注1)新しい哲学について


   この作業で使っている哲学体系は、現代科学の土台となっている唯物論ではありません。空の哲学を使っています。フロイトや、原始仏教の考え方です。

   ただ、『空』は誤解されているので、先に申し上げておきます。
   空の哲学では、『空』と呼ばれている深遠な真理が説かれている訳ではありません。何も無いので、しかたなく、空っぽの哲学と便宜上、呼んでいます。

 
   言葉や、哲学的欲望に振り回されたら、空の哲学は難解ですが、その欲望から離れたら、何も残りません。空っぽです。

   空の哲学が説いているのは、次の2点のみです。

  1. ありとあらゆる欲望から離れなさい。
    欲望が生み出している全ての物への拘りを捨てなさい。
    .
  2. 原因と結果の因果関係に基づいて、目の前の事象を観察しなさい。
   言葉と、言葉で表象されている全ての物への拘りから離れて、原因と結果の因果関係を観察することが大切だと教えています。

   最終的には、「仏教への拘りも捨てなさい。」と主張します。世俗的な諸々の物事への拘り同様に、仏教への拘りも、欲望の働きでしかないからです。

   全ての物事は、欲望を原因として、生み出されています。

   言葉によって、自己満足に浸ることが重要なのではありません。ひとつひとつの些細な行いが大切です。
   なぜなら、物事は、言葉によって明らかになっているのではなくて、ただ単に、『行い』によって、『結果』が生じているに過ぎないからです。その結果が、実際に、様々な影響を与えているからです。

   『結果』を生み出しているのは、『行い』です。


   もし、原始仏教に興味があるのでしたら、下記の本をお勧めします。安い文庫本です。最も古い姿が残っているので、言葉が生き生きとしています。仏教臭さがありません。もちろん、後期仏教のような難解な「空」なんて言葉も出てきません。気楽に御読み頂けると思います。

   「ブッタの言葉(スッタニパータ)」 中村元訳 岩波書店

  


注2)シャボン玉の5色問題と排他律、そして3次元空間


   『シャボン玉の5色問題』、このような用語は、現代には存在しません。

   地図の4色問題を、3次元に拡張した場合を、勝手に名づけたものです。
   地図の4色問題は、ヨーロッパの地図を持ち出すと理解が容易になります。『国境が隣あっている国は、同じ色で塗ってはいけない。』というルールを設定した場合、何色の色があれば充分だろうかという数学上の問題です。もちろん、海もひとつの国だと見なします。多分、4色あれば、充分だろうというのが予測です。

   『シャボン玉の5色問題』は、それを、3次元に拡張した場合です。
   お風呂場で、石鹸の泡を手にすくっている状態を想像してみて下さい。手にすくった泡の塊は、小さなシャボン玉の塊です。このひとつひとつに、異なった色の気体を封入してみます。『互いに接しているシャボン玉には、同じ色の気体を封入してはいけない』というルールを設定した場合、全部で何色必要でしょうかという問題です。5色あれば、充分だと予測されます。

   そして、この問題は、物理学上、我々の存在しているこの宇宙の空間の次元が、3次元であることと、非常に密接な関係があるようです。この宇宙の空間が3次元であることは、絶対的な真理ではなくて、論理的に説明できる問題のようです。と言うのも、地図の4色問題にしても、シャボン玉の5色問題にしても、物理学上は、(物質の)排他律の問題を論じているに過ぎないからです。

   もし、隣り合った国が同じ色で塗られていたら、周りの国々からは、異なった2国として認識することができません。異なった国として認識する為には、異なった色、異なった存在状態になる必要があります。排他的に存在する為には、異なった色、異なった存在状態が必要です。
   もし、原子の周りを回っている電子が、異なった存在である為には、原子、電子、宇宙全体の3体問題で、異なった状態になっていなければいけません。もし、同じ状態だと、存在が縮退してしまって、識別出来なくなってしうからです。ひとつのものになってしまいます。別のものである為には、軌道が異なっているか、スピン等の存在状態が異なっている必要があります。
   この排他律の問題を論理的に純粋に展開すれば、存在の自由度が3となります。つまり、存在の自由度、即ち、空間は、3次元になります。

   このことは、空間という概念を使わない新しい幾何学体系の構築作業のときに、詳しく述べます。もっとも、構築とはいっても、基礎になる思考モデルを作るのがやっとですが。


注3) 生命相互作用


   現象は相互作用から構成されています。

   生命現象も、現象が存在する限り、この現象を特徴づける何らかの相互作用によって構成されていると思われます。しかし、残念ながら、現状では、その物理的意味は不明です。

   ただ、物理学一般の流儀に従って、生命現象を、生物と環境との生命相互作用として理解すると、その全体像が、うまく理解出来ます。

   物理現象は、重力相互作用、電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用の4つの相互作用から構成されていることが知られています。

   問題は、生命相互作用が、これら4つの相互作用の組み合わせによって説明できるのか、あるいは、これ以外の第5番目の要素が含まれるのかです。結論は、全く解りません。それを、判断する為の情報がほとんど無いからです。

   自分の個人的予想としては、7対3の割合で、新しい要素が含まれていると思っています。しかも、それは、今の自分の固定観念を遥かに超えています。ここで述べているような思考の枠組みの延長線には無いと思われます。自分が壊されてしまかもしれない、いやな予感がします。

   役立つかどうか、解りませんが、簡単な思考実験を行ってみます。

   Aという相互作用から構成された現象界を α と名づけます。重力相互作用から構成された重力現象界のようなものです。
   Bという相互作用から構成された現象界を β と名づけます。電磁相互作用から構成された電磁現象界のようなものです。

   もし、過去においても、現在においても、未来においても、現象界αが、現象界βと何の関係も持たなければ、現象界αは、現象界βの存在を知ることはありません。

   我々の存在している宇宙と、別の宇宙が存在していたとしても、その間に何らかの相互作用が発生しなければ、我々は、その別宇宙の存在を知ることはありません。

   時間、空間、物質は存在する実体ではありません。従って、入れ物(空間)の中に、もの(物質)が存在するという発想自体は無意味です。 その別宇宙が、どの入れ物(空間)の中に存在しているかを考えても意味がありません。
   例えば、自分の手のひらの中に、この広大な宇宙と同じぐらいの大きさの宇宙が、星の数ほとも、無限に存在していたとしても、我々は、それを知るすべはありません。全ては仮定の産物です。現実問題として、存在を確認出来ないので、存在しないと見ないしても、何の問題もありません。

   逆に、現実に、この宇宙が、4つの相互作用で構成されていることは、この4つが、背後で密接に結びついていることを示唆しています。密接に結びついているからこそ、この4つの相互作用の現象界が、組み合わさって、ひとつの宇宙を構成していると言えます。

   ひょっとしたら、これらの背後には、もっと、基本的な相互作用が存在していて、それが、この宇宙を構成しているのかもしれません。

   これらの4つの相互作用は、表面上の見かけの問題、見る角度によって、違った姿に見えているだけかもしれません。
   例えば、重力相互作用は、我々が存在しているこの宇宙が、有限なサイズの為に生じている見かけの相互作用かもしれません。いわゆる、有限な椅子取りゲームのようなものです。誰かが、椅子に座ったら、誰かは、弾き出されてしまいます。宇宙全体で見れば、辻褄は合っているのですが、局所的に見れば、様々な現象が生成されます。重力相互作用が、引力のみの単相なのも、反重力が存在していないのも、これが原因かもしれません。

   だとしたら、このような見かけの相互作用は、もっと、もっと、たくさん存在している可能性があります。4つだけではないと思われます。
   この意味で、7対3の予感です。

   なお、余談ですが、生物進化の理論は、この問題を追及する為の生命現象に関する物理学理論として準備しました。壁を乗り越えていく為の足場を、何としても構築しておきたかったので、無理して準備しました。色々な部分が、オーバースペックになっているのは、その為です。