言葉や、哲学的欲望に振り回されたら、空の哲学は難解ですが、その欲望から離れたら、何も残りません。空っぽです。
空の哲学が説いているのは、次の2点のみです。
現象は相互作用から構成されています。
生命現象も、現象が存在する限り、この現象を特徴づける何らかの相互作用によって構成されていると思われます。しかし、残念ながら、現状では、その物理的意味は不明です。
ただ、物理学一般の流儀に従って、生命現象を、生物と環境との生命相互作用として理解すると、その全体像が、うまく理解出来ます。
物理現象は、重力相互作用、電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用の4つの相互作用から構成されていることが知られています。
問題は、生命相互作用が、これら4つの相互作用の組み合わせによって説明できるのか、あるいは、これ以外の第5番目の要素が含まれるのかです。結論は、全く解りません。それを、判断する為の情報がほとんど無いからです。
自分の個人的予想としては、7対3の割合で、新しい要素が含まれていると思っています。しかも、それは、今の自分の固定観念を遥かに超えています。ここで述べているような思考の枠組みの延長線には無いと思われます。自分が壊されてしまかもしれない、いやな予感がします。
役立つかどうか、解りませんが、簡単な思考実験を行ってみます。
Aという相互作用から構成された現象界を α と名づけます。重力相互作用から構成された重力現象界のようなものです。
Bという相互作用から構成された現象界を β と名づけます。電磁相互作用から構成された電磁現象界のようなものです。
もし、過去においても、現在においても、未来においても、現象界αが、現象界βと何の関係も持たなければ、現象界αは、現象界βの存在を知ることはありません。
我々の存在している宇宙と、別の宇宙が存在していたとしても、その間に何らかの相互作用が発生しなければ、我々は、その別宇宙の存在を知ることはありません。
時間、空間、物質は存在する実体ではありません。従って、入れ物(空間)の中に、もの(物質)が存在するという発想自体は無意味です。 その別宇宙が、どの入れ物(空間)の中に存在しているかを考えても意味がありません。
例えば、自分の手のひらの中に、この広大な宇宙と同じぐらいの大きさの宇宙が、星の数ほとも、無限に存在していたとしても、我々は、それを知るすべはありません。全ては仮定の産物です。現実問題として、存在を確認出来ないので、存在しないと見ないしても、何の問題もありません。
逆に、現実に、この宇宙が、4つの相互作用で構成されていることは、この4つが、背後で密接に結びついていることを示唆しています。密接に結びついているからこそ、この4つの相互作用の現象界が、組み合わさって、ひとつの宇宙を構成していると言えます。
ひょっとしたら、これらの背後には、もっと、基本的な相互作用が存在していて、それが、この宇宙を構成しているのかもしれません。
これらの4つの相互作用は、表面上の見かけの問題、見る角度によって、違った姿に見えているだけかもしれません。
例えば、重力相互作用は、我々が存在しているこの宇宙が、有限なサイズの為に生じている見かけの相互作用かもしれません。いわゆる、有限な椅子取りゲームのようなものです。誰かが、椅子に座ったら、誰かは、弾き出されてしまいます。宇宙全体で見れば、辻褄は合っているのですが、局所的に見れば、様々な現象が生成されます。重力相互作用が、引力のみの単相なのも、反重力が存在していないのも、これが原因かもしれません。
だとしたら、このような見かけの相互作用は、もっと、もっと、たくさん存在している可能性があります。4つだけではないと思われます。
この意味で、7対3の予感です。
なお、余談ですが、生物進化の理論は、この問題を追及する為の生命現象に関する物理学理論として準備しました。壁を乗り越えていく為の足場を、何としても構築しておきたかったので、無理して準備しました。色々な部分が、オーバースペックになっているのは、その為です。