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参考)「孫氏の兵法」とは何か?
「孫氏の兵法」は、非常に単純な思想です。「国が生き残る」という「具体的で実行可能な目的」を設定して、その為に何をすべきかを説いていました。
判断基準が根本的に異なっています。絶対的価値観や徳ではなくて、「国が生き残る」という具体的に設定された目的です。この目的に沿って、判断し、そして計画が立案され、実行されます。
この判断基準が、他の思想と根本的に異なっています。判断基準は、絶対的価値観ではなくて「目的」です。「目的の為に、プラスかマイナスか?」です。
これが、孫氏の兵法が理解されない原因です。マルクスのような絶対的価値観も、孔子のような徳や理想も説いていないからです。
このような現実に直面した場合は、「乱世で国が生き残る」為に、このような行動をとれ。別の状況では、ああしろと。全ての評価基準を、設定した目的を中心にして組み立てていました。「その行動は、「国が生き残る」目的の為に、プラスかマイナスか?」と。
これが理解できないと、場当たり的ノウハウ集に見えてしまうみたいです。「このときは、こうしろ。あのとくは、ああしろ。」と、延々と述べているに過ぎないからです。
リベラルたちが大好きな絶対的価値観(?)に基づいて判断している訳ではありませんでした。判断基準は、あくまでも、「乱世で国が生き残る」という目的でした。「価値観」ではなくて「目的」でした。判断基準が異なっていました。つまり、価値観を否定していました。これが、孫氏の兵法の革新性でした。(現代の哲学者や思想家たちは、今もって克服できていません。)
【判断基準の違い】
孫氏の兵法:「乱世で国が生き残る」という目的。(現実)
その他思想:マルクスのような絶対価値観。孔子のような徳や理想。(空想)
孫氏の兵法は「現実」に根ざした行動でしたが、マルクスや孔子は「空想」に根ざした行動でした。失敗するのは当たり前。
| 孫氏の行動方針 |
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| マルクスや孔子、リベラルが、いつも失敗してしまう原因は単純です。 1) 実行可能な具体的目的や目標を設定していないから。 彼らは、理想や綺麗事などの空想を目的と錯覚しています。真理や理想は、仮想目標です。誰もゴールの具体的姿を知りません。 2) 現実に根差した行動でないから。 彼らは、絶対的価値観や教義などの仮想現実を、現実だと錯覚し、それに基づいて行動しています。現実に基づかない行動は破綻します。 孫氏の行動方針は、 1) 実行可能な具体的目的を設定すること。(乱世で国が生き残ること) 2) 全ての評価基準は、設定した目的を中心に組み立てる。「目的にプラスかマイナスか」と。 3) 現実は、刻々と変化する。 現実は、刻々と変化します。それ故、その現実から目的に至る手段を、柔軟に策定し実行することが大切です。目的さえ見失わなければ、手段は幾らでもあります。手段に拘ってはいけない。目的に拘ることです。 ある手段が使えない場合、一分以内に、三つの代案を策定し実行に移せ。目的を遂行する為に。 追い詰められている場合は、もっと余裕がないかも。 時間的余裕があれば、もっと戦略的手段を策定し実行可能かも。 |
| マルクスや孔子、リベラルの姿 |
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| 彼らは、現実でないもの、つまり、「理想や真理、絶対的価値観」などの仮想目標を追い求めています。 目的が明確でない行動が破綻するのは、当たり前。 失敗するのは、主義主張が間違っているからではありません。現実に目を向けていないからです。 成功したければ、(実行可能で)明確な目的を設定すべき。例えば、「国が生き残る」のような。 そして、全ての価値判断は、この「設定された目的」に従って行うべき。「目的にとって、プラスかマイナスか」と。 |
例:殴り合いの戦争は、国が生き残るベストな方法ではない。
戦争は、勝っても負けても、国力を大きく損耗してしまう為です。人的資源も、食料などの物的資源も、資金も、大量に消費します。古代国家唯一のGDPの源、農業も、動員した農民兵が失われたら生産に支障をきたします。国力が疲弊します。そこを、別の国から攻められたら、、、。
より良き方法は「戦わずして勝つ」、つまり、戦わないで生き残ることです。国力を温存できるからです。目的は、殴り合いに勝つことではありません。「乱世を生き残ること」です。戦争は、その為のいち手段に過ぎません。
(ただし、無視できない冷酷な、、、、、。言葉が通じなければ、力を行使する必要があります。躊躇ってはいけません。一瞬の躊躇いが、取り返しのつかない結果を招きます。)
彼が説いていたのは、乱世における国家運営方法でした。タイトルを「孫氏が語る乱世の国家運営方法(副題:戦争に勝つことも大切)」とすれば、誤解されなかったと思います。メインは「乱世における国家運営方法」でした。後半が「(実際の)殴り合いの戦争に勝つ方法」でした。つまり、戦場の話です。「兵は詭道なり」と説いていました。
でも、これが理解できないと、(軽薄な)場当たり的ノウハウ集に見えてしまうみたいです。「このときは、こうしろ。あのときは、ああしろ。」と、延々と述べているだけだからです。マルクスや孔子のように、体系的知識や絶対的価値観、理想を説いている訳ではないからです。
なお、ナポレオンのような当事者なら、直ぐに、その重要性を理解できたみたいです。日頃悩んでいた問題が、戦略的に体系的に説かれていたからです。いきなり、(前振りなしに)核心に触れていました。
逆に、これが孫氏の兵法が理解されない原因でもありました。多くの人々にとって、「乱世の国の運営」など考えたことも無かったからです。その一番重要な部分が、「当たり前の常識」として省略されていました。当事者のみが理解できる書き方になっていました。
当時の記録媒体は木簡でした。紙は実用化されていませんでした。だから、長い文章を書くのは困難でした。要点だけを出来るけ簡潔に短く書く必要がありました。「当たり前の常識」を、わざわざ書く余裕は無かったのです。
重要な注意事項:「国は詭道なり」ではありません。「兵は詭道なり」です。
あくまでも、詭道、即ち、騙しや奇策は、戦場の一発芸です。死んだら元も子もないので。超限戦を平時に使うと、(国が)信用を失って孤立します。悪意を持った者を、誰も信用しません。「国が生き残る」という目的に反します。平時は、Win-Win を心掛けるべきです。先が長いので。
相手にも利益があるときにのみ、向き合ってくれます。
性悪説の人々にとって策略や詭道は魅力的ですが、所詮は戦場の一発芸です。戦術であって戦略ではありません。、、くれぐれも、ご注意を!。
己を知り、敵を知り、敵との距離を知れば、百戦危うからず。
もの事を実行する場合は、三つのことを知る必要があります。
「敵」と「己」と「敵との距離」の三つです。
「目的」と「現実」と「目的までの距離」の三つです。
戦争は、敵と己との対立や相互作用の上に成り立っています。

まず、己を知ることです。
己の能力や置かれている立場を知ることです。
つまり、現実を知ることです。
次に敵を知ることです。
敵の能力や置かれている立場を知ることです。
つまり、目的や目標を明確にさせることです。
最後が、敵と己との距離を知ることです。
距離は、兵器によって大きく変動します。歩いて移動する場合は、一時間あたり四キロ程度しか移動できませんが、ミサイルなどの飛び道具の場合は、一瞬で到達してしまいます。
なお、距離と時間は同じものです。「 距離 = 速度*時間 」で結び付いています。
「現実から目的に至る手段」を策定する場合、距離が異なれば採用される手段も異なってきます。距離が離れ過ぎている場合は、(直接狙えないので、)幾つもの手段を積み上げていく必要が生じます。「目的と計画と実行」を、幾つものサブグループに分割し、それを統合する必要があります。
注)なお、孫氏の兵法の頃は、距離の問題を無視できました。
歩兵が中心で、騎馬兵を使った電撃戦は、まだ実用化されていませんでした。だから、距離の問題は余り重要ではありませんでした。相手も同じ条件だったからです。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」だけで充分でした。
騎馬兵が実用化されたのは、二~三百年後でした。
注)生物学の場合、「国が生き残る」を「生物が生き残る」に読み替えて頂くと、理解が容易になります。話のポイントは、「自己保存」、即ち、「生き残る」に集約されています。生物の置かれている現実は、そのまま、孫氏の説いている世界だからです。

