければいけません。
この矛盾した行為の結果、生物と環境との相対関係は、生物にとって都合のいいある一定の状態に保たれ続けます。

ところが、環境は生物の都合を考慮してくれません。無視して、一方的に変化します。
この為、生物は自ら変化して、環境との相対関係を維持する必要があります。
このような生物の姿を、生物学では『適応行為』と呼んでいます。

注)対立と妥協という相反する矛盾した行為の結果、生物と環境の相対関係が、生物にとって都合のいいある一定の状態に保たれ続けます。

この関係は、どことなく、ブレーキとアクセルの関係に似ています。前に向かって進む為には、アクセルが必要ですが、安全に運転する為には、ブレーキが必要です。
生物が生物として存在する為には、環境と闘わなければならず、生きていく為には、その環境に妥協しなければいけません。環境の変化を受け入れ、それに従って自らを変えていかなければいけません。

注)環境は生物の都合を考慮してくれません。

むしろ、逆に、無視して一方的に変化しています。この為、生物と環境の関係を、生物にとって都合のいいある一定の状態に保つ為には、生物の側が積極的に変化して、相対関係を維持する必要があります。この行為を、生物学では、『適応行為』と呼んでいます。
適応行為の背景には、このような環境の身勝手さが潜んでいます。その変化が大き過ぎると、対応できないので、つまり、適応出来ないので、生物は死にます。現実は、たった、それだけです。生物の力は、極めてささやかです。

注)生命現象が矛盾しているように見えるのは、現象自体が矛盾している為ではありません。

我々人間の言語体系が矛盾している為です。不完全な言語体系を使って記述した為に生じた矛盾です。

言語を使うと、見る方向によって、互いに矛盾しているように見えます。
例えば、「私はウソをつきません。」という言葉が、既にウソであることと同じです。この世にウソをつかない人間などいません。「私はウソをつきません。」という言葉自体が、既にウソです。

言葉は真理を表現しているのではありません。口から音を出している当人の都合と欲望を表現しているに過ぎません。

本音:「だから、私のウソを信じなさい。私はウソをついていないのだから。」「言葉は真理です。だから、私のウソも真理です。」と。このように本人の都合と欲望を表現しているに過ぎません。

(この表現は、『言葉』と『ウソ』というふたつの単語を、微妙にシフトさせながら、オーバーラップさせています。(私の)『ウソ』という単語を、(私の)『言葉』という単語に戻すと、健全な(?)文章に戻ります。)

建前:「だから、私の言葉を信じなさい。私はウソをついていないのだから。」「言葉は真理です。だから、私の言葉も真理です。」。。。

哲学的に悩んでみても無意味です。哲学者のように、言葉によって思考するのではなくて、自然科学者のように、原因と結果の因果関係を観察することを希望します。言葉を使う限り、言葉が作り出している先入観から逃れることはできません。言葉の檻の中で右往左往するだけです。

4.3つの時間

我々人間は3つの時間の中に存在しています。
繰り返す時間と、繰り返さない時間と、記憶の糸です。

生命現象は、極論すれば、『時間とは何か?』の問題です。
繰り返さない時間の中に、その存在基盤があります。
川の流れに逆らえるのも、この為です。

生命現象は、繰り返さない時間の中に、その存在基盤があります。

物理現象は、繰り返す時間と、繰り返さない時間の2つの時間から構成されています。この2つの時間が縺れ合うようにして、記憶の糸が作り出されています。

現代の物理学者は、物理時間は一種類だと思い込んでいます。しかし、実際には、二種類存在しています。例えば、『月の満ち欠け』に代表される繰り返す時間と、『火が燃える。』ような繰り返さない時間です。月の満ち欠けは繰り返しますが、一度、燃えてしまったものは、二度と、元には戻りません。

科学的迷信に惑わされることなく、現実をあるがままに受け入れて頂くことを希望します。
繰り返す時間と繰り返さない時間の意味は、ミクロな素粒子レベルの問題を扱った時に、始めて明らかとなります。

3つの時間

3つの時間
時間は、3種類あります。
物理世界は、繰り返す時間と、繰り返さない時間の2つで構成されています。
心の世界は、記憶の糸より構成されています。

各種時間と、過去未来の関係

時間の種類過去未来備考
繰り返す時間確定確定過去も未来も確定しています。
運命論的です。
確定しているので、過去も未来も予測可能です。
(繰り返す変化)
繰り返さない時間糸の累積不確定未来は、不確定です。
過去は、記憶の糸として累積されています。
(繰り返さない変化)
記憶の糸糸の累積未来はありません。結果の累積のみです。
繰り返す時間と繰り返さない時間から織られた糸になっています。

現代の物理学者が持っている時間の観念は、繰り返す時間をモデルにしています。ニュートン力学の時間の考え方が基本になっています。従って、過去も未来も、運命論的で、計算可能だと思っています。未来は確定していると思い込んでいます。

生命現象は、繰り返さない時間に依存しています。未来は不確定です。自分にとって都合がいい未来が選択可能です。即ち、適応が可能です。
ロボットなどの制御システムが物事を制御可能なのも、生物が環境変化に適応して自己を保存可能なのも、未来が不確定な為です。

未来が確定していたら、そのような選択の余地はありません。生物を始めとした制御システムは、不確定な未来の中から、自分に都合のいい未来を選択しています。選択の幅が限られていて、ささやかな力ではありますが。

注)厳密な意味では、『時間、空間、物質』は、存在する実体ではありません。我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。
3つの『時間』も含めて、『空間』も『物質』も、我々動物の脳が持っている情報の処理形式です。存在する実体ではありません。だから、真面目に捉えて悩まないで下さい。言葉と、その言葉が作り出している先入観に惑わされないで、現実を冷徹に観察されることを希望します。全ては、脳内部の事象です。

マクロな人間サイズの物理時間

人間が生きているマクロな世界の物理時間について考察します。

地球が太陽の回りを周り続けているのは、繰り返す時間です。未来永劫、繰り返します。一方、火が燃えるのは、繰り返さない時間です。一度燃えてしまった物が、燃える前の状態に戻ることは、未来永劫、ありません。

目の前の物理現象は、繰り返す変化と、繰り返さない変化の2種類の変化から構成されています。

我々人間の人生の中にも、多くの繰り返す変化と繰り返さない変化を見出すことができます。脈拍は、一分間に約60回、繰り返しています。一日は、24時間周期で繰り返します。季節は、1年周期で繰り返します。
一方、生まれて死ぬのは、繰り返さない変化です。死んだ人が、蘇ることはありません。

繰り返す時間と繰り返さない時間の例

時間の種類
繰り返す時間- 月の満ち欠け。約1月周期で繰り返します。
- 地球の自転。一日周期で繰り返します。
- 地球の公転。地球は太陽の周りを1年掛けて回っています。
- 振り子時計の振り子。約1秒周期で繰り返します。
- 脈拍。一分間に約60回繰り返します。
- 一日。24時間周期で繰り返します。
- 日曜日。一週間毎に繰り返しています。
- 季節。1年周期で繰り返します。
繰り返さない時間- 生まれて死ぬこと。一度、死んだら、蘇ることはありません。
- 火が燃える現象。一度、燃えてしまったものは元に戻りません。
- サイコロを振る。振る度に、結果が異なります。
- 歴史。歴史に『もしも』はありません。一度切りの出来事です。
- 生物進化。歴史と同様です。『もしも』はありません。
- 反省。いくら悔やんでみても、元に戻ることはありません。

- 素粒子の崩壊 存在状態の変更なので、繰り返しません。

天体の運動に関する事は繰り返しますが、人生や火に関する事は繰り返しません。

注)歴史は繰り返す

ちなみに、歴史が繰り返すのは、同じ欲望を持ち続ける為です。

同じ欲望が、繰り返し、同じ過ちを繰り返します。第一次世界大戦のすぐ後に、再び、第二次世界大戦が起こったのは偶然ではありません。一回の戦争だけでは、人々の欲望をガス抜きで出来なかったみたいです。二回過ちを繰り返して、やっと、ガス抜きが終わりました。やっと、覇権主義と植民地主義が終焉を迎えました。
第一次、第二次世界大戦は、植民地主義の先発組と後発組の欲望の対立でした。後発組が植民地主義に目覚めた時には、既に、世界は全て植民地になってしまっていました。だから、後発組は、先発組から奪う以外にありませんでした。先発組の作り出した秩序を破壊する必要があったのです。
今現在、この不満を抱えているのが中国です。「国力が発展したのだから、力で秩序を変えたい。」と、100年遅れの覇権主義に憧れています。歴史は、また、繰り返すのでしょうか?

仏教では、これを輪廻転生と言います。性欲がある限り、何度、痛い目にあっても、やっぱり異性を求めてしまいます。同じ間違いを繰り返します。何度、頬杖をついて、「もう懲りた。」と、ため息をついたことか。。。。でも直ぐに、寂しさに負けて、また。。。。

なお、輪廻転生は、仏教の発展過程で、インドの土着信仰が混入したものです。元々の原始仏教には無い考え方です。
「欲望を持ち続ける限り、その欲望によって何度も同じ間違いを繰り返す。だから、欲望への拘りから離れなさい。」という教えが、ある日、突然、輪廻転生の生死観、つまり、「生に執着している限り、繰り返し、生死を繰り返す。悪い行いをしていると、虫けらに生まれ変わってしまう。」という道徳観に変身してしまいました。そして、それ以後は、仏教の根本理念になりました。
大衆受けを狙った土着信仰の影響です。『当たらずとも遠からず』ではあるのですが。


現象と時間尺度

時間尺度の取り方によって、色々な繰り返す変化が見えてきます。

時間尺度を1秒に取れば、振り子時計の変化が見えますし、時間尺を1年にとれば、季節の変化が見えてきます。

時間尺度を100年にとれば、文明の興亡が見えてきます。気候変動のリズムは、大雑把には100年程度ですから、1回目の飢饉は乗り切れても、2回目、3回目は(権力が腐敗して)乗り切れないので、王朝の歴史は、200年から、300年になってしまいます。

時間尺度を短くして観察すると、時間尺度の長い現象は、認識できなくなってしまいます。
人生は、高々、50年ですから、それよりも周期の長い気候変動のリズムは、歴史書に残ることはありません。人生で初めて遭遇する天変地異として、記録に残ります。

生物進化の現象は、10万年、100万年かけて起こる現象です。その最小目盛は、どんなに控えめに見ても、千年、1万年です。千年間、定点観測を続けて、やっと、その変化の痕跡を確認できる程度です。

そのような進化現象を、人生、高々50年の人間が観察したら、どう見えるでしょうか?

人生で初めて遭遇する天変地異と見えてしまいます。原因と結果の因果関係を観察することができないので、その変化を、原因も無しに生じてしまった現象、即ち、突然変異だと見なしてしまいます。
詳細は、突然変異説のトリックを参照して下さい。

突然変異は、原因も無しに、突然、生じてしまった現象ではない。ただ単に、観察時間が短過ぎる為に、原因と結果の因果関係を確認できないだけです。



ミクロな素粒子サイズの物理時間

注)この思考作業は、物理学者を前提としています。意味不明の場合は、読み飛ばして下さい。かなり、狂気じみています。健全な常識を持った健康な方は、読まない方がいいかもしれません。

原子よりも、さらに小さな素粒子の世界の話をします。原子を構成している電子や原子核、陽子の話です。

素粒子サイズのミクロな現象に目を向ければ、この繰り返す時間と、繰り返さない時間の意味が、より、明確になります。

原子は、原子核と電子より構成されます。原子核の回りを、電子が廻っています。
電子が原子核の回りを廻り続けているのは、繰り返す変化です。この安定した定常状態は、何も相互作用が起こらなければ、未来永劫、続きます。
一方、電子は時々軌道が遷移します。光を吸収したら外側の軌道に遷移しますし、光を放出したら内側の軌道に遷移します。この軌道の遷移は繰り返さない変化です。周期的現象ではありません。

原子の構造

原子の構造
現代物理学では、まず、空間(座標系)なるものを仮定します。
そして、原子は、その空間(座標系)の中に存在していると考えています。

その原子は、陽子と電子から構成されています。電子は陽子の回りを廻っています。
この電子の軌道が遷移すると、光の放出や吸収が起こると考えています。

なお、『空間』はデフォルト、つまり、常識なので、通常は、思考過程から省略されています。

現代物理学の解釈に従うと、上の図のように、空間(座標系)という入れ物の中に、原子核と電子が存在しています。そして、電子は、原子核の周りを回っています。この原子核と電子がセットになって、原子を構成しています。原子核を構成する陽子の数によって、様々な原子が生まれています。
例えば、水素原子の場合、原子核を構成する陽子の数は一個です。そのプラスの電荷と釣り合う為に、電子が一個、その周りを周っています。一個の陽子と一個の電子の組み合わせで構成されています。
酸素原子の場合、原子核は、8個の陽子と、8個の中性子から構成されます。その原子核の周りを、8個の電子が回っています。

原子別、陽子と中性子と電子の数

原子の種類陽子の数中性子の数電子の数
水素
酸素

注)中性子の数は、原則的な数です。実際には、割合は少ないですが、同じ、酸素原子でも、中性子の数が8個以外の原子が存在しています。このような、同じ陽子の数なのに、中性子の数が異なった原子を、同位体と呼んでいます。同位体は、陽子と電子の数は同じなので、化学的性質は同じです。化学的性質は、電子の数で決まっているからです。

電子は原子核の周りを回っています。この関係は安定しているので、光エネルギーが関与しなければ、未来永劫続きます。
原子核の周りを回っている電子の軌道は、不連続となっています。何処でも、自由に回っている訳ではなくて、ある特定の決められた軌道を回っています。

より、内側の軌道に、電子が遷移するとき、特定の波長の光が放出されます。逆に、光を吸収すれば、電子は、内側の軌道から、外側の軌道に遷移します。この時、放出、吸収される光エネルギー(波長)は、不連続値な値となり、一致しています。
このような軌道の遷移は、存在状態の変更なので、繰り返しません。必ず、イベント(光の入出力)を伴っています。

この問題は、宇宙全体 と、原子核と、電子の3体問題 として捉えれば、より、明確になります。宇宙全体の概念は、現代物理学では、まだ明確には自覚されていません。何となく、漠然と、空間とか、座標系と呼んでいます。空間は、宇宙全体が、対象の周りを、包み込んでいる場を意味しています。

3体問題

3体問題
現象は、宇宙全体と、原子核と電子の3つで構成されます。

3体間の物理的存在状態は、2つから構成されます。

3体間の相対関係が変化しない定常状態と、
3体間の相対関係が変化する非定常状態です。

定常状態を、我々は繰り返す時間と認識しています。
非定常状態、即ち、存在状態の変化を、繰り返さない時間と認識しています。

もし、『宇宙全体 』という概念に抵抗がある場合は、下記の例のように、『座標系』、又は『空間』と読み替えて下さい。現代物理学の発想に従って表現するなら、以下では、空間(座標系)内における原子核と電子の相対的存在状態について論じています。宇宙全体に対する相対関係の変化は、現代物理学の発想では、空間(宇宙全体)内での位置と速度の変化として理解しています。つまり、宇宙全体との相対関係の変化を、空間内での位置と速度の変化として理解しています。

3体問題の現代物理学の解釈

3体問題の現代物理学の解釈
現象は、空間と、原子核と、電子の3体で構成されます。

3体間の物理的存在状態は、2つから構成されます。

3体間の相対関係が変化しない定常状態と、
3体間の相対関係が変化する非定常状態です。
宇宙全体との相対関係の変化を、空間内での位置と速度の変化として理解しています。

即ち、宇宙全体のことを、現代物理学は、空間と解釈しています。
そして、この空間は、自明の真理(デフォルト)として、物理学者の思考過程から省略されています。

この3体間の関係は、2つの状態より成り立っています。3体間の相対的存在状態が変化しない定常状態と、その3体間の相対的存在状態が変化する非定常状態です。

状態1:3体間の相対的存在状態が変化しない定常状態、これを繰り返す時間と認識。
状態2:3体間の相対的存在状態が変化する非定常状態、これを繰り返さない時間と認識。

定常状態は、理由は判りませんが、我々人間には、振動現象、又は、公転運動として観測されます。繰り返す変化と見えています。

ちなみに、宇宙全体に対する公転運動は、自転運動に見えています。地球が宇宙全体に対して自転しているか、地球の周りを宇宙全体が公転しているか、基準の取り方の問題です。全ての運動は相対的であって、絶対的ではありません。物理学の先入観として、宇宙全体(空間)を絶対的基準だと見なせば、自転しているように見えているだけです。
このことは、地球の周りを廻っている人工衛星の運動と、フレミングの左手の法則が、よく似ていることからも理解出来ます。あの『力の向きと運動方向が直角になっている』へそ曲りのフレミング左手の法則は、宇宙全体に対する公転運動を、人工衛星(電子)に固有の局所座標系で理解したものと思われます。

フレミング左手の法則

フレミング左手の法則
宇宙全体に対する公転運動と理解すると、このへそ曲りの法則も、何となく納得できます。
もっとも、完全に理解する為には、まだ、いくつかの発想の転換が必要ですが。

公転面の垂直方向が磁場、電流(電子)が人工衛星、力が人工衛星(電子)の運動方向に関係しているものと思われます。詳細は、まだ、いくつかの壁を乗り越える必要があります。

宇宙全体と、太陽と地球の相対的存在状態は変化しませんから、この現象は、定常状態であり、このままの安定した定常な存在状態は、未来永劫続きます。この定常な存在状態を、我々は、「空間の中で、 地球が太陽の回りを回っている。」と観測しています。宇宙全体(空間)の中に、太陽と地球が存在して、地球は、空間を基盤として、 太陽の周りを回っていると観測しています。
注)空間(宇宙全体)は、自明の真理として、思考過程から省略されています。

3体問題。宇宙全体と太陽と地球

宇宙全体と太陽と地球
宇宙全体は、現代物理学流に解釈すると、物体の周りに形成されている場(空間)のことです。我々は、これを『空間』と認識しています。

宇宙全体、太陽、地球の相対的存在状態は安定しており、このままの定常な安定状態は未来永劫続きます。
この3体間の定常な存在状態を、我々人間は、地球が太陽の周りを廻っていると観察しています。

なぜ、そう見えるのか。なぜ、定常な存在状態が公転運動として観察されるのか、その理由は不明です。

しかし、なぜ、定常な存在状態が、公転運動として観測されてしまうのか、その理由は解かりません。取り合えず、現実を現実として、受け止める以外に方法がありません。

原子核の周りを回っている電子は、宇宙全体、原子核、電子の3体関係で、定常な存在状態ですから、この関係も安定であり、未来永劫続きます。これも、やはり同様に、電子が原子核の周りを回っているかのように観測しています。

本当に、回っているかどうかは、判りませんが、そう考えると、色々と辻褄があいます。そこで起こっている相対運動をどう理解するかは、あくまでも、物理学の先入観と迷信の問題です。現代物理学の先入観(知識)に従うなら、「電子が原子核の周りを回っている。」と考えるのが、最も合理的です。

しかし、実際には、相対運動を観察しているに過ぎません。相対的存在状態と、その変化を観察しているだけです。現実は、ただ単に、それだけです。それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。それが、人間には、どう見えるのかが問題となるだけです。
それ以外は、全て、迷信、先入観です。つまり、「電子が原子核の周りを回っている。」は、物理学の迷信、先入観です。

一方、3体間の相対関係の変化は、軌道遷移として観測されます。原子核の回りを回っている電子の軌道が遷移して、光の放出や吸収が起こります。より内側の軌道に遷移する(落ちる)とき、光の放出が起こり(光り輝き)、逆に、光を吸収すれば、外側の軌道へと遷移します。あたかも、エネルギーが、出入りしているかのように見えます。

ある安定な存在状態から、別の安定な存在状態に遷移します。その時、光の放出や吸収が起こります。現代物理学は、これをエネルギーの出入りと理解しています。

電子が何処を通って、新しい軌道に移るかは、問題ではありません。『空間とその通り道』の発想は、日常生活の類推から生じた先入観だからです。

時間も空間も物質も存在する実体ではありません。我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。我々は、相互作用によって生じている現象を観察しているに過ぎません。その時の脳内部の情報処理の形式が、『時間、空間、物質』です。『時間、空間、物質』は、実在や存在の形式ではなくて、脳内部の情報の処理形式です。(実在物だと信じたい気持ちは分かりますが。)

つまり、空間は、実在していないので、(それは、脳内部の情報の処理形式に過ぎないので、)電子の通り道も問題になることはありません。ただ単に、3体間の相対的存在状態が変化しただけです。例えるなら、スイッチが、別のモードに切り替わっただけです。その結果が、空間の移動に見えるだけです。

理由は判りませんが、このような3体間の存在状態の変化を、我々人間は、(厳密には、宇宙全体の側からは)、光として観測しています。

なお、3体間の存在状態は、不連続となっています。物理量として観測すると、放出や吸収する光エネルギーは、ある特定の値をなります。それらは、原子の種類によって、決まっています。互いに飛び飛びの不連続となっています。
このような物理量の不連続性が生じる根本的原因は、我々の存在しているこの宇宙が有限な為であると思われます。(宇宙全体、原子核、電子の)3体問題において、もし、宇宙全体が有限ならば、その相対関係の組み合わせの数も、有限となってしまうからです。

即ち、宇宙の有限性が、そのまま、物理量の不連続性となって、現れてしまっていると思われます。

我々の存在しているこの宇宙は有限である。
この有限性が、物理量の不連続となって現れている。
宇宙が有限なら、その相対関係も有限となるからです。
現代物理学は、有限な宇宙が生じさせているマクロ効果を考慮していません。

素粒子レベルで起こる3体間の存在状態の変化は、時として、莫大なエネルギーの放出を伴います。ウランの核分裂を利用した原爆や、水素の核融合を利用した水爆は、その一例です。
このようにして放出された莫大なエネルギーは、周りの存在状態に影響を与えて、変化させます。つまり、平たく言えば、爆発によって破壊されます。
3体間の存在状態を変化させるもの(原因)が、エネルギーの正体なので、当たり前と言ってしまえば、当たり前なのですが。3体間の存在状態の変化は、具体的には、時間空間内での存在状態の変化、つまり、位置と速度の変化(爆発)として観測されます。

エネルギーの正体は、『3体間の存在状態を変化させるもの(原因)』です。
この3体間の存在状態の変化を観察した結果を、我々はエネルギーと理解しています。

3体間の存在状態を変化させるもの(原因)」と、「エネルギー」は同義語です。それゆえ、上記の表現は、限りなく、同義語の反復、即ち、トートロジーに近くなっています。エネルギー質量重力時間空間は、互いに関連し合っています。『存在状態を変化させるもの(原因)』の正体が、見え隠れしています。

この状況は、椅子取りゲームに似ています。
一カ所で起こった椅子取りゲームのトラブルが、玉突きのようにして、周りに波及した結果です。ゲームに敗れて、追い出された人(光)が、隣の人の椅子を奪いに行っているようなものです。

宇宙全体から見れば、存在状態の変更は、椅子取りゲームのようなものです。全体から見れば、プラス・マイナスの和がゼロになるゼロサムゲームです。宇宙全体が有限な為に、一カ所で起こった存在状態の変更は、宇宙の何処か別の場所で、逆の存在状態の変更を生じさせてしまいます。
その別の場所が、たまたま、眼の網膜上だと、我々は、それを、光として感じるようです。

人間の数の方が、椅子の数よりも多いので、宇宙は、いつも、喧騒に満ちています。光が、飛び回って、あちこちで、存在状態の変更が起こっています。椅子の奪い合いが起こっています。
『椅子の数よりも多い。』ことが、空間(存在の自由度)の原因になっているのかもしれません。『空間』とは、「排他律の問題が生じない。」という意味です。つまり、排他されないという意味で、『存在の自由度』を意味しています。

残念ですが、この 3体問題 と、その見かけの問題は、自分にも、まだ、解けていません。

なぜ、定常な存在状態が、公転運動として観測されるのか、なぜ、その存在状態の変化が、光として観測されるのか、解りません。

なぜ、光は、定常な存在状態である公転運動を、横切るようにして、真っ直ぐ進むように見えるのか。
真っ直ぐとは、何か。光の進む方向を真っ直ぐと定義していたら、この疑問はトートロジーです。

なぜ、光が速度を持っていて、遅延が生じるのか。なぜ、そのように見えるのか?

なぜ、存在状態を変化させるもの(原因)が、質量や、重力、エネルギーと関連しているのか。

『存在の自由度』と、『我々の存在している、この宇宙の空間の次元が、3次元である事。』との関係が解りません。3次元という事は、『存在の自由度が3つある。』という意味なのですが。なぜ、存在の自由度が3つもあるのでしょうか?。なぜ、2つや、4つでは無いのでしょうか?。なぜ、この宇宙の空間の次元は、3次元であって、0次元でも、1次元でも、2次元でも、4次元でもないのでしょうか?。

これらの事は、全て、背後で、ひとつに繋がっている筈なのですが、喉まで出かかった歯痒さを感じます。全ては、『相互作用』と、『 排他律』と、その反対の『自由度』から派生している問題に過ぎない筈なのですが、常識のネジが一本、邪魔をして、壁を乗り越えることができません。


物理学理論の時間の系譜

現代物理学の系譜は、時間が2種類あることから、大雑把に、2つに分類できます。繰り返す時間に関する物理学理論の系譜と、繰り返さない時間に関する系譜です。

ニュートン力学から、アインシュタインの相対論への流れは、繰り返す時間に関する物理学理論です。共に、天体の運動に触発された理論です。どちらかと言えば、マクロな重力現象を対象としています。

重力は、引力のみの単相しか存在していないので、力としては弱いのですが、天体運動のように、纏まると巨大な力となり、宇宙全体では、支配的な相互作用となります。

重力は、なぜ、単相で引力しか存在しないのか、その理由は、分かりません。ただ、この宇宙が、有限であることによって生じる見かけの力である可能性も捨てきれません。
宇宙全体は、ゼロサムゲームです。空間の中で物を強制的に動かしたら、当然、ゼロサムゲームなので、その反現象も生じてしまいます。それに対抗して、全体を有限の中に閉じ込めておこうとする見かけの力、即ち、引力が発生してしまう可能性があります。現象に対する反現象なので、単相である理由も何となく頷けます。
宇宙が膨張しているように見えるのも、それが原因かもしれません。全体を有限の中に閉じ込める内向きの力(重力)の反現象として、外向きの力、即ち、宇宙が膨張しているように見えるからかもしれません。ひとつの現象が、見る方向によって、違って見えているだけかもしれません。赤方偏移は、宇宙全体が生じさせているマクロ効果かもしれません。『赤方偏移』と、『宇宙規模で遠い』とは、同義語かもしれません。
ダークマターも、太陽系内でしか通用しない微小空間の現代物理学を、無理矢理、広大な銀河系や宇宙全体に適用しようとした為に生じている見かけの問題かもしれません。

現代の物理学は、宇宙全体が生じさせているマクロ効果に無関心です。
と言うよりは、それ以前の問題として、宇宙全体という概念自体を持っていません。
全ての物理現象は、最終的には、宇宙全体との相対関係として理解する必要があります。

一方、熱力学から、量子力学への流れは、繰り返さない時間に関する物理学理論です。どちらかと言えば、分子以下のミクロな現象を対象としています。熱力学が対象にしている、物が燃える燃焼現象も、炭素などと酸素が結合することによって、大量の熱や光が発生する現象です。分子レベルでの存在状態の変化です。分子レベルのミクロな電磁相互作用を、遠くから、マクロ的に観察した結果です。

電磁相互作用は、重力に比べると、遥かに大きな力ですが、引力と斥力の2相が存在している為に、マクロ的には、中和されてしまって、ほとんど、影響がありません。天体運動や、宇宙全体を論じる場合は、無視して差支えなくなります。
しかし、分子レベルの ミクロな世界では、電荷を持った個々の粒子ひとつひとつが問題となるので、中和されないで、支配的な力となります。

熱力学が、複雑怪奇で、「騙されている。」と、直感的に感じてしまうのは、繰り返さない時間の物理現象を、強引に、ニュートン力学的な繰り返す時間を使って説明している為と思われます。
量子力学も、やはり同様です。分かったような、分からないような、言っている事は何となく分かるけど、はっと、我に返ると『狐につままれたような気分』になります。

物理学者の時間の先入観

時間の先入観
物理学者は、『繰り返す時間+記憶の糸』を時間だと思い込んでいます。
熱力学も、この先入観で、無理矢理、説明しています。

現代物理学の時間の系譜

時間の種類それを論ずる物理学理論備考
繰り返す時間ニュートン力学 → 相対論比較的、理路整然としている。繰り返す変化なので、未来も過去も予測可能です。
時間は、運命論的です。
繰り返さない時間熱力学 → 量子力学繰り返す時間を使って強引に説明されている為に、「騙されている。」と感じてしまう。
繰り返さない変化なので、未来は不確定です。
運命論的ではありません。

生命現象と物理時間

生命現象は、繰り返す時間と、繰り返さない時間の2つの要素の組み合わせの上に成り立っています。

個々の人間にとって、生まれて死ぬのは、繰り返さない時間です。人生は、2度はありません。
でも、もっと、視野を広げると、世代交代は、繰り返す変化です。ひとりひとりの顔は違っていますが、でも、似たような性能を持った個体が、生死を繰り返しています。
ただし、元の状態に戻ることはありません。死んだ人間が生き返ることはありません。

繰り返す時間は、繰り返しているので、過去も未来も予測可能です。運命論的です。太陽や月などの天体の運動は、繰り返す変化なので、過去についても、未来についても、正確に予測することができます。日食や、月食などは、過去も未来も正確に計算できます。

一方、繰り返さない時間は、過去に関しては、結果の累積として、一本の記憶の糸になっていますが、未来については、不確定です。存在状態の変化なので、今後、どのような存在状態に遷移するかは、予測できません。
例えば、誰が、いつ、タバコを吸いたい為に、マッチに火をつけるかは、予測できません。いつ、火が燃え上がるかは、誰にも判りません。繰り返していないからです。

結果として、生命現象自体にとっては、未来は不確定になります。そして、この未来が不確定であることの中に、生命現象の存在基盤があります。

未来が不確定だからこそ、制御、即ち、自己保存が可能となります。ニュートン力学的な運命に逆らって、サカナは、存在し続けることが可能となります。未来を、自己の都合のいい方向に変えていくこと、即ち、制御と適応が可能となります。ささやかな力では、ありますが。

その為に、エネルギーが必要になります。
生命は、エネルギーを使って、素粒子レベルの存在状態を変え、その結果として、原子の存在状態を変えています。
原子の存在状態を変えることによって、分子を合成したり、分子の存在状態を変えています。このような分子を使って、生命活動を営んでいます。
その因果関係は、下記のようになります。

【存在状態変更の因果関係】

エネルギー -> 素粒子 -> 原子 -> 分子 -> タンパク質 -> 生命活動

省略表記:エネルギー -> 物質 -> 生命活動

我々生命は、エネルギーを使って、宇宙全体に対する相対的存在状態を変更しています。それによって生命活動、即ち、自己保存を行っています。
このような事が可能なのも、繰り返さない時間が存在している為です。

生命現象が、素粒子レベルで、この繰り返さない時間、即ち、未来の不確定性と、どのように係っているのか、その詳細は、分かりません。それを理解する為には、まだ、まだ、多くのデータの蓄積が必要です。

ここで行っている作業は、残念ですが、壁を乗り越える作業ではなくて、その前段階のデータ収集の為の基盤作りです。壁を乗り越える為には、どの方面の情報収集が必要になるか、現象の全体像を大雑把に把握して、その指針を得る為の予備調査です。

まず、大雑把でいいので、現象の全体像を把握することです。全体像が把握できたら、詳細な作業方針を策定します。

注)自己保存

生命現象の特徴である自己保存は、一種の引力、即ち、現象の連鎖反応に一定の内向きの傾向を持っているように見えます。『連鎖反応に内向きの傾向を持っている。』とは、何を意味しているのでしょうか?宇宙全体との相対関係で、何を意味しているのでしょうか?
喉まで出掛かった歯がゆさを感じます。

5.生命相互作用

生命現象は、生物と環境との相対関係の上に成り立っています。

この関係は、対立と妥協という相反する2つの矛盾した行為の上に成り立っています。
自己の存在を確立する為に、環境と対立しなければならず、生きる為に、その環境と妥協しなけばなりません。

生命現象の矛盾

条件目的行動
自己の存在を確立する為の条件存在する為に環境と対立すること
自己が存在し続ける為の条件生きる為に環境に妥協すること

生命現象の矛盾

生命現象が矛盾しているように見えるのは、生命現象自体が矛盾している為ではありません。それを説明しようとしている言語体系が、不完全で、矛盾している為です。

哲学的に悩んでみても、言葉の不完全さに突き当たるのみで、ムダです。「私はウソをつきません。」という言葉が、既にウソであることと同じです。
世の中、ウソをつかない人間などいません。大なり小なり、ウソをついています。「私はウソをつきません。」というウソに、よく遭遇します。

このような生命現象をうまく理解する為には、新しい概念や発想が必要です。既存の言葉に執着しても、何物も生み出しません。言葉は、過去の経験は語ることはできても、未来を語る力は持っていないからです。

言葉に拘る限り、言葉を使って思考する限り、過去の呪縛から逃れることはできません。哲学者のように、『言葉には、真理が隠されている筈だ。』という先入観のもと、言葉を弄り回してみても、過去の呪縛が、重くのし掛かってくるだけです。

言葉は、単なる道具であって、過去の体験から作り出されているに過ぎないからです。神の作ったものではありません。論理的に矛盾なく、真理を表現しているものでもありません。

口から音を出している当人の都合と欲望を表現しているものです。「私はウソをつきません。」という当人の都合と欲望を、相手に押し付けたいだけです。

「だから、私のウソ(言葉)を信じろ。」と。

言葉で欲望を正当化したい人々にとって、言葉は真理でないと困ります。その正当化したい欲望も、表面的に否定して、尊いものにすり替えています。「私は無欲です。神の使命です。」と。
『言葉』は自由自在です。しかも、楽です。『言葉』に不可能はありません。神を凌駕することも簡単です。一方、『行い』は苦痛を伴います。誰でも、楽な方がイイに決まってますよね。『行い』は、トゲトゲし過ぎです。

生命相互作用

生命現象は、生物と環境の間に働いている相互作用、即ち、生命相互作用として理解すると、うまく理解できます。言葉の限界を超える為には、新しい視点と発想が必要です。

生命現象を構成している相互作用
生命相互作用
生物にとって、『生きる。』とは、生物と環境との間に働いている相互作用を通して、環境との相対関係を、自己に都合のいいある一定の状態に保ち続けることを意味しています。
このような現象系を、『自己保存系』と呼んでいます。

生物は、環境から影響を受けると同時に、環境に影響を与えます。そして、生物が与えた環境変化の影響を、今度は、生物自身が受けてしまいます。地球上に存在する酸素は、最初、生命活動(光合成)の排泄物として作られた猛毒物質でしたが、この公害問題に適応した新しい好気性生物が進化してきました。
酸素は反応性が高いので危険な物質でした。逆に、反応し易いので高いエネルギーを生み出す手段でもありました。
宇宙の彼方には、まさかと思いますが、塩素に最適化された、もっと効率的な生態系が存在しているかもしれません。

この生物と環境との関係は、一方的で、絶対的なものではなくて、相対的なものです。相互に影響し合っています。

この相互作用を通して、生物は、環境との相対関係を、生物にとって都合のいい、ある一定の状態に保ち続けようとしています。この相互作用が一定に保ち続けられる過程を、『生きる。』即ち、『自己が保存される過程』と呼んでいます。このような現象系を、『自己保存系』と呼んでいます。
例えば、動物は、寒ければ暖かい場所に移動し、暑ければ涼しい場所に移動します。常に、自己にとって最適な温度帯に留まり続けようとします。自己と環境との相対関係を、自己にとって都合のいいある一定の状態に保ち続けることが、『生きる。』即ち、『自己が保存される過程』です。

自己保存系の構造
自己保存系
自己保存系は、生物と環境との作用のフィードバックによって、構成されています。この作用のフィードバック過程が、制御システムを構成しています。
なお、環境には、生物の存在とは無関係な外乱も混入しています。

生命現象は、この自己が保存される過程、即ち、自己保存系の振る舞いとして、理解できます。それを背後で支えている物理的な力が、生命相互作用です。
なお、生命相互作用の物理的意味については、『生命相互作用の物理学的意味について』を参照下さい。結論は、「解りません。」です。

川の流れに逆らって生きるサカナは、逆らうからこそ、サカナとして存在出来ます。しかし、存在し続ける為には、即ち、『生き続ける。』為には、環境に妥協する必要があります。環境との相対関係を、自己にとって都合のいい、ある一定の状態に保ち続ける必要があります。
近づき過ぎても、離れ過ぎても、ダメです。離れ過ぎると破壊されますし、近づき過ぎると環境に同化されてしまいます。一定の距離を保つことが重要です。

環境と生物との距離

環境との距離結果
離れ過ぎ環境に破壊される。
事故等で死にます。
近づき過ぎ環境に同化される。
死んで土に帰ります。

自己を保存する為には、環境の変化に合わせて、自らも、変化しなければいけません。変化して、環境との相対関係を一定の平衡状態に戻す必要があります。

環境は、生物の都合を考慮して変化している訳ではありません。

寧ろ、逆に、生物の都合を無視して、勝手に変化しています。環境は、生物の存在とは無関係な外乱によっても変化しています。例えば、火山活動の活発化や、天体衝突、太陽活動の強弱によっても、気候は揺れ動いています。これらの変化は、生物の存在とは無関係です。

この為、相対関係を一定に保つ為には、生物自身が変化して、勝手に変化している環境に合わせる必要があります。この自ら変化して、環境との相対関係を一定に保つ行為を、世間では、一般に、『適応行為』と呼んでいます。

適応行為では、未来が不確定なこと、即ち、運命的でないことを利用して、生物自身が自ら変化して、環境との相対関係を、生物にとって都合のいい、ある一定の状態に保とうとします。
寒ければ、暖かい場所に移動し、暑ければ、涼しい場所に移動します。自ら、快適な場所を探し求めています。

川の流れに逆らって生きるサカナは、川の流れに合わせて生きています。上流に棲むサカナは、上流に棲み続け、下流に棲むサカナは、下流に棲み続けます。川の水は、常に変化していますが、その変化に合わせて、都合のいい場所に留まり続けようとしています。

このような適応が可能なのは、物理的時間が2種類存在している為です。繰り返す時間と、繰り返さない時間の2種類です。

生命現象は、繰り返さない時間の上に成り立っているので、未来は、不確定です。環境の変化に合わせて、自らを変えること、即ち、『適応』が可能になります。繰り返す時間の呪縛、即ち、運命論から逃れています。

ニュートン力学的運命論に逆らって、生物が存在できる根拠は、ここにあります。コンピュータを使った制御システムも、その根拠は、ここにあります。繰り返さない時間は、不確定な未来から、自分に都合のいい未来を選択可能な為です。

ここでは、この自己保存系の様々な環境変化への振る舞い(適応行為)を、制御工学の理論を使って理解します。
このような自己保存系の振る舞いを記述可能な制御理論も、進化論の一部として、一緒に、開発しています。
現代の工学者が使っている制御理論は、不完全で、生命現象を記述する目的には、使えませんでした。仕方ないので、ゼロから、新規に作り直しています。

参考5.1:ローソクの炎とブロンズ像

『存在とは何か?』を考察します。

生命現象は、ローソクの炎に似ています。炎は、風に揺らめきながらも、その形を一定に保っています。
でも、その形を保っている物質は、ブロンズの像のように、不変ではありません。常に、入れ替わっています。溶けたロウは芯をを伝って昇っていき、気化して、酸素と結びついて燃えています。それが、次々と供給されています。

炎の形が変わらないのは、そこで、燃焼という化学変化が、一定の速度で起こっている為です。
唯物論が主張するように、見えている物(ローソクの炎)が、ブロンズの像のように、そこに実在している訳ではありません。

存在の3つの形態

生物の姿形が変わらないのも、これと同じです。体を構成する物質は、新陳代謝によって、常に入れ替わっています。ブロンズの像のように、固定している訳ではありません。
生命現象という物理現象が定常的に起こっているから、その形を保っています。それが、証拠に、それが止まれば、炎が消えるように、我々の命も消えてしまいます。肉体は、腐って、土に帰ります。花は、萎れて、朽ち果ててしまいます。
そこに、どのような相互作用が働いているのでしょうか?

生命現象で重要なのは、『炎の形が変わらない』、その物理的メカニズムです。

肉体を構成する物質は、新陳代謝によって、常に入れ替わっているのに、その形を一定に保ち続けている、その物理的仕組みです。
進化や進歩は、その次の問題です。まず、形が保たれる仕組みの解明が先です。その一部として、進化を理解する必要があります。

生物進化は、形が保たれる現象のいち断面に過ぎません。ローソクの炎が、風に揺らめいて、形を変えている現象です。生物が、環境の変化に揺らめいて、姿形を変えている現象です。

現代生物学は、生物が存在している事実を、自明の真理と見なしています。あたかも、ブロンズの像であるかのように見なして、その上に論理を組み立てています。
『見えている物を普遍的な真理(実在物)だと見なす。』、唯物論の先入観の上に成り立っています。

だから、今を絶対と見なして、その絶対的真理を土台にして、突然変異と自然選択を繰り返せば、生物は進化できると錯覚しています。
一段、階段を昇ったら、その昇った階段を既成事実(真実)と見なして、そこに突然変異と自然選択を作用させています。既成事実を普遍的真理だとみなして、これの繰り返しで、階段を一段づつ登るようにして、天まで昇れると錯覚しています。一歩一歩階段を登っていくように、『都合のいい既成事実の積み重ねによって、生物は進化している。』と、錯覚しています。

高く登れば、登るほど、不安定になる現実を忘れています。高い梯子は、高くなれば高くなる程、不安定になります。転げ落ちるかもしれない心配を無視しています。

現代科学は、唯物論の先入観の上に成り立っています。見えているものを絶対視する傾向にあります。見えている物は、実在していると考えています。
生物も見えているので、ブロンズの像のように、確実な実在物だと見なしています。放置しても、存在し続けると思っています。

参考5.2:エネルギー問題と、リスクマネージメント

生命現象を考察する場合に、注目すべきチェックポイントは、エネルギー問題と、リスクマネージメントです。

基本は、企業活動と同じです。同じ生命活動として、同じ原理の上に成り立っています。
もっとも、企業活動では、エネルギーのことを、『お金』と呼んでいますが。生命活動にはエネルギーが必要なように、企業活動では、お金が必要です。お金を使って、つまり、給料を払って、社員を食わしていく必要があります。お金が、エネルギーや食糧に転換された瞬間です。

エネルギー問題

生命活動を維持する為には、エネルギーが必要です。そこに、何らかのエネルギーの流れが存在している必要があります。

3体問題でも触れたように、存在状態を変更して、適応していく為には、何らかのエネルギーが必要です。そのエネルギーを使って、勝手に変化している環境に合わせて、自らの存在状態を変更していく必要があります。

太陽から、宇宙の彼方に向かって放射されている光エネルギーを使って、植物は育っています。動物は、その植物を食べることによって、間接的にその光エネルギーを利用しています。

地球深部から、地表に向かう熱エネルギーの流れは、深海の熱水噴出孔のような、豊かな生態系を形成します。
非常に特殊な例としては、ウランなどの核分裂に伴って発生するエネルギーを利用しているらしい生態系も見つかっています。
あたかも、エネルギーの流れさえ存在していれば、生命は、何処にでも存在できるかのような印象を受けます。

方丈記の一節に、

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

とありますが、まさしく、このままです。

太陽から宇宙の彼方に向かう光エネルギーの流れは、絶えることがなく、その一部が、一瞬だけ、地球に留まって、生命現象を作り出しています。その中で、生命は、よどみに浮ぶ泡のように、現れては消えての生死を繰り返しています。我々生命は、エネルギーの流れのよどみの中に存在しています。

個々の生命は、何処から何処へ向かうエネルギーの流れの中に存在し、生死を繰り返しているのでしょうか。

ひょっとしたら、生命現象に最低限必要なのは、核酸やたんぱく質、水などの分子ではなくて、エネルギーの流れだけかもしれません。
そこに、存在状態を変更するのに利用可能なエネルギーの流れさえあれば、生命は何処にでも発生するのかもしれません。分子はただの単なる手段に過ぎないかもしれません。
それが証拠に、トランジスタやICなどの半導体を使って、生命の真似事をすることが可能です。機能は限定されていますが、簡単な自己保存系を作って、制御することが可能です。
このような機械は、人間の衣服、即ち、外骨格として機能しています。自動運転が部分的に可能な自動車は、人間が乗って、生命の機能を補完するもの、即ち、生命体の外骨格として機能しています。石油で動く自動車は、結局、太古の太陽の光エネルギーを利用しています。
様々な工業製品を生み出している工場の設備は、オオカミの群れや、シロアリのコロニーを維持する為に必要な外骨格として機能しています。個体ではなくて、群れの外骨格として機能しています。
そのような生物の姿は、まるで、貝殻を背負って生きているヤドカリを連想します。

リスクマネージメントの問題

もうひとつはリスクマネージメントの問題です。
これは、生物が置かれている2つの厳しい現実に由来します。

第一の現実は、『未来は、不確定で、予測できない。』ことです。
第二の現実は、『生物は、ちっぽけな存在だ。』ということです。

生物が置かれている厳しい現実

現実1未来は不確定です。
明日の天気がどうなるか。
即ち、環境がどう変化するか、生物には判りません。
現実2生物は、ちっぽけな存在です。
激烈な環境変化には耐えれません。
ロウソクの炎は、僅かな風でも、消えてしまいます。

この2つの現実は、生物にはどうすることも出来ません。でも、生き残っていかなければなりません。どうすることも出来ない現実を前に、生き残る為には、何らかのリスクマネージメントが必要になります。事故が回避不可能なら、保険が必要です。

生物が採用している戦略は、極めて単純です。

第一の戦略は、みなさんもご存じのように、『子供をたくさん作る。』ことです。そして、運を天に任せることです。
死亡率よりも、繁殖力が勝れば生き残れますし、その逆だと、絶滅します。

水たまりで生きるゾウリムシは、自分の存在している水たまりが、雨上がりの一時的なものか、それとも、広大な湖の一部なのか、知る術はありません。明日にでも、干上がってしまうかもしれませんが、そのような未来は、ゾウリムシには判りません。
生物にとって、未来は不確定であり、常に、未来を信じて 賭けの連続です。

我々人間も、文明を破壊し兼ねない天体衝突を、まだ、完全には予測できていません。目を皿のようにして、夜空を探し回っていますが、それでも、近くを通り過ぎた後で・・・・・・・・後になって、やっと判って、「危なかった。」と、胸を撫で下ろしている始末です。
もっとも、知った所で、どうすることも出来ないので、「知らない方がまし。」かもしれませんが。

これらは、生物の能力を遥かに超えた、どうすることも出来ない現実です。
このような状況下で、生物に唯一可能なのは、子供をたくさん作って、運を天に任せることだけです。どれかは生き残ることを期待して、どの個体が生き残って、どの個体が死んでも、種自体の存続には影響が無いようにすることです。
つまり、リスクを分散して、保険を掛けることです。

少しぐらいの能力の差なんて、圧倒的な環境の暴力の前では、余りにも、ちっぽけ過ぎます。絶望的な程に、力の差があり過ぎます。環境の気まぐれに身を委ねて、細々と生きていくのが、精一杯です。威勢がいいのは、口先だけです。

人間、死ぬときは、あっけないものです。映画のように、ドラマチックではありません。冷酷な現実が、声も出さずに、通り過ぎていくだけです。
残された者は、我に返った時に、始めて、取り返しのつかない現実に直面していることに気付き、どうしようもない無力感から、泣き喚ています。
泣くのは、悲しいからではなくて、悲しみから逃げる為です。ストレスの発散行為です。文学的表現を使うなら、涙と一緒に、悲しみを流し去ってしまう為です。
それが証拠に、泣けば、少しは気が楽になります。人生経験豊富な年配者は、こっそり、アドバイスしてくれます。「我慢しないで、お泣き。少しは楽になるから。」と。泣かずに我慢すると、ストレスが発散できなくて、いつまでも、その悲しみと向き合うことになります。惨めな思いをします。その冷酷な現実に押し潰されてしまいます。

第二の戦略は、ゲンプールの多様性と、個体変異です。
第一の戦略に比べたら、もう少し、生物の側に主体性があります。

環境が変化しても、直ぐには、生物は変われません。
遺伝子の変更に伴う適応は、確かに、姿形まで変えれるので、大きな変化を生み出すことが 可能ですが、しかし、その反面、時間が掛かります。進化には、時間が掛かります。

そのような状況で、種を構成する各個体に適度なバラつきがあれば、この個体変異の幅によって、予測不可能な環境変化を、ある程度は吸収できます。
環境変化の最初の第一撃を、個体変異の幅によって、吸収できる可能性があります。進化によって適応できるまでの時間稼ぎが可能になります。逆に、ここで吸収できなければ、種は絶滅します。

もちろん、その前提として、ゲンプールの多様性が失われないことが大切です。その仕組みが、ゲンプールに備わっている必要があります。(種が、多様性を維持する為には、ある程度の個体数が必要です。)

環境変化の度に、個体変異が、自然選択されてしまうと、繰り返す毎に、多様性が失われてしまいます。そして、やがて、環境変化に耐えれなくて、種は絶滅してしまいます。
自然選択説が主張するような、チキンレースでは、種は生き残れません。多様性が自然選択されて、失われてしまうからです。

南米のインディオたちは、ジャガイモや、トウモロコシを植えるとき、色々な品種を混植しています。生活の知恵です。天候がどうなっても、最低限の収穫は確保する為です。
天候は、年によって変わります。干ばつになるときもあれば、雨が多くて腐るときもあります。冷害になるときもあります。強い風で、なぎ倒されてしまうこともあります。病害虫に悩まされることもあります。
今年が干ばつだったから、来年も干ばつになるとは限りません。来年は、大量の雨が降って、畑が水浸しになるかもしれません。気候は、常に、不規則に、左右に揺れ動いています。

だから、年によって、大きく育つ品種と、小さくしか育たない品種は異なってきます。でも、遺伝的多様性さえ保っていれば、来年は、別の種類が大きく育ってくれる可能性があります。
自然選択説のように、干ばつの年に、よく育った品種だけを選抜していたら、来年、大雨になった時に、全滅してしまいます。
現代の品種は、目先の利益に最適化されているので、確かに、収穫は多いですが、その反動として、優れた品種に単一化され、多様性を失っています。この為、天候や病害虫、などの環境変化に、大きなリスクを抱えていることが指摘されています。

現実問題として、環境がどう変化するか、誰にも判らないので、種が生き残る為には、各個体の生死に係わらず、ゲンプールの多様性が失われないような多重化(保険)の仕組みが必要です。
環境変化は、生物にとって予測不可能です。明日の天気が分からないのと同じです。どちらに転んでも大丈夫なようなに、常に、ゲンプールの多様性を維持し続ける必要があります。

この多様性を維持する仕組みを解明することが、今後の課題です。

生物が採用している リスクマネージメント

第一の戦略子供をたくさん作る。
そして、運を天に任せる。
つまり、リスクを分散する。
第二の戦略ゲンプールの多様性と、個体変異を維持する。
環境変化の最初の第一撃は、この多様性によって吸収する。
これで時間稼ぎをして、最終的には、進化で対応する。

参考5.3:相互作用の思考形式について

物理現象は、相互作用より構成されています。

それゆえ、物理学では、物理現象を、物と場との相互作用として記述しています。このような物と場との相互作用として記述された物理学理論を、一般に、『場の理論』と呼んでいます。

場の理論の一般的記述形式(近接作用の理論)
場の理論
現代物理学では、物理現象を物と場との相互作用として記述します。
場は、直観的には、空間のことです。
物を取り巻く近傍の場との相互作用として記述します。それ故、またの名を、『近接作用の理論』とも呼びます。

アインシュタインの相対論は、重力現象を、物質と重力場との重力相互作用として記述しています。

アインシュタインの相対論(重力理論)
相対論
相対論は、質量と重力場の重力相互作用として記述されます。
重力場は、重力で満たされた空間のことです。

マクスウェルの電磁気学は、電気や磁気などの現象を、電荷と電磁場との電磁相互作用として記述しています。
電燈が灯るのも、携帯電話が使えるのも、原子や分子などの化学的性質も、全て、電磁相互作用が作り出している現象です。

マクスウェル電磁気学
電磁気学
マクスウェル電磁気学は、電荷と電磁場との電磁相互作用として記述されます。
電磁場は、電磁力で満たされた空間のことです。

この物理学の流儀に従うなら、生命現象は、生命と生命場との生命相互作用として記述できます。ここでは、生命相互作用によって作り出されている場を、物理学の流儀に倣って、重力場、電磁場からの類推として、『生命場』と呼んでいます。生命相互作用の詳細については、ここを参照して下さい。

生命現象の物理学的表現
生命場
生命現象は、生命と生命場との生命相互作用として記述されます。
生命相互作用によって形成された場を、物理学の流儀に倣って、『生命場』と呼んでいます。

生物学的発想では、生物と環境との相互作用として理解されています。

生命現象の生物学的表現
環境
生物学では、生命現象を生物と環境との相互作用として捉えています。

ちなみに、今西錦司(以下敬称略)棲み分け理論では、種と生活の場の相互作用として、生物進化を論じています。生活の場は、数学的には、物理環境生物環境という2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間を形成します。
彼の発想は、物理学的には、場の理論そのものです。物理学者の発想よりも、彼の発想の方が、哲学的には、優れています。

今西錦司の棲み分け理論の思考形式
生活の場
今西の棲み分け理論では、生物進化の現象を、種と生活の場の相互作用(棲み分け)として論じています。
この生活の場では、物理学で主張している排他律(今西の主張する棲み分け)が成り立っていると考えています。

彼は、「種は変わるべき時が来たら、変わる。」と主張しています。この禅問答が、多くの誤解を生んでしまいました。

もっと、現実に即して単純に表現すれば、もっと、多くの賛同を得れたと思います。
種を構成する各個体は、同じ性能を持ったクローンです。だから、環境変化にも、同じように振る舞います。その変化の方向も、同じクローンなので、ほぼ、同じ方向です。もちろん、個体変異の範囲内のバラつきはありますが。全くのデタラメにはなりません。

つまり、
環境が変化したら、適応の為に、種を構成している各個体(クローン)は、一斉に変わる。
と表現すれば、もっと解り易かったと思います。現象の原因(環境変化)を、明示すべきでした。

種は環境が変化したら変わる。

当たり前ですね。進化は、種のレベルでの適応行為なので。そこで保存されている自己は、種です。

遠隔作用と近接作用(場の理論)

(ちなみに参考までに、)古典力学であるニュートン力学は、物と物との相互作用として記述されています。物と物との相互作用として記述された物理学理論を、一般に『遠隔作用の理論』と呼んでいます。遠く離れてた物どうしの相互作用として記述されている為です。古典物理学は、一般に『遠隔作用の理論』として記述されています。

ニュートン力学(古典力学:遠隔作用の理論)
ニュートン力学
ニュートン力学では、遠く離れた質点同士の重力相互作用として記述されます。

それに対して、物と場との相互作用として記述された理論を、『近接作用の理論』と呼んでいます。物と物を取り巻いている近傍の場との相互作用として記述しているからです。

近代物理学は、ほとんどが、『近接作用の理論』、即ち、『場の理論』として記述されています。「近接作用の理論」という言葉と、「場の理論」という言葉は、結果的には同じ意味です。細かいこと言い出したら、キリがありませんが。

相互作用の思考形式の生物学的意味

相互作用の思考形式を、物理学の例を使って説明したので、この思考形式は、何か難しくて高尚なものだと思われたかもしれません。しかし、実際には、日常生活の中で広く見られるごく平凡な発想です。

我々人間という動物は、もの事を、2つのもの同士の対立、または、関連として捉える習性を持っています。

例えは、男と女の関係は、男と女の恋愛相互作用として捉えることが出来ます。男と女は引き合い、男同士、女同士は、反発しあいます。その力の強さは、体と心の距離に翻弄されて、摩訶不思議な様相を呈します。

男と女の関係
男と女の関係
男と女は引き合い、男同士、女同士は反発しあいます。
もちろん、多少の例外はありますが。

この男と女の関係は、しばしば磁石や電気に例えられます。電気の場合、プラスとマイナスは引き合い、プラス同士、マイナス同士は反発しあうからです。男と女の関係が、電気や磁石に例えられるのは、人間の頭がいい加減な為ではありません。そこを支配している相互作用の性質がよく似ているからです。

電気のプラス、マイナス
プラスとマイナスの関係
プラスとマイナスは引き合い、プラス同士、マイナス同士は反発しあいます。
こちらの場合は、例外はありません。念の為。。

この相互作用の思考形式は、哲学でも顔を覗かせます。哲学者は、認識論を、主観と客観との対立として論じでいます。当人自身は、何か高尚で難しいことを論じているつもりでいるかもしれませんが、現実は、ただ単に、人間という動物の習性に振り回されているだけです。もっと、『自分は動物である』という現実に冷酷になるべきだと思われます。
人間は、人間である前に、『動物』です。『いきもの』です。乗り越えることが出来ない性(さが)と宿命を背負っています。あまりにも、その手のひらの上で無邪気に踊り過ぎです。

主観と客観(哲学的認識論)
主観と客観
哲学者は、認識論を主観と客観の対立と捉えています。
哲学者のサガ

哲学者のサガ
哲学者は、認識論を、主観と客観の対立として、難解に論じています。
でも、それは、生き物が持っている習性です。
現実は、ただ単に、生き物のサガの手の平の上で踊っているだけです。
自分が動物として、どの様なサガを持って生まれてきたのか、注意深く観察する必要があります。
イタズラに、サガに振り回されるのは、賢明ではありません。
(サガ=天地創造の神が作成した仕様書)

相互作用の思考形式の数学的意味

このように、相互作用の思考形式は、日常生活でも広く使われています。それゆえ、数学の分野でも、集合論や写像論のように、きちんと、理論化して整備する必要があります。
しかし、残念ですが、現状は、まだ、全くの手付かずです。その重要性に気付いていません。

ちなみに、相互作用の思考形式は、数学者が幾何学と呼んでいるものを、抽象化した概念です。位相幾何学と話が被る部分が結構あります。例えは、地図の4色問題なども扱うことができます。地図の4色問題は、物理学者が排他律と呼んでいる問題と同一です。

このような数学的常識を超えた新しい幾何学体系が必要なのは、現代物理学が突き当たっている壁を乗り越えていく為です。物理現象を、『時間空間物質』という概念(発想)を使わないで記述していく必要がありますが、その為の基礎になるのが、相互作用の思考形式を使って組み立てられる新しい幾何学体系です。

死の恐怖を伴った冷酷な話になりますが、『時間空間物質』は、唯物論者が考えているような存在する実体ではありません。我々の存在しているこの宇宙は、そのような実在物で構成されている訳ではありません。それは、脳内部の情報の処理形式です。この情報の処理形式は、動物進化5億年の実績を通して作り出されたものです。この為、その有効範囲は、人間が生きること、即ち、人間サイズの物理現象に限定されています。現代物理学のように、人間の日常生活と遥かに懸け離れた物理現象を扱うようになってくると、様々な不都合に遭遇することになります。

そのような壁を乗り越える為にも、『空間』という概念を使わない新しい幾何学体系が必要になります。

相互作用の思考形式は、幾何学体系を、極限まで抽象化した概念です。

6.環境(生命場)の構造

生物にとって、環境とは、自己の生存に影響を与える全ての外部要因を意味しています。

生物は、水や温度などの物理環境から、大きな影響を受けるだけでなく、食物連鎖に代表されるように、他の生物たちの存在からも大きな影響を受けます。

即ち、生物の存在している場(環境)は、生物環境と物理環境という2つの独立変数から構成された空間を形成しています。数学的には、独立変数が2個なので、抽象的な2次元空間を構成します。

環境の定義生物にとって環境とは、自己の生存に影響を与える全ての外部要因を意味しています。
現実には、物理環境と、生物環境という2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間を構成しています。

この抽象的2次元空間を、今西錦司(以下敬称略)は、『生活の場』と呼んでいます。ここでは、彼の考え方を、そのまま、採用しています。なお、物理学的には、生命相互作用から構成された『生命場』のことです。
今西は、生物進化を、この生活の場内での、『棲み分け(排他律)』の問題として論じています。

今西が主張する生活の場(生命場)の構造
生活の場
生活の場(生命場)は、物理環境と生物環境の2つの独立した変数から構成された抽象的2次元空間です。

今後は、『環境』と、『生活の場』、『生命場』を同じ意味で使っていきます。生物学よりの話をする場合は、『環境』『生活の場』を使った方がしっくりきますし、物理学よりの話をする場合は、重力場、電磁場の類推から、用語の統一上、『生命場』を使った方がしっくりきます。

どちらの用語を使うにしても、この場が、物理環境と、生物環境という2つの独立変数から構成された抽象的2次元空間である点は同じです。

注)抽象的2次元空間
『抽象的2次元空間』と呼んでいるのは、まだ、この空間が、『位相』を定義できない為です。『近い、遠い』とか、『2点間の距離』を定義できない為です。

このような空間を厳密に扱う為には、ユークリッド幾何学や、非ユーグリッド幾何学、位相幾何学などの現代の数学者が考えている幾何学とは発想が大きく異なった、『空間という概念を使わない全く新しい発想の幾何学体系』を構築する必要があります。『幾何学とは、空間の性質を研究する学問である。』という先入観を乗り越えていく必要があります。『空間という発想の呪縛』から離れる必要があります。

今後の話の展開

今後の話の展開としては、この抽象的2次元空間内に存在するロボット(生物)が、場の変動に対して、どう振る舞うかを、制御工学の知識を使って論じていきます。環境変化に対する自己保存系の振る舞いを、制御工学の発想を使って記述します。

具体的には、種(ロボット)の振る舞いを、DNAという制御素子を使った制御の仕組みとして、生物進化を理解します。木村資生氏の『中立説』と、『多重遺伝子族』の考え方を使って論じていきます。
ちなみに、脳は、神経細胞という制御素子を使った制御システムとして理解できます。制御素子は異なっていますが、脳もDNAも、そこを支配している制御原理は、同じ生物として同じです。同じ発想を使って理解可能です。

脳も遺伝子も、制御原理は、同じ生物として同じです。

しかし、残念ですが、生物が採用している制御原理は、現代の工学者の発想とは、大きく異なっています。この為、現代の知識は役立ちません。新たに、生物型制御原理に基づいた制御理論の開発が必要になります。生物型制御原理に基づいたロボットを、具体的に開発する為にも必要です。ここでは、この開発にも、労力を割いています。

作業は、DNAと、脳と、ロボット間で、互いに、情報をフィードバックさせながらの並行作業になります。DNAは、時間尺度の問題から、実験は不可能ですが、脳は、実験可能です。ロボットは、実際に作ってみて、確認できます。実践によって検証可能です。

この前作業には、多大な時間と労力が掛かります。ここでも、およそ、生物学とは無縁と思えるような制御の話を、延々と論じています。

遺伝子と、脳と、ロボットの類似性

現象制御素子主な素材備考
進化遺伝子炭素核酸などの生体高分子で構成。
時間尺度の問題から、実験は困難です。
神経細胞炭素神経細胞間を伝わるパルス(電気信号)で情報を処理。
目の前の脳を使って、実験が可能です。
ロボット半導体シリコン炭素やシリコン、ゲルマニウムなどの半導体を使って、トランジスタやICチップなどの制御素子が作られています。
現在の主流は、シリコンです。 昔は、ゲルマニウムも使われていました。
まだ、普及はしていませんが、炭素を使った半導体も試みられています。
炭素とシリコン、ゲルマニウムは、原子の周期律表上、同じ族に属します。 共に、半導体です。
実際にロボットを作ることによって、理論の検証が可能です。

7.棲み分け理論と排他律

今西錦司は、『棲み分け理論』の中で、『種は、互いに重複することなく、この生活の場を棲み分けている。』と、主張しています。

2つの種が、同時に、同じ生活空間(生活の場)を共有することはない。同じ物理的な場所に存在している場合は、生物環境上の棲み分けが起っていると主張しています。

今西錦司の棲み分け理論と排他律
今西錦司の棲み分け理論と排他律
種は、生活の場を互いに重複することなく、棲み分けています。
物理学的には、『排他律』が成り立っています。

これは、物理学的に、非常に興味を引く考え方です。実は、これと同じことを、物理学も主張しているからです。これを物理学では、『排他律』とか、『排他性原理』と呼んでいます。

排他律とは、『2つの物が、同時にひとつの空間に存在することはできない。常に、排他的にしか、存在できない。』という主張です。

要は、椅子取りゲームです。『ひとつの椅子に、同時に2人は座れません。座りたかったら、今座っている人を押し出してから座りなさい。』という主張です。2つの物質は、同時に、同じ空間に存在することはできません。机の上の同じ場所に、2つのコップを同時に置くことはできません。無理して置こうとすると、今あるコップは、押し出されてしまいます。コップは、常に、排他的にしか存在できません。

この性質は、素粒子の世界で顕著に現れます。原子核の周りを回っている複数の電子は、同時に同じ軌道に存在することはできません。常に、異なった軌道に存在しなければいけなません。同時に同じ存在状態には成れません。常に、異なった存在状態になっていなければいけません。

この為に、軌道が飛び飛びの不連続となってしまい、原子や、分子の化学的性質として、現れています。原子や分子の化学的性質は、原子核と電子の排他律が生み出している性質です。原子の周期律表は、この排他律から生み出されている物理的、化学的性質を一覧表に纏めたものです。

物理現象では、ものの性質の背景には、常に、この排他律の問題が潜んでいます。

今西錦司は、この排他律が、生活の場(生命場)内でも、成り立っていると示唆しています。
これは、非常に重要です。生命場も、重力場や、電磁場同様に、排他律の成り立っている場として、扱える可能性があるからです。生命場で起っている排他律の問題として、生命現象を説明できる道が開かれる可能性があるからです。

これから、生物進化の現象について論ずる場合、できるだけ、この排他律の問題として、論じていくように心掛けます。
具体的には、大進化のメカニズムも、多重遺伝子族と、排他律の問題として論じます。これらが、相互に関連し合って生じている現象として、説明します。

生命現象と排他律
重力場や、電磁場同様に、生命場においても、排他律が成り立っている。 この排他律によって、生命現象が形成されている。
2つの生物は、生命場内の同じ場所に、同時に存在することは出来ない。常に、排他的にしか、存在できない。
この排他律を、今西は、『棲み分け 』と呼んでいる。

注1)宇宙全体

宇宙全体 という概念に抵抗がある場合は、目的の原子核や電子の周りに作り出されている場、 又は、空間、又は、座標系と理解して頂いて結構です。

物理現象は、注目している対象物と、宇宙全体との相対関係の上に成り立っています。

物理現象の構造
物理現象の構造
物理現象は、最終的には、物と宇宙全体との相対関係の上に成り立っています。

この相対関係を、現代物理学は、「物が座標系の中を動く。」と理解しています。、即ち、物と座標系の相対関係として理解しています。
『宇宙全体との相対関係が変化する。』とは、『空間内での位置と速度が変化する。』と、現代物理学では理解しています。
ニュートン力学が典型的な例です。

座標系を使った記述
座標系を使った記述
現代物理学は、宇宙全体との相対関係を、『座標系の中で物が動く。』と記述しています。

ちなみに、アインシュタインの相対論は、物を動かす代わりに、座標系の方を動かしています。座標系を伸び縮みさせたり、曲げたりして、物理現象を記述しています。(厳密には、物の動きと座標系を、相対化させています。)

全ての物理現象は、相対的であって、絶対的ではありません。従って、物理現象には、絶対的基準は存在しません。
唯一、参考になるのは、宇宙全体を基準にとることです。全ての物理現象は、宇宙全体を共有しているので、これを基準にすれば、宇宙の多くの場所で成り立つ、比較的、汎用的な話が可能になります。
もちろん、宇宙全体も、絶対的な基準ではありませんが。

注2)3体問題の現代物理学の解釈

宇宙全体と、原子核と、電子の3体問題は、現代の物理学では、まだ、明確に、自覚されていない問題です。

3体問題

現代物理学では、この3体問題を、空間(座標系)の中に、電子と原子核が存在していて、電子が原子核の周りを回っていると解釈しています。即ち、空間(座標系)と電子と原子核の3者間の問題として論じています。
宇宙全体の事を、空間、又は、座標系と理解しています。

空間の中に存在する素粒子

3体間の存在状態の変化は、位置(軌道)の変化として理解しています。即ち、「存在状態が変化するとは、空間内で、存在する位置が変わること。」と理解しています。

電子は、原子核の周りを回っています。その軌道は、不連続です。自由に回っているのではなくて、ある特定の軌道を回っています。
存在状態の変更は、この不連続な飛び飛びの軌道の変化として現れます。軌道が内側に遷移するとき、ある特定の波長の光(エネルギー)を放出します。逆に、ある特定の波長の光を吸収すると、軌道は外側に遷移します。即ち、エネルギーの入出力は、軌道の遷移として現れます。

形式的には、エネルギーとは、3体間の存在状態を変更する原因、即ち、空間内での存在位置を決定したり、変更したりする原因です。この原因を、物理学者はエネルギーと呼んでいます。

注3) 物理量の不連続性

我々が観測する物理量は、不連続となっています。

原子核の周りを回っている電子の軌道も不連続となっています。自由に飛び回っている訳ではなくて、特定の決められた軌道を回っています。その軌道は、飛び飛びの不連続となっています。連続して、変化している訳ではありません。技術的には、波動関数を使って計算可能です。
この軌道間の遷移によって、ある特定の値の光エネルギーの放出や吸収が起こっています。それは、原子の種類によって、夫々、特有のスペクトルを持っています。

このような不連続性は、我々の存在しているこの宇宙が有限な為と思われます。即ち、宇宙の有限性が、物理量の不連続性に反映されていると思われます。この宇宙のサイズと、物理量の不連続性の間には、非常に密接な関係があると思われます。

もし、この宇宙が有限なら、その中に存在するもの数も有限となり、そのもの同士の相対関係の数も有限になるからです。相対関係の数が有限なら、その相対関係の数によって表現されている物理量の取りえる値も、有限になります。
リンゴが10個しかなければ、その互いの関係は、組み合わせの問題として、有限となってしまいます。その相対関係になんらかの物理量を定義可能なら、それらは、有限な飛び飛びの値となってしまいます。連続値にはなりません。

上に述べた3体問題を、ときほぐして、宇宙全体に適用してみれば、何となく、想像できるかと思います。実は、宇宙全体という概念も、細かく分解すれば、3体問題の集合体になってしまいます。

つまり、物理量の不連続性と、宇宙のサイズとの間には、非常に、密接な関係があると思われます。宇宙が有限なことが、物理量の不連続性として、現れていると思われます。

このような不連続性は、ミクロな素粒子レベルの場合、宇宙全体との相対関係が、1対多となりますから、その影響が相対的に顕著に現れます。即ち、量子効果が目立ちます。日常の物理現象と、異なった振る舞いをしているかのように見えます。

一個のリンゴと100個のリンゴでバランスの取れている天秤の一個の側に、もう一個加えて、2対100にすると、天秤のバランスは、大きく狂います。即ち、量子効果が大きく出ます。その変化は、顕著な不連続性を示します。

目の前の現象がミクロな場合
ミクロな現象の場合
目の前の現象が素粒子のようにミクロな場合、一個追加しただけで、天秤のバランスは大きく動きます。
その変化は不連続となります。

一方、我々人間サイズのマクロな現象の場合、宇宙全体との相対関係が、多対多となりますから、その影響が相対的に目立たなくなります。即ち、量子効果が消えたかのように観測されます。
10個のリンゴと100個のリンゴでバランスの取れている天秤の10個の側に、もう一個加えて、11対100にしても、天秤のバランスは、それ程、大きくは狂いません。相対的に、その影響は小さくなります。即ち、量子効果は、目立たなくなります。

目の前の現象がマクロな場合
マクロな現象の場合
マクロな現象の場合、一個追加しても、天秤はそれ程動きません。
人間サイズのマクロな現象になると、大量に追加しないと天秤は動きません。一個一個の増減は、観測精度の下限を超えてしまう為に、連続して変化しているように見えます。

人間サイズの物理現象になると、この傾向はより顕著になります。人間の体は膨大な数の原子で構成されています。一個や2個の原子の増減では、天秤のメモリは微動だにしません。コップの水を一杯飲んだだけでは、体重計のメモリは、ほとんど、動きません。何杯も飲む必要があります。コップ一杯の水の原子の数は膨大です。
マクロな現象の場合、見かけ上、量子効果は消えます。相対的問題として、目立たなくなります。不連続さの程度が、観測精度の下限を、遥かに下回ってしまう為、物理量は、不連続ではなくて、連続して変化しているように見えます。

現代物理学が使っている全ての物理単位は、最終的には、宇宙全体との相対関係として、再定義し直す必要があります。

注4) 排他律と地図の4色問題

排他律の問題は、数学でも扱われています。

数学者自身、気が付かれているかどうか判りませんが、『地図の4色問題』は、そのまま、物理学の排他律の問題です。

地図の4色問題
地図の4色問題
『隣り合った領域は、同じ色で塗ってはいけない。』というルールを課した場合、全部で何色必要でしょうか。
周辺の白色も、領域のひとつだと見なします。

地図の4色問題は、国が入り乱れているヨーロッパの地図を例にとれば、説明が簡単です。
「国境を接している2つの国は、同じ色で塗ってはいけない。」というルールを課して塗り絵を行った場合、最低、何色あれば、充分でしょうかという問題です。当然、海も、国の一種だと見なします。地中海と大西洋は、繋がっているので、ひとつの国です。カザフスタンとウズベキスタンに跨るアラル海は、地中海と繋がっていないので、別の国と見なします。もし、将来、運河で繋がったら、その時には、大西洋、地中海、アラル海はひとつの国と見なします。数学的には、それで何も困ることはありません。

答えは4色です。

国境を接している2つの国を、同じ色で塗ってしまうと、周りから見た場合に、この2つの国を、排他的に識別できなくなってしまいます。同じ存在状態(色=国)になってしまいます。
つまり、ひとつの国(存在)になってしまいます。2つの国が2つの国である為には、即ち、存在を識別する為には、異なった存在状態(色)になっている必要があります。国旗(色)が異なっていなければなりません。地図の4色問題では、2つの存在状態(国)を識別する情報は、色以外に与えられていないからです。

例えば、スイスとドイツとオーストリアは、互いに国境が接し合っています。
もし、スイスから見た場合に、ドイツとオーストリアが同じ色で塗られていたら、この二つの国を異なった存在として識別することはできません。異なった国として識別する為には、異なった存在状態になっていなけらばなりません。即ち、異なった色で塗る必要があります。
地図の4色問題は、2次元平面内で、夫々の領域が、排他的に異なった存在として識別できる為には、何種類の存在状態を仮定すればいいかの問題です。

素粒子の世界で、陽子の回りを回っている複数の電子が、それぞれ、異なった存在(電子)である為には、異なった存在状態、異なった軌道上に存在する必要があることと同じです。もし、2つの電子が同じ存在状態になってしまうと、他から見た場合に、異なった2つの存在と認識できなくなってしまうからです。ひとつのものと認識されてしまいます。

地図の4色問題は、2次元平面内で、ものを排他的に存在させる為には、4つの存在状態を仮定すれば、充分な事を主張したものです。2次元平面内の各点を結ぶ線分は、3角形の組み合わせで表現できることを意味しています。

『地図の4色問題』は、2次元平面内での排他律を論じたものでした。では、これを、3次元に拡張したらどうなるでしょうか。

石鹸の泡の塊を想像して頂くと、説明が容易になります。
風呂場の石鹸の泡の塊を想像してみて下さい。石鹸の泡の塊は、小さなシャボン玉の寄せ集めです。その小さなシャボン玉に、色の付いた気体を封入します。『隣り合ったシャボン玉には、同じ色の気体を充填してはいけない。』というルールを課した場合に、最低、何色あれば充分でしょうか。」という問題です。

答えは、どうも、5色らしいのです。即ち、『シャボン玉の5色問題』です。

この問題は、我々の存在している、この宇宙の空間が3次元であることと、密接に結びついているようです。
『空間という概念を使わない新しい幾何学体系』を展開中に、この問題に突き当たってしまいました。つまり、排他律と、その反対の自由度の問題です。

我々の存在しているこの宇宙の空間が3次元なのも、やはり、排他律から生じているようです。

注5) 天動説と地動説

『天動説は間違っている。』と考えるのは、科学的迷信です。

『太陽が東の空から昇って、西の空に沈む。』のは、地球と宇宙全体との間で生じている相対運動の為ですが、この相対運動を、現代人はどう理解しているでしょうか?

相対運動
相対運動
太陽は東の空から昇って、西の空に沈みます。
この相対運動を、現代人は、どう理解しているのでしょうか。

全ての運動は、相対的であって、絶対的ではありません。この為、どこを基準に採るかによって、その解釈は異なってきます。

宇宙全体を基準にすれば、地球が自転している為と理解されます。「地球の方が動いている。」という地動説の考え方です。逆に地球を基準にすれば、地球の周りを宇宙全体が回っている為と理解されます。「絶対的基準として固定しているのは地球で、それに対して宇宙全体の方が動いていいる。」という天動説の考え方です。基準の取り方によって、説明が反転します。現代の常識では、地動説が支配的です。

確かに、太陽系近傍の宇宙空間のように、宇宙全体から見れば、針の先ほどの微小空間では、地動説の方が合理的です。ところが、銀河系とか宇宙全体のような日常の常識が通用しない超広大な空間を対象にした場合、地動説の合理性は、どこまで通用するのでしょうか。寧ろ、天動説の方が簡単に物理現象を記述できる局面も出てくるのではないでしょうか。そもそも、宇宙全体を対象にした場合、『空間』という概念が通用するかどうかも怪し問題です。『空間』という概念は、日常生活から作り出された概念です。即ち、人間が生きている微小空間内を理解する為の先入観に過ぎないからです。

地球と宇宙全体との相対運動だけでなく、もっとミクロな素粒子と宇宙全体との相対運動を問題にした場合、どちらを基準にして運動を記述した方が簡単かは、充分に考慮する価値のある問題です。
もし、その時がやってきたら、即ち、発想を逆転させた方が便利な局面に直面したら、躊躇わず実行です。一瞬の迷いは、命取りになる場合もあります。

物理現象は、全て相対的であって、絶対的ではありません。常識の先入観に囚われることは、決して賢明な行為とは思えません。現実は、『太陽は東の空から昇って、西の空に沈む。』だけであって、後は全て科学的解釈、即ち、科学的迷信や先入観に過ぎません。

天動説と地動説
図名
地球と宇宙全体の相対運動を理解する方法、どちらを基準に取るかによって、2種類あります。

地動説では、宇宙全体を基準にして、『その中で地球が自転している。』と理解しています。
天動説では、地球を基準にして、『宇宙全体が地球の周りを回っている。』と理解します。
でも、現実は、『太陽は東の空から昇って、西の空に沈む。』だけです。ただ、それだけです。

真理だと思い込んでいる全ては、科学的迷信かもしれません。

天動説と地動説

項目説明
現実太陽は東の空から昇って、西の空に沈みます。
地動説地球が自転している為。(宇宙全体に対して)
天動説宇宙全体が、地球の周りを回っている。
神をも恐れない大それた主張ですね。

天動説は間違っていません。全ては、基準の取り方の問題、即ち、相対性の問題です。宇宙全体を基準にすれば、『宇宙全体に対して、地球が自転している。』と見え、地球を基準にとれば、『宇宙全体が、地球の周りを回っている。』と見えるに過ぎません。現実は、宇宙全体と地球の間で生じている相対運動を観察しているだけです。

物理現象の中には、天動説的発想の方が、簡単に記述、理解できる局面が訪れるかもしれません。その局面に出会った時に、慌てないように、日頃から、心の準備が必要です。
特に、ミクロな素粒子レベルの現象の場合、天動説の方が理解が簡単なように見えます。もちろん、マクロな人間サイズの物理現象の場合、地動説の方が有利ですが。
さらに、広大な銀河系や宇宙全体を扱う場合、どちらが簡単になるでしょうか?。相対性が強く現れる天動説の方が有利かも?