今日:1 昨日:3 累計:10921 2021/07/10 うつせみ

『時間、空間、物質』は存在する実体ではありませんでした。
我々の存在するこの宇宙は、そのような実在物で構成されている訳ではありません。
これらは、全て脳内部の情報の処理形式でした。

ここでは、『時間、空間、物質』という概念を使わない全く新しい物理学体系を構築する準備を行っています。
結果的には、現代の哲学や物理学、生物学などの科学を根底から作り替える広範な作業となりました。

最終的には、現代の科学文明の次の文明を準備しているみたいです。
知的生命体の宿命と向き合った心の文明です。
我々知的生命体の出生の秘密を知ることになると思います。

現代の人々にとっては、受け入れ難い新しい知識や考え方が、結構多く含まれています。その為、受け入れて頂くには、かなり時間が掛かると予想しています。受け入れて頂くことよりも、未来の為に必要な情報を残す作業を優先しています。残念ですが、自分の持ち時間は限られているので。

はじめに

あるとき、ふと、「時間、空間、物質」は、存在する実体ではない事に気が付きました。(我々の存在している)この宇宙は、そのような実在物で構成されている訳ではありませんでした。それを使わなくても、物理現象が記述可能である事に気が付きました。霧が一気に晴れました。有頂天になりました。

でも、それは死の恐怖を伴う思考作業でした。「時間、空間、物質」を否定した思考作業は、死の恐怖を伴っていたのです。その死のストレスに耐える事ができませんでした。そこで、急遽、このストレスに耐える為の作業に着手しました。
ここで述べている内容が、現代科学や哲学の常識に反して異常なのは、このような事情によるものです。常に、死の恐怖に付きまとわれています。

なお、「時間、空間、物質は、存在する実体ではない。」という事実を、仏教では『空』と表現しています。自分が辿り着いた結論に、もう既に、2500年前の原始仏教は辿り着いていたのです。ほんとうに、驚きました。

このタイトルを、「空(知的生命体の心の構造)」としたのは、これが原始仏教の考え方そのものだからです。もちろん、知識は現代科学を使っています。現代の科学知識を使って、原始仏教の辿り着いた結論を説明しています。結論は同じですが、アプローチはかなり異なっています。

結果的には、現代の科学文明を根底から覆す広範な作業になっています。次の文明を準備する作業になっています。知的生命体の宿命(Rules of intelligent life that are born with.)と向き合った心の文明です。
「心と意識が、何処から生まれたのか。なぜ死の恐怖が生じてしまうのか。」、その我々知的生命体の秘密を知ることになると思います。

当初の予想に反して、計画の規模が大きくなり過ぎました。生存確率が、ただでさえ低かったのに、更に益々低くなってしまいました。嫌だったのですが、仕方ないです。それが、立ちはだかっている壁だから。
壁は乗り越えないと、前には進めません。「できるか、できないか」ではなくて、「できなかったら、前に進めない」ただ、それだけです。現実は、冷酷です。

足が届かなければ、海の深さは、みな同じ。
そう、諦めています。

知的生命体の 心の構造

意識』とは、何でしょうか。
その物理的存在さえ確認されていない意識は、未知の存在です。

フロイトと原始仏教が同じことを述べています。
意識は、自己の心的システムを知覚対象とした感覚器官である。』と。

ここでは、この『意識感覚器官』の工学的構造と、生物学的意味について述べます。
知的生命体の脳の構造の特殊性について触れます。
現代においては、全く新しい知識です。

おそらく、知的生命体の出生の秘密を知ることになると思います。心の深淵を覗き込むことになります。それを受け入れることができなくて、葛藤に苛まれることになると思います。
現代の科学文明は、この知的生命体の脳から生み出されています。そして、ここに、この文明の限界があります。

この内容は、この計画の全ての基礎になります。
現代の科学文明を根底から覆します。
現代の科学文明は、(素朴過ぎて)全く使いものになりませんでした。

意識とは

意識は、哲学者が考えているような観念的存在ではありません。明確な実在的意味を持っています。それは、感覚器官の一種です。「意識する。」とは、「意識感覚器官で知覚する。」事を意味しています。
即ち、意識は脳内部の事象を知覚対象とした感覚器官です。意識知覚しているものは、実体ではありません。脳内部の事象です。

フロイトは、その著書『夢判断』の中で、意識について、次のように述べています。

では、我々の叙述の中で、かつては全能であり、他の全てのものを覆いかくしていた意識に対して、どんな役割が残されているのか。

それはすなわち、心的性質を知覚するためのいち感覚器官以外のものではない。我々が図式によって示そうとした試みの根本思想に従えば、我々は意識知覚を、省略記号Bw(意識)で現される特殊な一組織の独自な業績としてのみ、捉えることができる。

出典「夢判断(上、下)」 S.フロイド著 高橋義孝、菊盛英夫訳 日本教文社

仏教経典でも同様に、次のように述べています。

世尊(仏陀)は、「比丘(教団の修行僧)たちよ、色形はときとして二種(の認識)によって認識される。すなわち、眼(視覚)とそれによって引き起こされる意(意知覚)とによってである。」と言われたのである。

論理のことば (中公文庫 ) モークシャーカラグプタ (著), 梶山 雄一 (訳注)

「色形などのイメージは、二種類の知覚によって認識されている。視覚と、そこから引き起こされる意識知覚(意知覚)とによってである。」と、述べています。

イルカ

イルカ
「色形などのイメージは、ときとして二種類の知覚によって認識される。すなわち、眼(視覚)と、それによって引き起こされる意識(意識知覚)とによってである。」

(海を泳いでいる)イルカを見たら、イルカを思い浮かべる事ができます。この脳内部のイメージを意識感覚器官は、知覚対象としています。

そして、人々は、その意識知覚しているもの(脳内部の事象)を、存在する実体だと思い込んでいます。
「実体だ。」と思い込んでいるが故に、それに拘っています。執着しています。

原始仏教も、意識知覚の存在に気が付いていました。これを、仏教では「意知覚」と呼んでいます。

我々人間は、眼で知覚した信号で行動を起こしているように、意識知覚された信号からも行動を起こしています。愛や憎しみ、死の恐怖などに振り回されています。

重要な事は、
我々人間の行動は、感覚器官で「知覚された刺激」が原因となって、心の中に眠っている「欲望」が活性化されます。その活性化された「欲望」は、「行い」を生じさせます。そして、「行い」は、何らかの「結果」を生みます。

意識知覚からも「行い」が生じています。そして、その「行い」は「結果」を生じさせています。(視覚同様に。)

この原因と結果の因果関係を観察する事が大切です。

知覚の因果関係: 知覚 -> (欲望の活性化) -> 行い -> 結果

知覚は『行い』を生じさせています。
意識知覚からも『行い』を生じさせています。


物事は、言葉によって明らかになっている訳ではありません。ただ単に、「行い」によって「結果」が生じているに過ぎません。それ故、この原因と結果の因果関係に目を向ける事が大切です。

言葉が生み出している先入観に囚われないことを希望します。

(大切な事は、)現代の科学文明は、全て、この意識知覚から生み出されている事です。

因果関係: 意識知覚 -> 現代の科学文明 ( 宗教、哲学、科学、芸術 etc )

時間も空間も物質も、意識の知覚対象です。それは、『心的性質』、つまり、脳内部の事象です。脳内部の情報の処理形式です。外部感覚器官からの信号を、このような形式を使って処理しているに過ぎません。
現代の科学体系は、余りにも、素朴過ぎます。全て根底から作り替えてしまう必要があります。
でも、計画の規模が大き過ぎます。自分個人が生き残ることは不可能です。逆に、(生き残れないなら)余分なものにも振り回されないので、(権威やドグマを無視して)冷酷に実行でるメリットもあります。

意識知覚しているものの正体
(現実世界から仮想世界への投影)

現実世界から仮想世界への投影
動物は、外部感覚器官から得られた電気信号を、
1) 『自己、時間、空間、物質』という情報の処理形式(仮想空間)の上に、マッピングしています。
2) そして、このマッピングされた情報に基づいて行動を起こしています。<< ここ重要。
3) なお、現実世界の真の姿は不可知です。我々は、認識された範囲内でしか理解できません。

この仕組みは、動物進化五億年の実績によって、最適化されています。従って、我々は、見たままに行動しても、不都合を感じることはありません。実際、目の前のコップは、何の疑念も抱かずに手掴みできます。(システムが最適化されているからです。実在物だからではありません。そう信じたい気持ちは分かりますが。)
この情報処理の形式は、犬たちも持っています。動物進化を共有しているので。それ故、犬と人間の間では、共通のゲーム(鬼ごっこ)が成り立ちます。

聴覚情報の投影

(仮想空間へ)マッピング出来る信号は視覚情報だけではありません。目の不自由な方は、イルカやコウモリ同様、聴覚情報も、そこそこの精度でマッピング可能です。このマッピングされた聴覚情報に基づいて、我々と同じような正常な行動が可能です。(多少のハンディはありますが。)ちなみに、イルカやコウモリは、我々の視覚と同程度に、正確な行動が可能です。超音波を利用しているので、小さな物体の識別も可能です。真っ暗な洞窟で暮らす昆虫は、触覚からも、このような空間認識を作り出すことが可能みたいです。
我々普通の人間も、音のした方向に振り向く事はできます。能力は貧弱ですが、聴覚情報からも、空間認識は可能です。人間は、視覚情報に、強く執着しています。聴覚や嗅覚は、疎かにしています。かつて木の上で暮らしていたサルという動物の宿命です。

なお、現実世界は、(厳密には)不可知です。我々は、あくまでも、認識された範囲内でしか現実世界を知ることはできません。外部感覚器官から脳に向かって流れているものは、あくまでも、電気的パルス信号に過ぎないからです。外部感覚器官は知覚した情報を、神経組織上を流れる電気的パルス信号に変換して、脳に送っています。そのパルス信号を、脳内部で再構成して、仮想空間にマッピングして、信号の意味を理解しているに過ぎません。
つまり、外部感覚器官からの信号を、『自己、時間、空間、物質』という形式に正規化しています。そして、この正規化された情報から、行動を生じさせています

唯物論者は、意識感覚器官が知覚している脳内部の仮想空間を実体だと思い込んでいます。仮想空間の情報に基づいて行動しても、日常生活では不具合を感じないからです。目の前のコップを、何の疑念も抱かずに手掴みできるからです。それが、動物進化五億年の実績によって、最適化された結果に過ぎないことに気が付いていません。(自らの欲望の働きを、克服出来ていません。この欲望のもう少し先には、死の恐怖が横たわっています。)

現代物理学が突き当たっている壁

現代物理学は、今、この壁に突き当たっています。
日常生活の範囲内、つまり、ニュートン力学が成り立つ範囲内なら、この形式で上手く理解できました。ところが、現代物理学は、日常から遥かに乖離した極限の物理現象を扱うようになってきました。ミクロな素粒子の世界とか、マクロな銀河系や宇宙全体などの世界は、今まで、人間という動物が生きてきた事のない世界です。
従って、脳内部の情報処理が最適化されていません。つまり、『時間、空間、物質』という思考の枠組みでは理解できなくなりました。この為、「時間と空間の相対性」とか、「空間は曲がっている」、「不確定性原理」、「波と物質の二重性」、「物理量の不連続性」といった極めてテクニカルな概念を導入して、無理やり辻褄を合わせているのが現状です。まるで、天動説末期の「周転円」を彷彿とさせます。

ここでは、この壁を乗り越える為の作業を行っています。従って、現代の科学的常識とは、大きく懸け離れた(意味不明の)話になっています。残念ですが、自分もこの問題は、まだ解けていません。試行錯誤の真っ最中です。

『時間、空間、物質』は、唯物論者が思い込んでいるような存在する実体ではありません。実体ではないもの、即ち、自らの欲望が生じさせた(実体のない)『空っぽ』なるものです。「(意識知覚している)一切は空なり ( Everything is empty. It was the result of my own desires. )」です。

意識器官は、元々(生物進化上)は、模倣反射の為に発達した器官です。それ故、模倣反射が可能な動物は、程度の差を別にすれば、広く意識器官を持っているものと思われます。サルやイルカ、象だけでなく、ひょっとしたら、カラスなども、(思考活動が可能な)そこそこ高機能な意識器官を持っている可能性があります。決して、我々人間だけの専売特許ではありません。

ここでは、この意識器官の生物学的意味と工学的構造について述べています。
なお、この知識をベースとした哲学は、『空の哲学(Empty philosophy)』になります。物理学用の認識論も、この空の哲学に沿って整備しています。

ネオ・ダーウィニズム批判

生命現象に関する物理学理論を作る必要があったので、その準備作業を行っています。

その過程で、現代の正統派進化論が間違っている事に気が付きました。自分の辿り着いた結論と、あまりにも、その発想が違い過ぎていたからです。

そこで、新しい生命現象に関する理論を作る前に、まず、現代の正統派進化論の批判作業を行います。そこで使われている騙しのテクニックを明らかにしていきます。内容を理解して頂けるなら、唖然とされると思います。

実際には、欲望を克服できないので、結構、抵抗があるみたいです。反応を観察していると、多くの方が、ここ(欲望の克服)で躓かれています。

ネオ・ダーウィニズム批判

生物が進化しているのは、事実です。
しかし、現代の正統派進化論は間違っています。自然科学の理論ではありません。疑似科学です。
自然選択説は、トートロジーに陥っています。
因果関係が成り立っていません。

これは、自然科学の理論ではありません。物理的作用の因果関係に基づいて記述されていません。因果関係が成り立っていません。だから、彼らの主張するような仕組みで物理現象が起こる事は不可能です。残念ですが、これは疑似科学です。関わるだけ、時間のムダです。
「人間を納得させること」には完璧に成功していますが、「自然科学の説明」には失敗しています。この二つの違いが理解できていません。「納得できたから正しい」と思い込んでいます。

現代の進化論では、実に多くの騙しのテクニックが使われていました。
まるで、騙しのテクニックの博覧会状態でした。

ここでは、その騙しのテクニックを中心に解説しました。
全ての人々が騙されてしまった手口です。それ故、多分、読まれても、半信半疑だと思います。人間という動物の習性と欲望を逆手にとった実に巧妙な手法だからです。頭では理解できても、実感としては納得できないと思います。心の中の欲望と一致しないので。

でも、理解されると(自己の欲望の存在に気付くと、)余りにも壮大なカラクリに、唖然とされると思います。
非常に根の深い問題です。進化論だけに限った話ではないことに、直ぐに、気付かれると思います。世の多くの哲学や、思想、道徳、宗教、科学などの権威処が、この騙しのテクニックを(自覚もなしに)使っています。

現代の科学文明は、この騙しのテクニックで満ち溢れています。それに気付いて頂く意味も込めて、これを準備しました。

他の内容が、全て未来を目指しているのに対して、この内容だけは過去の反省を目指しています。

生物進化の理論

生命現象に関する物理学理論を作る必要があったので纏めてみました。

生物進化を教材にして、生命現象の物理的構造を解析してみました。
最終的には、物理学と生物学の統一を目指しています。

具体的には、今西錦司氏の『棲み分け理論』と、木村資生氏の『中立説』を、物理学の『場の理論』と、『制御工学』の知識を使って統一し、生物進化のメカニズムを説明しています。
大進化のメカニズムの定性的説明までを、試みています。

生命現象の根底にある問題は、『時間とは何か』です。その『時間』の正体を探る作業になっています。

現代の物理学者は、時間は一種類だと思い込んでいます。しかし、実際には、二種類存在しています。物理現象を構成している物理時間は、見かけ上、『繰り返す時間』と、『繰り返さない時間』の二つの時間より構成されています。量子力学などの素粒子レベルのミクロな現象で顕在化する問題です。

三つの時間

三つの時間
時間は、三種類あります。
物理世界は、繰り返す時間と、繰り返さない時間の2つで構成されています。
心の世界は、記憶の糸より構成されています。
二つの物理時間が縺れ合うようにして、心の中に蓄積して、結果、記憶の糸が作り出されています。

注意)「時間」自体は、存在する実体ではありません。脳内部の情報処理形式、つまり「記憶の糸」です。ここでは、そのような観念が作り出された背景を考察しています。

ニュートン力学は、繰り返す時間に関する理論です。従って、過去も未来も確定しています。熱力学は、繰り返さない時間に関する理論です。それを強引に繰り返す時間で理解しようとしている為に、意味不明の曖昧さが生じています。

生命現象は、『繰り返さない時間』に依存しています。従って、未来は不確定です。不確定だからこそ、制御、即ち、自己保存が可能になっています。未来が確定していたら、選択の余地が無いので、生きる為の適応は不可能になります。
この背後に隠れている関係を探っています。

まだ、現代科学には、必要な知識もデータも、ほとんど蓄積されていないので、詳細な話は困難です。概要しかお話しできませんが、それでも、生命現象の全体像を理解する手助けにはなると思います。

データ収集の基盤づくりの為に、準備しています。放置していたら、所定の時間内に計画が完了しない恐れがあったので、無理して実行しています。

現代生物学や進化論の考え方が如何に異常か。
自然科学の考え方から、掛け離れたものか。
生命現象を、物理学理論として論ずるには、どのような思考の枠組みが必要か。
その雰囲気だけでも、感じて頂ければ幸いです。

制御工学の理論

生命現象を記述する為に、その記述の基礎となる制御工学の理論を整備しました。
生物型制御原理に基づいた理論です。

生命現象は、「自己保存系の環境変化への適応行為(振る舞い)」です。だから、記述形式上は、制御工学の理論を使って記述可能です。自己保存系の振る舞いは、(常に変動している場への)制御の問題だからです。
ところが、現代の工学者が使っている制御理論は、発想が悪過ぎて、全く使いものになりませんでした。そこで、この目的の為に、ゼロから作り直しています。

目的は、次の三つです。

  1. 生命現象を、時間と空間の関数として記述する事。(他の物理学理論同様に。)
  2. 物理学用の認識論を作る事。(認識するという行為も、生命現象の一部なので。)
  3. 最終的には、生物型制御原理に基づいた組織やロボットを設計し、稼働させる事。

生命現象全般に適用可能です。
具体的には、生物進化の現象、脳の工学的構造、心理学、認識論などの生命現象全般を論じるのに必要となります。これらの現象の奥に潜んでいる問題の本質が、簡単に理解出来るようになります。
(注)心理学、認識論も、生命現象の一部です。哲学的空想の問題ではなくて、制御の問題です。)

時間と空間の相対性』なども、この制御工学のモデルを使って説明します。

最終的には、生物型制御原理に基づく組織やロボットを設計、制作することです。組織と、その組織の構成員であるロボットを、シームレスに統合することを目指しています。理論上は、組織とロボットを区別する理由は、何処にもありません。ただ単に、自己保存系(組織)の階層構造の問題に過ぎません。

しかし、現状は、まだ、そこまでは具体的に出来上がっていません。
基礎的な学術上の問題を論ずるのが、精一杯のレベルです。

突き詰めれば、制御自体は『繰り返さない時間』に依存しています。「時間とは何か」が問題となります。しかし、ここでは、そのような根本的問題には触れていません。表面的な記述形式の問題のみを論じています。

それでも、もし、『繰り返さない時間』が頭の片隅に残っているなら、この理論の根底にある問題が理解し易くなります。そもそも、「なぜ時間のドグマに逆らって制御が可能になるのか」、その根本的問題に気付かれると思います。

空の哲学と認識論

時間、空間、物質』という概念を使わない、全く新しい物理学理論を作る為に、その基礎となる哲学と認識論を整備します。

哲学は、空の哲学を使っています。認識論は、空の哲学をベースにして、ゼロから整備しています。現代哲学の認識論とは、全く異なった発想です。

現代科学の基礎になっている哲学は唯物論です。しかし、この哲学は、余りにも素朴過ぎて使い物になりませんでした。もっと、現実に目を向けた合理的哲学体系が必要でした。

唯物論は自己の欲望に振り回されているだけでした。欲望のコントロールが出来ていませんでした。
情報処理の本質は、欲望のコントロールです。この欲望が、偏見を生み出し、処理結果を歪めています。そして、「認識しているものは、疑う事のできない真理だ。実体だ。」という唯物論の錯覚を生み出しています。

時間、空間、物質』という概念を使わない物理学理論を展開しようとすると、『死の恐怖』の虜になってしまいます。死の恐怖で、心が動かなくなってしまいます。
その状況を克服する為に、整備を急いでいます。死の恐怖と向き合う為に準備しています。

なお、技術的には、『時間、空間、物質』という概念を使わない物理学理論は、このままでは、人間には理解できません。人間が理解できる形式『時間、空間、物質』に翻訳する必要があります。この翻訳作業の為に新しい発想の認識論が必要になりました。その整備も急いでいます。

空の哲学

空の哲学は、哲学者にとって、理解し難いかもしれません。多分、形而上学よりも遥かに難解です。一生懸命読んでも、心が空回りするだけです。残念ですが、仏教学者も『空』を理解している方は、それ程多くはありません。

実は、『空』は体系的知識の問題ではなくて、『行い』の問題に過ぎないからです。言葉や物事への拘りから離れることが大切です。その(拘りから離れる)『行い』を身に付ける事が出来るかどうかが問われているだけです。(理解は問われていません。『行い』が問われています。)

哲学者のように、言葉で理解しようとすれば、する程、泥沼に足を取られます。「全ては言葉で理解できる筈。」という先入観の葛藤に苛まれます。「自らの知識の枠組みの中に(言葉で)『空』を組み込もう」と,もがき苦しむ事になります。
仏教学者は、「空性」という便利な言葉を見つけて、何だか「空の真理」が理解出来たかのような気分に浸っています。「空性」という言葉への拘りから離れる事が大切なのに、それに執着しています。ミイラ取りがミイラになっています。

反対に、(何処かの教祖様のように、)言葉や知識を否定しても、同様に、理解できません。否定と肯定は、共に拘りに過ぎないからからです。拘っているからこそ、「否定したい。」とか、「肯定したい。」という欲望に振り回されます。
或いは、「否定でもない。」、「肯定でもない。」と、否定の否定、肯定の否定という謎論理を持ち出して、しつこく「否定、肯定」に拘っている人々もいます。
否定と肯定の両極端への拘りから離れることが大切です。そのような拘りを生み出している欲望から離れることが大切です。
(仏教は中道ではありません。そのような「右、中、左」という価値観への拘りから離れることが大切です。)

その拘りから離れると、一気に思考作業がブーストします。霧が晴れます。意識知覚している全ての事象は、脳内部の事象です。存在する実体ではありません。時間も空間も物質も、そして、愛も憎しみも、死の恐怖も、この科学文明さえも存在する実体ではありません。
これを仏教では、(意識知覚しているもの)一切は空なり(Everything is empty.)」と表現します。

物事は、言葉によって明らかになっている訳ではありません。ただ単に、『行い』によって『結果』が生じているに過ぎません。それ故、言葉への拘りから離れることが大切です。
原因と結果の因果関係を観察することが大切です。

空間を使わない幾何学体系

ユークリッド幾何学でもない、
非ユークリッド幾何学でもない、
位相幾何学でもない、
空間』という概念を使わない、全く新しい発想の幾何学体系を構築します。

「幾何学とは、『空間』の性質を研究する学問である。」と、数学者は考えています。しかし、ここでは、そのような数学者の先入観を根底から覆して、『空間』という概念を使わない全く新しい発想の幾何学体系を構築します。
多分、現代の数学者が、まだ、想像さえしたことのない内容になると思います。

『時間、空間、物質』という概念を使わない物理学理論を構築する為に必要になりました。その為に、整備を急いでいます。

なお、ここでも、『空間』の存在が否定されるので、死の恐怖に取り憑かれます。それを回避する為に、空の哲学が必要になります。

作業中。。。

『時間、空間、物質』を使わない物理学体系の構築

やっと、本題です。最終目標です。
前振りが、随分、長くなってしまいました。当初の予想に反して、規模が大きくなり過ぎて、戸惑っています。

上記の理論群は、この目的の為に、必要に迫られて整備しています。
現代の哲学と科学の体系は、余りにも素朴過ぎて使い物になりませんでした。根底から全て作り直す必要がありました。この為、作業規模が大きくなってしまいました。

時間、空間、物質』は、物理的に実在している実体ではありません。
我々の存在するこの宇宙は、そのような実在物によって構成されている訳ではありません。実体だと信じたい気持ちは分かりますが。

これは、現象の認識された形式、即ち、脳内部の情報の処理形式です。動物の脳は、外部感覚器官からの信号を、このような形式を使って処理しています。

日常の身近な物理現象なら、このような形式を使って物理現象を理解しても、ほとんど、問題となることはありません。具体的にはニュートン力学の範囲なら、不具合を全く感じません。動物進化5億年の実績に基づいて最適化されているからです。
つまり、「眼の前のコップを、手で掴めるのは、そこにコップが実在しいるから。」という唯物論の先入観を信じても、全く問題になりません。

ところが、現代物理学は、日常から大きく乖離した物理現象を扱うようになってきました。光の速度に近い高速の運動とか、原子よりも遥かに小さな素粒子の世界とか、太陽系よりも遥かに広大な銀河系とか、その銀河の集団で構成された宇宙全体とか。

これらの日常から大きく乖離した現象は、今まで動物が生きてこなかった世界です。だから、動物進化5億年の実績で最適化されていません。素朴な唯物論の先入観が通用しません。

この為、あちこちで綻びが生じてしまいました。『時間と空間の相対性』とか、『物質と波の2重性』とか、『不確定性原理』などのように、天動説末期の周転円のテクニックを想起させる、著しく、日常の直観と反した意味不明のテクニカルな概念を導入する必要が生じてしまいました。

現代物理学は、今、この壁に突き当たっています。動物進化5億年の実績が通用しない極限の物理現象に直面しています。

この壁を乗り越える為には、動物進化5億年の宿命を乗り越え、『時間、空間、物質』という脳内部の情報の処理形式を使わないで、別の形式を使って、物理学理論を記述する必要があります。
(その前に、心の問題を解決する事が、たいへんです。残念ですが、全ては心(脳)から生まれて、心(脳)に消え去っています。)

これらの認識の形式を使わなくても、物理現象の記述が可能であることに気が付きました。そこで、この計画を実行することにしました。発想の転換が必要で、現代の哲学と科学を根底から作り直す必要があるので、たいへんですが。

ここでは、次のような事を論じる予定です。

  1. 我々の存在しているこの宇宙は有限な事。
  2. この有限性が、具体的には、物理量の不連続性となって現れている事。
    物理量の不連続性と宇宙の有限性の間には、密接な関係があります。
    全ての物理現象は、最終的には、宇宙全体との相対関係として理解する必要があります。
  3. 宇宙が有限な為に、様々なマクロ効果が生じてしまっている事。
    宇宙が有限な為、その中に閉じ込めようとする内向きの力(重力)や、その反現象として宇宙が膨張しているように、見かけ上見えしまう事。(宇宙の膨張)
  4. 我々の存在しているこの宇宙の空間が3次元である理由。排他律の問題として説明する予定。

なお、最終的には、生命現象をも包括した統一理論になると思われます。

ところが、現代生物学には、必要なデータが全く蓄積されていない事に気が付きました。そこで、急遽、データ収集の為の基盤作りに着手しました。収集には、膨大な時間が掛かると予測されたからです。今から準備しても、間に合うかどうか。。。。。。分かりませんが。

上記の進化論、制御理論等の生命現象に関する理論群は、このような事情で、無理をして準備しています。現代の常識からすると、誤解を招きかねないトリッキーな内容です。必要なデータが全く無いので、理論としては、極めて不完全ですが、何も無いよりはマシと割り切っています。まず、最初に、問題の洗い出し作業を行っています。

いずれにしても、まだ、まだ、先の長い話です。
ノルマを消化する前に、時間切れになりそうです。

なお、時間切れになることを前提にして、必要な計画を立案して実行しています。計画実行に必要な時間が、自分の持ち時間を超えている現実は理解しています。
仕方ないですよね。全ての計画が自分の持ち時間の範囲内に収まるとは限らないので。自分の不運を恨んでみても始まりません。自分に出来ることは、その現実と向き合って、必要な手段を講じるだけです。時間切れになるまで、淡々と。

注)認識論について

このような人間の直観と大きく異なった物理学理論を作ったら、このままでは、人間には理解できません。そこで、人間の理解できる形式に翻訳する必要があります。
その為に、認識論の整備も急いでいます。哲学者が想像したこともない全く新しい発想です。詳細は、「新しい認識論の枠組み」を参照下さい。

作業中。。。

作業規模

計画全体の作業規模を図解すると、下記のようになります。

計画全体の作業規模

計画全体の作業規模

左が、現代科学の理論階層です。右が、この計画の理論階層です。

現代の理論階層は、哲学の基盤の上に、数学が構築され、その上に物理学が構築されています。哲学は、唯物論が主流です。なお、認識論は、存在していません。素朴な唯物論で代用されているのが現状です。

しかし、哲学が科学の基礎になっていることは、現代においては、ほとんど、自覚されていません。教育でもあまり触れられていません。「科学では、哲学が大切だ。」と、たまに主張する人がいる程度です。
現代科学の基礎になっている唯物論は、余りにも当たり前過ぎて、ほとんど、自覚されていません。だから、哲学の重要性も認識されていません。命運を分ける重要な問題であるにも関わらず、軽視されています。

この計画では、この階層を根底から全て作り替えてしまいます。(右側)
現代科学の問題点が、基盤になっている哲学、即ち、唯物論の素朴さにある為です。この哲学は、あまりにも素朴過ぎます。素朴な実感と信念のうえに成り立っており、合理性に欠けています。

まず、哲学を唯物論から空の哲学に変えます。認識論も、全く新しい発想を使って再構築します。現代の哲学者が使っている認識論は、素朴過ぎて、全く、使いものになりません。

土台になっている哲学体系を変更するにあたって、その基礎となる知的生命体の脳の構造の特殊性を明らかにしました。意識器官の生物学的意味と工学的構造を解析しています。現代の人々にとっては、全く新しい知識です。
これだけでも、一気にブーストが掛かると思います。理解して頂ければの話ですが。

数学は、思考形式学として整備し直します。現代は、まだ、研究室という徒弟制度の元で、理論が勘と経験で作り出されているマニュファクチャの時代です。その思考作業と思考部品をIOS規格化することによって、合理化することを目的としています。
(もちろん、最も大切な事は、目の前の現実に目を向けることです。ここでは、現実に目を向けた後の作業工程を合理化しようとしています。)

幾何学体系も『空間』という概念を使わない全く新しいものに置き換えます。数学者が、空想さえしたことのない全く新しい発想の幾何学体系です。現代の幾何学体系が、これの一部、つまり、特殊な例であることが理解出来ると思います。

物理学は、生物学と統合します。
『時間、空間、物質』という概念を使わないで記述します。
全ての物理現象を、宇宙全体との相対関係と捉え、排他律の問題として理解します。

ここで、生命現象について、意味不明の作業を行っているのも、将来の統合の為です。現代生物学には、この目的の為に必要となる知識もデータも、全く蓄積されていませんでした。そこで、急きょ、その為の準備作用に着手しました。かなり困難で、時間が掛かると予想されたからです。今から準備しても、果たして間に合うかどうか、自信はありませんが。当分、手探りの意味不明の作業が続きそうです。

タイムテーブル

参考までに、タイムテーブルも記しておきます。

この計画を実行する為には、計画全体の規模の大きさと、科学の進歩スピードを考慮すれば、まだ、300年程度は掛かると予想されます。
それを、絵にすると、下図のようになります。
下段は、未来500年分の拡大表示です。

タイムテーブル

タイムテーブル
この計画のタイムテーブルです。
下段は、未来500年分の拡大表示です。

この計画に貢献して頂いている過去の人物は、ゴータマ・シッダッタ(原始仏教)、孫氏(孫氏の兵法)、ジークムント・フロイト(精神科医)、チャールズ・サンダース・パース(プラグマティズム)、今西錦司(生物学者)の五名です。
この五名だけが、目の前の現実と向き合っていました。

後は、みんな、宗教的、哲学的、学問的先入観で、空想に耽っているだけでした。目の前の現実とは向き合っていませんでした。

四つの壁

自分は四つの大きな壁に直面しています。
哲学上の壁と、数学上の壁、物理学上の壁、そして、生物学上の壁です。

  1. 哲学上の壁
  2. 数学上の壁
  3. 物理学上の壁
  4. 生物学上の壁

哲学、数学、物理学の壁に関しては、壁を乗り越える為の手がかりを、何とか掴むことに成功したと認識しています。大雑把なイメージや思考モデル程度は述べることが可能です。

しかし、生物学の壁については、全く目途が立っていません。必要とするデータが現代生物学には全く蓄積されていないからです。そこで、苦渋の決断として、これらの不足しているデータを収集する為の足場作りを行う事にしました。

このデータの収集には、100年程度を想定しています。100年後には、今自分が想定している生物学の壁を乗り越える作業が可能になるのではと思っています。
もっとも、最近は、予想以上に科学の進歩スピードが遅いので、「想定は甘すぎるのでは?」と、自信喪失ぎみです。相変わらず、現代科学は、常識の壁の前で右往左往しています。明るい場所ばかりを見つめています。自分の足元には、暗い場所が横たわっていることに気が付いていません。

過去と未来のバランス

経験的に分かっていることは、未来を目指すなら、その未来の3~5倍程度、一旦、自分を過去に引き戻す必要がある事です。そして、そこから未来を見据えて、問題を整理し直す必要があります。

例えば、100年先の未来を目指すなら、一旦、自分を300~500年程度、過去に引き戻して、そこから問題を整理し、具体的な目標を再設定する必要があります。
最先端にいて、チキンレースに没頭しても、目まぐるしさに幻惑されて、大きな流れは見えてきません。大きな流れを掴む為には、一旦、引き下がって、視野を広げる必要があります。

100年先の未来を目指す場合

100年先の未来を目指す場合
例えば、100年先を目指す場合、
一旦、3~5倍程度、自分を過去に引き戻します。
そして、そこから、全体を眺めてみます。問題を整理します。
この作業を、過去から未来に向かって視点を変えながら、何度も、何度も、、、、、繰り返します。

経験的に分かっている事は、未来の3~5倍程度、過去に戻る必要があります。
最前線でチキンレースやっていても、壁は乗り越えれません。一旦、過去に戻って、そこから勢いを付けて、壁に体当たりを繰り返す必要があります。

間違えてはならない事は、壁を乗り越えるのは知性の力ではありません。猟犬の本能です。
知性は、所詮、常識の範囲内でしか動けません。自らの怠慢を正当化する為に、言葉ばかりを振り回しています。

この計画のレンジは、未来は300年程度ですが、過去は、2500年程度引き戻す必要がありました。それで、やっと、自分の辿り着いた結論の正体を確認できました。

ある時、ふと、『時間、空間、物質』は存在する実体ではない事に気が付きました。それを使わなくても物理現象が記述可能であることが分かりました。今まで、どうしても理解出来なかった物理学上の問題が、霧が晴れるようにスッキリしました。

しかし、自分が辿り着いたこの結論は、自分が受けて来たヨーロッパ由来の科学教育(現代日本の物理学の教育)とは全く異質のものでした。余りにも異なり過ぎていました。その正体が全く分かりませんでした。「おそらく、単独で辿り着いたものではない。自分はそこまで有能ではない。(自分が生まれ育った)日本文化の根底に流れている何か。日本文化の何かから、連想している筈だ。」とは、薄々気が付いていたのですが、それが何かは全く分かりませんでした。

ところが、ある時、ひょんなことから、それが、2500年前にゴータマ(原始仏教)の辿り着いた結論と同一だと分かりました。日本文化の根底に流れている仏教の考えだったのです。『色即是空』、全ては実体では無い。空っぽでした。
意識知覚している全ての事象は、時間も空間も物質も、愛も憎しみも、死の恐怖も、脳内部の事象でした。存在する実体ではありませんでした。実体の無いものでした。
本当に、驚きました。全く同じものが、そこにあったからです。もっと、洗練された形で。

このような事情で、この計画のレンジは、未来に関しては300年程度ですが、過去に関しては、2500年になっています。
哲学は、出来る限り、ゴータマ(原始仏教)フロイトの考え方に沿って述べています。もちろん、説明に使用している知識は現代のものです。出来る限り、抹香臭さは消しています。

なお、全ての基盤である哲学については、耐用年数は、500年程度は必要と感じています。そこから先は、手の届かない異質なものを感じます。

一番優先してる作業は、この哲学の作業です。この作業に成功するかどうかが、この計画が軌道に乗るかどうかを左右します。この部分さえ軌道に乗せれば、後は、多少の紆余曲折はあっても、最終目標に辿り着くことが出来ます。想定の時間内に辿り着けなくても、最終的には、辿り着けます。

自分の持ち時間の範囲内で処理可能な作業は、目標を明確にする事と、哲学の整備と、生物学の準備作業の三つがやっとみたいです。ゴールに辿り着けないので、(自分の手から離れてしまうので、)その分、基礎的部分をしっかり作る必要に迫られました。直接狙う事が出来るなら、余分な事しないで、直接狙ったのですが、残念です。

ここで述べている事は、自分のノルマです。でも、そのノルマを消化できるかどうか。まだ、諦めてはいないのですが。作業の優先順位は、残り時間と相談して決めています。

このような事情で、ここで述べている内容は、現代科学の常識では、奇異に感じられるものも含まれています。現代に受け入れて頂ける事よりも、最終目標に最短コースで辿り着く事を優先しています。その為、現代への配慮が多少欠けています。いや、現代の人々に配慮するほどの余裕が無いのが正直な実情です。

作業規模が大き過ぎるので、(余裕もないので、)結構、荒っぽい作業になっています。



今西錦司の進化論

生物学に関しては、100年後に、壁を乗り越える作業が可能になると予想しています。

300年後の未来の為、「今、この瞬間に、自分が何をしなければいけないか?」、「何を準備しておく必要があるか?」を知る為に、直接、300年後の未来に心を集中してみました。
計画の実行には物理的な時間が掛かります。今から準備しておかないと、間に合わない問題もあります。それを知る為の作業を行いました。

そうすると、

  1. 生命現象の壁が立ちはだかっていること。
  2. 生命現象に関する薄ぼんやりとしたイメージを得ることができました。
    そのイメージは、想像を絶する不可解なもので、理解に苦しむものでした。言葉にも出来ませんでした。
  3. それが、現代の正統派進化論と余りにも異質であった為に、
    現代の正統派進化論が間違っているらしいことに気が付きました。

この三点が明らかとなりました。

でも、最初は、諦めていました。自分には、生物学の知識は無かったからです。それに、正統派進化論の現状を見れば、とても、必要とするデータが蓄積されているとは思えませんでした。現代の正統派進化論は、疑似科学です。余りにも、幼過ぎます。

ところが、偶然、今西錦司(敬称略)の『進化とはなにか』を手にして、驚いてしまいました。読んだ瞬間に、色めき立ってしまいました。「まさか!」と思っていたものが、そこにあったからです。自分が得た生命現象のイメージが、鮮明に述べられていました。全く同じものでした。いや、もっと鮮明でした。

生命現象の壁を乗り越える作業が可能なことが分かりました。

さっそく、作業に着手しました。しかし、自分が直接壁を乗り越える事は、データ不足から困難である事が、直ぐに分かりました。特定の分野のデータが、決定的に不足していたのです。そこで、直接、壁を狙うことは諦めて、準備作業、つまり、土台構築に切り替えました。苦渋の決断でした。

ここで、進化論を述べているのは、このような事情の為です。自分のターゲットは、進化論ではなくて、あくまでも、生命現象そのものです。それを、進化論を例題にして解こうとしています。不足しているデータの収集を狙っています。その基盤作りを行ています。その為の所要時間が、作業の難易度と現状を勘案して、100年程度だと想定しています。それに見合うだけのコストを掛けています。

問題解決には、それなりの拘束条件があります。
原理原則や、作業方針が明確になっている場合は、人、物、金を投入すれば、その投入量に比例して問題解決の時間は短縮できます。
ところが、その方針が不明の場合、投入量は問題解決の鍵にはなりません。不毛の試行錯誤が延々と続くので、時間の長さに翻弄されてしまいます。時間の長さそのものが、解決の鍵を握ります。

生命現象の問題は、残念ながら、後者のケースです。問題解決の方針が見つかっていません。それを見つける作業です。その不毛の延々と続く試行錯誤の時間を、100年程度と想定しています。今から準備を始めないと、間に合わないと認識しています。だから、無理をして、この計画を立ち上げています。(もちろん、リスクの大きさは理解しています。でも、結果は、実際にやってみないと分かりません。)

注)時間の誤差は、100年程度は、充分にあると思います。もっと、あるかもしれません。何も無いよりは、遥かにマシと割り切っています。何処まで、しっかりした基盤を準備しておく必要があるか、その大雑把な参考にはなります。
自分の置かれている現実は、残念ながら、その程度です。どっかの哲学者のように、人間の知性と理性の偉大さを高らかに歌い上げることが出来るなら、もう少し、楽になれるのですが、相変わらず、誤差の不安に苛まれています。(自分の無能にも。)

なお、念の為、申し上げておきますが、自分は予言者ではないのでは、そっちの気はありません。



孫氏の兵法

この計画の根底にある発想は、孫氏の兵法です。
(たまたま同じだったのですが、孫氏の方が洗練されていました。)

  1. 目的を設定して、
  2. 自分の置かれている現状を分析し、
  3. 現状と目的の距離を算定して、
  4. 現状から目的に至る手順を作成し、
  5. それを実行しています。

計画を、前提条件や常識を無視して、ゼロから実行する為の手法です。
このような作業を系統的に行っています。

ただし、壁を乗り越えるのは、猟犬の本能です。知性や理性の力ではありません。これを間違えると、全ての計画は失敗します。壁を乗り越えるのは本能。それを兵站するのは知性。本能と知性の使い分けが大切です。孫氏は、その片方の知性の合理的な使い方を説いています。

悲しいことに、知性は言葉を振り回す特権を持っています。この為、多くの場合、その特権を駆使して、自らの成果を高らかに歌い上げることばかりに熱中しています。自らの怠慢を正当化する事ばかりに、夢中になっています。そして、みな、それに幻惑されています。言葉の美しさに酔いしれています。諸悪の根源は、知性の、この性癖にあります。

一方、本能は、そのような特権を持っていません。だから、どのような成果を上げても、いつも、無言です。何も言わないから、いつも、忘れ去られています。手柄を知性に横取りされています。

ちなみに、孫氏は、残念ですが、本能の使い方については述べていませんでした。当たり前ですね。そんは非合理的で野蛮な行為。確実性がないので、(国が生き残る為の)手段としては、安全性に問題があります。


国が生き残る

孫氏の兵法は、非常に単純な考え方です。バカな自分でも充分に理解できます。
国が生き残る」という目的を設定して、「その為に何をすべきか?」を説いています。

非常に単純です。全ての判断と行動が、『設定した目的』と、『自分の置かれている現実』のふたつに従って行われているからです。判断基準が明快です。
俗に言う『敵を知り己を知れば百戦殆からず』です。

  1. 実行可能な目標を、具体的に設定し、(敵を知る)
  2. 自分の置かれている現状を分析し、(己を知る)
  3. そして、更に、敵と己の距離が分かれば、(距離を知る)

成功する可能性が高くなります。
(ほんの少しですけど。でも、そのほんの少しに賭けざる得ない惨めさ。)

自分が置かれている現実は、

  1. 自分の持ち時間は限られている。
  2. 現代には、まだ十分な知識やデータが蓄積されていない。
  3. 受け入れて頂けるには、多くの時間を要する。
  4. 単独で実行せざる得ない。(その副作用を無視できない。)

これら四つの不利な条件を前提に、必要な手順を作成し、実行する必要があります。コストバランスを間違わないように。優先する問題、戦略的に重要な問題に、全体の6~8割のコストを割り当てる必要があります。

結果的には、猟犬の本能全開で、突っ走る作業になってしまっています。好むと好まざるとに関わらず。それを、孫氏流現実主義で背後から(必死に)支えています。

神経質と思われるかもしれませんが、手段には、必ず、副作用が伴います。
本能に身を任せて暴走しているのか、合理的手段を駆使して合理的作業をしているつもりなのか。(あくまでも、つもりです。「真実は神のみぞ知る。」です。)
今、自分が使っている手段を、常にキチンと自覚していないと、知らず知らずに生み出された副作用に飲み込まれてしまいます。
それに、もっと切実な問題として、その副作用を打ち消すカウンターも実装できません。

残念ですが、これは、学問ごっごの遊びではありません。本番です。踏み外したら辛い結果が待っています。
この緊張感。まだ、生きてる~~~、、、
ただし、自分はアドレナリンおたく(adrenaline junkie)ではありません。少なくとも、当人は、そう思い込んでいます。



理想や価値観の正体

なお、余談ですが、『理想』は実行可能な目標ではありません。曖昧な空想です。だから、『理想』を目指した行動は破綻します。(具体的な目標ではないからです。)

現状の分析作業に関しても、『価値観』は現実ではありません。現実の代用物、即ち、仮想現実です。人々は、現実に基づいて行動する代わりに、価値観と価値判断という仮想現実に基づいて行動しようとします。
絶対的価値観は、迷わなくて楽だからです。それに対して『現実』は、いつも、半信半疑です。曖昧です。不安です。迷いの塊です。

現実に基づかない全ての行動は破綻します。哲学者や思想家は、とかく、絶対的価値観を説きたがりますが愚かです。価値観に基づいた行動がいつも破綻しているのは、これが原因です。当人は、「なぜ、うまく行かないのか?」、「自分が信じている絶対的価値観に誤りがあるのか?」、その理由が分からなくて、いつも、右往左往しています。

失敗の原因は、単純です。現実ではないもの、即ち、仮想現実(価値観)に基づいて行動しているからです。絶対だと信じている価値観が誤っていたからではありません。目の前の現実から、目を逸らしたからです。
現状分析に失敗した為よりも、この可能性の方が大です。つまり、そもそも、現状分析をしなかった為です。その代わりに、その代用物である絶対的価値観に、安易にしがみ付いたからです。

そりゃ、目つぶって車運転したら、事故るのは当たり前です。目の前の景色は、常に変幻自在に変化し続けます。昨日の常識が、今日も通用するとは限りません。現実は、常に、ボーダレスです。
(だから、逆に、かえって、人々は、この不安から逃げる為に、絶対的価値観?に安易にしがみ付いています。)

【安全運転の標語】
真理?が書かれている崇高な経典を読みながら、わき見運転していたら事故ります。
運転する時は、前をしっかり見ましょう。

崇高な経典ではなくて、『わき見運転』という『行い』が結果を生みます。『結果』は『行い』から生まれます。『言葉』からは生まれません。
もし、生まれたら、それは不幸な結果になる可能性が大です。空想に酔った結果でしかないからです。

参考までに、孫氏とマルクス、孔子の発想の違いを図解します。

孫氏とマルクス、孔子の違い

孫氏とマルクス、孔子の違い
一目瞭然ですね。なぜ、マルクス、孔子が失敗したか!
失敗の原因は二つです。
1. 理想を掲げた事。(実行可能な具体的目標でなかった。)
2. 絶対的価値観や教義、徳に基づいて行動を起こした事。(現実から目を背けた。)

理想は、空想です。実行可能な具体的目標ではありません。目標設定が曖昧な計画は成功する筈がありません。
行くとこまで行ってみないと、そこは天国か地獄か分かりません。(でも、大抵は地獄です。結果は、理想によってではなくて、いつも、裏側に隠れている欲望によって生じているからです。)

絶対的価値観や教義、徳は、現実ではありません。仮想現実です。「現実はこうだ。」と仮定しているに過ぎません。現実に基づかない行動が破綻するのは、当たり前です。

一方、孫氏は単純です。目的は「国が生き残る」です。具体的です。
現実は、常に、予測不可能に、変幻自在に変化します。しかも、置かれている立場によっても変化します。
従って、現実から目的に至る手段も、臨機応変に変える必要があります。この変化に追随出来なかったら、結果は、火を見るよりも明らかです。現実に適切に対応出来なかった(全ての)計画は、破綻します。

でも、悪い事ばかりではありません。逆に、このふたつによって、マルクス、孔子は生き残っています。
理想は美しく、夢に溢れています。現実逃避先(理想)を与えてくれます。その中で、夢に浸れます。

絶対的価値観は、誰にでも理解し易く、曖昧な現実が、突然、光に照らされて、明らかになったような錯覚を与えてくれます。何だか世の中が解ったかのような気分になります。(あの忌まわしい)現実に向き合った時の不安感や迷いを取り去ってくれます。自信と確信を与えれくれます。それ故、人々の心を強く引き付けます。

いい悪いは別にして、これも、二人の才能ですね。自分には、これが無くて、いつも苦労しています。現実と向き合う必要があるのに、その現実が見えなくて疑心暗鬼に陥り、いつも右往左往しています。ふたりのように、「現実でないもの」で、ごまかせれば、少しは気が楽になるのですが。
マルクスや孔子、リベラルの姿

馬と人参
彼らは、現実でないもの、つまり、理想などの仮想目標を追い求めています。
目的が明確でない行動が破綻するのは、当たり前。

成功したければ、明確な目標を設定すべき。

結果は、掲げている(美しい)理想によってでは無くて、人々の心の中で蠢いている(醜い)欲望によって生み出されています。結果が、いつも失敗に終わるので、(人々は)原因探し、つまり、責任転嫁先探しに、右往左往しています。尤もらしい原因が見つかって、一件落着と安心しています。自らの欲望によって、結果が生じている現実には、目を向けようとしていません。

欲望は汚いもの、見苦しいものですよね。だから、いつも、臭いものに蓋をして、見なかった事にされています。
それよりも、言葉で美しく飾られた理想に夢中になっています。理想という現実逃避先が見つかって安心しています。



実際の人間という動物の行動パタン

現実の人間の行動は、孫氏の兵法とは、およそ懸け離れています。
極めて感情的で、非合理的です。
その過程は、下記の通りです。

  1. お腹空いた。
  2. 目の前でキラキラ光る物に、思わず食い付く。
  3. 悲惨な結果。
  4. 「僕は悪くない。あいつが悪い。」で責任転嫁と現実逃避。
  5. 失敗を認めないので、改善がない。
  6. 最初に戻る。

これの永遠の無限ループです。
人は、何度も、何度も、同じ間違いを繰り返しています。
毎回、毎回、責任転嫁先を見つけて、安心しています。「ついに、原因を見つけた。」と、自己満足に浸って、そこで一旦全てを終わりにしています。失敗の反省と改善がないので、また、同じ間違いを繰り返します。これの永遠の無限ループです。

この悪循環から抜け出す最も簡単な方法は、
(4)「僕は悪くない。あいつが悪い。」の工程で、責任転嫁しないで、自分の問題として、現実と向き合う事です。
即ち、工程(4)は不要です。責任転嫁しない事です。

しかし、これが難しい。
多くの方は、惨めな自分を認めたくないので、「僕は悪くない。あいつが悪い。」と責任転嫁して、逃げ回っています。
それに、(間違って)認めたら、苦痛にまみれた自己改革の努力に直面します。心を白い紙の上に取り出して、カミソリの刃で切り刻む作業になります。そんなの嫌です。マゾの趣味などありません。

やっぱ、「僕は悪くない。あいつが悪い。」で、逃げ回る方が楽でいいですよね。少なくとも、免罪符を得た錯覚には浸れます。

う~~~。救われない!。



孫氏の兵法では、『時間と距離』の問題はあまり触れられていません。

孫氏の時代は、歩兵による戦闘が中心でした。騎馬兵は、まだ実用化されていませんでした。騎馬兵を使った電撃戦が可能になったのは、その200~300年後です。だから、孫氏の兵法では、『時間と距離』の問題はあまり触れられていません。「戦場が本国から遠いと、(当時は道路事情が悪かったので、)物資の搬送が大変だから、食料などの物資は現地で調達しろ。」と述べられている程度です。

時間と距離、速度は、相対的問題、即ち、根は同一の問題です。互いに互換の関係にあります。ニュートン力学では、

s=vt  (s:距離 v:速度 t:時間)

と記述されます。

速度が速いと、兵力の迅速な移動が可能になって、兵力の一点集中が可能となります。戦力は、兵の数の2乗に比例します。兵の数が2倍になれば、戦力は4倍になります。
もっと大切な問題として、心の準備が出来る前に敵が現れたら、取り乱して組織的行動が取れなくなってしまいます。戦争は、(取り返しがつかない)死の問題と直面しているので、心の問題は非常に重要です。

(孫氏の兵法でも、当然、)このパラダイムシフトに気が付いた筈です。でも、当時は騎馬兵が存在していなかったので、敵も味方も移動速度は等しく、考慮する必要のない問題でした。だから、考慮されていません。時間と距離(速度)に関する新しい手段の獲得と、それの積極的運用には触れられていません。残念です。もし、後300年遅ければ、騎馬兵を使った電撃戦理論に気が付いた筈です。

なお、飛び道具が発達した現代の戦争では、これが複雑に絡み合っています。距離と時間の問題を無視できません。戦争の趨勢を決定する重要な要素になっています。技術の進歩を喜ぶべきか悲しむべきかは別にして。

敵を知り、己を知り、敵と己の距離をれば、百戦殆からず


瞬間(時を構成する二つの要素)

距離と時間は、根は同じものです。ただし、時間には厄介な性質があります。

時間は、二つの要素から構成されます。『瞬間』と、『その瞬間と瞬間の間の長さ』、即ち、『時間』の二つです。時間は、時の連なりによって構成されています。瞬間、瞬間が繋がったものが時間です。その繋がりの長さを表現した言葉が、『時間』です。

【時を構成する二つの要素】

  1. 瞬間、瞬間、、、、(時)
  2. 時と時の間、即ち、時間の長さ(時の間)

もの事を実行する場合は、『瞬間』が大切になります。
『時と時の間の長さ(時の間)』も重要ですが、『瞬間』の方がより重要です。その瞬間を逃したら、もう二度と、その瞬間は巡って来ないかもしれないからです。

いつ実行しても、いい訳ではありません。『一瞬のタイミング』があります。早過ぎても、遅すぎてもダメです。その一瞬を外すと、途端に、余分なコストが掛かってしまいます。最悪の場合、実行不可能に陥ってしまいます。

それ故、その『一瞬のタイミング』がやって来た時は、他の条件が満たされていなくても、迷わず実行する必要があります。
他の条件が整っていなので、作業自体は悲惨を極めますが、実行不可能に陥るよりは遥かにマシです。

常に、『一瞬のタイミング』を踏み外さないように、後ろ髪を引かれるものは残さないように、整理を心掛ける必要があります。一瞬の迷いは、不幸な結果を招きます。

自分は優柔不断なので、これには、いつも苦労しています。『時の長さ(時間)』の方は、(その正体は)「延々と続く不毛の努力の事」なので、比較的時間的余裕があって楽です。しかし、瞬間は、その一瞬しかないので、代替えが効きません。

説明対象と説明方針

説明対象と、その説明方針を述べます。
この文章を書く上で、常に念頭に置いていることです。

ここでの説明は、三者を念頭に置いています。
猟犬の本能を持った人々と、専門家と、一般の方々です。

説明対象と説明コスト

説明対象と説明コスト
説明対象は、猟犬たち専門家一般の方々の三者を念頭に置いていいます。
下に行くほど、説明コストが掛かります。

この三者は、説明コストと、説明方針が異なっています。

猟犬たち

猟犬の本能を持った人々は、獲物の匂いを教えるだけで充分なので、説明コストは最小で済みます。
当人も、それだけで行動できます。
自分に余裕がない場合は、この方々の為だけに、必要な情報を残しています。コストが掛からないので。

ただし、他の方々には、これが誤解の原因になるので、結構、リスキーです。『獲物の匂い』って、正気の沙汰ではないですよね。もう、ムチャクチャ。(でも、これが現実だから仕方ありません。)

それと、このタイプは、自分の感性に忠実になろうとする余り、他人との協調が無く、反社会的傾向があります。いわゆる問題児です。組織には向きません。

専門家

専門家の場合、必要なデータを揃えて、合理的に説明する必要があるます。データの収集、並びに、合理的説明に、それなりのコストが掛かります。作業時間も結構無視できません。
でも、それが、世の中の常識なので仕方ありません。

なお、根源的問題の場合、専門家も所詮は動物に過ぎないので、動物のサガ(性)に翻弄されています。合理的思考が困難です。一般の方々と説明方針は同じになります。

一般の方々

一般の方々の場合、根本的に説明方針が異なります。
日々の生活実感に合わせて説明する必要があります。合理的説明は、必ずしもベストな方法ではありません。
納得する心のメカニズムが異なっています。

この為には、説明する当人も、実際に生きてみる必要があります。様々な感情が交差する欲望まみれの日常を、実際に送ってみる必要があります。結構、別の意味で時間が掛かります。

説明対象と説明方針
説明対象説明コスト説明方針
猟犬たち獲物の匂いを教える。
もう、ムチャクチャ。
専門家データを揃え、合理的に説明する。
納得。
一般の方々日々の生活実感に合わせて説明する。
あれっ!。想定外。

ここでは、専門家をメインのターゲットにしています。
余裕が無ければ猟犬たちだけを、余裕があれば一般の方も対象にしています。

しかし、実際に、この方針通り的確に実行出来ているかと言えば、それは、甚だ疑問です。現実は、ただの単なる努力目標に過ぎないのが実情です。
「気は心。それでも、少しは、役に立っているのでは。」と、自分を慰めています。

男と女

男と女では、物事を信じる時の心のメカニズムが異なっています。

男は、納得できるものを信じる傾向にあります。(掟通りなら納得)
一方、女は、実感できるものを信じる傾向にあります。(肌で実感)

一般的傾向として、
男は、掟通りに物事が進んでいると納得します。
女は、肌で実感できれば信じます。ちょうど、子供を抱きしめて、肌の温もりや手足の蠢きを感じた時のように。

納得と実感。その心のメカニズムが異なっています。それを、鋭く指摘したのが、「大衆は女だ。」というヒットラーの言葉です。

「大衆は実感で動く傾向が強いので、大衆に語り掛ける時には、女性に語り掛ける時と同じように、実感できる話し方が大切だ。」という意味です。納得と実感の違いが区別出来なければ、意味のない話ですが。

ここでの一般の方々への説明方針、

日々の生活実感に合わせて説明する。」も、

このような現実を背景にしています。


注)異性は、理解不能なエイリアン

異性の考え方は、なかなか理解できません。互いに相手を、理解不能なエイリアンだと感じています。超えられない壁を感じています。唯一、このエイリアン同士を結び付けているものは、「寂しさ」だけです。

ニホンザルの研究でも、男性研究員はオスザルの行動は理解し易いみたいです。女性研究員が加わって、始めて(目から鱗)メスザルの行動の意味に気付かされるみたいです。女性は、メスザルの行動を理解できるみたいです。なんと、今まで、ニホンザルの半分(オスザル)しか、研究していなかったのです。

哲学の世界とそっくりです。彼らも、この世は男と女で構成されていることに気が付いていません。一方的に、男の理屈を振り回しているだけです。人類の普遍的真理だと錯覚して。

「男女平等、イコール、女が男の真似をする事。」と、錯覚しています。男には男の幸福が、女には女の幸福がある事に気が付いていません。動物のサガ(性)に逆らった生き方は、不幸な結果を招くだけです。

この世に女性も存在していることに気が付いたのは、残念ですが、ヒットラーだけでした。物事を信じる時の心のメカニズムが異なっていることを指摘できたのは、世の中広しといえども、彼だけでした。本能的に嗅ぎ分けていました。いい勘してます。(いい悪いは別にして、)やはり、凡人ではありません。

なお、自分は、ヒットラーの信奉者ではありません。念の為。
「いい、わるい」は別にして、毒にも薬にもならない凡人とは異なって学ぶ所が多いと、実感しているだけです。ヒットラーと並ぶ天下の極悪人、毛沢東も、やはり、「いい、わるい」は別にして、学ぶ所が多い人物でした。反面教師として。

世の多くの人々は、ヒットラーを、責任転嫁と現実逃避先として使っています。「僕は悪くない。ヒットラーが悪かった。」と、(ヨーロッパの人々は)彼に罪を押し付けて逃げ回っています。「ヒットラーを批判している自分は正義。」と、必死にアピールしています。
自分の気に食わない相手に、ヒットラーのレッテルを張り付けて批判し、自分の欲望の正当性を(さりげなく)主張しています。

最近の流行は、「ヒットラー」ではなくて、「テロリスト」です。「テロリストを批判している自分は正義。」と、魔法の言葉に酔いしれています。世界中の政治家たちは、この便利な言葉に舞い上がっています。その背後に潜んでいる「欲望の対立と貧困」から目を背けています。はしゃぎ過ぎです。見苦しいです。残念です。悲しいです。