2019/05/10 うつせみ

攻撃と逃避という動物の相反する行動も、根は同じです。
その根底にあるのは、自己保存です。

敵を攻撃して破壊しても、敵から逃げても、どちらの行動でも、自己保存の目的は達成できます。
その切替スイッチは、現実の動物の場合、敵との距離によって決まっています。敵との距離が充分な場合は逃げ、近づき過ぎると攻撃に転じます。

8.5 自己保存系の攻撃と逃避

自己保存系の目標は、『自己を保存する』こと、即ち、『生きる』ことです。

自己が安全に存続し続ける為には、自己を出来るだけ、無興奮な状態(テンションが無い状態)に保つ必要があります。
具体的には、『自己の存在を否定する敵』が、身近に存在しないことです。敵の為に自己の存在が脅かされると、テンションが増加して、何らかの行動が生じてしまいます。

自己保存系の目標自己を出来るだけ、無興奮な状態にする。
即ち、テンション=ゼロ に保つこと。

敵に遭遇した時、テンションを減少させる方法は、論理的に2つ考えられます。

第一の方法は、逃げること、遠ざかることです。
逃げれば、結果として、敵との距離は遠くなりますから、自己の存在危機は、減少します。即ち、テンションは減少します。

第二の方法は、敵を攻撃して、物理的に破壊してしまうことです。
敵を破壊すれば、結果として、敵は自分の近くから居なくなりますので、こちらも同様に、自己保存の危機は去ります。この行動でも、テンションは、減少します。

上記の2通りのどちらの行動を取っても、結果的には、敵(自己の存在を否定するもの)が、身の周りから居なくなりますから、テンションは、減少します。

注意して頂きたいのは、この2つが、純粋に、論理的思考から、導かれていることです。現実に目を向け、注意深い観察から得られた結論ではありません。あくまでも、理屈上の可能性の問題として、導かれた結論です。

敵を攻撃して破壊しても、
敵から逃げても、
どちらの行動でも、自己保存の目的は達成できます。

論理的に導かれるテンションゼロ に至る道

1敵から逃げる。
2敵を攻撃して、破壊する。

8.5.1 攻撃と逃避の切り替えスイッチ

このような自己保存を背景とした攻撃と逃避は、現実の動物の場合、一般に、敵との距離によって決まっています。

敵との距離が充分にある場合は、攻撃や争いは、エネルギーのムダや、ケガのリスクもありますから、逃げたり、避けたりします。攻撃は、決してタダではありません。高い代償を伴います。
クマに襲われないように、鈴をならして、常に、人間の居場所を相手に知らせるのも、この為です。

それをしないで、突然、鉢合わせすると、クマは攻撃に転じます。逃げれないと判ったら、攻撃に転じます。

逃避行動は、結局、敵に後ろを見せる行為です。その時、攻撃されると、近すぎて回避や反撃が難しくなります。敵の近くで、敵に背を向けるのは、非常に危険な行為です。それよりも、敵と正面から向き合きあって、攻撃に転じる方が、リスクが低くなります。

最低限、敵と向かい合って、「攻撃するぞ。」と威嚇しながら、用心深く、後退りすることです。敵との距離が充分離れたら、身を翻して逃走することです。

何れにしても、敵に、不用意に背を向ける行為は、褒められた行動ではありません。敵との距離が近い場合は、攻撃に転じる方が、リスク管理上、理に適っています。

攻撃と逃避の切り替えスイッチ

敵との距離行動
離れている敵から逃げる。
近い攻撃して、敵を破壊。
逃げれない攻撃して、敵を破壊。

8.5.2 窮鼠猫を噛む。

『窮鼠猫を噛む。』の場合は、追い詰められて、逃げれないので、逃避行動は不可能です。残った唯一の方法、攻撃行動が選択されます。

敵が襲って来て、追い詰められると、敵との距離が、一定の閾値を超えてしまいます。自分が悪い訳ではありませんが、危機に瀕しますから、何とかしなければなりません。唯一残った可能な手段、即ち、攻撃以外に方法がありません。逃げれないので。

決して、リスクが低い訳ではありませんが、他に手段が無いので、最も、可能性の高い、しかも、唯一、残った手段が選択されます。望みは低いですが、一か八か、最後の賭けです。

攻撃と逃避という相反する2つの行為も、結局は、自己保存の為です。論理的に導かれた2種類の行動の可能性が、実際に、選択、実行されているに過ぎません。その切替スイッチは、敵との距離です。

なお、肉食動物に見られる捕食の為の攻撃行動は、上記の理由と少し毛色が異なっています。
この行動は、基本的には、エネルギー(食糧)確保の為の自己保存行動です。自己の存在を否定するものへの攻撃行動ではなくて、自己保存に必要なエネルギー調達行動です。植物が太陽に向かって、葉を広げるのと同じです。
根底には、エネルギー危機があります。この危機に対処する為には、『エネルギーの補充(捕食)』以外に方法がありまえん。

捕食行動の場合、自己の存在を否定する敵は、『エネルギー危機』です。

8.5.3 家庭内暴力

この問題は、我々人間の行動も、大きく支配しています。

家庭内暴力は、巣立ち本能と、巣立つことの出来ない現実とのジレンマが、巣立ちを阻害している仮想敵(親や祖母)に向かっているように見えます。

人間、成長すると、巣立ち本能に促されて、『こんな家、飛び出てやる。あ~。鬱陶しい。』という衝動にかられます。でも、その反面、自信がありません。怖さもあります。飛出すだけの勇気がなかなか湧いてきません。ジレンマに陥ります。

相変わらず、親は、うるさく自分を押さえつけてきます。型にはめようとします。自分の巣立ち本能を妨害している仮想敵に見えてしまいます。『窮鼠猫を噛む。』の状況に追い込まれてしまいます。そして、遂に爆発して。。。。

行動の是非は別にして、そこには、自己保存の本能が見え隠れしています。

人間の場合、本能は、感情として自覚されています。感情的衝動として現れています。思春期に達した女の子が、父親を『不潔』と感じるのは、結果的には、近親交配の回避に繋がっています。

もちろん、当人には、そんなつもりはありません。『不潔に感じるのだから、しかたないじゃん。』と思っているだけなのですが。
強力な性欲と対峙する為には、さらに強力な負の感情(不潔)が必要なのかもしれません。性欲と不潔が対峙して、結果的に、近親交配が回避されているのかもしれません。
ちなみに、動物たちの場合、近親交配の回避は、臭いを手掛かりにしているみたいです。

8.5.4 宗教的迫害

宗教は、『迫害されたこと』を、教義化、神聖視する傾向にありますが、このような被害妄想は、心理的に『窮鼠猫を噛む。』の状態を作り出しています。

その被害妄想が、他宗教への攻撃や迫害になって、現れない事を願うばかりです。

被害妄想を自己保存のバネにすることに反対はしませんが、行き過ぎると、他人種、他民族、他宗教への迫害、攻撃へと転化されてしまいます。

先頭を切って旗を振っている感覚器官は、嗅覚です。『あいつは、臭い』です。やはり、群れの仲間を臭いで識別していた名残でしようか?。

動物は、コロニーを臭いで識別していますが、やはり、人間も、人種、民族、宗教などのコロニーの違いを、臭いで実感しているのでしょか。つくづく、業(ごう)の深い動物です。

政治家は、国民を戦争に動員するとき、この被害妄想正義を巧みに操っています。敵は邪悪であると憎しみを煽り、『仲間が殺された。』と言って、被害妄想を煽り、一般市民を戦争へと動員しています。

いづれにしても、 細心の注意が必要です。そこで、憎しみの拡大再生産が起っています。一発、殴られたら、二発、殴り返しています。二発、殴り返されたら、三発、殴り返しいます。殴り返されるたびに、被害妄想が大きくなっています。

8.5.5 組織の原理とアポトーシス

この問題は、戦闘用ロボットの、戦闘時の行動を制御する指針も与えてくれます。

戦闘時に、相手を攻撃するか、攻撃をかわして逃げるかの判断基準のひとつになります。

もっとも、実際に、戦闘用ロボットを製作する場合、これに、あの悪名高い『組織の原理』も導入して、自己保存系の階層構造全体、即ち、軍団全体の制御を考慮する必要が生じます。

下位の自己保存系は、上位の自己保存系の為に、自己犠牲の覚悟で、臨まなければならない。
即ち、『忠誠を尽くせ。』です。

組織の原理上位の自己保存系(組織)は、下位の自己保存系(個人)に優先します。

下位の自己保存系は、上位の自己保存系の為に、自己犠牲の覚悟で、臨まなければならない。
即ち、『忠誠を尽くせ。』です。

自己保存系の階層構造(軍団)の中で、個々の細胞は、自己の保存と、献身的自己犠牲、即ち、アポトーシスのジレンマに直面します。

軍団全体と、個々のロボットの制御原理を、シームレスに統一して、その中に、アポトーシスを組み込む必要があります。アポトーシスの上に成り立った、攻撃と逃避を制御する必要があります。

組織の原理とアポトーシスは、一枚のコインの裏表です。

組織を上から見たら組織の原理になり、下から見たらアポトーシスになります。下位の各構成員は、組織の為に、常に、献身的に貢献することを求められます。一方、組織は、各構成員に、非情な組織の掟を強いります。自己犠牲を強いります。

自然の掟は、時として非情なものです。種の立場では、最初から、リスクを見越して、余分に子供を作っている訳ですから。
個体を構成する大部分の細胞は、個体を維持する為に、機能しています。新陳代謝によって、多くの細胞が生まれて、そして、消滅しています。そこにあるのは、個々の細胞の命ではなくて、個体という組織の自己保存です。
種のレベルでの自己保存系でも、個体のレベルでの自己保存系でも、そこでは、組織の原理と、アポトーシスが成り立っています。

戦闘用ロボットを製造する場合の考慮点

(生物の置かれている現実)

l項目説明
制御対象軍団から個々のロボットまでを、同一の制御原理で、シームレスに統一。

生態系全体から、個々の細胞までを、同一の制御原理で統一。
組織の原理組織の掟は非常です。
上位の自己保存系(組織)は、下位の自己保存系(個人)に優先します。

種の自己保存は、個体や細胞の自己保存に優先します。
個体の自己保存は、細胞の自己保存に優先します。
アポトーシス下位の自己保存系は、全体の為に、献身的自己犠牲を強いられる。

個体の自己保存の為に、個々の細胞にアポトーシスが起っている。
ロボット兵器の階層構造
ロボット兵器の階層構造
最下層の自己保存系は、ミサイルなどの特攻兵器です。
特攻兵器は、敵に体当たりするまでは、自己保存が制御されます。

最終的目的は、『孫氏の兵法』が教えるように、『国家』が生き残ることです。
下位の自己保存系が多少犠牲になっても、国家が生き残れば、目的達成です。
地球上の生命現象における自己保存系の階層構造
生態系の階層構造
地球の生態系において、自己保存系は階層構想になっています。
詳細は、参考1)地球上の自己保存系(生物)の階層構造 を参照して下さい。

このように、軍団全体を制御する問題と、地球の生態系を論ずる問題が、シームレスに繋がってしまいます。区別する理由が、何処にも見当たりません。当たり前ですね。戦闘という行為自体も、人間という動物の行為なので。

人間の作るものは、結局、生物の宿命の上に成り立っています。
おぞましいとは、思いますが。


参考1)地球上の自己保存系(生物)の階層構造

生物は、自己保存系を構成しています。この自己保存系は、地球においては、下記のような階層構造を持っています。

地球上の生命現象における自己保存系の階層構造
生態系の階層構造
地球の生態系において、自己保存系は階層構想になっています。
生物進化の現象は、種のレベルでの自己保存系の様々な環境変化への適応行為を意味しています。

最も下位の自己保存系が、細胞です。その細胞の集合(群体)によって、個体レベルの自己保存系が構成されています。その個体の集合によって、種のレベルでの自己保存系が構成されています。そして、最上位に、種から構成された生態系が位置しています。
ちなみに、世間で生物進化と呼ばれている現象は、この階層構造の中で、種のレベルでの自己保存系の環境変化への適応行為を意味しています。

なお、原始的な単細胞生物の場合は、細胞の集合体(個体)を構成しないで、直接、種のレベルでの自己保存系に直結しています。
単細胞生物の場合は、作りが比較的単純なので、かなり異なった生物間でも、遺伝子の共有が可能です。一方、多細胞生物の場合は、システムが複雑で、特化しているので、各遺伝子の汎用性も低く、種間での共有が難しくなっています。
皮肉な話ですが、多細胞生物の場合、汎用性を犠牲にして、特殊化(高機能化)しています。特殊化(高機能化)と汎用性のジレンマに陥っています。

この意味では、多細胞生物の種の概念と、単細胞生物の種の概念とは、少し、異なっていると思われます。単細胞生物については、情報が不足しており、しかも、遥かに多様性に富んでいるので、詳細は解りません。

これらの階層構造を支配している原理は、戦闘用ロボットの場合と同様です。組織の原理とアポトーシスが成り立っています。上位の自己保存系が下位の自己保存系に優先します。下位の自己保存系は、時として、献身的自己犠牲を強いられます。

秋になれば、木々は、葉を落とします。厳しい冬を耐える為に、個体(木)は、余分なもの(葉)を捨てて、エネルギー消費を抑えます。個体レベルの自己保存が、細胞レベルの自己保存に優先して、余分な細胞は、切り捨てられます。
せっかく、一生懸命に働いて、エネルギーを生産したのに、そのエネルギーは、来るべき春の為に、木本体に蓄えられ、(葉っぱ)自らは、切り捨てられ、死滅します。木本体が死ねば、葉っぱは生まれませんが、木が生き残れば、また春には、新しい葉っぱが生い茂りますから、仕方のないことかもしれません。

個体と細胞の関係は、種と個体の間でも成り立っています。生物は、たくさんの子供を産みます。餌の量は、限られているので、その全てが成長できる訳ではありません。事故や、奇形のリスクを考慮して、余分に産んでいます。猛禽類は、2個の卵を産みますが、通常は、育つのは、餌の量が限られているので、一羽のみです。

判断基準を、個体レベルに置くと、一羽しか育てられないのに、卵を2個産むのは、道徳的には、非情に思えますが、種のレベルに置くと、たくさん産んで、育つ分だけ育てた方が、機会損失と、リスクの面から、利益が最大化されます。

種が絶滅すれば、個体は生きていくことができませんが、種が存続するなら、個体は、いくらでも、再生産可能です。冷たいようですが。

たくさんの子どもを産む理由

考慮点説明
機会損失今年は、餌が多いので、もっと、多くの雛を育てられたのに。
飢え死を心配して、少数しか産まなかった。
リスク生まれた雛が病弱や、障害で、うまく、育たない。
敵に襲われるなどの事故で、死亡する。

非情なようですが、種のレベルでの利益が最大化されています。

問題は、判断基準を、個体に置くか、種に置くかの問題だけです。もし、種に置くと、当然、個体の論理は否定されますから、現代の人間社会の倫理観からは、大きく外れることになってしまいます。人間は、細胞レベルの自己保存は、平気で無視しているくせに、自分が無視されると、全体主義として、批判します。

現実に目を向けようとした場合に、この倫理観は、バイアスとして作用してしまいます。あの忌まわしい全体主義と話が被ってしまうので、激しい拒否反応を引き起こしてしまいます。

いい子ぶって、リベラリストのように、個体の権利と自由を声高に叫んで、種全体の利益を無視しています。機会損失を最小に抑える為にも、卵は、育児可能数よりも、沢山産むべきです。
餌を与える時は、口を大きく開いて、元気に要求する個体を優先すべきです。腹が減っている時だけ要求するので、餌が少ない場合は、元気に要求してくる雛に優先的に与える方が、種の存続の為には有利です。少なくとも、餌の量に見合っただけの雛は、巣立ちできるのですから。
平等に分配していたら、餌が少ない時には、全ての雛が餓死してしまいます。餌の量なんて、前もって予測できないので、産むタマゴの数も、前もって調整できません。
人間の道徳や倫理観としては、受け入れ辛いと思いますが。全体がダメになるよりは、遥かに、マシです。

実際問題として、現代の生物学者は、進化を個体レベルの問題として処理してます。自己保存系の階層構造や、種のレベルでの適応行為である視点が欠けています。

人間の建て前と、欲望と、ワガママが絡んでいるので、難しい問題です。