2019/06/10 うつせみ

トンボは、人間と同じような時空認識を持つ必要はありません。
獲物を捕まえることが出来さえすれば、それで充分です。

ここでは、複眼を持つトンボなどの昆虫が、時空をどのように認識しているか。
その情報の主体化について考察します。

8.8 複眼(昆虫)の時空認識

生物にとって重要な事は、生きる』という目的を達成することです。
自己を保存すること。即ち、環境と自己との相対関係を維持し続けること。

トンボは、人間と同じような時空認識を持つ必要はありません。
獲物を捕まえることが出来さえすれば、それで充分です。

先の『時空認識が可能な自己保存系のモデル』では、話の単純化の為に、時間と空間の枠組みの中に、モデルを構築しました。従って、ここだけを見ていると、時間空間の中で、時間空間を論じている。つまり、一種のトートロジーになっているように見えます。

そこで、トンボなどの複眼を持った動物の時空認識について、もう少し、具体的に、考察します。

時空認識の前提条件

実際の動物の場合、視覚によって、この空間認識を作り出しています。空間認識を持っている動物の場合、2つの特徴を持っています。まず、第一の特徴は、2つの眼を持っています。第二の特徴は、其々の眼は、複数の視覚細胞から構成されています。複数の視覚細胞によって、空間の分解能を実現しています。この特徴は、複眼の昆虫の場合も、我々脊椎動物の眼の場合も同じです。

時空認識が可能になる為の条件

2つ以上の眼を持つ事。立体視の為
眼は、多数の視覚細胞から構成される事。空間の分解能の為



複眼の物理的形状

トンボの場合、複眼を構成する個々の個眼は、お椀上に配置されており、其々のお椀の向いている方向が違います。しかし、草食動物のように、複眼は正反対を向いているのではなくて、ある程度の角度をもっています。この為、正面の情報は、両眼で捉えることが可能です。

獲物からの光は、お椀上に並んだ個々の個眼の視覚細胞に投影されます。しかし、個々の個眼の性質として、筒状になっており、その筒の中の奥深くに視覚細胞があるので、個々の個眼は、ある特定の方向からの光に強く反応します。表面に視覚細胞があれば、全方向からの光に反応しますが、筒状になっていて、その奥に視覚細胞があるで、筒の方向からの光に強く反応します。

例えるなら、深い井戸に、光が差し込むようなものです。光の方向が悪ければ、底にまでは届きません。また、届いたとしても、弱くなります。井戸の底に光センサー(視覚細胞)は存在しています。

複眼全体で見れば、その性質から、獲物からの光は、特定の個眼だけを強く刺激するのではなくて、近傍の複数の個眼に跨って知覚されていると思われます。物理的な分解能は、それ程、高くない。この段階では、まだ、複眼を構成する個眼の数が、分解能になっているのではなくて、それよりも、低い、もっと、ぼんやりとした分解能になっていると思われます。

複眼の断面構成
複眼の断面構成
昆虫の複眼は、複数の個眼が、お碗状に配置され、少しづつ向きが違っています。
各個眼は筒状になっていて、その底に視覚細胞があります。
獲物からの光信号は、近傍の複数の個眼に跨って、投影されます。
なお、少し離れた個眼は、角度が悪い為、底まで光が届きません。

このような形状の為、複眼の分解能は、そのままでは、個眼の数程には良くありません。いや、かなり、悪くなります。
複眼上の点の主体化
点の主体化
複眼は、多数の個眼の集まりによって構成されています。
信号は、複数の個眼に跨って、ぼんやり投影されます。

この事を直観的に理解する為には、カマキリの偽瞳孔を観察するのが便利です。カマキリの複眼上に見える黒い点です。見る方向によって、その位置が変ります。まるで、瞳のように、常にこちらを見ているように錯覚します。
だから、偽瞳孔、偽物の瞳と呼ばれています。
この偽瞳孔の見え方は、獲物を狙うか、花の蜜を吸うかよって、微妙に異なってきます。生存スタイルによって、微妙に異なっています。興味ある現実です。

この範囲で光は奥底まで届いているようです。奥底の視覚細胞で光が吸収されて、結果、反射しないので、黒く見える領域になるみたいです。
つまり、筒の奥底が見えている領域です。

視覚細胞は光エネルギーを吸収して、神経信号に変換しています。吸収されなかった反射光を、我々は色として認識しています。筒の奥底は、視覚細胞によって、光が吸収され、反射しないので、結果として、黒く見えます。他の領域は、光エネルギーが有効利用されないで、そのまま、反射されるので、結果として明るく見えます。光エネルギーの有効利用の差によって、見え方が異なります。

例:植物の葉は、なぜ緑色をしている? -> 答え:緑色の波長の光は、光合成に利用されないで反射される為。その反射された光を捉えて、我々は、葉っぱは緑色だと認識しています。他の波長の光は、光合成に利用され、結果、そこで消滅し反射しません。反射しないから、目には届きません。目に届かなければ、認識することもできません。
間違い:唯物論者が思い込んでいるような、緑色の本質を持っている訳ではありません。葉っぱは緑色の本質を持っているから、その本質を認識して、緑色に見えている訳ではありません。

このような偽瞳孔は、トンボなどの他の昆虫でも見られます。

カマキリの偽瞳孔
カマキリの偽瞳孔
偽瞳孔は、カマキリの複眼上の黒い点です。
筒の奥底が見えている領域です。
人間の眼を光源と仮定した場合に、光が個々の個眼の奥底まで投影される領域です。黒くなっている個眼群が、光受容細胞が存在している奥底まで届いて、情報を感知している領域です。

【偽瞳孔の参考動画】
カマキリ 偽瞳孔」youtube mushi64さん
https://www.youtube.com/watch?v=_awCp8W5i1Y
注意)レンズと被写体との距離は不明です。

8.8.1 点情報の主体化

信号は、複数の個眼に跨って投影されます。そこで、分解能を上げる為には、情報の主体化、つまり、処理が必要になります。最初の主体化は、点情報の主体化です。

主体化:外部感覚器官からの信号を、『自己の生きること』と直接結びついた情報に変換する行為。
自己の生存と結びつかない信号は、雑音として無視されます。

状況の主体化』は、今西錦司が提唱した概念です。
客観化ではありません。あくまでも、『自己にとってどうか?』という主観的評価です。自己の生存と直接結びついた自己中心の主観的判断です。常識の逆ですが、あくまでも、判断基準は主観的な自己です。
なぜなら、自己保存、即ち、『生きる』は、自己にとっての行為だからです。その評価基準は、あくまでも自己都合だからです。

始めて今西の『状況の主体化』の概念に出会った時、面食らってしまいました。自分の受けた教育とは真逆だったからです。自分は、「物事は客観的に見ろ。」と、口を酸っぱく教えられてきました。それが、客観化ではなくて、主観化だったのです。
これが、今西が誤解される原因ですね。学問的迷信を無視して、ほんとのこと、言い過ぎです。もう少し、世間の空気に合わせて、お上手言えばいいものを。
科学は宗教です。根本教義に反することを言ってはダメです。

まず、複数の個眼からの情報を相互補正します。隣り合った各個眼の信号のコントラストを明確にして、信号の強さがピークになる個眼が特定できれば、獲物の方位が、決定できます。

この主体化によって、理屈上は、脊椎動物の網膜上に投影された情報と同じ情報を作り出すことが可能となります。脊椎動物の視覚は、網膜上に像を結びますが、それと同じ理屈が通用することになります。従って、これ以後の情報処理は、原理的には脊椎動物と同じになります。
もちろん、解像度は、構造的な問題から、かなり落ちますが。

複眼上の点の主体化
点の主体化
複眼は、多数の個眼の集まりによって構成されています。
信号は、複数の個眼に跨って、ぼんやり投影されます。
隣り合った個眼の信号を比較することで、信号のピークとなる個眼を検出します。

この段階で始めて、分解能と、複眼を構成する個眼の数とが一致します。複眼を構成する個眼の数が100個なら、100方向の識別が可能となります。複眼を構成している個眼の数が多ければ、多いほど、その方位と分解能の精度は高くなります。

複眼での第一段階の主体化(情報認識)は、スクリーン(網膜)に映像を映し出す行為ではなくて、最も強く反応する個眼(視覚細胞)を特定する行為です。

でも、結果的には、この第一段階の主体化によって、我々脊椎動物が網膜上に像を映し出したのと同じ結果を得ることが可能になります。だから、これ以後の情報処理は、理屈上は、脊椎動物の視覚野の考え方がそのまま通用します。

もっとも、昆虫の場合、神経組織の容量が少ないので、もっと、特定の状況に最適化され、その特定の状況下では効率的になっているとは思いますが。(汎用化を捨て、特定の状況に特化している。それによって、神経組織資源を節約していると思います。)

これと同じことが、もう片方の目でも起ります。しかし、そのピークとなる個眼の位置は、微妙に異なります。このふたつの複眼の位相差を利用して、三角測量の要領で、獲物までの方位と距離が判ります。

複眼の時空認識
複眼の時空認識
左右の位相差によって、方位と距離に関する情報を抽出できます。

背景情報は無限遠にある為、位相差が生じません。
遠方の獲物は位相差が小さくなります。
目の前の獲物は、近い為、位相差が大きくなります。
ちなみに、指をクルクル回してトンボ取りをやる場合、数十センチに近づいたら、トンボは頭をクルクル回して、状況確認に入ります。その距離が有効な情報処理を推測する目安のひとつです。指を回す円の大きさにも依存するとは思いますが。ぜひ、実際にやってみて下さい。夏の高原にいるトンボは分かりやすいです。

注)情報の主体化については、今西錦司(敬称略)の『状況の主体化』の考え方を使っています。詳細は、こちらを参照下さい。

8.8.2 時空と行動

もちろん、彼らが、上の絵のように、3角測量の計算を行っている訳ではありません。この絵は、あくまでも、人間用です。人間という動物の思考形式に合わせています。

かれらトンボが、我々人間と同じような、時空認識を持つ必要はありません。
獲物(もの)までの時空距離の情報が主体化できて、その主体化された情報に基づいて獲物を捕まえることが出来れば、『生きる』という目的は達成されます。

重要なことは、生きるという目的を達成することであって、その為の手段、認識の方法は、2番目、3番目の問題です。言葉は悪いですが、『結果オーライ』の世界です。目的さえ達成出来るなら、つまり、結果が出せるなら、手段は、二の次です。このような発想は、孫氏の兵法 と同じです。

トンボは、数学者である必要はありません。結果オーライのリアリストであれば充分です。

上の絵の場合、空間認識で重要なのは、右目の信号強度の中心点(位置R)と、左目の信号強度の中心点(位置L)です。
位置Rと、位置Lとの位相差は、方位に関連した情報になります。和は、距離に関連した情報になります。この情報を、行動と結びつけて、獲物を捕まえることが出来るなら、目的は達成できます。

トンボにとっての方位と距離

主体化情報関連式備考
方位に関連した情報方位 ≒ 位置R - 位置L左右の位相差が方位に関連した情報になる。
距離に関連した情報距離 ≒ 位置R + 位置L左右の和が、距離に関連した情報になる。
無限遠の情報は、この値が最大となります。
近い位置は、この値が小さくなります。

複眼の形状が円形ではなくて、歪んだ形をしていると、生活と密着した特定の位置情報がより強調されます。

数学的に重用なのは、生きるという目的の為に、独立変数を何個収集しなければいけないかです。その収集の仕方と、形式には、ある程度の自由度があります。
従属変数は、独立変数から導くことができます。

数学的に重要な事は、『生きるという目的の為に、独立変数をいくつ収集する必要があるか。』です。

トンボのように、位置Rと、位置Lの位相差として、時空を認識していても、我々人間のように、時間と空間として理解していても、結果は同じになります。必要な独立変数を収集して、それを使って制御システム(神経系)を駆動し、目的を達成できれば、それで充分です。どのような認識形態を取ろうが、自分から離れた位置は、同時に、自分にとって遠い未来である事実は変わりません。

実際の昆虫では、左右の複眼の位相差は、かなり強調されているように見えます。下記のカマキリの動画を参照して下さい。動きにつれて揺れ動く左右の複眼の偽瞳孔の位置を観察してみて下さい。偽瞳孔の位置が、光源(獲物)が複眼上に投影される大雑把な位置です。
カマキリでは、左右の複眼で、偽瞳孔の位置が驚くほど異なっています。位相差がかなり強調されています。複眼の形状がお碗状、即ち、球形ではなくて、歪な為です。カマキリの複眼の形状は、正面情報の解像度がかなり強調されています。肉食哺乳類と同様に、正面情報に特化しています。

【偽瞳孔の参考動画】
カマキリ 偽瞳孔」youtube mushi64さん
https://www.youtube.com/watch?v=_awCp8W5i1Y
注意)レンズと被写体との距離は不明です。印象としては、かなり、接写しているようにみえます。レンズの種類等、写真の専門家ではないので、自信はありません。

問題は、カマキリの日常での獲物の距離と、撮影時の距離です。この違いが、複眼の性能を誤解する原因になります。カマキリの能力は、獲物を捕まえる事に、最適化されているからです。偶然の一致だとは思いますが、印象としては、獲物の距離と撮影時の距離は、かなり、似かよっているように見えます。カマキリの日常生活の距離空間に近いように思えます。

偽瞳孔の位置の変化を観察していると、正面の獲物に対する位相差が強調されているように見えます。正面の情報に対して、少し頭を傾けると、大きく偽瞳孔の位置が変化します。カマキリの複眼の形状は、単純なお椀型ではなくて、より正面情報の角度の微妙な位相差が強調される形状になっているみたいです。
そして、注目すべきは、丁度、真正面を向いた時、つまり、獲物を正面で捉えた時、偽瞳孔が大きくなっていることです。より、たくさんの個眼で獲物を捉えていることです。スローで再生してみて下さい。(結果として、レンズと同じような拡大効果を作り出しています。)

しかし、複眼の正面に見える丸いレンズ状のものは何でしょうか。どんな働きをしているのでしょうか。一瞬、その位置で偽瞳孔が消えます。光が屈折している為と思われます。まさか。。。正面情報に特化した物理的な増幅装置?。謎です。

なお、遠方の獲物を見つける場合は、動体視力が使われているかもしれません。カマキリは小さな虫なので、両眼はあまり離れておらず、三角測量の精度は物理的に低い為です。三角測量が有効なのは、精々、鎌(前足)が届く範囲か、その近傍程度です。

8.8.3 眼が両端に付いている場合

眼が両端に付いている場合、動体視力によって、認識していると思われます。

古生代のアノマロカリスのように、眼が両端に付いている場合、視野は重複していません。この為、両眼の位相差によって、空間を認識することが出来ません。
この場合は、動体視力によって、認識しているのではと思われます。

アノマロカリス
アノマロカリス
アノマロカリスは古生代の動物です。
複眼は、両側に付いています。
複眼を構成する個眼の数はたいへん多く、現代のトンボに匹敵します。従って、視力も結構良かったと思われます。

獲物が横切る場合は、コントラストのピークとなる個眼の位置が移動します。近づく場合は、信号強度が強くなります。(信号強度と投影面積が変化します。)前の瞬間と、次の瞬間の情報を比較することによって、(動体視力によって)、生きる為に必要な情報の収集が可能になります。

動体視力:前の瞬間と次の瞬間の信号を比較することによって、生きる為に必要な情報を作り出す行為。
時間的コントラストを抽出する行為です。空間的コントラストではありません。



神経組織は、コントラストを認識の対象にしている。

動物の神経組織は、信号そのものではなくて、信号のコントラストを認識の対象としています。信号強度が一定なら、慣れによって無視されます。一般に、信号強度が変化しなければ、生存に関係ない為です。そのようなコントラストは、主に、時間的コントラストと空間的コントラストより構成されます。ここでの話題は、時間的コントラストについてです。

コカインなどの薬物中毒は、血中濃度の時間的コントラストが認識の対象となっています。南米のインディオのように、コカ茶やコカの葉を噛むことによって摂取している場合、薬物の血中濃度の上昇も穏やかな為、深刻な問題とはなりません。実際、長いインディオの歴史の中で問題は起こっていません。紅茶のカフェインより少し強い程度の扱いです。ところが、精製したコカインを鼻孔粘膜や肺粘膜から摂取する場合、急激な上昇が起こってしまうので、つまり、大きな時間的コントラストが生じてしまうので、深刻な薬物中毒を起こします。

動物は、コントラストを認識の対象としているので、ストレスがあると、そこから逃避する為に、ついつい強い刺激を求めてしまいます。より強い刺激を求めて、薬物摂取の量が増えてしまいます。。。。。。塩分も砂糖も取り過ぎたら毒です。過食症はストレスからの逃避なので、つまり、食欲の満足体験を求めているので、ついついドライブが掛かってしまいます。砂糖などの甘味の刺激を求めて、ついついケーキを食べ過ぎてしまいます。酒は百薬の長、ストレスの発散に役立ちますが、過ぎたら。。。アル中です。

過食症も含めた薬物中毒は、ストレスからの逃避の為に、時間的コントラストが作り出す強い刺激を求めた結果です。その依存症です。ストレスが無ければ、ドライブも掛かりません。

心配なのは、画期的な摂取方法が開発された場合、血中濃度の急激な時間的コントラストを作り出すことが可能になりますから、多くの薬物が、問題を起こす可能性がある事です。胃や腸などの消化器官以外の各種粘膜や皮下注射からの直接摂取は、あまりいい結果は生まない可能性があります。まさかとは思いますが、安全だと思われている砂糖なども、笑えなくなります。
麻薬は悪魔ではなくて、神経組織が時間的コントラストを認識の対象にしている為です。他人(悪魔)のせいにすべきではないと思います。

動体視力(何が変化するか)

動きのパタン信号の何が変化するか
近づく場合信号強度の強弱と投影面積が変化。
動く場合個眼のピーク位置が変化。
揺れる場合個眼のピーク位置が振動。

空間的な視野角のコントラスト(個眼のピーク位置の変化)と、時間のコントラスト(信号強度の変化)が、認識の対象となって、行動と結びついているものと思われます。

動体視力の場合、自分が動くか、相手が動いてくれないと、認識の対象になりません。
枝先に止まっているトンボも、注意深く観察していると、餌や人間が近づくと、盛んに、頭を動かしています。頭の動きにつれて、眼の空間位置も変化しています。やはり、動体視力が重要な役割を演じているように見えます。

カマキリも、動く時や、獲物に狙いを定める時に、体を揺すっています。体を揺することによって生じる眼の位置変化によって、動体視力を生じさせ、それによって、空間認識を行っているものと思われます。自分が体を動かせば、枝や葉っぱなどの本来は静止している筈のものも、動体視力が発生します。

まさかとは思いますが、体を揺するのは、風に揺れる葉っぱに擬態している可能性も捨てきれません。『1/f揺らぎ』に擬態しているかも?。

下の「【驚愕】カマキリがトンボを捕まえる瞬間! 」の動画で、カマキリの真下の花や葉っぱの動きに注目して下さい。風で揺れています。これらは、背景雑音です。自然界はこのような背景雑音で溢れています。
又、指先をクルクル廻してトンボを取る動画も、何処となく背景雑音を連想します。トンボは枝先にとまりますが、風が止んで、枝先の揺れが止まった瞬間に、枝先にとまる習性を持っているのでしょうか?

動体視力を無効化する為には、動かないことですが、それ以外にも、『1/f揺らぎ』に擬態することでも可能なように思えます。背景雑音は『1/f揺らぎ』を持っているからです。この揺らぎを持った事象は、背景雑音として情報処理から除外されるかもしれません。

あまり関係ないかもしれませんが、最近のCGを駆使した映画は、ポスターのレベルでは凄いと感じますが、実際に見たら、何か頭が締め付けられて、気分が悪くなります。疲れ果ててしまいます。もう、2度と見たいとは思いません。背景が『1/f揺らぎ』を持っていないからです。心地良さではなくて、頭の中にフォークを突き刺して無理矢理かき廻したような違和感を覚えます。苦痛を感じます。

それに対して、黒澤明の映画は、背景の雨や風が、臨場感を演出しています。視覚の周辺領域、つまり、背景の揺らぎを大切にしています。見ていても、現実感があって、しかも疲れません。反対に、アニメは、背景が下手に動かないので、こちら逆に楽です。
CGで背景を無理矢理動かすよりは、黒澤のように雨や風のような揺らぎを配置するか、逆にアニメのように背景を動かさない方が、見る方としては楽です。

最近のハリウッド映画が衰退した理由は、中国資本に支配された為ですが、もうひとつの理由は、CGで背景の手抜きをしていること、つまり、『1/f揺らぎ』を考慮していないことです。ポスター(静止画)の凄さ、背景の精緻さに目を奪われて、肝心の映画(動画)については裸の王様になっています。動体視力、動体感性(1/fの揺らぎが持っている心地良さ)を忘れています。先入観に振り回された裸の王様です。

【カマキリが獲物を狙う為、体を揺すっている参考動画】
【驚愕】カマキリがトンボを捕まえる瞬間! The moment the mantis captures the dragonfly!」youtube KIYA DESIGN さん
https://www.youtube.com/watch?v=cbPa9noZ3RQ
注意)獲物を狙うとき、カマキリは体を前後に揺すっています。一方、トンボは捕まる直前は動いていません。静止しています。カマキリは、どうやって、獲物の位置を認識しているのでしょうか?。可能性1:トンボが留まった位置を覚えている?。可能性2:トンボの形を認識できている?。実際の能力は、ここで論じている単純なものではなくて、もっと、高度なようです。

注意)体を揺することによって生じる位相差の動体視力は、無限遠の情報に対しては生じません。体を揺すっても、無限遠の情報は変化しません。しかし、近傍の情報は、大きな位相差を生じます。見える角度が大きく変化します。この変化を検出可能なら、近傍の度合いを抽出可能です。

【指先をクルクル廻してトンボを捕まえる参考動画】
トンボの捕まえ方!うずまきグルグルトンボ取り|Catch a dragonfly」youtube 田舎の えこっぴ さん
https://www.youtube.com/watch?v=C6bEfC6nSSM
トンボは枝先や葉先などの尖った先端にとまる止まる習性を持っています。この習性をうまく利用しているように見えます。ポイントは、スムーズに緩やかに動かすこと、描く円を次第に小さくしていくこと。風で揺れる枝先が止まるように、自然にスムーズに止めること。みたいです。すると、トンボは吸い寄せられるように、指先にとまります。捕まえる手の動きもスムーズです。宮本武蔵は、箸でハエを捕まえたそうですが、殺気を感じさせないスムーズな動きが重要なのですね。『1/f揺らぎ』を持った動作は、背景雑音として無視されるのでしょうか?

アノマロカリスは何を餌にしていた?

話しは戻りますが、しかし、アノマロカリスは何を餌にしていたのですかね。その個眼の数は、現代のトンボに匹敵しており、その解像度は、外見からだけ判断すると、トンボと同程度と思われます。

動き回る獲物を狙うのだったら、トンボのように、前方の視野が交差している必要があります。解像度よりも、立体視を優先した方が有利なように思えます。シュモクザメのように、複眼が頭から突き出ていた種もいたみたいなので、ある程度の立体視は可能だったのしょうか。

それとも、古生代の動物は、まだ、運動能力が未発達だったので、あの程度でも充分だったのでしょうか。狩る者と、狩られる者の関係は、軍拡と同じで、あくまでも相対的な問題に過ぎません。

それとも、個眼の数の増大は、遺伝子のコピーと重複で意外と簡単に解決できます。最初は、明るさだけを検知する個眼が1個だけでしたが、その個眼の遺伝子を複数コピーして重複させれば、複眼に辿り着くのは比較的簡単です。
それに対して、二つの複眼間の情報連携は、基本的仕組みの開発が必要です。簡単には解決出来ません。とりあえず、簡単に解決出来る方法(個眼の増大)を力技で発達させたのでしょうか。

この辺りは、コウモリの進化が参考になります。コウモリは、急速に進化したみたいです。中間の化石が見つかっていません。最古の化石は、既に、空を飛ぶ為に完璧な姿をしていました。それ以後の形状の進化は、尻尾が短くなることぐらいでした。

尻尾が長いとグライダーと同じで、飛行形状が安定しているので、比較的簡単に操縦できます。素人でも、少しの練習で操縦できるようになります。ただし、ムササビのように滑空飛行しかできません。
一方、現代の戦闘機のように、尾翼が短いと、形状が不安定なので、操縦が難しく、訓練もたいへんです。その代わり、腕さえあれば、様々な曲芸飛行が可能になります。宙返りや急激な方向転換などの戦闘行動が可能となります。
垂直尾翼を持っていないステルス機の場合、飛ぶこと自体が困難です。もはや、人間の運動神経では操縦できません。この為、コンピュータの補助で飛んでいます。

現代のコウモリも尻尾が短いので、俊敏な姿勢制御が可能です。ほぼ、直角に曲がっているように見える時さえあります。尻尾が長いと、このような飛行は不可能です。グライダーのような慣性飛行しかできません。
なお、その代償として、尻尾が短いと、制御が難しいので、優秀な飛行制御用のコンピュータが必要になります。

コウモリの長い進化の歴史は、化石に残らない飛行制御用コンピュータとエコロケーションの進化に隠されているようです。両方とも、神経組織の進化です。化石に残りません。その改良に時間が掛かったみたいです。

この改良によって、空を飛ぶ虫の捕獲が可能になりました。外見上は、ただ単に、尻尾の長さの変化に過ぎなかったのですが。

現代のコウモリの餌になっている蛾の中には、コウモリの超音波を感知すると羽ばたきをやめ、自由落下に身を任せて回避する種がいます。コウモリは羽ばたいているので、下方向に羽ばたいて、その反動で上方向には姿勢を変えることができますが、上に向かっては羽ばたけないので、下方向へは追随できません。羽ばたきを止めても、体の大きさが違うので、空気の粘性の為、追随できません。蛾は羽ばたきを止めた瞬間に、体が小さいので、空気の粘性の為、前への推力が失われ、そのまま下に落ちますが、コウモリは体が大きいので、慣性で前に進んでしまいます。
羽を閉じ、姿勢を下向きに変え、F1カーのように、空力特性を逆利用して急降下することができる種が現れるのは何時のことでしょうか?空力特性を逆利用すれば、即ち、空気抵抗を利用すれば、姿勢を制御することで、下への急降下も可能です。それとも、もう既に存在しているのでしょうか?

なお、羽を閉じないと、想定外の方向から力が加わるので、羽が壊れてしまいます。飛行機にしろ、鳥、コウモリにしろ、空を飛ぶものは、軽く作る必要があるので、強度計算はいつもギリギリです。必要以上に頑丈に作ると、重くなってしまって、飛ぶのに不利になってしまいます。

コウモリは元々(視覚情報で)基盤があったので、エコロケーションの改良は比較的スムーズでしたが、古生代のアノマロカリスは、始めての事態です。今までは、二つの複眼間の情報連携なんて、進化の歴史の中では必要ありませんでした。それ程、(自分も獲物も)高度な運動能力を獲得してはいなかったからです。

最初期の動物の行動様式

最初期の動物の行動様式
最初期の動物の場合、感覚器官と運動器官は直結されています。

例えば、温度センサーを持ったクラゲの場合、直前の情報と比較して、不適切な温度(高温、低温)に変化する場合、運動方向を変えることによって、自己にとって不利な状況を回避できます。
点情報と、動体情報処理(直近と現在の比較)によって、行動を制御できます。
アノマノカリスの行動様式も、まだ、この段階ではなかったかと思われます。

眼を前方に配置して、立体視を可能にするには、今までにない画期的変革が必要になります。ただ単に、前方に配置しただけでは、立体視はできません。二つの複眼間での情報連携という全く新しいシステムの開発が必要になります。
空間認識と、そこへの情報統合が必要になります。一旦、両眼の情報を仮想空間領域に投影して、そこから行動と結びつける必要があります。感覚器官とその行動の間にワンクッション入ります。見えない部分で、結構、時間が掛かります。アノマロカリスの複眼が、横に付いていたのは、そして個眼の数が現代のトンボに匹敵しているのは、このような単純な理由かもしれません。

時空認識を持った動物の行動様式

時空認識を持った動物の行動様式
時空認識を可能とする為には、抽象化の処理過程が必要です。

外部感覚器官から得られた情報を、一旦、仮想空間にマッピングする必要があります。そして、具体的行動は、このマッピングされた仮想情報に基づいて行う必要があります。

一度、仮想空間へ投影される仕組みが確立されたなら、他の感覚器官からの情報、例えば、コウモリやクジラのように、音信号も、この仮想空間へ投影することは、比較的簡単になります。エコロケーションは比較的簡単に実現できます。投影後の行動を起こす部分は共通している訳ですから。

なお、仮想空間の構成形式は、我々人間が持っている時空認識の構成形式に拘る必要はありません。
数学的には、4つの独立変数を含んだ形式なら、ある程度の自由があります。4つの独立変数とは、空間に関するものが3つで、時間に関するものが1つです。これが、数学的に純粋に分離されている必要はなく、生存形態と密着した最も合理的な、コストの低い方法で実現されていれば、即ち、『生きる(自己保存)』という目的が達成されるなら、何の問題もありません。

脊椎動物の場合は、仮想空間の構成形式を、人間と同一視しても、さほど問題にはならないと思いますが、昆虫の場合は、同一視すると、大きな誤解を生じさせる可能性があります。

結論:要は開発時間が足りなかった。

アノマロカリスの眼が横に付いてのは、そして、物理的に立体視が出来なかったのは、開発時間が足りなかった為と思えます。

個眼の増加だけなら、繰り返しで対応可能ですから、ヒトデの足や、環形動物の体節のように、遺伝子のコピーと重複で可能です。ボディパーツのコピーと連結で可能です。昆虫たちの体節のように、重複の後で各体節を大改造することで、つまり、余分な器官は退化させることで、新しい領域に進化することも可能です。未知からの新しい開発は不要ですから、時間も掛かりません。
そこにあるのは、重複化と、分業、改良、特化です。そして、余分な機能の退化です。革命的変革はありません。生物は命が懸かっているので、いつも保守的です。

根本的解決にはなりませんが、分解能は上がりますから、より、繊細な制御は可能となります。とりあえず、単純な力技で解決したのでしょうか。

軍拡は、所詮、相対的問題に過ぎません。絶対的性能は要求されません。相手よりも少し勝っていれば、それで充分です。具体的には、運動能力が未発達な古代世界では、立体視ができなくても、分解能が勝っているだけでも優位に立てます。

クマバチのホバリング

クマバチは、空中の一点に静止して、ホバリングすることが可能です。これは、動体視力の逆応用と思われます。
両眼を使った三角測量によって、空間位置を認識しているのではないと思われます。

動体視力は、直前の信号と、今の信号を比較することによって、信号が強くなっているか、弱くなっているかで、動きを検出する仕組みです。
クマバチは、無限遠からやってくる信号(背景情報)の動体視力が発生しないように飛行を制御している、つまり、背景情報について動体視力が発生したら、それを打ち消すように飛行制御できるなら、空中の一点に留まり続けることが可能となります。

本来の意味での動体視力の逆応用です。本来は、自分の近い位置に存在する獲物の動きを検出する仕組みです。この場合は、逆です。自分から遠い位置にある背景からの信号の動体視力が発生しないように制御しています。
獲物が動いても、自分が動いても、動体視力は発生します。

両眼を使った三角測量によって空間位置を認識しているのなら、複眼が離れていない為、また、複眼の仕組みから、解像度が低いので、遠い位置の検出は難しいと思われます。クマバチは、何もない、枝葉から離れた位置でもホバリングしています。体の向きを変えても、ホバリング位置は変わりません。(加速度センサーも併用していると思われます。)

【参考動画】
クマバチの停空飛翔(ハイスピード)」youtube 川邊透・昆虫エクスプローラ さん
https://www.youtube.com/watch?v=Ag0ckCSmGqk
【参考動画】
クマバチのホバリング」youtube iwan0730 さん
https://www.youtube.com/watch?v=OJxsEODLhNk

8.8.4 昆虫の視神経の階層構造について

昆虫たちの視神経の組織は、いくつかの階層に分かれています。

これらの階層毎に、夫々、何らかの『状況の主体化』が行われている。即ち、『生きることと結びついた情報への加工』が行われていると思われます。一気に、情報の主体化が完了する訳ではないので、順次、部品を組み立ていくように、情報を分解し、分析し、そして、統合しながら、処理されていると思われます。それが、解剖学的には視神経の階層として観察されているものと思われます。即ち、状況の主体化の階層構造が、視神経の解剖学的階層として観察されているものと思われます。

例えば、人間の視覚野の神経組織は、漫然と処理されているのではなくて、点に反応する神経細胞、線に反応する神経細胞、平行線に反応する神経細胞等のように、状況が主体化されて、夫々の意味を持った情報に、特定の神経細胞が反応しています。

まず、点の情報が主体化され、次に点の情報の連なりとして、線の情報が主体化されます。その線の情報がさらに加工され、平行線の情報が主体化されます。このような主体化の積み上げによって、最終的に複雑な情報の分析が可能となっています。2つの眼の模様に反応する神経細胞とか、人間の顔を認識している神経領域とかになります。情報が基本的なものから、複雑なものへと主体化され、積み上げられています。
その外見は、ある特定の神経細胞の活動として観察されます。神経細胞のひとつひとつが、特定の主体化に関与しているように見えます。
その姿は、トランジスタなどの半導体と言うよりは、半導体の集合であるマイクロプロセッサに似ているように見えます。一個の神経細胞は、一個の小さなコンピュータです。その小さなコンピュータが複数集まって、並行処理が行われています。

複眼を持った昆虫たちは、生きる為に、どれだけの情報を主体化によって、抽出する必要があるのでしょうか。人間の常識に拘ることなく、昆虫たちの生活様式を観察する必要があります。

点情報の主体化

まず、最初に思いつくのが、点情報の主体化です。

複数の個眼にぼんやりと投影されている情報から、最も強く反応している個眼を抽出する作業です。この状況の主体化によって、点情報、つまり、発光源の方位が分かります。

点情報が主体化できれば、脊椎動物の眼のように、網膜上に映像を投影したのと理屈は同じになりますから、それ以後の情報処理は、脊椎動物と同じでもいいようにも思えますが、昆虫たちの生活スタイルから想像すると、必ずしも同じではないと思われます。関与する神経細胞の数が、相対的に少ないからです。何らかの形で、特定の状況に特化したショートカットと最適化が行われていると思われます。

昆虫たちの適応戦略は、小型化、ある特定の環境への特化です。小型化すれば、自分が生きていく為の生活の場の確保が簡単になります。小さな日溜まりでも、充分に暖かい場所として生存に活用できます。
そして、特定の環境の特化することによって、生活スタイルも単純化できます。その行動様式も単純化されて、情報処理も、その特定の状況にだけ対応ばいいので単純になります。
多様な環境への適応は、種を分割すれば可能になります。ひとつの種で、多様な生活の場に適応するのではなくて、発想を変えて、種を分割し、個々の種は特定の狭い生活の場に適応し、結果として、全体は、広い生活の場に適応しているように見えます。

脊椎動物のように、ひとつの種を保ったまま大型化して広い生活の場に適応しようとしたら、情報処理も、様々な局面に対応可能なように、汎用化して大袈裟になります。その良い例が、人間です。人間の場合、様々な局面に対応する為に、処理が抽象化、汎用化されて大きな脳になっています。環境を、『時間、空間、物質』という抽象概念の組み合わせとして理解しています。

昆虫たちは、ここまでの抽象化と汎用化は必要ないと思われます。要は、生きていければいいだけなので。トンボは、獲物を捕まえればいいだけなので。処理をショートカットして、この目的の為だけに特化すればいいように思われます。

線情報の主体化

トンボは、細い枝先や葉先に止まっていますから、線情報は何らかの形で主体化され、認識されていると思われます。

しかし、この情報も、他の情報同様、ある特定の状況に特化され、ショートカットされているかもしれません。人間の時空認識のように、汎用化されているとは思えません。

図形、面情報の主体化

彼らの生活環境の中で、これらの情報の主体化が何処まで必要か思い当たりません。生活に必要なければ主体化はされません。生きることに関係ない情報は、雑音として無視されます。

ただ、ミツバチの場合は、直線で構成された図形と複数の面で構成された数を結びつける訓練が可能なようです。図形と、面の数は認識できて、この2つの情報を結びつけることは可能なようです。この結果は、半信半疑ですが。

彼らの生活において面は、花を意味しているのでしょうか。だとしたら、その花の個数が、同時に数個程度までは認識可能なのかも。もちろん、認識可能と言っても、人間と同じような数の概念を持っている訳ではなくて、行動と結びつけることが可能という意味です。

図形は、花の模様、又は、花の筋を意味しているのでしょうか。花の模様は、線情報の組み合わせ的な性質、即ち、直線から構成された図形的な性質を持っています。蜜の場所を指示しています。

この2つの情報が主体化されて、認識可能なら、それを生きることと結びつけることも可能なのでしょうか?彼らの生活をもっと詳細に観察して、彼らの生活と密着した情報をテスト対象に選べば、即ち、人間の先入観を無視すれば、もっと、効率的なテストが可能かもしれません。
人間にとって単純な図形が、動物にとって、認識し易い情報とは限りません。生活と密着した情報が、認識し易い情報です。外見的に複雑な情報であっても、生活と密着していれば、判断材料も多くなりますから、逆に識別し易い情報になる可能性もあります。

いずれにしても、ある特定の状況(生きる事と密接に結びついた環境)に特化した(ショートカットされた)能力は持っているみたいです。

目玉模様の主体化

脊椎動物の視覚系は、目玉模様を主体化しています。この主体化された情報に対して、特異な忌避行動を取ります。それゆえ、昆虫たちの羽や体の模様には、目玉模様を持ったものが多く存在します。相手を嫌がらせて、捕食されることを避ける為です。

では、肝心の昆虫たちの神経組織は、この眼玉模様を主体化しているのでしょうか?
残念ながら、これを推測するデータは、まだありません。ただ、昆虫たちの行動を観察していると、目玉模様に反応しているようには見えません。昆虫同士の威嚇行動でも、目玉模様が使われている形跡がありません。だから、この情報は主体化されていないかもしれません。

ただ、昆虫同士の争いでも、頭と首などの急所を狙ってくるので、何らかの形で、頭部の情報は主体化されているものと思われます。それが、目玉模様が根拠になっているかどうかは分かりません。

昆虫が持っている目玉模様は、主に、鳥などの脊椎動物用に思えます。

時空間の主体化

時空認識を作り出す為には、複眼間の情報連携が必要です。

もちろん、人間と同じような時間と空間の認識を持つ必要はありません。行動と結びつけることができれば、それで充分です。その結び付け方は、目的さえ達成できればいいので、ある程度の自由度があります。

二つの複眼間の位相差を、行動と結びつけることができるなら、目的を達成できる可能性があります。動体視力だけでは、不充分です。

参考1)孫氏の兵法

孫氏の兵法は、非常に単純な考え方から構成されています。

国が生き残る』という目標を設定して、その為に何をすべきかを説いています。

哲学者や思想家、宗教家が喜ぶような難解な絶対的価値観を説いている訳ではありません。
「国が生き残る為には、何をしなければいけないか。」を説いています。そして、ここに哲学者たちの誤解の原因が潜んでいます。「何をしなければいけないか」は、置かれている状況によって異なります。目の前の現実は、自分の都合を無視して刻々と変化します。この為、その手段も刻々と変わります。置かれている現実あっての手段だからです。
でも、それは彼らに取っては、場当たり的ノウハウ集に見えてしまいます。絶対的価値観に根差した信念がないように見えてしまいます。軽薄な現実主義に見えてしまいます。孫氏についての批判の多くは、これが原因です。
彼らは現実に目を向けないで、『絶対的価値観』という空想にしがみ付いています。その空想を現実だと錯覚して、手段を選択するので、いつも結果は悲惨です。
理論的空想と現実の区別が付いていません。失敗するのは、当たり前です。現実に基づかない行動は、それがどんなに宗教的真理、哲学的真理であっても、「現実に基づかない」という、だだその一点の為に破綻します。それが、宗教家や哲学者たち思想家の欠陥です。

実際の殴り合いの戦争は、勝っても負けても国力を消耗します。戦争は、ともかく金が掛かります。金だけでなく、人も物資も消耗します。動員した農民兵が死ぬと、古代国家唯一の富の源泉である農業生産にも重大な影響が出てしまいます。そのような消耗した時に、別の他国から攻められたらアウトです。

だから、孫氏の兵法では、「殴り合いの戦争に勝つ。」ことが上策とは説きません。勝っても負けても国力を消耗するからです。「国力を消耗しないで勝つ。」、即ち、「戦わずして勝つ。」ことが、最も大切だと説きます。国力を維持できるからです。

今、話題にしている生物の世界も、まさしく、この孫氏の兵法の世界です。
生物にとって、最も重要な事は『自己保存』、即ち、『生きる』ことです。環境と自己との関係を、自己にとって都合のいい『ある一定の状態』に保ち続けることです。

「その為に、何をしなけてばいけないか?」「目的を達成する最も効率のいい方法は何か?」が課題になっています。

全ては、『生きる』、即ち、『自己保存』という目的を達成する為です。プロトコルは、二の次です。