2023/11/12 うつせみ

トンボは、人間と同じような時空認識を持つ必要はありません。
獲物を捕まえることが出来さえすれば、それで充分です。

ここでは、複眼を持つトンボなどの昆虫が、時空をどのように認識しているか。
その情報の主体化について考察します。

2023/11/12 8.8.6 ハエトリグモの視覚システムを追加。

8.8 複眼(昆虫)の時空認識

生物にとって重要な事は、生きる』という目的を達成することです。
自己を保存すること。即ち、環境と自己との相対関係を(自己の生存に都合がいい状態に)維持し続けることです。孫氏の兵法の考え方です。この兵法では、「国が生き残る事(国の自己保存)」を目的に設定し、何をすべきかを説いていました。

トンボは、人間と同じような時空認識を持つ必要はありません。
獲物を捕まえることが出来さえすれば、それで充分です。

先の『時空認識が可能な自己保存系のモデル』では、話の単純化の為に、時間と空間の枠組みの中に、モデルを構築しました。従って、ここだけを見ていると、時間空間の中で、時間空間を論じている。つまり、一種のトートロジーになっているように見えます。

そこで、トンボなどの複眼を持った動物の時空認識について、もう少し、具体的に、考察します。

時空認識の前提条件

実際の動物の場合、視覚によって、この空間認識を作り出しています。空間認識を持っている動物の場合、2つの特徴を持っています。まず、第一の特徴は、2つの眼を持っています。第二の特徴は、其々の眼は、複数の視細胞から構成されています。複数の視細胞によって、空間の分解能を実現しています。この特徴は、複眼の昆虫の場合も、我々脊椎動物の眼の場合も同じです。

時空認識が可能になる為の条件
2つ以上の眼を持つ事。立体視の為
眼は、多数の視細胞から構成される事。空間の分解能の為
この原則は、昆虫も、ほ乳類などの脊椎動物も同じです。

注意)この原則は、ハエトリグモには当てはまりませんでした。片方の眼だけでも距離の認識が可能でした。両眼視する必要がありませんでした。詳細は、ハエトリグモの視覚システムを参照下さい。



複眼の物理的形状

トンボの場合、複眼を構成する個々の個眼は、お椀上に配置されており、其々のお椀の向いている方向が違います。しかし、草食動物のように、複眼は正反対を向いているのではなくて、ある程度の角度をもっています。この為、正面の情報は、両眼で捉えることが可能です。

獲物からの光は、お椀上に並んだ個々の個眼の視細胞に投影されます。しかし、個々の個眼の性質として、筒状になっており、その筒の中の奥深くに視細胞があるので、個々の個眼は、ある特定の方向からの光に強く反応します。表面に視細胞があれば、全方向からの光に反応しますが、筒状になっていて、その奥に視細胞があるで、筒の方向からの光に強く反応します。

例えるなら、深い井戸に、光が差し込むようなものです。光の方向が悪ければ、底にまでは届きません。また、届いたとしても、弱くなります。井戸の底に光センサー(視細胞)は存在しています。

複眼全体で見れば、その性質から、獲物からの光は、特定の個眼だけを強く刺激するのではなくて、近傍の複数の個眼に跨って知覚されていると思われます。物理的な分解能は、それ程、高くない。この段階では、まだ、複眼を構成する個眼の数が、分解能になっているのではなくて、それよりも、低い、もっと、ぼんやりとした分解能になっていると思われます。

複眼の断面構成
複眼の断面構成
昆虫の複眼は、複数の個眼が、お碗状に配置され、少しづつ向きが違っています。
各個眼は筒状になっていて、その底に視細胞があります。
獲物からの光信号は、近傍の複数の個眼に跨って、投影されます。
なお、少し離れた個眼は、角度が悪い為、底まで光が届きません。

このような形状の為、複眼の分解能は、そのままでは、個眼の数程には良くありません。いや、かなり、悪くなります。
複眼の平面構成と点情報の主体化
点の主体化
複眼を正面から見たイメージです。
複眼は、多数の個眼の集まりによって構成されています。
信号は、複数の個眼に跨って、ぼんやり投影されます。

この事を直観的に理解する為には、カマキリの偽瞳孔を観察するのが便利です。カマキリの複眼上に見える黒い点です。見る方向によって、その位置が変ります。まるで、瞳のように、常にこちらを見ているように錯覚します。
だから、偽瞳孔、偽物の瞳と呼ばれています。
この偽瞳孔の見え方は、獲物を狙うか、花の蜜を吸うかよって、微妙に異なってきます。生存スタイルによって、微妙に異なっています。興味ある現実です。

この範囲で光は奥底まで届いているようです。奥底の視細胞で光が吸収されて、結果、反射しないので、黒く見える領域になるみたいです。
つまり、筒の奥底が見えている領域です。

視細胞は光エネルギーを吸収して、神経信号に変換しています。吸収されなかった反射光を、我々は色として認識しています。筒の奥底は、視細胞によって、光が吸収され、反射しないので、結果として、黒く見えます。光エネルギーが、視細胞を駆動するエネルギーの一部に転換されて、そこで、光自体は消滅しています。
なお、光エネルギーは、スイッチを『ON、OFF』する為に使わてれいる。つまり、神経細胞は、光信号を増幅していると思われます。光自体は、神経パルスを直接駆動できる程のエネルギーは持っていません。

他の領域は、光エネルギーが有効利用されないで、そのまま、反射されます。その結果、明るく見えます。光エネルギーの有効利用の差によって、見え方が異なります。

例:植物の葉は、なぜ緑色をしている? ->
答え:緑色の波長の光は、光合成に利用されないで反射される為。その反射された光を捉えて、我々は、葉っぱは緑色だと認識しています。他の波長の光は、光合成に利用され、結果、そこで消滅し反射しません。反射しないから、目には届きません。目に届かなければ、認識することもできません。
間違い:唯物論者が思い込んでいるような、緑色の本質を持っている訳ではありません。葉っぱは緑色の本質を持っているから、その本質を認識して、緑色に見えている訳ではありません。

このような偽瞳孔は、トンボなどの他の昆虫でも見られます。

カマキリの偽瞳孔
カマキリの偽瞳孔
偽瞳孔は、カマキリの複眼上の黒い点です。
筒の奥底が見えている領域です。
人間の眼を光源と仮定した場合に、光が個々の個眼の奥底まで投影される領域です。黒くなっている個眼群が、光受容細胞が存在している奥底まで届いて、情報を感知している領域です。

【偽瞳孔の参考動画】
カマキリ 偽瞳孔」youtube mushi64さん
https://www.youtube.com/watch?v=_awCp8W5i1Y
注意)レンズと被写体との距離は不明です。かなり、接写していると思われます。

8.8.1 点情報の主体化

信号は、複数の個眼に跨って投影されます。そこで、分解能を上げる為には、情報の主体化、つまり、処理が必要になります。最初の主体化は、点情報の主体化です。

【状況の主体化】
外部感覚器官からの信号を、『自己の生きること』と直接結びついた情報に変換する行為。

なお、自己の生存と結びつかない信号は、雑音として無視されます。主体化されないので。

状況の主体化は、今西錦司(敬称略)が導入した概念です。

生物は、自己保存の為に、自らを取り巻いている環境との関係を、『自己に都合がいい状態』に保つ必要があります。これを(生物学では)『生物の環境への適応行為』、或いは、このような現象系を『自己保存系』と呼んでいます。

この自己保存の為には、自己と環境との関係を、評価する必要があります。その評価によって、行動を決定する必要があります。この原則は、動物だけでなく、植物も同様です。もっと広く、生命に共通の課題です。

この自己と環境との関係を、『自己にとって都合がいいか』という自己都合(自己基準)で評価する行為を、今西は『状況の主体化』と呼んでいました。つまり、「環境の主体化」の意味です。その評価基準は、あくまでも、『自己』です。

ちなみに、この「状況の主体化」という行為によって作り出された数量を、フロイトは『テンション』と呼んでいました。彼は、このテンションが神経回路を流れる事によって、様々な(心理的な)現象が起こると考えていました。優れた方は、結局、同じもの(現象の因果関係)を見ているのですね。その言葉は違っているけど。
一方、多くの方は、『言葉』を見ています。言葉が違うから違った物だと思っています。

繰り返しになりますが、自己の存在から離れた客観化ではありません。あくまでも、自己の存在と結びついた主観化です。
ここでの話題は、このような主体化の内、昆虫や脊椎動物などの動物の神経組織上で起こっている『状況の主体化』です。(原理的には、コンピュータ上でシミュレート可能な)情報処理の問題です。

注)「自己保存系」と「状況の主体化」の詳細は、制御工学の理論生物進化の概要を参照下さい。

点情報の主体化

まず、複数の個眼からの情報を相互補正します。隣り合った各個眼の信号のコントラストを明確にして、信号の強さがピークになる個眼が特定できれば、獲物の方位が、決定できます。

この主体化によって、理屈上は、脊椎動物の網膜上に投影された情報と同じ情報を作り出すことが可能となります。脊椎動物の視覚は、網膜上に像を結びますが、それと同じ理屈が通用することになります。従って、これ以後の情報処理は、原理的には脊椎動物と同じになります。
もちろん、解像度は、構造的な問題から、かなり落ちますが。

複眼上の点の主体化
点の主体化
複眼は、多数の個眼の集まりによって構成されています。
信号は、複数の個眼に跨って、ぼんやり投影されます。
隣り合った個眼の信号を比較することで、信号のピークとなる個眼を検出します。

この段階で始めて、分解能と、複眼を構成する個眼の数とが一致します。複眼を構成する個眼の数が100個なら、100方向の識別が可能となります。複眼を構成している個眼の数が多ければ、多いほど、その方位と分解能の精度は高くなります。

複眼での第一段階の主体化(情報認識)は、スクリーン(網膜)に映像を映し出す行為ではなくて、最も強く反応する個眼(視細胞)を特定する行為です。

でも、結果的には、この第一段階の主体化によって、我々脊椎動物が網膜上に像を映し出したのと同じ結果を得ることが可能になります。だから、これ以後の情報処理は、理屈上は、脊椎動物の視覚野の考え方がそのまま通用します。

もっとも、昆虫の場合、神経組織の容量が少ないので、もっと、特定の状況に最適化され、その特定の状況下では効率的になっているとは思いますが。

汎用化を捨て、特定の状況に特化している。それによって、神経組織資源を節約していると推測されます。昆虫たちは、限定されたニッチ環境の中で、限定された生き方をしています。その範囲内で、最適化されています。
要は、(生きる)目的が達成できれば、それで充分です。不必要なオーバースペックは、資源の無駄遣いです。大胆にショートカットされていると思われます。

なお、動物の神経細胞は、真空管やトランジスタなどのスイッチング素子と言うよりは、一個の小さな小さなマイクロプロセッサ(マイコン)に近いイメージです。膨大な数のマイコンによって分散処理が行われ、結果、全体では高機能な処理が可能になっています。非常に大雑把な概算は、神経細胞一個は、電卓一個と同等と見なしても、それ程、的は外していないと思われます。メモリー機能や、遅延処理を可能とするタイマー機能も持っています。(もっとも、情報処理の原理が異なっているので、単純な比較は困難ですが。)

点情報の主体化の可能性2

点情報の主体化に関しては、もうひとつの可能性もあります。信号の領域を主体化する手法です。

同じように反応している個眼の領域全体を抽出して、その領域の中心点を求める方法です。先の例のように、信号のコントラストを検出するのでは無くて、同じ信号の領域をひとつに纏める情報処理です。
動体視力も考慮するなら、(4)獲物に近づいているか遠ざかっているかも検出できます。

この情報処理では、信号の領域を主体化します。この主体化によって得られる情報は、(1)領域の中心点、(2)領域の広さ、(3)領域全体の信号の強さの三つです。

1. 領域の中心点
2. 領域の広さ
3. 領域全体の信号強度
4. 獲物の動き(動体視力)

獲物が遠くにある場合は、「領域の広さ」は狭くなります。「信号強度」も弱くなります。反対に近い場合は、「領域の広さ」は広くなります。「信号強度」も強くなります。方位だけでなく、距離や大きさに関する情報も主体化できます。(距離と大きさは、完全には分別できませんが、しかし、それを含んだ情報は抽出できます。)

直前の情報と現在の情報を比較する事によって、獲物の動きに関する情報も抽出できます。この情報処理を一般に世間では『動体視力』と呼んでいます。
「領域の広さと信号強度が合わさった情報」に注目するなら、獲物が近づいている場合は、この情報は、だんだん大きくなります。反対に遠ざかっている場合は、だんだん、小さくなります。自分と獲物の相対関係が、どのように変化しているかを主体化できます。つまり、距離と大きさの情報を完璧に分離できなくても、(分離できなくて曖昧なままでも、)それなりの使い道はあります。

人間の視覚野の情報処理を参考にするなら、こちらの可能性の方が高いかもしれません。詳細は、実際に実験してみる必要があります。

両眼の比較

これと同じ「点情報の主体化」が、もう片方の眼でも起ります。しかし、そのピークとなる個眼の位置は、微妙に異なります。このふたつの複眼の位相差を利用して、三角測量の要領で、獲物までの方位と距離が判ります。

複眼の時空認識
複眼の時空認識
左右の位相差によって、方位と距離に関する情報を抽出できます。

背景情報は無限遠にある為、位相差が生じません。(無限遠からの光は、平行光線になってしまう為。)
遠方の獲物は位相差が小さくなります。
目の前の獲物は、近い為、位相差が大きくなります。
ちなみに、指をクルクル回してトンボ取りをやる場合、数十センチに近づいたら、トンボは頭をクルクル回して、状況確認に入ります。その距離が有効な情報処理を推測する目安のひとつです。指を回す円の大きさにも依存するとは思いますが。ぜひ、実際にやってみて下さい。夏の高原にいるトンボは分かりやすいです。

注)情報の主体化については、今西錦司(敬称略)の『状況の主体化』の考え方を使っています。詳細は、こちらを参照下さい。

8.8.2 時空と行動

もちろん、彼らが、上の絵のように、3角測量の計算を行っている訳ではありません。この絵は、あくまでも、人間用です。人間という動物の思考形式に合わせています。

かれらトンボが、我々人間と同じような、時空認識を持つ必要はありません。
獲物(もの)までの時空距離の情報が主体化できて、その主体化された情報に基づいて獲物を捕まえることが出来れば、『生きる』という目的は達成されます。

重要なことは、生きるという目的を達成することであって、その為の手段、認識の方法は、2番目、3番目の問題です。言葉は悪いですが、『結果オーライ』の世界です。目的さえ達成出来るなら、つまり、結果が出せるなら、手段は、二の次です。このような発想は、孫氏の兵法 と同じです。

トンボは、数学者である必要はありません。結果オーライのリアリストであれば充分です。

上の絵の場合、空間認識で重要なのは、右目の信号強度の中心点(位置R)と、左目の信号強度の中心点(位置L)です。
位置Rと、位置Lとの位相差は、方位に関連した情報になります。和は、距離に関連した情報になります。この情報を、行動と結びつけて、獲物を捕まえることが出来るなら、目的は達成できます。

トンボにとっての方位と距離
主体化情報関連式備考
方位に関連した情報方位 ≒ 位置R - 位置L左右の位相差が方位に関連した情報になる。
距離に関連した情報距離 ≒ 位置R + 位置L左右の和が、距離に関連した情報になる。
無限遠の情報は、この値が最大となります。
近い位置は、この値が小さくなります。

複眼の形状が円形ではなくて、歪んだ形をしていると、生活と密着した特定の位置情報がより強調されます。

数学的に重用なのは、生きるという目的の為に、独立変数を何個収集しなければいけないかです。その収集の仕方と、形式には、ある程度の自由度があります。
従属変数は、独立変数から導くことができます。

数学的に重要な事は、『生きるという目的の為に、独立変数をいくつ収集する必要があるか。』です。

トンボのように、位置Rと、位置Lの位相差として、時空を認識していても、我々人間のように、時間と空間として理解していても、結果は同じになります。必要な独立変数を収集して、それを使って制御システム(神経系)を駆動し、目的を達成できれば、それで充分です。どのような認識形態を取ろうが、自分から離れた位置は、同時に、自分にとって遠い未来である事実は変わりません。

実際の昆虫では、左右の複眼の位相差は、かなり強調されているように見えます。位相差が大きいと、方位に関する分解能が高くなりますから、獲物の位置がより高精度で特定可能になります。下記のカマキリの動画を参照して下さい。動きにつれて揺れ動く左右の複眼の偽瞳孔の位置を観察してみて下さい。偽瞳孔の位置が、光源(獲物)が複眼上に投影される大雑把な位置です。

カマキリでは、左右の複眼で、偽瞳孔の位置が驚くほど異なっています。位相差がかなり強調されています。複眼の形状がお碗状、即ち、球形ではなくて、歪な為です。驚くべき事に、レンズによって解像度を上げているのではなくて、複眼の形状を歪にする事によって、重要な正面情報の解像度を上げています。複眼の特性を利用した非常にうまい方法です。

カマキリの複眼の形状は、正面情報の解像度がかなり強調されています。距離と方位の情報が、かなり的確に主体化されているみたいです。肉食哺乳類と同様に、(獲物を捕獲する為に)正面情報に特化しています。

【偽瞳孔の参考動画】
カマキリ 偽瞳孔」youtube mushi64さん
https://www.youtube.com/watch?v=_awCp8W5i1Y
注意)レンズと被写体との距離は不明です。印象としては、かなり、接写しているようにみえます。レンズの種類等、写真の専門家ではないので、自信はありません。

問題は、カマキリの日常での獲物の距離と、撮影時の距離です。この違いが、複眼の性能を誤解する原因になります。カマキリの能力は、獲物を捕まえる事に、最適化されているからです。偶然の一致だとは思いますが、印象としては、かなり接写しているようです。獲物の距離と撮影時の距離は、似かよっているように見えます。カマキリの日常生活の距離空間に近いように思えます。

つまり、具体的には、カマ(前足)の届く範囲の近傍が、生活距離です。この距離空間で最適化出来ていれば充分です。カメラのレンズは、偶然にも、この範囲内にあるように見えます。我々が通常カマキリを観察する場合、30cm~1m 程度離れていますが、この距離は、カマキリに取って無限遠を意味しています。無限遠では、獲物の方位は重要ですが、距離はさほど需要ではありません。

偽瞳孔の位置の変化を観察していると、正面の獲物に対する位相差が強調されているように見えます。正面の情報に対して、少し頭を傾けると、大きく偽瞳孔の位置が変化します。カマキリの複眼の形状は、単純なお椀型ではなくて、より正面情報の角度の微妙な位相差が強調される形状になっているみたいです。
そして、注目すべきは、丁度、真正面を向いた時、つまり、獲物を正面で捉えた時、偽瞳孔が大きくなっていることです。より、たくさんの個眼で獲物を捉えていることです。スローで再生してみて下さい。(結果として、天体望遠鏡と同じような拡大効果を作り出しています。大きなレンズやお椀を使って、微弱な光信号をかき集めています。)

しかし、複眼の正面に見える丸いレンズ状のものは何でしょうか。どんな働きをしているのでしょうか。一瞬、その位置で偽瞳孔が消えます。光が屈折している為と思われます。まさか。。。正面情報に特化した(レンズなどの)物理的な増幅装置?。謎です。

なお、遠方の獲物を見つける場合は、動体視力が使われているかもしれません。カマキリは小さな虫なので、両眼はあまり離れておらず、三角測量の精度は物理的に低い為です。三角測量が有効なのは、精々、鎌(前足)が届く範囲か、その近傍程度と思われます。

カマキリの生活は、索敵と攻撃です。

獲物を探す為には、出来るだけ、索敵距離と索敵範囲(方位)が広い方が有利です。認識の精度は問いません。ぼんやりとでもいいので、出来るだけ遠くの(動く)獲物を見つけることが大切です。見つけた後は、巧妙に忍び寄るだけです。

一方、獲物を捕まえる為には、出来るだけ精度が高い方が有利です。獲物の方位と距離が正確に把握できた方が、成功率が高くなります。どのタイミングで飛び掛かるかは、運命の分かれ道です。鎌(前足)の射程距離に入らなければ、飛び掛かれません。かと言って、確実性を優先して、近づき過ぎたら、逃げられます。チャンスは、そんなに多くありません。ギリギリの距離で、勝負は一瞬で決まります。

カマキリは索敵(遠方探索)の為には動体視力を使い、攻撃(近接戦闘)の為には両眼による三角測量を使っているのでしょうか?

注)同じ捕食動物でも、ハエトリグモの場合は、索敵と攻撃の仕組みがカマキリとは大きく異なっていました。余りにも発想が異なっていたので、別の章にまとめました。8.8.6 ハエトリグモの視覚システムを参照下さい。

8.8.3 神経組織は、コントラストを認識の対象にしている。

動物の神経組織は、信号そのものではなくて、信号のコントラストを認識の対象としています。

信号強度が一定なら、慣れによって無視されます。一般に、信号強度が変化しなければ、生存に関係ない為です。信号強度の変化が、密接に関係しているからです。

このようなコントラストは、主に、時間的コントラスト空間的コントラストより構成されます。これからの話題は、時間的コントラスト(動体視力)が生み出している行動様式についてです。
なお、先ほどのトンボやカマキリの話は、空間的コントラストが生み出している行動様式でした。

動物の神経組織は、信号のコントラストを認識の対象にしています。

そのような信号のコントラストは、

  1. 時間的コントラスト(動体視力:動き)
  2. 空間的コントラスト(静的視力:方位と距離)

の二つから構成されます。

注)コントラストの生じていない信号は、背景雑音として無視されます。

注)認識の対象については、「認識の対象と信号のコントラスト」も参考になります。



空間的コントラスト

視覚システムのように、隣り合った二つの感覚細胞の信号強度を比較する事によって、生きる事と関連した情報を主体化する行為です。

このような主体化は、視覚システムや聴覚システムなどの空間認識に係わっています。視覚と聴覚は、処理手順がかなり異なっていますが、しかし、結果として、どちらも空間認識を作り出しています。
皮膚表面に分布している触覚や温感などの感覚細胞も、空間配置されているので、それなりの空間認識に寄与しています。洞窟の中などの全く光がない世界でも、手探りで、ある程度は空間情報の確認が可能です。また、昆虫たちの場合、長い触角(ひげ)を器用に動かして空間を探っています。



時間的コントラスト

今の刺激の強さと、直近の刺激の強さを比較する事によって、刺激強度が強くなっているか、弱くなっているかを検出する行為です。

強くなっている場合は、一般に生存の危機が近づいていることを意味します。弱くなっている場合は、その反対です。(あくまでも、一般的傾向ですが。)このような特定の一個の感覚細胞の時間的変化を検出する事によっても、生存に係わった情報を主体化出来ます。

コカインなどの薬物中毒は、血中濃度そのものではなくて、血中濃度の時間的変化が認識の対象となっています。南米のインディオのように、コカ茶やコカの葉を噛むことによって摂取している場合、薬物の血中濃度の上昇も穏やかな為、深刻な問題とはなりません。実際、長いインディオの歴史の中で問題は起こっていません。紅茶のカフェインより少し強い程度の扱いです。ところが、精製したコカインを鼻孔粘膜や肺粘膜から摂取する場合、急激な上昇が起こってしまうので、つまり、大きな時間的コントラストが生じてしまうので、深刻な薬物中毒を起こします。
覚せい剤なども、静脈へ直接注射で送り込んでいるので、急激な血中濃度の変化を引き起こしてしまいます。

動物は、コントラストを認識の対象としているので、ストレスがあると、そこから逃避する為に、ついつい強い刺激を求めてしまいます。より強い刺激を求めて、薬物の摂取量が増えてしまいます。

逆に、減少過程は強い不快感を生じさせてしまいます。禁断症状です。この不快感から逃避する為に、これもまた、薬物摂取を促してしまいます。(迎え酒です。)

過食症はストレスからの逃避なので、つまり、食欲の満足体験を求めているので、砂糖などの甘味の刺激を求めて、ついついケーキを食べ過ぎてしまいます。酒は百薬の長、適量ならストレスの発散に役立ちますが、過ぎたら。。。アル中です。
過剰摂取は、それが何であれ、いい結果を生みません。砂糖も塩分も大切な必須栄養素ですが、取り過ぎたら毒です。

過食症も含めた薬物中毒は、ストレスからの逃避の為に、時間的コントラストが作り出す強い刺激(満足体験)を求めた結果です。その依存症です。ストレスが無ければ、ドライブも掛かりません。


新しい薬物中毒の可能性

心配なのは、画期的な摂取方法が開発された場合、血中濃度の急激な時間的コントラストを作り出すことが可能になります。この為、多くの薬物が、問題を起こす可能性があります。

(胃や腸などの消化器官以外の)各種粘膜や皮下注射からの直接摂取は、あまりいい結果は生まない可能性があります。まさかとは思いますが、安全だと思われている砂糖なども、笑えなくなります。他の薬物同様の依存性が発生する可能性があります。砂糖自体は快楽物質だからです。ストレスがあると、そこから逃避する為に、ついつい強い快楽を求めてしまいます。

アルコールも、消化器官以外からの摂取は、すべきでありません。深刻な中毒症状を生み出す可能性があります。飲酒でさえアル中になるのに、それよりも、もっと急激な血中濃度の変化が起こったら、結果は火を見るよりも明らかです。実際、一部では、消化器官以外からの摂取が始まっています。問題を起こしています。
消化器官は、元々、異物を取り込む器官です。だから、異物への耐性があります。アルコールも、飲み過ぎたら、吐き戻してしまいます。そこで、摂取が止まります。ところが、他の器官は、本来、そのような目的を持った器官ではありません。安全弁が働きません。過剰に摂取してしまいます。危険です。

その他の薬物、カフェインやニコチン、マリファナ等の植物毒も、コカイン、アヘン同様、動物の神経系に作用しますから、摂取方法を間違うと、深刻な問題になる可能性があります。薬物は、薬物自体だけでなく、その摂取方法も制限する必要があります。特に、グレーゾーンにある薬物の場合。

現在、大量のカフェインが含まれたエナジードリングが流行っています。まだ、飲料として消化器官からの摂取が中心ですから、その弊害は限定的です。しかし、これが画期的方法によって別の場所からの摂取が始まったら、もっと急激な時間的コントラストを生み出す事が可能です。麻薬の要件を満たします。(最初は安全だと信じられていた)コカインの二の舞です。、、、、、心配です。

麻薬は悪魔ではありません。媚薬でもありません。神経組織が時間的コントラストを認識の対象にしている為です。薬物摂取をドライブしているのは、ストレスです。ストレスがあると、そこから逃避する為に、強い刺激を求めて、ついつい薬物摂取が加速します。他人(麻薬)のせいにすべきではないと思います。

「僕は悪くない。あいつが悪い。麻薬が悪い。」と、責任転嫁して現実逃避したい気持ちは分かりますが。

8.8.4 眼が両端に付いている場合

眼が両端に付いている場合、動体視力によって、認識していると思われます。

古生代のアノマロカリスのように、眼が両端に付いている場合、視野は重複していません。この為、両眼の位相差によって、空間を認識することが出来ません。
この場合は、動体視力によって、認識している。即ち、時間的コントラストを認識の対象にして、行動しているものと思われます。

アノマロカリス
アノマロカリス
アノマロカリスは古生代の動物です。
複眼は、両側に付いています。
複眼を構成する個眼の数はたいへん多く、現代のトンボに匹敵します。従って、視力も結構良かったと思われます。

獲物が横切る場合は、コントラストのピークとなる個眼の位置が移動します。近づく場合は、信号強度が強くなります。(信号強度と投影面積が変化します。)前の瞬間と、次の瞬間の情報を比較することによって、(動体視力によって)、生きる為に必要な情報の収集が可能になります。

動体視力:前の瞬間と次の瞬間の信号を比較することによって、生きる為に必要な情報を作り出す行為。

時間的コントラストを抽出する行為です。空間的コントラストではありません。

動体視力(何が変化するか)
動きのパタン信号の何が変化するか
近づく場合信号強度の強弱と投影面積が変化。
動く場合個眼のピーク位置が変化。
揺れる場合個眼のピーク位置が振動。

空間的な視野角のコントラスト(個眼のピーク位置の変化)と、時間のコントラスト(信号強度の変化)が、認識の対象となって、行動と結びついているものと思われます。



動体視力

動体視力の場合、自分が動くか、相手が動いてくれないと、認識の対象になりません。時間的コントラストが生じないと認識できません。

枝先に止まっているトンボも、注意深く観察していると、餌や人間が近づくと、盛んに、頭を動かしています。頭の動きにつれて、眼の空間位置も変化しています。やはり、動体視力が重要な役割を演じているように見えます。

カマキリも、動く時や、獲物に狙いを定める時に、体を揺すっています。体を揺することによって生じる眼の位置変化によって、動体視力を生じさせ、それによって、空間認識を行っているものと思われます。自分が体を動かせば、枝や葉っぱなどの本来は静止している筈のものも、動体視力が発生します。

『揺らぎ』に擬態して動体視力を無効化?

まさかとは思いますが、体を揺するのは、風に揺れる葉っぱに擬態している可能性も捨てきれません。『1/fゆらぎ』に擬態しているかも?。動体視力だけが目的でないのかも。

下の「【驚愕】カマキリがトンボを捕まえる瞬間! 」の動画で、カマキリの真下の花や葉っぱの動きに注目して下さい。風で揺れています。これらは、背景雑音です。自然界はこのような背景雑音で溢れています。
又、指先をクルクル廻してトンボを取る動画も、何処となく背景雑音を連想します。トンボは枝先にとまりますが、風が止んで、枝先の揺れが止まった瞬間に、枝先にとまる習性を持っているのでしょうか?

動体視力を無効化する為には、動かないことですが、それ以外にも、『1/fゆらぎ』に擬態することでも可能なように思えます。背景雑音は『1/fゆらぎ』を持っているからです。この揺らぎを持った事象は、背景雑音として情報処理から除外されるかもしれません。

【動体視力を無効化する方法】

  1. 動かない事。(多くの動物が採用。)
  2. 背景雑音の揺らぎに擬態する事。

カマキリは獲物に忍び寄る為に動かざるえません。でも、動くとトンボの視覚システムに動体視力が発生してしまいます。気付かれてしまいます。もし、揺らぎに擬態できるなら、トンボの動体視力を無効化できるかも、。。。。

あまり関係ないかもしれませんが、最近のCGを駆使した映画は、ポスターのレベルでは凄いと感じますが、実際に見たら、何か頭が締め付けられて、気分が悪くなります。(乗り物に酔った時のような)吐き気がします。もう、2度と見たいとは思いません。
映画の凄さを演出する為に、背景の群衆は、少数の群衆映像を、コピーペーストで増やして、あたかも大群衆であるかのように見せかけています。これらの動画は、背景が揺らいでいません。(気付かないけど)同期しています。同期していると、同期したグループをひとつの存在と見なしてしまいます。絵画的印象と、動体視力の感性が一致しません。このふたつの感性の間で葛藤が生じます。
実際、苦痛を感じるので、最近は見ていません。避けています。背景が『1/f揺らぎ』を持っていないからです。心地良さではなくて、頭の中にフォークを突き刺して無理矢理かき廻したような違和感を覚えます。苦痛を感じます。

それに対して、黒澤明の映画は、背景の雨や風が、臨場感を演出しています。視覚の周辺効果、つまり、背景の揺らぎを大切にしています。見ていても、現実感があって、しかも疲れません。反対に、アニメは、背景が下手に動かないので、こちらも逆に楽です。主人公に集中できます。
CGで背景を無理矢理動かすよりは、黒澤のように雨や風のような揺らぎを配置するか、逆にアニメのように背景を動かさない方が、見る方としては楽です。

最近のハリウッド映画が衰退した理由は、中国資本に支配された為ですが、もうひとつの理由は、CGで背景の手抜きをしていること、つまり、『1/f揺らぎ』を考慮していないことです。背景が精緻過ぎるので、主役が呆けています。ポスター(静止画)の凄さ、背景の精緻さに目を奪われて、肝心の映画(動画)については裸の王様になっています。動体視力、動体感性(1/fの揺らぎが持っている心地良さ)を忘れています。先入観に振り回された裸の王様です。
不思議なのは、映画製作者は芸術家の端くれの筈なのに、あんなCG見て、苦痛を感じないのでしょうか?。「感性の心地よさ」を追求する事を忘れたのでしょうか?。

【カマキリが獲物を狙う為、体を揺すっている参考動画】
【驚愕】カマキリがトンボを捕まえる瞬間! The moment the mantis captures the dragonfly!」youtube KIYA DESIGN さん
https://www.youtube.com/watch?v=cbPa9noZ3RQ
注意)獲物を狙うとき、カマキリは体を前後に揺すっています。一方、トンボは捕まる直前は動いていません。静止しています。カマキリは、どうやって、獲物の位置を認識しているのでしょうか?。
可能性1:トンボが留まった位置を覚えている?。
可能性2:トンボの形を認識できている?。
可能性3:トンボの筋肉の熱を感知している?。

プログラムを組む側としては、可能性3が一番単純で、確実な方法です。でも、昆虫は、一般に紫外線は感知出来ても、赤外線(熱)は感知できないみたいです。まさか、「カマキリだけ例外」は無いでしょうから、可能性3は無しですね。
実際の能力は、ここで論じている程、単純なものではなくて、もっと、高度なようです。

注意)体を揺することによって生じる位相差の動体視力は、無限遠の情報に対しては生じません。体を揺すっても、無限遠の情報は変化しません。しかし、近傍の情報は、大きな位相差を生じます。見える角度が大きく変化します。この変化を検出可能なら、近傍の度合いを抽出可能です。

【指先をクルクル廻してトンボを捕まえる参考動画】
トンボの捕まえ方!うずまきグルグルトンボ取り|Catch a dragonfly」youtube 田舎の えこっぴ さん
https://www.youtube.com/watch?v=C6bEfC6nSSM
トンボは枝先や葉先などの尖った先端にとまる止まる習性を持っています。この習性をうまく利用しているように見えます。ポイントは、スムーズに緩やかに動かすこと、描く円を次第に小さくしていくこと。風で揺れる枝先が止まるように、自然にスムーズに止めること。みたいです。すると、トンボは吸い寄せられるように、指先にとまります。捕まえる手の動きもスムーズです。宮本武蔵は、箸でハエを捕まえたそうですが、殺気を感じさせないスムーズな動きが重要なのですね。『1/f揺らぎ』を持った動作は、背景雑音として無視されるのでしょうか?



参考)空を飛ぶ獲物との合流地点に直行する簡単な方法

複眼を持った昆虫が、空を飛ぶ獲物を捕まえる最も合理的な方法です。
複雑な計算なしで、獲物との合流地点に(最短距離で)直行できます。

出典は忘れましたが、余りにも素晴らしい発想だったので覚えていました。
参考に、それをここに記します。

普通は、「獲物を見つけたら、それを追いかけて捕まえる。」と考えると思います。獲物に直接向かって進みます。

獲物を正面に捉えながら追跡した場合

獲物を正面に捉えながら追跡した場合
獲物を正面に捉えながら、追跡した場合、獲物も動いているので、
結果的に、その移動経路はカーブを描く事になります。
移動距離も大きくなるので、捕獲する為には、よりスピードが要求されます。獲物が早く動く場合、捕獲が困難になります。

対空ミサイルが戦闘機を撃墜する場合の飛行経路です。センサーが標的を正面に捕らえながら、追尾して撃墜します。ミサイルと戦闘機の速度差が大きくない場合は、結局、追尾して撃墜することになります。

でも、この方法には欠点があります。獲物を見つけた場所に辿り着い時には、既に、獲物は前に進んでいて、その場所には居ないからです。結果、赤外線ホーミングのミサイルのように、(獲物を常に正面に捉え、)カーブを描きながら、後を追い掛ける事になります。捕まえる為には、追い掛ける必要があるので、獲物よりも(かなり)スピードが必要です。

獲物と捕食者の移動距離は、大きく異なります。
獲物は、見つかってから捕まるまでの距離を、前に向かって進みます。
一方、捕食者は、大雑把には、まず、獲物を見つけた場所まで、移動する必要があります。次に、獲物が捕まるまでに移動した距離を追いかける必要があります。獲物は、既に、前に進んで、最初見つけた場所にいないからです。

獲物の移動距離 = (捕まるまでの移動距離)
捕食者の移動距離 ≒ (見つけた場所までの移動距離)+(捕まるまでの移動距離)

捕食者と獲物のスピード比は、下記の式になります。

スピード比 = 捕食者の移動距離 / 獲物の移動距離

獲物と捕食者の距離が離れている場合、捕食者は、追い付く為には、かなりのスピードを出す必要があります。捕まえるまでの時間が大きくなればなるほど、その分、獲物の捕まるまでの移動距離は長くなってしまうからです。

動物は、一般に巡航速度の場合、長時間追跡可能ですが、最大速度の場合、瞬発力なので、長時間は困難です。短時間しか持ちません。その瞬発力の後には、長時間の休息、即ち、活動停止が待ち受けています。



この欠点をカバーする方法は、下図のように、獲物との方位角を一定に保ったまま、後ろから同じ方向に向かって進む事です。こうすると、何れ、獲物と合流します。スピードも、獲物よりも少し勝っていれば実行可能です。

未来を予測して合流地点に直行する方法

未来を予測して合流地点に直行
獲物を直接追い掛けるのではなくて、
未来を予測して合流地点に直行する方法です。
とても単純です。難しい計算は不要です。

1. 獲物との視野角を一定に保ったまま、
2. 獲物と同じ方向に進みます。
3. すると、やがて獲物と合流します。
4. 獲物に近づいたら、両眼を使った精密制御に切り替え獲物を捕まえます。

実際の行動を詳細に観察したら、視野角を一定に保つのではなくて、だんだん減少させる、つまり、少しづつ正面で捉えようと行動を調整しているかもしれません。視野角が一定だと、動体視力が発生せず、認識が困難になる為です。視野角が少しづつ減少するように行動すると、より早く合流地点に到達できます。

この方法だと、両眼を使った三角測量で、位置と距離を測定する必要がありません。「獲物の方位角」と「進む方向」だけなので、(動体視力を応用すれば)片眼だけでも実行可能です。
方位角の維持も、とても簡単です。複眼は複数の個眼がお椀状に配置されていますが、この物理的特性を利用して、特定の強く反応する個眼を維持し続けるだけて、結果的に、方位角も維持できます。
もし、獲物が視野の周辺部にいる場合、身体の向きを変え、前方部で捉えるようにすれば充分です。正確に正面で捉える必要はありません。

複眼で方位角を一定に保つ方法

複眼で方位角を一定に保つ方法
複眼の場合、
特定の強く反応する個眼を維持し続ければ、
結果として、方位角は一定に保たれ続ける。

この方法だと、両眼による三角測量が必要なく、片方の単眼だけでも実行可能。
この為、索敵範囲が広くなる。
なお、獲物に近づいたら、両眼を使った精密制御に切り替え捕食。

この為、長距離、広範囲の索敵も可能になります。トンボのように小さな虫の場合、両眼の間隔が狭い為、三角測量の有効範囲は狭く、精々、獲物を捕まえる直前の近距離のみです。とても、遠距離の索敵は不可能です。それに、両眼視できるのは、前方の視野が交差している狭い範囲に限られています。
この方法は、このような両眼視の欠点をカバーしてくれます。

  1. 片眼だけの情報でも、捕食行動が可能。索敵範囲が広くなります。
  2. 遠距離でも索敵が可能。両眼を使った三角測量が不要の為、距離の制限が緩くなります。複眼のような解像度が低い視覚システムでも運用可能です。
  3. スピードが少し早いだけでも実行可能。圧倒的に凌駕するような性能差は要求されません。
  4. 方法が単純である。未来予測という複雑な計算をする必要がない。
  5. 獲物を捕まえる瞬間、つまり、近距離のみ、両眼視で制御精度を上げればよい。
  6. 巡行速度での追跡が可能なので、疲れない。長続きする。

結果的に、合流地点を予測して、そこに一直線で(最短で)向かうことになります。
複雑な計算をすることなしに。

実際、枝先にとまっているトンボを観察していると、風に流されている木の葉を、(獲物と間違えて)捕まえる為に、合流地点に向かって一直線に飛んでいるように見えます。赤外線ホーミングのミサイルのように、飛行経路がカーブしていません。そして、追い付く直前に、獲物でないと分かったら、身を翻して、元の枝に戻って、また待機状態に戻っています。

接近時の獲物とゴミの判別の仕組みが気になります。少なくとも、飛び立った時には、獲物とゴミは識別出来ていない事だけは確かです。動体視力で、視界を横切るものを追いかけているだけのように見えます。そして、接近したら、何らかの別の判断を行っているようです。(実際に飛び立っているので、飛び立った時点では、獲物かゴミかの判断はできていない筈です。)

注)ヘリコプターの空中衝突

この追跡方法は、ヘリコプター同士の空中衝突の原因にもなっています。
互いの飛行経路が直角に交差している場合、スピードも似ているなら、互いに相手の視野角が変化しません。変化しなければ、(背景雑音に紛れて)認識も出来ません。この為に、相手の発見が遅れて、不幸な事故が起こっています。

なお、田んぼなどの広く開けた場所で、道路が交差している交差点でも、この種の出合い頭の事故が、よく起こっています。この場合も、交差点に向かう二台の自動車は、(互いに、斜め45度前方に相手が見えていても、)視野角が変化しない為です。変化しなければ、(動体視力の)認識の対象ともなりません。



アノマロカリスは何を餌にしていた?

話しは戻りますが、しかし、アノマロカリスは何を餌にしていたのですかね。その個眼の数は、現代のトンボに匹敵しており、その解像度は、外見からだけ判断すると、トンボと同程度と思われます。

動き回る獲物を狙うのだったら、トンボのように、前方の視野が交差している必要があります。解像度よりも、立体視を優先した方が有利なように思えます。
口の形状も、咬みつくようには出来ていません。下方向に曲がった鎌ですくい取って、口に押し当てていたように見えます。

それとも、古生代の動物は、まだ、運動能力が未発達だったので、あの程度でも充分だったのでしょうか。狩る者と、狩られる者の関係は、軍拡と同じで、あくまでも相対的な問題に過ぎません。

それとも、個眼の数の増大は、遺伝子のコピーと重複で意外と簡単に解決できます。最初は、明るさだけを検知する個眼が1個だけでしたが、その個眼の遺伝子を複数コピーして重複させれば、複眼に辿り着くのは比較的簡単です。一旦、増えると、さらに増やす事は、さらに簡単です。

それに対して、二つの複眼間の情報連携は、基本的仕組みの開発が必要です。簡単には解決出来ません。とりあえず、簡単に解決出来る方法(個眼の増大=複眼の形成)を力技で発達させたのでしょうか。

この辺りは、コウモリの進化が参考になります。コウモリは、急速に進化したみたいです。中間の化石が見つかっていません。最古の化石は、既に、空を飛ぶ為に完璧な姿をしていました。それ以後の形状の進化は、尻尾が短くなることぐらいでした。

尻尾が長いとグライダーと同じで、飛行形状が安定するので、比較的簡単に操縦できます。の下に長い尻尾を付けるのと同じ理屈です。素人でも、少しの練習で操縦できるようになります。ただし、ムササビのように滑空飛行しかできません。
一方、現代の戦闘機のように、尾翼が短いと、形状が不安定なので、操縦が難しく、訓練もたいへんです。その代わり、腕さえあれば、様々な曲芸飛行が可能になります。形状が不安定な分、逆に姿勢を変えることも簡単だからです。宙返りや急激な方向転換などの戦闘行動が可能となります。
垂直尾翼を持っていないステルス機の場合、飛ぶこと自体が困難です。もはや、人間の運動神経では操縦できません。この為、コンピュータの補助で飛んでいます。それを考えると、垂直尾翼を持っていない鳥は凄いですね。運動神経だけで飛んでいます。水平の尻尾を微妙に捻りながら姿勢を制御しています。

飛行形状と運動特性

飛行形状と運動特性
グライダーは、尾部が長いので、飛行形状が安定しています。この為、少しの訓練で操縦できるようになります。ただし、滑空飛行しかできません。

戦闘機は、尾部が無く、飛行形状が不安定です。操縦する為には、相当の訓練が必要です。ただし、飛行形状が不安定なので、逆に姿勢を変更し易い特徴があります。この為、腕さえあれば、様々な曲芸飛行が可能です。つまり、ドッグファイトが可能です。

コウモリも、戦闘機同様、尾部が無いので、飛行する為には、優秀な飛行制御用コンピュータ(神経組織)が必要です。ただし、それ故、制御さえ可能なら、戦闘機同様、俊敏な動作が可能です。姿勢の変更が容易なので、餌である蛾の動きに俊敏に追従できます。
最初期のコウモリは尻尾が長く、(グライダーと同じで)滑空飛行に向いていました。逆に、姿勢を変えるのが困難なので、空を飛ぶ蛾を捕らえることは困難だったと思われます。何を餌にしていたのでしょう?。

ステルス機は、コウモリと同じで、垂直尾翼を持っていません。理由は、(垂直尾翼は)レーダーを反射し易い為です。この為、操縦がとても難しく、人間の運動神経では飛ばすことができません。コンピュータの補助で姿勢制御を行っています。
それを考えると、コウモリが、あの形状で空を飛べる事、しかも、飛んでいる蛾を捕獲出来る事は驚異的です。

鳥は、グライダーと戦闘機の中間です。基本は滑空飛行ですが、結構、曲芸飛行も可能です。

現代のコウモリも尻尾が短いので、俊敏な姿勢制御が可能です。ほぼ、直角に曲がっているように見える時さえあります。尻尾が長いと、このような飛行は不可能です。グライダーのような慣性飛行しかできません。
なお、その代償として、尻尾が短いと、制御が難しいので、優秀な飛行制御用のコンピュータが必要になります。

コウモリの長い進化の歴史は、外見上は、尻尾が短くなった事だけです。しかし、その背後では、化石に残らない飛行制御用コンピュータとレーダー(エコロケーション)の進化が隠されているようです。両方とも、神経組織の進化です。化石に残りません。その改良に時間が掛かったみたいです。

この改良によって、空を飛ぶ虫の捕獲が可能になりました。外見上は、ただ単に、尻尾の長さの変化に過ぎなかったのですが。

コウモリの餌になっている蛾の中には、コウモリの超音波を感知すると羽ばたきをやめ、自由落下に身を任せて回避する種がいます。コウモリは羽ばたいているので、下方向に羽ばたいて、その反動で上方向には姿勢を変えることができますが、逆に、上方向には羽ばたけないので、下方向へは追随できません。羽ばたきを止めても、体の大きさが違うので、空気の粘性の為、追随できません。蛾は羽ばたきを止めた瞬間に、体が小さいく、空気の粘性の影響を強く受ける為、前への推力が急速に失われ、そのまま下に落ちます。まるで、紙吹雪が舞うみたいに。でも、コウモリは体が大きいので、(空気の粘性に打ち勝って、)弾道飛行で前に進んでしまいます。

このような自由落下でコウモリを回避する蛾に対抗する為、羽を閉じ、姿勢を下向きに変え、F1カーのように、空力特性を逆利用して急降下することができる種が現れるのは何時のことでしょうか?。(ハヤブサは獲物を襲う時、(上空から)羽を閉じて急降下しています。)
それとも、知らないだけで、もう既に存在しているのでしょうか?

なお、羽を閉じないと、想定外の方向から力が加わるので、羽が壊れてしまいます。飛行機にしろ、鳥、コウモリにしろ、空を飛ぶものは、軽く作る必要があるので、強度計算はいつもギリギリです。必要以上に頑丈に作ると、重くなってしまって、飛ぶのに不利になってしまいます。



仮想空間へのマッピング

両眼視による空間認識の為には、「仮想空間へのマッピング」という情報の主体化が必要です。情報の仮想化処理が必要になります。

コウモリは元々(視覚情報で)基盤があったので、エコロケーションの改良は比較的スムーズでしたが、古生代のアノマロカリスは、始めての事態です。今までは、二つの複眼間の情報連携なんて、進化の歴史の中では必要ありませんでした。それ程、(自分も獲物も)高度な運動能力を獲得してはいなかったからです。

初期の動物の場合、感覚器官と運動器官は直結していたと思われます。

最初期の動物の行動様式

最初期の動物の行動様式
最初期の動物の場合、感覚器官と運動器官は直結されています。

例えば、温度センサーを持ったクラゲの場合、直前の情報と比較して、不適切な温度(高温、低温)に変化する場合、運動方向を変えることによって、自己にとって不利な状況を回避できます。
点情報と、動体情報処理(直近と現在の比較)によって、行動を制御できます。
アノマノカリスの行動様式も、まだ、この段階ではなかったかと思われます。

眼を前方に配置して、立体視を可能にするには、今までにない画期的変革が必要になります。ただ単に、前方に配置しただけでは、立体視はできません。二つの複眼間での情報連携という全く新しいシステムの開発が必要になります。

空間認識と、そこへの情報統合が必要になります。一旦、両眼の情報を仮想空間領域に投影して、そこから行動と結びつける必要があります。感覚器官とその行動の間にワンクッション入ります。見えない部分で、結構、時間が掛かります。アノマロカリスの複眼が、横に付いていたのは、そして個眼の数が現代のトンボに匹敵しているのは、このような単純な理由かもしれません。
つまり、個眼の数を増やすだけなら、遺伝子のコピーと重複だけなので、簡単に実現可能。

空間認識と行動の手順

  1. 感覚器官の信号を、仮想空間へマッピング
  2. 仮想空間にマッピングされた情報で、行動を起こす。

この仮想空間へ、視覚情報だけでなく聴覚情報もマッピングすれば、行動自体は、仮想空間の情報に基づいて行われるので、(コウモリやイルカのように)フレキシブルな制御が可能になります。

洞窟などに棲む昆虫は、視覚情報で空間認識を作り出す事が困難なので、長い触角を利用して、仮想空間に情報をマッピングして、空間認識を作り出しているようです。

時空認識を持った動物の行動様式

時空認識を持った動物の行動様式
時空認識を可能とする為には、情報の仮想化の処理過程が必要です。つまり、主体化作業が必要になります。

外部感覚器官から得られた情報を、一旦、仮想空間にマッピングする必要があります。そして、具体的行動は、このマッピングされた仮想情報に基づいて行う必要があります。

一度、仮想空間へ投影される仕組みが確立されたなら、他の感覚器官からの情報、例えば、コウモリやクジラのように、音信号も、この仮想空間へ投影することは、比較的簡単になります。エコロケーションは比較的簡単に実現できます。投影後の行動を起こす部分は共通している訳ですから。

なお、仮想空間の構成形式は、我々人間が持っている時空認識の構成形式に拘る必要はありません。
数学的には、4つの独立変数を含んだ形式なら、ある程度の自由があります。4つの独立変数とは、空間に関するものが3つで、時間に関するものが1つです。これが、数学的に純粋に分離されている必要はなく、生存形態と密着した最も合理的な、コストの低い方法で実現されていれば、即ち、『生きる(自己保存)』という目的が達成されるなら、何の問題もありません。

脊椎動物の場合は、仮想空間の構成形式を、人間と同一視しても、さほど問題にはならないと思います。しかし、昆虫の場合は、同一視すると、大きな誤解を生じさせる可能性があります。神経組織の容量が少ないので、余分な物をショートカットして、大胆な最適化が行われている可能性があります。

注)我々人間でも視覚障害者は、聴覚情報を仮想空間にマッピングして行動することができます。周辺の騒音やその反響から、前方の障害物をある程度把握できるみたいです。もちろん、コウモリやクジラ程、高性能ではありませんが。クジラの場合は、潮目(暖かい水と冷たい水がぶつかり合っている場所)を、音波の屈折から、ある程度認識できているみたいです。潮目には、大量の餌(魚)がいます。潮目を見つけることは、漁師と同じで、餌を見つけることです。
普通の人間は視覚に頼り切っているので、この能力はあまり発達していません。せいぜい、音のした方向に振り向くのがやっとです。



結論:要は開発時間が足りなかった。

アノマロカリスの眼が横に付いてのは、そして、物理的に立体視が出来なかったのは、開発時間が足りなかった為と思えます。

個眼の増加だけなら、繰り返しで対応可能ですから、ヒトデの足や、環形動物の体節のように、遺伝子のコピーと重複で可能です。ボディパーツのコピーと連結で可能です。昆虫たちの体節のように、重複の後で各体節を大改造することで、つまり、余分な器官は退化させることで、新しい領域に進化することも可能です。未知からの新しい開発は不要ですから、時間も掛かりません。
そこにあるのは、重複化と、分業、改良、特化です。そして、余分な機能の退化です。革命的変革はありません。生物は命が懸かっているので、いつも保守的です。

根本的解決にはなりませんが、分解能は上がりますから、より、繊細な制御は可能となります。とりあえず、単純な力技で解決したのでしょうか。

軍拡は、所詮、相対的問題に過ぎません。絶対的性能は要求されません。相手よりも少し勝っていれば、それで充分です。具体的には、運動能力が未発達な古代世界では、立体視ができなくても、分解能が勝っているだけでも優位に立てます。



クマバチのホバリング

クマバチは、空中の一点に静止して、ホバリングすることが可能です。これは、動体視力の逆応用と思われます。時間的コントラストを認識の対象としています。)
両眼を使った三角測量によって、空間位置を認識しているのではないと思われます。

動体視力は、直前の信号と、今の信号を比較することによって、信号が強くなっているか、弱くなっているかで、動きを検出する仕組みです。
クマバチは、無限遠からやってくる信号(背景情報)の動体視力が発生しないように飛行を制御している、つまり、背景情報について動体視力が発生したら、それを打ち消すように飛行制御できるなら、空中の一点に留まり続けることが可能となります。

本来の意味での動体視力の逆応用です。本来は、自分の近い位置に存在する獲物の動きを検出する仕組みです。この場合は、逆です。自分から遠い位置にある背景からの信号の動体視力が発生しないように制御しています。
獲物が動いても、自分が動いても、動体視力は発生します。

両眼を使った三角測量によって空間位置を認識しているのなら、複眼が離れていない為、また、複眼の仕組みから、解像度が低いので、遠い位置の検出は難しいと思われます。クマバチは、何もない、枝葉から離れた位置でもホバリングしています。体の向きを変えても、ホバリング位置は変わりません。(加速度センサーも併用していると思われます。)

【参考動画】
クマバチの停空飛翔(ハイスピード)」youtube 川邊透・昆虫エクスプローラ さん
https://www.youtube.com/watch?v=Ag0ckCSmGqk
【参考動画】
クマバチのホバリング」youtube iwan0730 さん
https://www.youtube.com/watch?v=OJxsEODLhNk

8.8.5 昆虫の視神経の階層構造について

昆虫たちの視神経の組織は、いくつかの階層に分かれています。

これらの階層毎に、夫々、何らかの『状況の主体化』が行われている。即ち、『生きることと結びついた情報への加工』が行われていると思われます。一気に、情報の主体化が完了する訳ではないので、順次、部品を組み立ていくように、情報を分解し、分析し、そして、統合しながら、処理されていると思われます。それが、解剖学的には視神経の階層として観察されているものと思われます。即ち、状況の主体化の階層構造が、視神経の解剖学的階層として観察されているものと思われます。

例えば、人間の視覚野の神経組織は、漫然と処理されているのではなくて、点に反応する神経細胞、線に反応する神経細胞、平行線に反応する神経細胞等のように、状況が主体化されて、夫々の意味を持った情報に、特定の神経細胞が反応しています。

まず、点の情報が主体化され、次に点の情報の連なりとして、線の情報が主体化されます。その線の情報がさらに加工され、平行線の情報が主体化されます。このような主体化の積み上げによって、最終的に複雑な情報の分析が可能となっています。2つの眼の模様に反応する神経細胞とか、人間の顔を認識している神経領域とかになります。情報が基本的なものから、複雑なものへと主体化され、積み上げられています。
その外見は、ある特定の神経細胞の活動として観察されます。神経細胞のひとつひとつが、特定の主体化に関与しているように見えます。
その姿は、トランジスタなどの半導体と言うよりは、半導体の集合であるマイクロプロセッサに似ているように見えます。一個の神経細胞は、一個の小さなコンピュータです。その小さなコンピュータが複数集まって、並行処理が行われています。

複眼を持った昆虫たちは、生きる為に、どれだけの情報を主体化によって、抽出する必要があるのでしょうか。人間の常識に拘ることなく、昆虫たちの生活様式を観察する必要があります。

点情報の主体化

まず、最初に思いつくのが、点情報の主体化です。

複数の個眼にぼんやりと投影されている情報から、最も強く反応している個眼を抽出する作業です。この状況の主体化によって、点情報、つまり、発光源の方位が分かります。

点情報が主体化できれば、脊椎動物の眼のように、網膜上に映像を投影したのと理屈は同じになりますから、それ以後の情報処理は、脊椎動物と同じでもいいようにも思えますが、昆虫たちの生活スタイルから想像すると、必ずしも同じではないと思われます。関与する神経細胞の数が、相対的に少ないからです。何らかの形で、特定の状況に特化したショートカットと最適化が行われていると思われます。

昆虫たちの適応戦略は、小型化、ある特定の環境への特化です。小型化すれば、自分が生きていく為の生活の場の確保が簡単になります。小さな日溜まりでも、充分に暖かい場所として生存に活用できます。
そして、特定の環境の特化することによって、生活スタイルも単純化できます。その行動様式も単純化されて、情報処理も、その特定の状況にだけ対応ばいいので単純になります。
多様な環境への適応は、種を分割すれば可能になります。ひとつの種で、多様な生活の場に適応するのではなくて、発想を変えて、種を分割し、個々の種は特定の狭い生活の場に適応し、結果として、全体は、広い生活の場に適応しているように見えます。

脊椎動物のように、ひとつの種を保ったまま大型化して広い生活の場に適応しようとしたら、情報処理も、様々な局面に対応可能なように、汎用化して大袈裟になります。その良い例が、人間です。人間の場合、様々な局面に対応する為に、処理が抽象化、汎用化されて大きな脳になっています。環境を、『時間、空間、物質』という抽象概念の組み合わせとして理解しています。

昆虫たちは、ここまでの抽象化と汎用化は必要ないと思われます。要は、生きていければいいだけなので。トンボは、獲物を捕まえればいいだけなので。処理をショートカットして、この目的の為だけに特化すればいいように思われます。

線情報の主体化

トンボは、細い枝先や葉先に止まっていますから、線情報は何らかの形で主体化され、認識されていると思われます。

しかし、この情報も、他の情報同様、ある特定の状況に特化され、ショートカットされているかもしれません。人間の時空認識のように、汎用化されているとは思えません。

図形、面情報の主体化

彼らの生活環境の中で、これらの情報の主体化が何処まで必要か思い当たりません。生活に必要なければ主体化はされません。生きることに関係ない情報は、雑音として無視されます。

ただ、ミツバチの場合は、直線で構成された図形と複数の面で構成された数を結びつける訓練が可能なようです。図形と、面の数は認識できて、この2つの情報を結びつけることは可能なようです。この結果は、半信半疑ですが。

彼らの生活において面は、花を意味しているのでしょうか。だとしたら、その花の個数が、同時に数個程度までは認識可能なのかも。もちろん、認識可能と言っても、人間と同じような数の概念を持っている訳ではなくて、行動と結びつけることが可能という意味です。

図形は、花の模様、又は、花の筋を意味しているのでしょうか。花の模様は、線情報の組み合わせ的な性質、即ち、直線から構成された図形的な性質を持っています。蜜の場所を指示しています。

この2つの情報が主体化されて、認識可能なら、それを生きることと結びつけることも可能なのでしょうか?彼らの生活をもっと詳細に観察して、彼らの生活と密着した情報をテスト対象に選べば、即ち、人間の先入観を無視すれば、もっと、効率的なテストが可能かもしれません。
人間にとって単純な図形が、動物にとって、認識し易い情報とは限りません。生活と密着した情報が、認識し易い情報です。外見的に複雑な情報であっても、生活と密着していれば、判断材料も多くなりますから、逆に識別し易い情報になる可能性もあります。

いずれにしても、ある特定の状況(生きる事と密接に結びついた環境)に特化した(ショートカットされた)能力は持っているみたいです。

目玉模様の主体化

脊椎動物の視覚系は、目玉模様を主体化しています。この主体化された情報に対して、特異な忌避行動を取ります。それゆえ、昆虫たちの羽や体の模様には、目玉模様を持ったものが多く存在します。相手を嫌がらせて、捕食されることを避ける為です。

では、肝心の昆虫たちの神経組織は、この眼玉模様を主体化しているのでしょうか?
残念ながら、これを推測するデータは、まだありません。ただ、昆虫たちの行動を観察していると、目玉模様に反応しているようには見えません。昆虫同士の威嚇行動でも、目玉模様が使われている形跡がありません。だから、この情報は主体化されていないかもしれません。

ただ、昆虫同士の争いでも、頭と首などの急所を狙ってくるので、何らかの形で、頭部の情報は主体化されているものと思われます。それが、目玉模様が根拠になっているかどうかは分かりません。

昆虫が持っている目玉模様は、主に、鳥などの脊椎動物用に思えます。

時空間の主体化

時空認識を作り出す為には、複眼間の情報連携が必要です。

もちろん、人間と同じような時間と空間の認識を持つ必要はありません。行動と結びつけることができれば、それで充分です。その結び付け方は、目的さえ達成できればいいので、ある程度の自由度があります。

二つの複眼間の位相差を、行動と結びつけることができるなら、目的を達成できる可能性があります。動体視力だけでは、不充分です。

8.8.6 ハエトリグモの視覚システム

ハエトリグモの時空認識です。
余りにも巧妙な仕組みだったので、ここで取り上げます。

ハエトリグモの眼は、(昆虫のような)複眼ではありませんでした。我々人間のように単眼で、網膜上に投影する仕組みでした。しかし、その仕組みは大きく異なっていました。
そもそも、クモは昆虫では無くて、サソリの親戚でした。

眼の構造が大きく異なっていました。網膜が四層構造になっており、この四層構造で時空認識を行っていました。「こんな方法も有りなのか」と、余りにも想定外の巧妙な仕組みに思わず唸ってしまいました。

眼の数も異なっていました。全部で八個。前面の大きな二個の眼は攻撃用。側面に索敵用の六個の眼を持っていました。内、二個は退化しているみたいです。
距離の認識も、両眼視ではなくて、網膜四層を使った認識でした。だから、片方の眼だけでも可能でした。

  1. ハエトリグモは、複眼では無かった。(人間と同じように、網膜に投影するタイプ。)
  2. 片方の眼だけでも、距離と方位の測定が可能だった。(両眼視する必要が無かった。)
  3. 眼は全部で八個ある。
    1. 前方の大きな二個の眼は攻撃用。視野角は狭く、獲物との距離方位を正確に認識。
    2. 側面の小さな四個の眼は索敵用。視野角が広く、動体視力に優れている。
    3. 側面の残り二個は退化。
  4. 前方の大きな攻撃用眼は網膜が四層になった特殊な構造で、片方の眼だけでも距離の認識が可能でした。両眼視による距離認識は必要ありませんでした。

実際のハエトリグモの捕食行動は、下記の動画を参照下さい。
特に前方の大きな二つの眼に注目して下さい。この二つの眼は離れていません。ほとんど接しています。こんな小さな体に、こんな大きな眼を搭載したら当たり前ですが、これでは、三角測量の要領で、両眼視によって距離を測定することは困難です。ほとんど、(左右の両眼間で)位相差が生じません。

獲物に飛び掛かる位置とタイミングにも注目して下さい。多くの場合、体長基準で、1~2倍の位置に獲物が来たら飛び掛かっています。これが、彼らの「(攻撃の)間合い」のようです。実際、(動画 2分35秒)画面上のマウスを追い掛ける場合も、体長の2倍程度の位置でマウスに飛び掛かっていました。それ以上離れている場合は追尾行動でした。

参考動画)ハエトリグモの捕食シーンまとめ集!
https://www.youtube.com/watch?v=imnfOLYr99Y
ハエトリフィルム さんの動画です。
コンピュータ画面上のマウスを追い掛けるシーン (2:35)

主体化すべき情報

ハエトリグモは捕食動物です。生きる為に、獲物を捕まえる必要があります。索敵と攻撃が重要です。この為に、視覚情報と捕食行動を結び付ける必要があります。即ち、(生きる為の)情報の主体化が必要です。

索敵は側面の四つの眼を使って行っているようです。動体視力に優れています。攻撃は前方の大きな二つの眼を使って行っています。これからの話は、この前方の攻撃用の眼の情報の主体化です。

この攻撃の為には、二つの情報を主体化して、抽出する必要があります。外部感覚器官から得られた情報を、攻撃行動と(直接)結び付いた情報に変換する必要があります。この変換処理、即ち、生きる事と直接結びついた情報を作り出す作業を、情報の主体化と呼んでいます。

その二つの情報とは、獲物の方位と、飛び掛かる位置です。獲物を見つけたら、慎重に近づく必要があります。遠すぎると、飛び掛かれないからです。でも、近づき過ぎたら、気配を察知されて逃げられてしまいます。身体能力ギリギリの位置で飛び掛かる必要があります。
これは、ハエトリグモだけの問題ではありません。人間もカマキリも同様です。間合いに入った瞬間に攻撃する必要があります。

  1. 獲物の方位。
  2. 攻撃の瞬間。(間合い)

大切な事は、攻撃を行う瞬間の位置を主体化することです。この瞬間に攻撃すれば狩りは成功します。我々人間が持っている時空認識の常識は必要ありません。獲物との距離(数値)を算出する必要はありません。人間と同じような時空認識を持っていなくても、狩りさえ成功すればいいのです。結果オーライです。

狩りを確実に成功させる為には、出来るだけ近付く必要があります。でも、近付き過ぎると、相手に察知されて逃げれられる可能性が高くなります。かと言って、遠過ぎると獲物に届きません。攻撃のタイミングは、遠過ぎず、近過ぎず、一瞬しかありません。間合いに入った瞬間しかありません。飛び掛かるその一瞬を主体化出来れば狩りは成功します。ハエトリグモの視覚システムは、この一瞬に特化しています。

注)ハエトリグモの物理的制約と切実な要求仕様

そもそも、ハエトリグモの前方の大きな二つの眼は離れていません。接しています。だから、両眼視による三角測量の要領で、距離を測る事は物理的に極めて困難です。無理に実装しても、精度が落ちます。このような物理的欠点を克服した実に素晴らしい視覚システムでした。
(ハエトリグモの物理的制約と要求仕様)
1. 体が小さい。
2. この為、両眼を離して配置できない。三角測量の要領での距離の算出が物理的に困難。
3. でも、索敵と攻撃の為に、眼は大きくしたい。感度を上げたい。
4.余り複雑なハードウェアは実装できない。出来るだけ簡単な仕組みで(生きる目的を)達成する必要がある。(体が小さいから。)



ハエトリグモの眼の構造

前方の大きな攻撃用眼の構造です。
人間と同じように、レンズと眼球から構成されています。

レンズは大きく、しかも、体に固定されています。しかも、離れていません。接しています。この為、両眼視による三角測量で距離を推測するのは極めて困難です。

眼球は、奥が深く円錐状になっており、もはや球とは呼べない形状です。その網膜は四層になっています。しかも、動くので、見る方向を変えることが出来ます。体が小さい為の苦肉の策。物理的制約からレンズは動かせないので、体内の眼球だけを動かして見る方向を変えています。

この辺りの事情は、下記の動画を参照下さい。
参考動画1)Yellow amycine jumping spider, Reserva Canadé, Ecuador
https://www.youtube.com/watch?v=Yvz7NVAnKY4
wmaddisn さんの動画です。

参考動画2)Close-Up Video of Transparent Jumping Spider Captures Its Tube-Like Eyes Moving
https://www.youtube.com/watch?v=gvN_ex95IcE
Storyful Viral さんの動画です。

頭部が透けて見えます。円錐状の眼球の動きを観察できます。

ハエトリグモの眼の構造

ハエトリグモの眼の構造
正面の攻撃用眼は大きく、しかも、離れていません。だから、両眼視による三角測量で距離を推測することは極めて困難です。

レンズは厚みを変える事が出来ないので、ピントの調整はできません。
この為、獲物に近づくと、その焦点位置が前方から後方に向かって移動します。最初は第一層にピントが合います。次が第二層です。
多分、第三層にピントが合った瞬間が、攻撃のタイミングです。
第一層、二層は、攻撃の為の準備です。忍び寄り用です。
第四層は近づき過ぎ補正用です。情報は、+-両端から補正する必要があります。

このような構造の為、片眼だけでも捕食行動が可能です。(片目だけでも、)「方位」と「攻撃の瞬間」の情報が主体化出来る為です。

レンズは厚みを変えることが出来ないので、獲物に近づくと、焦点が前方から後方へと、だんだん後ろに移動します。最初は第一層、次が第二相へと移動します。多分、第三層にピントが合った瞬間が攻撃のタイミングです。
第四層は、近づき過ぎ補正用です。情報は、一般に、+-両端から補正する必要があります。前三層だけでは、近づき過ぎた場合の補正が出来ません。この為、攻撃準備の為に前二層、攻撃の為に第三層、近づき過ぎ補正用に第四層の全部で四層構造になっています。この構造の為、片眼だけでも捕食行動が可能です。両眼視の必要がありません。

ハエトリグモは体が小さく、余り複雑なハードウェアは実装出来ません。厳しい制約条件の中で、実に巧妙な仕組みです。最初に述べた二つの情報、即ち、「獲物の方位」と「攻撃の瞬間(間合い)」を主体化して捕食行動を行っています。
人間のような時空認識で、獲物との距離を算定している訳ではないみたいです。発想の転換、思わず、「う~」と唸ってしまいます。誰が考えたのでしょうか?。こんな巧妙な仕組みを。余分なものを全て捨て、「攻撃の瞬間(間合い)」にだけ特化しています。

人間のようにレンズの厚みを変えることによってでは無くて、網膜を四層にすることでピント合わせを行っています。体が小さい為に、レンズの厚みを変更する仕組みを実装出来ない為です。

疑問)ハエトリグモは脱皮によって、体の大きさと、ジャンプ力等の身体能力が変化します。この脱皮成長と視覚システムが、うまくリンクしているのが不思議です。多少の誤差は生じそうなものなのに。(結果)誤差調整の為の何らかのフィードバックシステムが存在しているのでしょうか?

生物の仕組みは、精巧そうに見えて意外と大雑把です。目的と結果を比較して、結果が目的に添うように、(出力を調整する)フィードバックシステムによって辻褄を合わせています。だから、環境変化にも柔軟に対応出来ています。
制御されているのは、仕組みや手続きでは無くて、目的と結果です。

ピントの検出方法

どの階層の網膜にピントが合っているかを検出する方法は、各網膜に投影される像の大きさを比較することで可能です。ピントが合っていないと、ぼんやりとした像になりますから、像は大きくなります。ピントが合うと最小になります。
第三層が最小になった位置が、攻撃の瞬間です。

攻撃の瞬間 ( 第一層の像の大きさ 第二層 第三層 第四層 )

注)攻撃の瞬間は、第三層の像が最小になったタイミングです。
注)この方法だと、距離自体の測定精度は、かなり低くなる。飛び掛かるタイミングを検出するのがやっとです。でも、生きる上では、これで充分です。

注)実際に獲物に飛び掛かるタイミングは、自分の体長の2~3倍以内に近づいた時でした。この近辺の距離空間が、自分の生きる事と密接に関係しているので、最も最適化されているのでしょう。

ちなみに、赤色光の部屋で実験すると、獲物の手前に落ちて失敗するそうです。
光は青の方が屈折率が高く、赤になるほど低くなります。つまり、赤色光の部屋では、(屈折率が低いので)焦点の位置が後ろにずれます。
この為、攻撃のタイミングである第三層にピントが合うタイミングが早くなります。即ち、まだ遠いのにピントが合って、「攻撃の瞬間」が訪れます。この時に飛び掛かると、ジャンプ力が足りなくて獲物に届きません。つまり、手前に落ちます。

注)距離測定の精度が低いので、(網膜を四層にすることで獲物との距離を算定しているので、)ジャンプ力の微調整の精度は余り高くないと思われます。そもそも、主体化されている情報は「距離」では無くて、「飛び掛かるタイミング」です。

獲物に逃げられた時

獲物の接近している時に、逃げられてしまった場合の行動です。

まず最初は、その場に立ち止まって、体の向きをクルクルと回転させます。
多分、視界からロストした時に、獲物を正面に捉え直す為の行動と思われます。

次に、ウロウロと辺りを動き回って探索行動を開始します。獲物をロストした位置の近辺をうろつき回ります。

やがて、諦めて(一直線に)別の方向に向けて移動を開始します。

  1. 獲物を正面に捉え直す。
  2. 索敵の為に、うろつき回る。
  3. 諦める。

実に、合理的な行動です。あれだけの小さな体に、良くあれだけのプログラムを組み込めたものだと感心しました。特に、「諦める」が謎でした。どのようにプログラムされているのでしょうか?。

何を手掛かりにして索敵している?

何を手掛かりにして獲物を索敵しているか謎です。

ひとつ確かなことは、動く物を獲物だと判断することです。動体視力による検出です。この仕組みは理解出来ます。視覚システム上に様々な位相差やコントラストが発生するからです。
実際、コンピュータ画面上のマウスの動きにも、飛び掛かって捕食行動を行います。

ところが、動かない物にも近づいています。
ある時天井を眺めていたら、10cm以上も離れているのに、(動かない獲物に)一直線に近づいていました。この時は、残念ですが、5cm位にまで近づいた時に逃げられてしまいました。
(自分には感知できない)生き物の気配を感知しているのでしょうか?。微小振動とか、熱や匂いとかの?

死んだ獲物にも近づきます。
部屋にハエ取り紙を設置しています。結構、コハエが取れています。なんと、そのハエ取り紙に、ハエトリグモも掛かってしまったのです。ハエは死んでいるので動きません。生き物の気配は完全に無くなっている筈です。何を手掛かりにして近づいたのでしょうか?。明暗のコントラストを手掛かりにしたのでしょうか?
それとも、うろついている時に、運悪く事故に遭っただけなのでしょうか?

  1. 動く物
  2. 生き物の気配 ?
  3. 明暗のコントラスト ?

謎です。

複眼と単眼と個眼

眼の名称に関する話題です。
「単眼、複眼、個眼」と三種類の名称を(生物学では)使い分けています。ややこしいですね。

単眼は、人間やハエトリグモの眼のように網膜を持った眼です。

個眼は、複眼を構成している基本単位です。各個眼は一個の集光レンズと一個の視覚細胞より構成されます。従って、感知できる情報は、光の強さのみです。原始的な動物の視覚システムは、ほとんどが、これです。体中に配置された光受容細胞が光を検知しています。

複眼は、昆虫たちの眼です。複数の個眼から構成されています。各個眼がお椀状に配置されていて、その向きは夫々異なったいます。この向きの違いで、空間分解能を作り出しています。

視覚システムの基本は個眼です。光の強さだけを感知できます。
この個眼の視覚細胞を複製して平面上に配置すれば網膜の出来上がりです。
個眼システム自体を複製してお椀状に配置すれば、昆虫の複眼になります。

原則は複製ですが、その複製の単位と方法が、単眼と複眼では異なっています。

参考1)孫氏の兵法

孫氏の兵法は、非常に単純な考え方から構成されています。不思議な事に、今西錦司と共通部分があります。

孫氏の兵法では、国が生き残る』という目標を設定して、その為に何をすべきかを説いています。
誤解されていますが、殴り合いの戦争に勝つ兵法書ではありません。(クラウゼヴィッツが説くような戦争論ではありません。)国が生き残る為の指南書です。

実際の殴り合いの戦争は、勝っても負けても国力を消耗します。戦争は、ともかく金が掛かります。金だけでなく、人も物資も消耗します。動員した農民兵が死ぬと、古代国家唯一の富の源泉である農業生産にも重大な影響が出てしまいます。そのような消耗した時に、別の他国から攻められたらアウトです。

だから、孫氏の兵法では、「殴り合いの戦争に勝つ。」ことが上策とは説きません。勝っても負けても国力を消耗するからです。「国力を消耗しないで勝つ。」、即ち、「戦わずして勝つ。」ことが、最も上策だと説きます。国力を維持できるからです。
繰り返しになりますが、設定されている目標と目的は『国が生き残る』です。これを達成する事が最優先事項です。

今、話題にしている生物の世界も、まさしく、この孫氏の兵法の世界です。
生物にとって、最も重要な事は『自己保存』、即ち、『生きる』ことです。環境と自己との関係を、自己にとって都合のいい『ある一定の状態』に保ち続けることです。(環境と、戦う事ではありません。)

「その為に、何をしなけてばいけないか?」「目的を達成する最も効率のいい方法は何か?」が課題になっています。

全ては、『生きる』、即ち、『自己保存』という目的を達成する為です。プロトコルは、二の次です。

孫氏の兵法の誤解

孫氏の兵法は、哲学者や思想家、宗教家が喜ぶような難解な絶対的価値観を説いている訳ではありません。
又、殴り合いの戦争に勝つ為の指南書でもありません。
又、性悪説の人が、「ついに孫氏の兵法の神髄を手に入れた」と小躍りしてしまう『詐道』を説いている訳でもありません。『詐道』は、テクニカルな手法として説かれているに過ぎません。『詐道』は、使い方を誤ると大きな副作用を伴います。目的達成に有害です。

「国が生き残る為には、何をしなければいけないか。」を説いています。そして、ここに哲学者たちの誤解の原因が潜んでいます。「何をしなければいけないか」は、置かれている状況によって異なります。目の前の現実は、自分の都合を無視して刻々と変化します。この為、その手段も刻々と変わります。(置かれている)現実あっての手段だからです。

現実は、自分の都合を無視して、常に、勝手に変化しています。
それ故、目標に至る手段も、刻々と変わります。

でも、それは彼らにとっては、場当たり的ノウハウ集に見えてしまいます。絶対的価値観に根差した信念がないように見えてしまいます。軽薄な現実主義に見えてしまいます。孫氏についての批判の多くは、これが原因です。

戦略家には涙が出そうな程、貴重な書物ですが、思想家には、孔子のように徳を説いる訳でもなく、或いは、マルクスのように絶対的価値観を説いている訳でもなく、「こうゆう場合には、こうしろ。ああゆう場合には、ああしろ。」と状況毎の対応策を説いているので、内容に統一性が無く、軽薄な場当たり的ノウハウ集に見えて仕舞っています。

彼らは現実に目を向けないで、『絶対的価値観』という空想にしがみ付いています。その空想を現実だと錯覚して、手段を選択するので、いつも結果は悲惨です。

理論的空想と現実の区別が付いていません。失敗するのは、当たり前です。現実に基づかない行動は、それがどんなに宗教的真理、哲学的真理であっても、「現実に基づかない」という、だだその一点の為に破綻します。それが、宗教家や哲学者たち思想家の欠陥です。

参考までに、孫氏とマルクス、孔子の発想の違いを図解します。

孫氏とマルクス、孔子の違い

孫氏とマルクス、孔子の違い
一目瞭然ですね。なぜ、マルクス、孔子が失敗したか!
失敗の原因は二つです。
1. 理想を掲げた事。(実行可能な具体的目標でなかった。)
2. 絶対的価値観や教義、徳に基づいて行動を起こした事。(現実から目を背けた。)

理想は、空想です。実行可能な具体的目標ではありません。目標設定が曖昧な計画は成功する筈がありません。

絶対的価値観や教義、徳は、現実ではありません。仮想現実です。「現実はこうだ。」と仮定しているに過ぎません。現実に基づかない行動が破綻するのは、当たり前です。

一方、孫氏は単純です。目的は「国が生き残る」です。具体的です。
現実は、常に、予測不可能に、変幻自在に変化します。しかも、置かれている立場によっても変化します。
従って、現実から目的に至る手段も、臨機応変に変える必要があります。この変化に追随出来なかったら、結果は、火を見るよりも明らかです。現実に適切に対応出来なかった(全ての)計画は、破綻します。

でも、悪い事ばかりではありません。逆に、このふたつによって、マルクス、孔子は生き残っています。
理想は美しく、夢に溢れています。現実逃避先(理想)を与えてくれます。その中で、夢に浸れます。

絶対的価値観は、誰にでも理解し易く、曖昧な現実が、突然、光に照らされて、明らかになったような錯覚を与えてくれます。何だか世の中が解ったかのような気分になります。(あの忌まわしい)現実に向き合った時の不安感や迷いを取り去ってくれます。自信と確信を与えれくれます。それ故、人々の心を強く引き付けます。

いい悪いは別にして、これも、二人の才能ですね。自分には、これが無くて、いつも苦労しています。現実と向き合う必要があるのに、その現実が見えなくて疑心暗鬼に陥り、いつも右往左往しています。ふたりのように、「現実でないもの」で、ごまかせれば、少しは気が楽になるのですが。

参考2)今西錦司と情報の主体化

状況の主体化』は、今西錦司(敬称略)が提唱した概念です。

孫氏の兵法と同じで、『生きる』、即ち、『自己保存』がテーマになっています。

生きる為には、環境と向き合わなけれがいけません。その環境が、自己にとって都合がいいか悪いかを、自己基準で主観的に評価する必要があります。

このような自己の置かれている環境を、自己基準で主観的に評価する生物の行為を、『状況の主体化』と呼んでいました。この行為の結果、生み出された数値(信号)を、フロイトは、『テンション』と呼んでいました。

フロイトは、自己の置かれている状況を主体化した結果、心の中に生じた『テンション』が、様々な人間の行動に原因となっていると考えていました。

フロイトも、今西錦司も、孫氏の兵法も、『生きる』、即ち、『自己保存』を中心にして論理を組み立てていたので、非常に単純で理解し易い考え方でした。

戸惑い

始めて今西の『状況の主体化』の概念に出会った時、面食らってしまいました。自分の受けた教育とは真逆だったからです。自分は、「物事は客観的に見ろ。」と、口を酸っぱく教えられてきました。それが、客観化ではなくて、主観化だったのです。
これが、今西が誤解される原因ですね。学問的迷信を無視して、ほんとのこと、言い過ぎです。もう少し、世間の空気(学問的迷信)に合わせて、お上手言えばいいものを。
科学は宗教です。根本教義に反することを言ってはダメです。

今西が誤解されるもうひとつの原因は、表現が直観的なので、禅問答に見えてしまうことです。
その代表が、今西進化論の

種は変わるべき時がきたら、一斉に変わる。

です。

これなども、

種を構成する各個体は、共通の仕様書(ゲンプール)から作られたクローンである。
だから、環境が変化したら、適応する為に、これらのクローン群(種を構成する各個体)は、同じ方向に、一斉に変る
もちろん、個体変異の範囲内で、早い遅いは生じてしまうが。

と、表現すれば、平凡な当たり前の主張になってしまうので、もう少し、誤解が少なくなったと思われます。
つまり、『種は変わるべき時がきたら』=『環境が変化したら』です。このように置き換えれば、平凡な環境変化への適応行為に過ぎなくなってしまいます

なお、この主張の前提には、

  1. 生物進化は、種(ゲンプール)のレベルの自己保存系の環境変化への適応行為ある。
  2. 個体は、ロボットと同じような、自己保存(適応)を目指した制御システム系である。
  3. 種を構成する各個体は、同一のゲンプールから作られた同じ制御システム(クローン群)なので、環境変化に対しても、同じように振る舞う。製造誤差(個体変異)の範囲内で。
  4. ただし、同時に、一定数の不良品(突然変異と思い込んでいる現象)も発生してしまう。工業製品と同じように。

があるので、少し抵抗はあると思います。大量生産される工業製品と生物の個体を同一視しています。

なお、適応の為の変異と、システムの故障による変異を混同しない方が賢明かと思います。

生物にとって一番重要な生と死の問題で、結果が正反対になります。前者は生存に繋がりますが、後者は死に繋がります。現代の生物学者は、表面だけを見て、生物の身の上に起こる変異を、『突然変異』の一言で片付けていますが、生と死を混同した暴論です。
「突然変異の殆どは有害だ。」と述べている生物学者もいましたが、返す言葉もありません。もっとも、学問的迷信に惑わされる事なく現実に目を向けていただけ、まだ、遥かにマシでしたが。

生物の身の上に起こる二つの変異
現象結果目的
適応自己を保存する為に、環境変化に合わせて、自らの姿形と生存形態を変化させている。
奇形宇宙線、紫外線、化学物質等、様々な原因によって遺伝子が損傷し、その結果、外見にも様々な変化が生じている。

遺伝子も、情報学の原則に従い様々な『誤り訂正の仕組み』を持っているが、それでも、それでカバーし切れない事故が起こっている。
生物の身の上には、様々な変異が起こっています。
その代表が、適応と奇形です。この二つは短時間の観察では区別が付き辛いが、その結果は大きく異なっています。適応は生存に繋がりますが、奇形は死に繋がります。
生物にとって最も重要な生死の問題で、結果が正反対になっています。見かけが同じだからと言って、軽々しく『突然変異』の一言で混同できる問題ではありません。

注)現代の正統派進化論が使っている騙しのテクニックについては、ネオ・ダーウィニズム批判を参照下さい。残念ですが、これは疑似科学です。自然科学の理論ではありません。

参考3)三つ目、二つ目

立体視を可能にする為には、理屈上は眼が3つ必要です。

でも、現実は2つです。2つ以上の眼を持つ動物の場合も、三番目からは光を感知するだけの単眼です。なぜ、こんな仕様になってしまったのでしょうか。カンブリア紀に泥の上を這いずり回っていた頃に確立された基本仕様が、現代にまで、そのまま受け継がれているのでしょうか。それとも、情報処理上の別の理由が隠されているのでしょうか。謎です。

泥の上は確かに、2次元の世界です。アノマノカリスが遊泳する為の3次元世界も、それはあくまでも移動手段であって、2次元の延長です。泥の上の水中を泳いで効率よく移動しているだけです。水中を自由に泳ぎ回る獲物を捕まえることが必要になった魚以降の世界では、もはや、カンブリア紀に確立された基本仕様を変更できなかったのかもしれません。

現代の動物の3次元戦闘では、姿勢を制御して、常に獲物を正面に捉えています。そして、その2次元平面内で、正確な距離と方位を捉えています。
この事は、バイクレースの動画を見れば良く分かります。高速でカーブを曲がる時、遠心力に負けないように、バイクを思いきり倒していますが、しかし、頭の傾きはバイクの傾きとは一体化していません。頭を立てています。出来るだけ、左右の眼の高さが通常の立ち姿勢と同じになるように、首を傾けて、地面に対して垂直になるようにしています。正面からの映像が分かり易いです。遠近感を正確に知覚する為です。
実際に、自分でも頭を傾けて、歩いてみて下さい。(ケガをしないように、注意しながら。)遠近感が狂うので、今までとは、違った発見をすると思います。

もっといい動画があったのですが、再度、見つけることができませんでした。ドローンを使ってカモメの飛行を撮影した動画です。ドローンとカモメが正面衝突しそうになった時、カモメは回避動作を行いました。体を180度回転して、上下が反対の姿勢になりました。腹側が天を仰いていました。左右に逸れるのではなくて、下方向に回避したのです。
ところが、頭は全く姿勢が変りませんでした。相変わらず、地面に対して正しい姿勢に保ったままでした。頭頂部は、天の方向を向き、下顎は、通常の正常な飛行と同じように、地面の方を向いていました。体は反転させても、頭部は体の動きに同期して反転しませんでした。パントマイムのように、頭部は空間に対して固定されたままでした。時空認識(?)の為に、地面に対して正しく保たれていたのです。

ちなみに、フクロウのように枝に留まって獲物を探している場合、姿勢を変えれないので、このままでは、獲物を正面で捉えることができません。そこで、上下の方位角を捉える為に、左右の耳の高さが上下にズレています。左右の耳が離れれていることによって左右の方位角を、左右の耳が上下にズレていることによって上下の方位角を検出しています。斜め方向は、多分、仕様上、死角が生じている筈です。でも、首を器用に動かすことができるので、この動作で、死角をカバーしているものと思われます。
興味深いのは、メンフクロウの映像の中には、顔を傾けているものが散見されることです。まるで、顔を傾けることで、3次元の方位と距離を、より正確に特定しているように見えます。目と耳が2つしかないので、このままでは、2次元平面内での方位角しか検出できません。でも、顔を斜めに傾ければ、上下方向の方位角も検出可能になります。情報を統合することによって、3次元の立体視が可能となります。
顔を斜めに傾けたまま、その傾き角度を変えないで、まるでパントマイムのように、顔を上下左右に動かしている動作は、非常に興味深いです。何らかの位相差(立場を変える事に生じる見え方の差)の情報を検出しています。何を検出しているのでしょうか?上の動画を参照してみて下さい。

参考4)揺らぎ信号無効化の起源

揺らぎ信号を無効化する仕組みは、単細胞生物の頃に、既に、獲得された性質ではないかと疑っています。

我々生命は、非常に多くの信号に取り囲まれて暮らしています。
それらの信号は、まず、大きく二つに分類されます。

  1. 生存と密接に係わった信号
  2. 生存とは無関係な背景雑音

生存に無関係な背景雑音は、更に次の二つに分類されます。

  1. 一定強度の信号
  2. 揺らいでいる信号
生物を取り巻いている信号
生きる信号の種類備考
生存と密接に係わった信号-抽出して増幅。
『抽出』は、「関係ない信号の無効化」の意味
生存とは無関係な背景雑音一定強度の信号
(揺らぎ無し)
慣れの性質によって無効化。
時間的コントラストが生じていない信号は無視。
揺らいでいる信号常に変化して時間的コントラストが生じている。
慣れの性質によって無効化できない。
別途の仕組みが必要
ホワイトノイズう~~。どうしたものか?
自然界には、実質、ホワイトノイズは存在しないから無視!。根拠はないけど。
揺らいでいる信号は、常に変化しているので、時間的コントラストが生じ続けてます。
慣れの性質によって、無効化できません。別途の仕組みが必要です。
『1/f揺らぎ』の性質を持った信号を無効化する仕組みが必要です。
注)動物の中には、このような『揺らぎ』に擬態した生物がいるような気がします。生物界の常として、絶対、このような相手の裏をかくチートがいます。

なお、『抽出する』とは、「コントラストの明確化」の意味なので、『背景雑音の無効化』を意味しています。つまり、(背景雑音が無効化されて)残った信号が『抽出された信号』です。

一定強度の信号

常に一定強度の信号は、何も変化しないので、生存とは関係ありません。変化こそが、生存と密接に係わっています。
このような信号強度一定の情報は、時間的コントラストが生じないので、慣れの性質によって、無効化が可能です。

揺らいでいる信号

揺らいでいる信号は、常に変化しているので、時間的コントラストが生じてしまいます。
従って、慣れの性質によって、無効化できません。別途の仕組みが必要です。
『1/fゆらぎ』の性質を持った信号を無効化する仕組みが必要です。

自然界は、多くの背景雑音で満ち溢れています。小川の音、波の音、小鳥のさえずり、自然の風、ローソクの炎等。これら『心地よい』と感じる信号は、『1/fゆらぎ』によって構成されています。

背景雑音は、様々な周波数の信号によって構成されています。そして、それらには、一定の傾向があります。周波数の低い信号ほど信号強度が強く、周波数の高い信号ほど信号強度が低くなっています。その関係は、周波数を f と表記すると、次の関係にあります。

信号強度 = 1/f

このような様々な周波数(と強度)の集合体として、背景雑音は構成されています。このような性質を持った信号を『1/fゆらぎ』を持った信号と呼んでいます。

動物の神経組織では、このような 『1/fゆらぎ』を持った背景雑音は、無効化されているようです。これによって、背景雑音は消去され、生存と密接に係わった信号のみが抽出されているみたいです。
そして、この背景情報の消去、つまり、 『1/fゆらぎ』の無効化が、神経細胞の無興奮化に繋がり、『心地よい』と感じてしまうようです。

外部からの信号は、一般に神経細胞を興奮状態にします。そして、そこから何らかの行動を生み出します。このような興奮状態は一般に『不快』と感じます。一方、『1/fゆらぎ』信号は、無効化されます。従って、神経細胞を興奮させません。興奮しなければ、行動も生じません。つまり、神経細胞が無興奮なら、行動は生じないので、安静になり、それは心地よい状態です。

各信号と、心に与える影響
信号神経細胞の状態結果心の状態
生きる興奮行動が生じる不快、胸騒ぎ
1/fゆらぎ無興奮安静状態心地よい、心が落ち着く
生きる事と結び付いた信号は、神経細胞を興奮状態にします。そして、この興奮状態は、運動器官に向かって流れ、そこで、何らかの行動を生じさせます。このような興奮状態は、一般に『不快』とか、『胸騒ぎ』と感じます。心がザワついている状態です。

一方、『1/fゆらぎ』を持った信号は、(生存と関係ない背景雑音なので、)無効化されると思われます。無効化されると、神経細胞は興奮しません。無興奮状態になります。無興奮状態になると、行動が生じません。つまり、あたかも、安静状態にあるかのように見えます。このような安静状態を、『心地よい』とか、『心が落ち着く』と感じています。

このような性質は、神経組織を構成している各神経細胞が持っている性質ではなくて、もっと根本的な生物細胞が持っている性質ではないかと疑っています。

生物にとって大切な事は燃費です。出来るだけ少ないエネルギーで長期間生存し続けることです。生物は、資源があればあるだけ増えてしまうので、常に慢性的な資源不足、つまり、過密と、それに伴う飢餓に悩まされています。だから、生存と無関係な信号は無視して、生存と密接に係わった信号にのみ集中する必要があります。無駄な動きを出来るだけ減らす必要があります。

このような要求は、単細胞生物にも当てはまります。彼らも、『1) 一定強度の信号』、『2) 1/fゆらぎを持った信号』は、生存と関係ないので、無効化する必要があります。出来るだけ、無駄なエネルギー消費を抑える必要があります。

このような理由で、「1/fゆらぎを持った信号の無効化」は、単細胞生物の頃に、既に、獲得された性質ではないかと疑っています。もちろん、残念ですが、それを肯定するデータも否定するデータもありません。